カテゴリー: TV・映画・本・DVD

  • 追悼 丹波哲郎

    いかりや長介といい、私の好きなジジイが
    どんどん死んでいくのは寂しい・・・。

    丹波哲郎と言えば、“大霊界”。
    怪しいもの好きの私としては、当然読んでみたさ。
    (最初は、「丹波もとうとう宗教に???」
     と、驚いて手に取ったんだが。)

    新興宗教の教祖が書く本は、はっきり言って、・・・品がない。
    どこぞのバツイチの女が書くブログのように
    いたる場面で自画自賛をしているのだ。

    ナイスバディしか取り得のないバカ女の場合は
    誰にも何ひとつ褒められんので、自分で自分を褒めて満足するという
    切羽詰った自足自給生活なんだが
    宗教の教祖ともなれば、信者からチヤホヤされてるはずなのに
    何でなおかつ著書でまで、自分を賛美せにゃならんのだ?

    もう全員と言って過言じゃないほど
    宗教関係者は自分万歳な本を書くので
    信者じゃないヤツの目から見れば、ドン引きさせられる。

    こういうヤツがトップの集団など、軽蔑すらしてしまうぜ。
    宗教の教祖が、自著を何のために書くのか
    読むと、逆にまったくわからなくなるので
    責任ある立場なら、いらん事はせんがいいんじゃないんかなあ。

    丹波哲郎の霊界本は、1冊しか読んでないけど
    この “自分最高!” がなく、面白く読めた記憶がある。
    もちろん 「何様?」 なところはあるが
    それはTVで見る丹波哲郎そのまんまなので、気にならなかった。

    本の内容は・・・・・、私が覚えてるわけがねえだろ!
    と、切れつつ、えーと確か

     ちょっとぐらい、いらん事をしても反省すれば良し。
     死後には、何でも自分の思い通りになる、
     素晴らしい霊界の生活が待ってるんで、喜んで死のうNE!

    みたいな内容だったような?

    間近に迫り来る死期に怯えるジジババには
    これはとてもありがたいであろう話で
    宗教というより、漠然とした不安の解消を目的とした内容だった。

    丹波哲郎は “何様” で、良いヤツでもない気がする。
    霊界話も、ただ単に 「自分が死が恐いのがイヤだ」 という
    我がままを言い張っているだけに見えたけど
    それによって救われる人が多分、大勢いるだろうから
    すげえ善行だよな、と、感心させられた。

    眠るように息を引き取る、理想的な死に方だったと言う。
    祈らなくても、勝手に大成仏をするだろうが、思いを馳せてしまう。

    もちっと、この世にいてほしかったなあ。

  • TVレポーター

    TVレポーターって、仕事柄しょうがないのかも知れんが
    礼儀知らずが多いように思える。

    これ、言われ過ぎて、なかば都市伝説化しているが
    葬式に言って、遺族に 「今のお気持ちは?」 と
    聞いているのを、実際に見た時には
    子供心に 「悲しい以外の何があるんだ?」 と、呆れた。

    この 「今のお気持ちは?」 という定番の問い、
    聞かれたら、どんな場面であってもすんげえ困らんか?
    「嬉しい」 「悲しい」 みたいな単語しか思い浮かばんけど
    何か気の利いた事を言わなければ、と、絶対に悩む。

    イチローや中田が切れた気持ちも、すげえ理解できる。
    えれえ脳みそを使わせられる、あいまいな質問も困るが
    「今答えてたろう? 聞いてなかったんかい!」 みたいに
    ほんのちょっとだけ形を変えた、結局同じ意味の質問を
    続けて繰り出してくるヤツって、確かにいるんだよな。
    どんだけ創意工夫な作文をさせるんだよ? って感じ。

    まあ、誰だって、初対面の素人には
    何を聞いていいのかわからんよな。
    でも、つまらん定型文のやり取りをするぐらいなら
    他の取材をせえ、と、言いたい。

    見ていて一番きついのが、外国の有名人のインタビューである。
    ああああああ、日本の恥ーーーーー! と、赤面させられる。

    特に “少林サッカー” のDVDに収録されている
    映画公開挨拶のインタビューはひどかった。

    「ワールドカップはどこを応援しますか?」
    「少林チームが出たらどうなると思いますか?」

    監督・主演の星何たらは、気を遣ってお世辞を答えていたが
    それって、映画の宣伝と何の関係があるんだよ。
    どーでもいいような事ばっかり聞かんと
    もっと意味のある事を聞いてくれよ。
    インタビューをするなら、ちっとは予習してから聞け!

    あと、インタビューの際に、土産物を渡すシーンも多いが
    中途半端に安い和風グッズなんか
    不気味なこけしレベルに、貰いたくねえと思うぞ。

    相手が女性だったら、安定した品質と評判の
    日本国内販売の化粧品とかのが嬉しくないかなあ?

    男性だったら・・・うーん、よくわからんが
    電化製品でもあげといたら? (投げやり)

    常々疑問だったのが、違法駐車だの、河川敷ゴルファーだのの
    ドグラ取材のレポーターは、何で皆、あんなに弱腰なのか?

    相手がロクでもねえ事をしてるんだから
    ここぞとばかりに、正義感ぶって糾弾すりゃいいものを
    小学生のホームルームレベルの 「~したら悪いと思います」 だ。

    「思います」 じゃねえんだよ! 明らかに悪いんだよ!
    ガンガン追求せえよ!
    「あんたそれで自分の子供に恥ずかしくないの?」 ぐらい言え!

    飲酒運転の取材で、無視して乗っていくヤツなんか
    通報していいんじゃないのか?
    それってタブーなんか?
    それとも、ちゃんと通報してるのか?

    と、いつも怒り狂って見ていたが
    アメリカの放送局のレポーターが暴行を受けた事件があって
    それを見て、普通のヤツじゃそういう取材は無理とよくわかった。

    白人マッチョハードメタルゲイみたいな
    ボディガードを大勢連れて行くべきだよな。

    インタビューは、一方通行の無条件質問会なので
    普段慣れている “言葉のキャッチボール” とは違う。
    “会話” ではないのだ。

    これは確かに、常人には難しいと思う。
    だから、レポーターという専門職があるわけだが
    もちっと、どうにかならんもんか?

    それとも私は、レポーターとインタビュアーを
    ごっちゃにしてるんかな?

  • ワイルド・スピード

    せせくりまくった愛車レビンを手放してから
    憑き物が落ちたかのように、車に興味が失せた私。
    今では、車種の見分けすら付かん有り様。

    映画 “ワイルド・スピード” を観たのは3回目。
    はっきり言って、面白くも何ともねえ。
    何で観るかっちゅうと、単に裏番組が面白くないからである。

    アメリカには、“コンパクト・カー改造マニア” な
    若者たちがいて、彼らに人気なのは、日本車。
    この映画は、そういうヤツらの話らしい。

    出ている車も、ほとんどが日本車らしいが
    どれがどれだか、さっぱりである。

    ボディの強度も考えず、無理矢理パワーアップさせて
    最高時速のみを競うバカモノどもを観つつ、ぼんやりと考えた。

    日本車メーカー、バカじゃねえ?

    世界の車と、何の競合をしたいのか、よくわからんが
    日本人と外国人では、車に求めるものが違うような気がする。

    日本人は車がステータスなので、大事に手入れし
    燃費やフォルムや居住性、利便性など、きめ細かく要求する。
    が、あいつらは、そんな事は1mmも考えちゃいねえぞ。

    車内にはコーラの空き缶やポテチの袋が散乱
    ダッシュボードにはカートリッジガン
    シートにはコーヒーのシミ
    ハンドルはドーナツの砂糖でベトベト

    窓は手で拭い、洗車は近所の高校生のバイトお願い時のみ
    塗装の色あせも、傷も、ヘコミも、錆びも、模様と認識

    荷物をボスボス投げ込み、ドアをガーンと閉め
    バンパーはぶつけるためにあるので
    ビッチリ縦列駐車をした前後の車を
    自分の車でガッツンガッツン押しのけて走り去る

    ギアボワボワの、サイドブレーキゆるゆる
    ブレーキのフットパネルはパッコンパッコン
    走行中は、ドアバネル内部のどっかでボルトがカラカラ鳴り
    グレート肥満が乗るので、左のスプリングだけヘタっている

    米大使館経由で苦情がきそうだが
    それが私のアメ車のイメージ。

    日本メーカーにゃ、この味は出せんだろうーーー。

    そこで、海外で日本車を生産する時は
    同じ土俵で戦わず、日本独自の個性を出す方が良いと思う。

    単に車名を日本風にしとけばいいのだ。
    バイクではあるだろ、カタナとかニンジャ。
    それプラス、タトゥーで人気の漢字にして
    筆文字のエンブレムを付けるのだ。

    “富士山” “芸者” “寿司” “天麩羅” と
    生半可日本ツウにおなじみの車種名にする。

    マニアには “願堕夢” “婦離宮亜” “聖羅亜無雲”
    “宮崎兄目” “似次元萌絵” “大田区” “冥土” など。

    車自体を真面目に作っていれば
    こういう単純な戦略で通用すると思うが、物足りないヤツには
    白黒の塗装で、“霞ヶ関警視庁” と、両サイドに入れ
    車種名は “百十番” ってのは?
    海外なら規制には引っ掛からんだろ?

    想像すればするほど、すげえ良い案に思えてくる。
    絶対に話題になるって! (どういう意味でかは保証できんが)

    言い出したのは私だから、もし実現化する時は
    粗品のひとつも持ってくるのが筋だぞ、メーカー。

    肝心の映画の内容は、何故か何度観ても覚えない。
    えーと、カーアクション?
    日本車好きにはお勧め。 (あからさまに無責任)

    こんだけ興味が薄いのに
    何故か2も観たので (こっちも覚えてない)
    多分、3も観るんだろうなあ。

  • バレエ

    バレエやソシアルダンスを観るのが好きである。

    子供の頃から、自分の体が激しく固いので
    柔軟な人が羨ましくてしょうがないのである。

    だったら、床運動を観てればいいと思うだろうが
    あれを観るぐらいなら、雑技団でいいんじゃないか?
    やっぱ美しいっぽいものを観たいんだ。

    ソシアルダンスはともかく
    バレエを観ていると、何というか、不思議なのだ。

    異生物間恋愛 (白鳥の湖) 、焼き鳥 (火の鳥) 
    死に掛けた鳥 (瀕死の白鳥) 、妄想ジジイ話 (ドン・キホーテ)
    ガキの寝ぼけ夢話 (くるみ割り人形) などなど
    これらを、つま先立ちで回ったり跳んだりして
    ああ・・・、何だか大層な事をやっとるなあ・・・、って感じ。

    これが旧ソ連の人々には、一番の娯楽だったんだろ?
    各町には必ずバレエ劇場がひとつはあって
    バレエダンサーは花形職業だと聞いたぞ。

    ・・・このお遊戯会が・・・?

    何を情緒のない見方をしとるんか
    それで楽しいんか、と、激しく追求されそうだが
    これが、何か知らんが楽しいのである。
    (感性が欠如しているくせに
     こういう芸術的なものに、興味があるんだ。)

    大体、演劇とかでも、劇場で観ると
    役者たちが大声を張り上げ、大げさに動き回り
    現実にそんなヤツはおらん! だろ?

    あれは遠くで観ている人のために
    デフォルメされているんだよな。
    観ていると、とても気恥ずかしいがな。

    ソシアルダンスは、最近TV番組でもよくやるが
    本場のダンスはあんなもんじゃない。

    イギリスのブラックプールっていう大会を観た事があるが
    選手たちは会場中を全力疾走し回っていて
    もうゼイゼイで、すんげえハード! と、驚いた。

    それまでは、エロオヤジとホステスがテレテレ踊るもの
    と、思っていたんだが、それを観て興味を持ったのだ。
    どこの世界も、プロは凄いよなあ。

    パソコンTVで、アメリカの男性のみのバレエ団
    グランディーバを観たが
    感想は 「熊川哲也って上手いんだなあ」 だった。

    熊川哲也ってのは、日本人で初めて
    イギリスのロイヤルバレエ団で、プリンシバルになった人で
    これはどんだけ凄いかというと
    日本人のF1レーサーがシーズン総合優勝するぐらい?

    いや、グランディーバも上手いらしいんだが
    私クラスの素人になると、何かと比べないとよくわからんのよ。

    どうやら、コメディバレエ団らしいんだが
    バレエに詳しくないので、どこがギャグなのかがさっぱりだった。

    ああ・・・私も180度開脚をしてみたい、と願うが
    中学の時から、前屈で指が床に付かなかった、この鋼鉄ボディ
    クレ556でも注入したいぐらいだぜ。

  • カウンター・テロリスト

    とは、対テロリスト工作員。

    誰が書いた何てタイトルの本かキレイに忘れたが
    かなり昔に、フリーのカウンターテロリストが書いた本を
    数冊読んだ事がある。

    凄え面白かった。
    まず、経験を淡々と書いている。

    普通の、何かのプロが書いた本だと
    自分の功績を最大に自賛しまくる。

    元FBI出身者のふたりなんか
    それぞれの自著の中で、お互いを非難し合って
    「俺が正しい!」 とやってたし
    日本でも、検視官同士が自著でバトってた。

    カウンター・テロリストとは、決して目立ってはいけないらしい。
    群集にとけ込めるヤツじゃないとできないんだと。

    そういう性質のせいか、誇示も謙遜もなく
    事務的に記述してあって、とてもわかりやすかった。

    覚えてる範囲で、情報を書くと
    各国に、カウンター・テロ班というのが存在するが
    フリーのカウンターテロリスト (以下、CTと略) は
    主に超法規的な仕事を依頼される。

    仕事によっては、フリー同士、チームを組む事もあるが
    それでも基本的に単独行動になるそうだ。

    一応、武道の心得はあるが、重火器使用がほとんどで
    素早い動作を重視するためと、目立つのを避けるために
    筋肉は極力つけず、セールスマンを装う。

    一番気を遣うのが、手だそうだ。
    どんなにナヨナヨしてても、手でバレるので
    銃など握った事もない、という風情の
    細くきゃしゃな指を保たなければならない。

    著者は本の中で、国籍も人種も、髪の色さえ明かさなかったが
    動いているであろう国 (これも隠してあった) を予測して
    それで目立たないんなら、英語圏の白人だと思う。

    家族にも恋人にも、セールスマンだと偽っていて、友人もいない。
    あるのは仕事上の関係だけで、それも最小限。
    これを孤独だと感じるヤツには、CTは勤まらないんだと。

    彼が言うには、テロリストに容赦は必要ない。
    言い分など聞く必要もない。
    出会ったら、即座に確実に殺すだけだ、と。

    話し合いなどしようとしても
    テロリストたちは己の信念を妄信し、話すら通じないし
    ヘタすりゃこっちの命が危ない。

    だから彼は、殺せる状況なら一瞬でやり
    殺せない状況では、その場から速やかに自然に離れると言う。

    テロリストで本当に恐いのは、女性だそうだ。
    男性よりも、残虐でちゅうちょがなく
    相手に必要以上の苦痛を与える余裕すらある。
    だから、男性と女性といたら、迷わず女性を先に殺す。

    テロリストは人間ではない。
    どんな人混みでも、目を見れば判別できる。
    テロリストの目は、狂気の光を放っている。

    だから私には、人殺しの意識はまったくない。
    悪魔を殺しているにすぎない、と。

    テロが起こると、この人を思い出す。
    自爆テロを輸出した国の民族として、申し訳なく思う。

    ちょい前に、どっかで 「テロは弱小団体の戦闘法」 だと
    書いたが、あれは最初は、IRA (アイルランド) や
    ETA (スペイン)、赤い旅団 (イタリア) と
    同列に考えていたせいである。
    (南米のテロは麻薬絡みが多くて、ありゃ単なる犯罪だろ)

    近年のイスラム原理主義者たちのテロは
    主義主張がある事はわからんでもない、と思う
    アメリカ嫌いの私でさえ、正直うんざりである。

    敵国を全滅させる事ができないなら
    テロは怒りを煽るだけだという、いい証明だよな。

    しかし、この引き鉄を引いたのは、父ブッシュだ。
    私は、「ブッシュ = 反キリスト」 論を持つが
    ブッシュ家全員が凶悪で、誰が反キリストなんやら、よくわからん。

    ブッシュの弟までもが、大統領になる噂があるが
    最近の世界情勢を見ていると
    世界が徐々に、第三次世界大戦に向かっている気がするぞ。

    いい加減、よその国の事は放置せんかあ?
    人権とか平和とか言いながら戦争をするなど、本末転倒だろ。

    多分、異国民族はお互いにテロリストも同然なんだよ。
    自分が合わせる気がないなら、ちょっかいを出さない方がいい。
    話し合いさえできない境遇で、何ができるんだ?

  • 亀田興毅 疑惑の判定

    私はこの亀田一家が嫌いなので、よく知らない。
    最初に見た途端、嫌いになったので
    あとは見ないようにしていたのである。
    えれえ人気なんだな、と、不思議に思うぐらいだった。

    おとといのボクシングの世界王座決定戦で
    チャンピオンになったんだろ?

    ところが、判定勝ちになってからの、亀田叩きが物凄い。
    そのニュースもよく見てはいないんだが
    パッと見の印象だと

    おめえら本当は亀田一家が嫌いだったんかい?
    話題になって、流行り物っちゅう事で、もてはやしていたんかい?

    これは、マスコミに対して言うべきか
    ファンに対して言うべきかはわからない。
    亀田一家を持ち上げてたのが誰なのかが、わからないからだ。

    とにかく、その手の平返しが恐いぞ。

    問題の試合をニュースで見た。
    どの局も全ラウンドを映さないので、分析はできないが
    判定勝ちするぐらいなら、中盤に良いとこもあったんじゃねえの?
    最初と最後だけって、映し方がいやらしいぞ。
    これだけ見たら、そりゃ “疑惑の判定” だわな。

    多分、亀田ファンが怒っているのは
    裏切られた気持ちになったからだと思う。

    ふてぶてしい態度が頼もしさを感じさせ
    圧倒的な勝利を約束してくれたのに
    あいまいな勝ちなんか見たくなかった、って感じだろう。

    私は、何度でも言うが、亀田一家が大嫌いなので
    どう勝とうが、どう負けようが、どうでもいい。
    が、嫌いゆえにか、何の期待もなかったので
    逆に、筋を通せなかったヤツに対する、憐れみの気持ちがある。

    あーあ、あんだけふてぶてしい態度をとっといて
    やっちゃったね、どうすんだよ、って感じ。

    王者の態度を取るなら、王者の力を見せなければならない。
    デカいツラをすればするほど、必要とされる能力が大きくなる。
    あの態度で普通の勝ち方じゃ、単なるビッグマウス野郎だろう。

    これをわかってて、やってたのだろうか?
    もし、わかってたんなら、今回の試合は
    審判の判定に不服を申し立てるべきだったな。

    「こんな勝ち方でチャンピオンになりたくない!」 と。
    そこまでしたら、全員感動すると思うぞ。

    同情している今でも、亀田一家は嫌いである。
    あの無礼千万な態度は、若造の暴走で済むが
    親が横にいて、あれを許しているので
    とことん礼儀知らずの一家だと思う。
    そんなヤツらに関わりたくはない。

    デカい口を叩いて、自分を追い込まないと
    頑張れないタイプのヤツもいるが
    そういうヤツは、自覚するべきである。

    その大ボラを聞かされてる側は、結構うっとうしいって事を。
    だから、ちょっとでもコケると
    ここぞとばかりに、石を投げられるハメになるぞ。

    今からどうするかで、亀田一家の真価が問われるので
    頑張ってもらいたい、と思うのは、武士の情け。

    私は、辰吉 (だったっけ?) あたりから
    ボクシングに興味がなくなった。
    チンピラの口合戦は聞きたくねえよ。

  • デス・ノート

    デス・ノートとは、週刊少年ジャンプに連載されていた漫画。
    (正式タイトルは 「DEA†H NO†E」) 全12巻。

     <大まかなあらすじ>
    デス・ノートは死神が所有していて、たまに人間に使わせて遊ぶ。
    ノートに触った人間は、そのノートを所有している死神が見え
    (死神はひとりじゃなく、死神界にウジャウジャいるが
     そんな遊びをする死神はほとんどいない。)
    会話もでき、ノートを自由に利用できる。

    デス・ノートに名前 (フルネーム) を書かれたヤツは死ぬ。
    死ぬ日時、死因、死ぬまでの行動まで指示できる。
    名前だけ書かれた場合は、40秒後に心臓麻痺で死ぬ。

    更に、自分の残り寿命半分と引き換えに
    死神と “目” の取り引きができる。
    その “目” は、見た人間全員のフルネームと
    死ぬ日時がわかるという特殊な能力がある。
    (名前がわからず、ノートに書けない場合も
     顔さえ見る事ができれば、殺せるってわけ)

    話は、偶然そのノートを拾った青年が
    犯罪者を次々にデス・ノートに書いて殺していき
    犯罪のない世界を作ろうとするが
    天才的な探偵が立ちはだかり、阻止しようとするという内容。

    私はこれを単行本で買っていたが
    中盤あたりから、ウンザリし始め
    買うのをやめようか、迷いつつ買っていたので
    終わって、正直とても嬉しい。

    見所は、ノートを持つライトと、探偵Lの攻防戦にあるが
    話の流れが、結果を先に設定してから
    その結果を推理する理由を考えているってのが丸わかり。

    いや、推理小説なんかそういうものだろうけど
    それがあまりにもロコツで無理があるんで
    「それを根拠にその推理は普通しねえだろー」
    って感じで、興ざめなのだ。

    Lがライトを怪しいと決め付けてるのも
    緊迫感が薄れてつまらなくなってる原因だと感じたのだが
    しょせん私の感想なので、信じるな。

    これを読んだヤツが一度は考える事

    デス・ノートを持ったら使うか?

    これ、私はあっさり 「NO」。
    殺したいヤツなんていないし、自分の正義感に自信もない。
    何より、どんな理由があっても
    人の命を奪う事には、物凄い抵抗がある。

    もし、ついうっかり拾っちゃったら・・・?

    そういう遊びをする死神にも、とてもムカつくので
    ノートを5mm四方に切り刻み
    あちこちのビルの屋上からバラ撒いてやる。
    それに触れた皆に見られまくって退散せえ!

    でも、“罰ノート” ってのがあるなら、ちょっと欲しいかも。
    殺しはできないが、人の行動を操れるやつ。

    真っ先に名前を書くのは、浜村純、おめえだ!

    「菓子折りを持って詫びに来て、私の説教を延々聞き
     『今後はあなたの観たい映画を放映しますので
      何なりとリクエストをしてください』 と、言う。」

    と、書くさ。
    あ、でも、私の観たい映画なんて誰も観たくねえだろうから
    番組自体が潰れるよな・・・。

    えーと、えーと・・・・・(この間数分) あっっっ!!!!!
    全国のレンタルビデオ屋さんの、永久レンタル半額会員券がいい!

    何で半額かって?
    タダで借りても、ありがたみがないだろう。
    有料だからこそ、一生懸命選んで借りて観るんだと思うぞ。
    その証拠に、正月に録画していた映画、まだ観てねえもん。
    「いつでも観れる」 って余裕が悪いんだよな。

    だけど、そういうノートでも、やっぱ持ちたくないな。
    他人の人生を操れるなんて、もう人間じゃないわけだろ。
    人間にない能力を手にしたヤツは
    それを使用している内に、心まで人間じゃなくなるぞ。
    自分を全能だと思い込んだりしてさ。

    それでも真っ当に生きていけるヤツならいいだろうが
    浜村純を真っ先に挙げる私みたいな小市民には無理。
    (しかも、これ以上ないというほどみみっちい私怨)

    自分のやる事の重大さに怯えて
    真っ直ぐ立つ事すらできなくなるだろうし
    何より、人間として生まれたのだから、人間として存在したいぜ。

    私は、TV画面の前で、浜村純に向かって
    罵詈雑言を叫んでるだけで満足さ。
    (観なきゃいいだけなのにのお)

  • 推理小説

    映画やドラマでは、見事に推理を披露する私だが
    (日本のドラマは予告編で犯人がわかるほどヌルい配役だぞ)
    何故か推理小説は苦手である。

    文字のみで世界を構築する想像力がないのか
    まず、登場人物を覚えられない。
    次に、話の筋が把握できない。
    とどめが、トリックを明かされても理解できない。

    おまけに、再度読み直してみても上のパターンの繰り返しで
    まったくさっぱり何が何だか、である。

    かあちゃんが推理小説が好きで、うちには沢山あったので
    私もヒマな時に読んでいた。

    結果、アガサ・クリスティはほぼ全巻読んだが
    推理どころか、話を理解できたのが
    何と!!!!! 1個もなかった!!!!!
    (この事実はあまりに凄すぎて、ひそかに私の勲章になっている)

    日本人の名前でもよお覚えんのに、外国人の名前が覚えられるわけがなく
    それに加えて、トリックもよくわからんのだ。
    アフリカのどこどこの民族に伝わる毒矢とか
    トリック解明の時にいきなり明かされても
    それがわかるヤツってどこの何者だよ。

    てか、散々文句を書いていて、ふと気付いたが
    登場人物を区別できんとか、話の筋がわからんとか
    そういう状況で面白いわけがないだろうに
    それでよくアガサシリーズを全巻読破できたもんだ。

    一体何が私をそこまで突き動かしたんだろう?
    価値ねえ事に時間を費やして、我ながらすげえアホとしか思えん。

    これって、とうちゃんのドラマ観賞と同じレベルじゃ?
    やっぱ親子はドンくさい部分も似るのか?

    晩年のかあちゃんは、日本の推理小説に熱中し
    「そんなに面白いのか?」 と、再び愚行を繰り返すとこだったが
    小説を読んでもさっぱりわからんのは身に沁みていたので
    ドラマでチェックをしてみた。

    ああ、映像で本当によかった、と、心底思ったぜ。
    内田康夫は、各地の観光名所の描写にやたらリキが入ってて
    全国観光ツアーガイドとしか思えんし
    西村京太郎は、鉄オタじゃないと説明されてもわからんほど
    緻密な (どーでもいい) 時刻表トリックを持ち出してくるし
    これ、本で読んだらどういう事になっていたやら。

    ああいうのをババアどもが読んで本当に面白いんだろうか?

    推理小説は謎解きを楽しむ物だと思っていたが
    どうもそれは勘違いだったようで
    謎解きをされて、ほおー、ってものらしい。

    というか、私の場合は、謎解きをされてもなお
    意味がわからず 「はあ?」 だが。

  • TVCM

    CMというのは、世の中に広く会社名と商品を認知させる手段である。
    商品の特徴を知らせて、興味を持ってもらおうというのと
    会社や商品のイメージを固定させようというのと2種類ある。

    生活用品には、商品の特性を伝えるものが多い。
    これは現実的で手堅い主婦がターゲットだからだ。
    他の商品との差別化で、「これを買うと得」 と思わせるのが第一。

    逆に車などにはイメージ優先のCMが多い。
    あまりに似たような作りのCMが多く
    どの車種のCMだか区別がつかない事が多いが
    車は衝動買いをせず、調べて買う物なので
    CMで性能をうたう必要はなく
    高級感やおしゃれさを消費者の脳にすり込んでおきたいのだ。

    私には、芸術的に最も優れたCMを作っていると評価する会社がある。
    それはキューピーである。
    ほとんど注目もされないほどの地味さだが
    このメーカーは、昔から美しいCMを作っていて
    そのレベルが落ちないのも不思議である。

    意識して見てみい、毎回すごく色使いや選曲が良いぞ。
    食物の美を表現しながらも
    ちゃんとキューピーだと印象付けているのが天才的。

    CM制作で一番大変なのは、クライアントの説得である。
    A社が広告代理店にCM制作を依頼する。

    制作したCMがA社に気に入られれば放映であるが
    これを決めるのはA社のお偉いさんたちだ。

    広告代理店がどんなに印象的なCMを提案しても
    何にでも口を出したがるくせに
    新しい事にはまず拒否反応を示す頭の固い年寄りどもは
    古臭い時代遅れを好み、なかなか納得しない。
    これを口八丁手八丁で口説き落とすのが最大の難関だと言える。
    だから、CMでその会社の方針、体質がわかるのである。

    ところで、今やたら昔のロック (クイーンとか) が
    TVで流れているのは何故かわかるか?

    これは、その曲が流行った時代に青春だった年代が
    順当に出世して、物事を決定できるようになったからである。
    お偉いさんの思い出の曲を使うとオッケーがでやすいって事だ。
    世の中を本当に動かしているのは、50代前後の年代だろうな。

    「これが流れるとチャンネルを変える」 というほど
    嫌いなCMってあるか?

    世の視聴者は想像以上にCMに厳しい。
    「CMが嫌いだから買わない使わない」 という意見も多い。

    あるメーカーは、苦情が数件きたらそのCMを打ち切るという。
    (ただし、ブラックリストに載ってるクレーマー以外の視聴者。
     クレームを趣味にしている顧客?も多い。
     リストに載りたくなかったら、クレームは厳選して言おう。
     自分の意見が正当でも、反映されなくなるぞ。)
    メーカーは自社CMの評判を結構気にしているのである。

    だったら何故あのCMがオッケーになったんだろう? というCMがある。

    それは小泉今日子の 「ジョジョービ ジョヴァー」 ってやつ。
    スポーツドリンク?のCMだ。

    あの歌声の気色悪さとともに、キョンキョンの姿が・・・。
    贅肉だらけの体なのに、何故キャミドレスを?
    しかも、だらしない立ち方で、あごをあげて歌うあの映像は
    不潔感たっぷりで、やさぐれた女に見えて
    初めて見た時は、脳内でガラス粉々イメージが展開したぜ。
    確かに、おめえの中の “汚いモノ” が即効で出てるよ。

    あれ、タレント的にナシだろうーーーーーーー。
    CMなんだからCGでどうにかせんかあ?
    それとも、次のCMで
    「これを飲んでたから、こんなにキレイになりました」
    と、キレイなキョンキョンが出てくるのか?

    すげえ印象的だが、マイナスイメージで強烈なのはNGだろう。
    あのドリンクも飲みたくないし、キョンキョンも見たくないし
    関わりを一切拒否したくなるCMだ。

    最後に、裏トリビアをひとつ。

    CMに自社社長が出てくる会社はロクでもない。

    これ、今までの大抵のCMに当てはまっている。
    因果関係はわからんが、歴史が証明しているぞ。

  • TVドラマ

    TVを点けたら、ちょうど水戸黄門が印籠を出すところだった。
    子供の頃に観たきりなんだが、今観るとまた違う感想を持った。

    子供だった時には、わざわざアラ探しに全国を回り
    最後は威張りくさって、ヤなジジイだと思っていたが
    今観ると、ふはははは、ひかえろ、地べたに頭をこすりつけてひれ伏せ!
    と、黄門の気持ちにシンクロする。

    黄門ちゃまはそんな事を思ってない! と、怒るヤツ
    あのシーンに他にどんな意味があると言うんだよ。
    結局は地位と権力のゴリ押しで解決じゃねえか。
    最後まで最小限のヤツにだけしか身分を明かさなくても
    問題は解決できると思うぞ。

    だから物の価値のわからんガキだった時には
    黄門に反感を持っていたんだなあ。
    薄汚れたオトナになった今じゃ
    あの、札束で横っ面をはたくような力技が、逆に痛快だぜ。

    結論: 黄門はオトナの夢

    うちの両親は、時代劇ドラマをよく観ていた。
    とうちゃんは連続大河ドラマなどの出演者の区別が付かず
    毎回始まる前に、かあちゃんの解説する
    “前回までのあらすじ” を熱心に聞き
    準備万端で放映に望むんだが
    出演者がちょっと席を外すと、もうそれですべてがワヤ。
    次に登場した時には 「これは誰じゃ?」 と、聞く始末。

    2時間ドラマの出演者がいつも同じ理由なのは
    ジジババたちが観ていて、誰が誰だか区別がつくように
    というのを聞いた事があるが
    そういう親切も、うちのとうちゃんにかかれば台無し。

    そんなんで観てて楽しいんだろうか? と、思っていたが
    かあちゃんの方がウンザリしていたと、今ならわかる。

    話に集中したいのに、登場人物が出入りする度に
    「こりゃ誰じゃー?」 「こりゃ誰じゃー?」 (広島弁)
    と、横からしつこく聞かれ、さぞうるさかった事だろう。

    その証拠に、隠居後引っ越した家にはTVが2台置かれ
    お互いが寝込んだ時用に、それぞれの寝室に1台ずつ
    最終的には4台まで増え、一体どんだけ増やせば落ち着くんだと。

    自分専用のTVを所有でき、かあちゃんは思う存分ドラマを観た。
    2時間もののサスペンスドラマが好きで
    またそれが再放送再放送で、何かほぼ一日中やってて
    それを延々観続ける母親というのは
    TVゲームに熱中するガキとどう違うのか?

    そんなに面白いんだろうか、と、私も観てみたが
    最後の最後に 「あんた誰!」 という人物が突然出現し
    そいつが犯人だった日にゃ、観てるヤツに何の推理の余地も与えん手段に
    うーん、これはある意味、とても面白いかも、と感心させられたもんさ。

    水戸黄門の真価もわかるようになったし
    ちょっと時代劇も観てみようかな、と思う今日この頃。
    (時代劇って、主人公が文字通り何様だよな)