カテゴリー: HP

  • コメント

    このサイトを作った頃は、管理人ぷらちッは
    私をネットアイドルにしよう、という野望があったらしい。
     
    ところが、言動が “これ” だし
    何より手に負えんドブサイクなんで
    機転が利くぷらちッは、さっさと諦めて放置に回った。
     
    ほんと、騙したようで、すまんだった。
    今後もその忍耐と諦めで頼む。
     
    ・・・と、これが今までのあらすじだ。
     
     
    顔も悪いが頭も悪い私は、長文が読めないので
    よそ様のブログとか、見に行かないんだけど
    先日、ネットで調べ物をしていて
    サイト運営に挫折した人の話を見つけた。
     
    カウンターは回るんだけど、反応がひとつもない。
    趣味でやってるんだから、好きでやってるんだから
    自分のためにやってるんだから、人は関係ないから
    そう自分に言い聞かせて、頑張って更新してきたけど
    ある日、この絶望的な孤独感は
    サイトをやってるせいで生じているんだ、と気付く。
     
    その人はサイトを閉じた。
    でも頑張ってきたものを消すのは、どうしても出来ず
    そのまま何ヶ月も放置していた。
     
    サイトの事も忘れかけていたある日
    孤独も薄れたので、ちゃんと削除しようと
    そのサイトを開いた。
    コメント欄に書き込みがいくつか来ていた。
     
    「どうして更新しなくなったんですか?」
    「陰ながら楽しみにしていました」
    「再開してください」
     
    何故、何故やっている時に言ってくれなかったんだ?
    ひとことでもあったら、頑張れたのに。
    今の自分には、あの孤独を繰り返す勇気はない。
    もう二度とサイトは作らない。
     
    サイトは消去された。
     
     
    このような感じの内容だった。
    通りがかった人に、「何か言え」 など、どんだけ図々しいんだよ。
    自分が好きでやってるくせに
    その上に人の評価を欲しがるなど、何様なんだ?
     
    ・・・これが正論、と言うか答なんだけど
    私には、これは言えない。
     
     
    ここに書き始めた頃は、コメントがない日が
    何週間も続く時もザラだった。
     
    私の場合は、文章を書くのは脳の整理のためなんだが
    何をするにも、誰かにちょっかいを掛けにゃ気が済まん性格なんで
    ネット上にアップしているのだ。
     
    ネットゲーム時代の仲間もいるんだけど
    コメントしづらい事ばっかり書きたれているんで
    無言もそりゃあしょうがないよな、と納得できていた。
     
    何より、私自身がよそのブログに行かないので
    うちに来て構ってくれ、など言うのは
    我ままも大概にせえ、っちゅう話だ。
     

    こう割り切っていたけれど、意外だったのが
    コメントが来た時の嬉しさなんだ。
    あまりに反応がない頃なんか、荒らしですら嬉しかったんだよ。
    あっ、誰か来て書いてくれてるーーー! って。
     
    “ジャンル・やかた” は、「続きは?」 の声がなかったら
    あのまま途中で放置していた。
    ジャンル・やかたを書き終える事で、小説を書く喜びが出来て
    今じゃ1回おきに小説をアップしている。
     
    あの 「続きは?」 のコメントには
    新しい趣味を貰ったも同然で、本当に感謝をしている。
     
    そして意見や感想、マジでやる気が出る。
    人がいるのが、その人がこっちを見ているのがわかって
    私らしくなく 「頑張ろう!」 と思える。
     
    リアルの付き合いじゃ気付かなかったけど
    人の反応って、本当に本当に嬉しいんだ。
     
     
    あっ、誤解せんでくれよ。
    コメントを書け、って言ってるんじゃないんだ。
     
    私の記事は、マジで返事に困る内容ばかりだし
    小説も読んでも、いちいち感想を言うのも億劫だろうし
    私だって本を読んで感想なんか言わないよ。
     
    だから無言で来て、無言で去って良いんだよ。
    というか、ここは元々そういう場所なんだから
    好きなように振舞ってほしい。
     
     
    だけど、上記のサイト経験者の話を読んで
    どうしても、ひとこと言いたかったんだ。
     
    私はここに、心を散らかしているだけだった。
    だけど思いがけずに、その心を拾ってくれる人がいて
    代わりに色んなものを置いて行ってくれる。
     
    それがこんなにも私にとって、“意味” を持つとは。
     
     
    皆、どうもありがとう。
     
     
     
    えーと、これは夜中に書いた恋文のようなもんだ。
    普通は朝になって読み返して
    自分の痛さに赤面して、破り捨てるものだが
    まだ目が覚めてなくて、ついやっちまう事もあるさ。

  • 管理人ぷらちッとの関係

    以前、ぷらちッは私の彼なのか元彼なのか、と問われて
    あはは、ぷらちッ、気の毒に (爆笑) で済ませたんだが
    よく考えてみると、このブログに来てくれる人々が
    そういう誤解をしてもおかしくない事に気付いた。
     
    この類の誤解で傷付くのは、普通は女性側なんだが
    うちの場合、どう考えてもぷらちッの方が受けるダメージがデカい。
    なんせ私はナイスバディだが、顔も頭も性格も悪いババアだからな。
     
    そこで、ぷらちッの名誉を守るため、私たちの真実を書いておく。
     
     
    私は昔、ポトリスというネットゲームをやっていた。
    そこでぷらちッと同じギルドにいたのである。
     
    私はギルドのHPを作っていて、ギルドが解散する時に
    ぷらちッが、新しいHPを作ってくれる、と言ってくれた。
     
    ちなみに私はネトゲ時代の自分を、とても後悔している。
    やりたい放題で、トラブルメーカーだったからだ。
    当時、迷惑を掛けた人たちに、土下座して回りたいぐらいだ。
     
    多分、今やってもあの頃と寸分違わぬ言動をするであろう。
    私はそういうヤツだからだ。
    そんな自分を反省しているので、二度とネトゲはやるまい、と固く誓った。
     
    ぷらちッがそんな災いの元と、何故一緒にHPをしようと思ったのか
    そこは謎なんだが、こんなありがたい話に乗らないわけがない。
    潜伏のとこから、昔のHPの名残りが見られるが
    ごらんの有り様の無残な出来具合いなんで
    同情されての申し出だったんじゃないか? とも推測している。
     
     
    ところが蓋を開けてみると、ぷらちッが用意してくれた場所は
    何と! 有料の・・・えーと何だっけ、サーバー?で
    しかもぷらちッはほとんど書き込みに来ない。
     
    ちょ、金の掛かった場所で私ひとり遊んでて良いんかい?
    と気が引けるんだが、何も言われないので好き放題にやっている。
     
    もしかしてぷらちッは、ネトゲ時代の私の乱行を見て
    善良な他ユーザーから隔離せねば、との使命を担ったのかも知れない。
     
     
    そんな無法な私でも、時々悩む。
    くだらん記事しか書けない時など
    こんなん書いてて、ぷらちッに申し訳ない、と思う事もある。
     
    全記事くだらんから、毎日自分を責め抜くべきなのに
    “時々” しか悩まないのは、まさに “私” の無神経なところだが
    それでも、今の (比較的大人しい) 自分がいるのは
    なるべくぷらちッに迷惑かけまい、と己を戒めているからだ。
     
    そういう心境になったのも、ぷらちッのお陰だと本当に感謝している。
    狂犬が飼いならされて大人しくなった、みたいな感じもあるので
    ぷらちッは、ネット世界の平和にものすごく貢献している。
     
    ああ・・・やっぱ私隔離政策かも知れない・・・。
     
     
    ぷらちッと私は、現実では会うどころか話をした事もない。
    よって顔も声も本名も住所も、お互いに知らない。
     
    ぷらちッが私について知っている事は、このブログ以上の事は何もないし
    私がぷらちッの事で知っているのは
    男性で三重県出身で既婚者で東京あたりにいる、という事だけだ。
    (この情報は、ぷらちッ自身が書き込みしているので
     ここに書いても差し支えはないよな?)
     
    ぷらちッとの連絡は、何もない時は1ヶ月に1度ぐらい
    メールで調味料の情報交換程度、という
    どこの主婦の会話だ? レベルのやりとりのみ。
    普通の交友関係以下の希薄な付き合いである。
     
    まあそれが “私” と長続きさせるコツかも知れないが
    私にとってぷらちッとの関係は
    お釈迦様とその手の平の上にいる孫悟空のようなものだと感じている。
    もちろん私がモンキー側だ。
     
    私にとって、ぷらちッの取る距離感はとても心地良いもので
    こいつヤリ手だな、と感心させられる。
    こんなに私を泳がせられるヤツがいるとは、世の中ほんとにあなどれない。
     
     
    何かやたら褒めてしまったが
    他に言う事が見つからないんだから、しょうがない。
    (こいつ、何を警戒しとんのか、私の前では尻尾を出さないんだよ。)
     
    ぷらちッの考えている事も、まったくわからないが
    多分何も考えていないんだろう、と気にしていない。
     
    人の気持ち、しかも恩義あるヤツの気持ちを
    あれこれ詮索する趣味もないんで
    言いたい事ができたら言ってくるだろう、ぐらいに思って
    ちっと気を遣うぐらいで、自分のしたいようにしているだけである。
     
    この自由さが、私の増長を促がしていなくもないが
    道を踏み外しすぎたら、必ずしっぺ返しが四方八方から来るので
    人生プラマイゼロで、まあ良かろう。
     
     
    この先の私たちの関係がどうなるかもわからないが
    ぷらちッには、やめたい時はいつでもやめてくれ、と伝えてあるので
    今のところは、私との付き合いは負担にはなっていないはずだと思う。
     
    我ながら不思議な関係ではあるけど
    ネットによってもたらされた新しい付き合いの形のようで
    そんな新規の関係を、グダグダ考えてもロクな答も出せんだろうから
    私は甘えるだけの姿勢で、今後もやっていきたい。
     
     
    ところで、ひとつ面白い事があった。
    数日続けて、ぷらちッの夢を見た事があったんだ。
     
    何かの虫の知らせか? と心配になったんだが
    夢の中のぷらちッが、やたら楽しそうだったんで
    別に悪い事が起きているわけじゃないだろう、と放置していた。
     
    そしたらその数日後の明け方4時!!!に、ぷらちッからメールが入り
    「明日結婚式です」
     
    そんな時間に入るのは、大抵が凶報。
    寝ぼけ眼でビクビクしながらメールを開いたので
    おめえ、何ちゅう時間にメールしてくるんだよ! と
    布団の中でしばらく脱力させられたもんさ。
     
    結婚直前なんて、むちゃくちゃ忙しいから
    メールを打つ時間も取れないだろうし
    とにかく嬉しい事だから、そこについては少ししか触れずに
    (少しは触れたんかよ!) おめでとう返信をしておいた。
    それ以来、寝室に携帯を持ち込むのはやめたがなwww
     
    今になって思えば、あの夢はぷらちッの幸せな気持ちが
    私に届いていたのかも知れない。
    そう思うと、何となく絆みたいなもんを感じて嬉しい。
     
    先日は、ぷらちッに家族が増える夢もみた。
    これも普通の場合は吉報だろうから、当たっていると良いなあ。
     
    ぷらちッ、幸せでいてくれよ。
    私は不幸だが、気にすな。 ああ、露ほども気にすな。
     
     
    夢の中のぷらちッは、出てこなかった。
    ただ、ぷらちッがそこにいる、という感覚だけ。
    これも私たちの関係を暗示していて、面白い。

  • 記事形態変更のお知らせ

    私がパソコンをイてこましている間に
    管理人ぷらちッが、役に立つ記事を書いてくれていた。
     
    こういう知識があるなら、何で早く教えてくれないんだよ? と憤ったが
    その知識のレベルは えっ、こんな事も知らなかったの? という
    初歩の初歩なのかも知れないので、ぷらちッも教えどころが難しいのだろう。
     
    とにかく、こんな金の卵を逃す私ではない。
    (言っとくが、上品なわたくしは下ネタは好きではない)
    早速ぷらちッに恫喝をして、記事の連載を強要した。
     
     
    ここで問題なのが、どっちがその日の記事を書くか、である。
    ぷらちッはハードな仕事なので、更新の義務付けは酷である。
    いつ書けるかもわからない。
     
    そこで、書くなら私が書く前にアップせえ
    そしたら私はその日は書かないから、と提案した。
     
     
    これで話がまとまりそうになった時に、ふと思い出した。
    そういや芸能人とかのブログって
    短文を一日に何度もアップしてるという話を聞いた事がある。
    という事は、一日に何度も更新出来るって事じゃねえ?
     
    これをぷらちッに確認したら、出来ると言う。
    編集じゃなくて更新だよ?
    新規記事のアップだよ?
    と、しつこく聞いて、それが可能だとわかった。
     
    いやな、以前の日記だかブログだかは
    新規記事は一日一記事しか出来なかったんだよ。
    ブログとか、そういうものだと思い込んでいた。
    それで昨日も、パソコンは直っていたけど
    ぷらちッが記事をアップしてたから、私は書かなかったんだ。
    ラッキー! とか思ってサボったわけじゃねえぞ?
     
     
    一日一記事の概念があったので、2人の記事をどう融合させるか
    ものすごく悩んでいたんだが、これで解決である。
     
    私は通常通り (パソコンや私が壊れない限り)、平日更新を続ける。
    ぷらちッは書ける時に、私に役立つ (← !) 記事を書く。
    このブログはその方針で行こうと企んで
    ぷらちッをそそのかしている最中である。
     
    今後の私の洗脳次第だが、ぷらちッのカテゴリーも増やしていきたい。
    “ぷらちッのババア用PC講座” “ぷらちッの対ババア携帯講座”
    “ぷらちッの旅行記” “ぷらちッの食べ物日記”
    など、私の記事とひとめで区別が付くようにする予定である。
     
    私のドス黒い記事の合間合間に、ぷらちッの爽やかな記事が載る。
    ここは正に、タイトル通りの
    “天使 (ぷらちッ) か 悪魔 (誰だよ?) か” になるわけだ。
     
     
    とは言っても、ハードワークのヤツにあまりせっついても
    プレッシャーになるだけで、楽しく書けないだろうから
    ぷらちッの更新は、のんびりと待ってくれ。
     
    私の予想じゃ、月一更新すりゃマシなペースになると思うが
    ぷらちッがご無沙汰の間は、私のドロドロな記事でも読むがいい!
     
     
    あ、そうそう、ひとつ明記しとくが
    私はぷらちッの記事には、あまりコメントはしない事にする。
    内輪受けなんて、端から見たら気色悪いだけだもんな。
     
    ぷらちッの記事にコメントを書いたら、私の方にも
    とかいう気遣いも無用だから
    好きな方に書きたい時だけコメントをしてくれ。
     
    私の記事は、コメントしづらい内容が多いのは自覚してるし
    私には、ブログの記事を書くのは
    とにかく “脳の調整” という目的がはっきりとあるので
    自分のペースでやっていくから、何も気を遣わなくて良いからな。
     
     
    という事で、ここは時々新規記事2本立てになるという
    お得 (?) な仕様になるので、“最新記事” という項目にも注目なー。

  • このブログの使い方

    いつも言ってることだが、自分の脳内のデフラグをするために
    書き殴っているのが、このブログの本来の目的である。
    私の脳内、ほんっと思考が入り乱れてグチャグチャなんだよー。
     
    だから、いたらん事、あくどい事も書いている。
    これでも “公共の場” だから、と気を遣っているのに、だ。
    だけど、それが “私” だから、しょうがない
    と、批判も罵倒も甘んじて受けている。
     
     
    だけど、そうこうやってる内に、違う感覚も出てきた。
    このブログにコメントを書いてくれる人の意見が
    もんのすごーーーーーーーーーーーーくタメになるんだ。
     
    知らない事を教えてくれるし、間違いは訂正してくれるし
    同意や褒め言葉は、励みになってやる気が出るんで
    何よりもどんどん来てくれ! と思うし
    反論は、そういう意見もあるのか! と、驚き、勉強になる。
     
    そしてどこのブログでも問題になる、批判や罵倒
    これも私にとっては、ショック + 驚き + 学習 になるんだ。
     
    「バカじゃねえ?」 などの1行コメントや
    意見を書いていても、「死ね」 とか 「キ○ガイ」 とかの
    用語が入っているコメントは、残念ながら消さざるを得ないんだけど
    消す前にちゃんと読んでいるから大丈夫だぞ。
     
     
    自分でも自分の記事は、どうだかなあ、と思う事も多々あって
    それをインターネットという公共の場に書くのはどうか?
    という迷いが、最初からずっとあった。
    迷っていながら書き続けるのは、私の図々しさなんだが
    ほら、どんどん表現が柔らかくなってるじゃん、それ、迷いの表れなんだ。
     
    だけど最近、この迷いがなくなりつつある。
    (そしたら、こっちのもんだ! と、図に乗りかねんのが私だが。)
     
     
    ネットは公共の場じゃん。
    でも、見る見ないは自分で選べるわけだ。
    ついうっかり見ちゃって腹が立つ、って場合がほとんどだろうけど
    そういう時は反論してくれれば良いんだよ。
     
    その場合のコメントは、コメントのルールに書いたように
    「全部がそうじゃない」 ってのだけはやめてくれ。
    そう言いたい時は、「私の周囲ではこうだよ」 と言う風に
    良い面を披露した方が、説得力があるよ。
     
     
    これを考え始めたのは、実は罵倒意見を貰ってからなんだ。
    リアルでは罵倒なんてされた事がないんだよ。
    叱責や説教は、誰よりも多くされてるんだが
    「死ね!」 なんて、言われた事がなかったんだ。
     
    書かれたショックって、ものすごいものだったんだよ。
    ほんっとに、頭から血がサーッと下りるって感じだったし、目まいがして
    心臓がドックンドックン鳴って、息苦しくなって、手が震えるんだ。
    思わず、安定剤を飲んでちょっと横になったよ。
    そんで食欲もなくってさ、吐き気がするし。
     
    言葉のパワーって、ものすごいものなんだな、とよくわかった。
    だから自分が書く内容にも、ものすごく不安になった。
    無意識に誰かを傷付けてるんじゃないか? と。
     
     
    だけど、こういう経験って中々できないものなんだ。
    日常の人間関係では、批判や罵倒は陰でしかされず、耳に入らない。
    これって稀有な体験だな、と気付いたんだ。
     
    もちろん罵倒されたいわけじゃねえぞ。
    慣れてきたとは言え、今でもズキッとするんだぞ。
     
    だけどな、それも個人の意見なんだ。
    禁止用語や1行罵倒は消すけどな。
     
     
    私が書く意見
    その意見に同意する人の意見
    その意見に反論する人の意見
     
    全部、世界のどっかに実在する人の一個人の意見で
    それはよっぽど親しい間柄じゃない限り、聞く機会がない貴重なものなんだ。
    気軽にこれらを読めるって、凄い事じゃないか?
     
    重い意見、軽い意見、正しい意見、間違った意見、どれでもない意見
    そんな様々な意見を読んで、取捨選択して
    自分がどういう考えを持つかを、自分で決めれば良いわけだ
     
    私はネットを、そしてここを、そういう場所だと思っている。
    くっだらん私の意見も、だから書く意味がある。
    私のつまらなさを誰かが打ち消してくれるであろうから。
     
     
    誤解しないで欲しいのは、これはコメントを書いてくれ、って事じゃない。
    読んだ人は、わざわざコメントを書かなくても
    各々の脳内でそれをやっているだろう、と考えたんだ。
    「あー、こいつはそういう考えなわけねー。」 みたいに。
     
    なんで、これからも堂々と自分の意見をここに書こうと思っている。
     
     
    なお、携帯でここを読んでくれている人もいて
    よくわからんが、携帯だと出ない項目もあるらしい。
    新着コメントとか、プロフィールとか?
     
    ここさ、新着コメントが右の方に出るんで
    どんなに古い記事にコメントをしても、わかるんだよ。
    だから返事が出来るんで、心配はいらない。
     
    ただ、(ここじゃありえないけど)
    10個以上のコメントが1日で付いた場合
    見落とす事もあるんで、その時は怒ってくれ。
    出来るだけ見落としがないよう注意してるけど、ほら、“私” だし。
     
    ほとんどの記事は、本文に関係のない雑談をして良いんだけども
    通りすがる人が主役のお便りコーナーと、人生相談と
    一応、余韻を大事にしたい、小説の最終回だけは
    内容に沿ったコメントをお願い。
     
     
    注意事項が書いてある記事を貼っとくよ。
     
    このブログの使用法 
     

  • コメントのルール

    ブログを書いていると、時々罵倒コメントがつく。
    ユルユル基準の私的には、罵りも荒らしもエロサイト広告も
    来てくれた記念として、出来る限り残しておきたいのだけど
    罵倒用語が入っていると、“風紀に好ましくない” と指摘され
    それに納得したので、消すようにしている。

    この罵倒コメント、受けるとかなり傷付く。
    マジで動悸や目まいがして、手が震えるのだ。

    だけど同時に、私も気付かずに
    人を傷付ける事を書いているのかも知れない。
    現に傷付いたので反論に来たけど、適切な言葉が見つからずに
    感情のままに罵ってる場合もあるだろうからだ。

    それに、そういう人々はとても親切だと思うんだ。
    私の場合、本当にイヤなものは無視をする。
    反応、というのは、どんな形でも
    そこに愛があろうとなかろうと、相手を成長させるからだ。
    嫌いな人に、そんな手助けなどしたくもない。

    無視すりゃ済むものを、わざわざ書いてくれる。
    その言葉が私の心にどんな傷を付けようと、結局私はそれを糧にしている。
    自分でも知らない内に、ちょっとずつ強くなっている事を後で知る。

    生きていると、ある日ふと気が付くんだ。
    クヨクヨしているだけでも、いつの間にか打たれ強くなってる! と。
    どんな反応でも、してくれるだけありがたい、と
    本当に孤独になった時にわかる。

    年寄りのこういう自分語りは、よく聞いとけよ。
    このご時世、いつ何時自分もそうなるかわからんぞ?

    だから罵倒コメントも、孤独老人にはしみじみありがたいんだが
    私がコメント返しで 「誤解だ」 と訂正してもなお
    似たような事を書いてくるのは、それはもう荒らしである。

    コメントをするにもマナーがある。
    記事を読んで、脊髄反射のごとく思った事を書くのではなく
    最低でも、その記事についてる他のコメント
    こっちの要望的には同じ種類の記事を読んでから、書いてほしい。
    それにここ、プロフィールもあるんだぞ。

    このブログは、管理人ぷらちッの協力によって作り上げられた
    私のごく個人的な意見の場なので
    それに広い公共性と揺るぎない真実を求められるのは、正直辛い。
    だがそれは、読む側も心しておくべき暗黙の了解である。

    いちいち 「全員がそういうわけではない」 とか、注釈せにゃならんか?
    個人の経験上で個人の人生で決め付けがあるのは、しょうがない事。
    それを表立って言うからには、反論は覚悟しているけど
    「皆が皆そうではない!」 という、わかりきった定型文はいらん。
    「私の場合は」 といった、経験談での自分個人の意見を言ってほしい。
    これが私がコメントに望む最低のルールだな。

    特に地域ネタにこういう反応の傾向が強いけど
    そもそも、抽象的な事で感情的に怒ると、より一層評判を落とすものだ。
    こんな良い話もあるんだよ、と紹介した方が、好意を持たれる。

    私は愛を持って書いてるから、悪口と捉えられるのは
    ひとえに私の文章力のなさのせいだろうけど
    コメントで訂正したら、それを信じてくれ。
    しまいにゃ、何か? 作文がヘタだとブログをやっちゃいかんのか?
    という、とんでもない人権主張まで持ち出すぞ。

    にしても、同じ文でも、受け取り方は人様々で
    私も気をつけて書かないといけないな
    ・・・・・とは思わない。

    どこの村でも、イヤな事を言うヤツはハブられるわけで
    私が村八分に遭ってないのは、賛同してくれる人もいるって事で
    それならそこで自分の捉え方を見直してみるのが、道徳的に正しい態度だ。

    あっっっ!!! これで言うと、私も書き方には注意すべきか!
    うわ、すんげえ反省してるよ今ーーーーー。

    私の場合、こういう事がよくあって
    これがブログを書いていて、得られるもののひとつなんだ。
    こんなん、普通は脳内のみでやっとるんかも知れんで
    周囲に迷惑をかけて、やっと得る私はバカそのものなのかもで
    ほんと申し訳ない事だが、真面目に感謝をしている。

    よくわかった。
    私も注意しつつ書いて、突っ込まれたら己を省みる。

  • 検索ちゃん

    ちょい前に大騒ぎしていた、TVデビュー
    録画して貰ったのを観た。

    この番組、関西では放送していないんだけど
    以前に観た覚えがあるんだよ。
    最初は関西でも放送してたんじゃないんか?
    それも8chの夜11時ぐらいから。
    なーんか、そういう記憶があるんだよなあ。

    で、肝心のこのブログの記念すべきTVデビュー
     ↓ 5秒もない、この一瞬だった。

    えれえ観にくい画面ですまんけど
    PC画面の撮影は、私には無謀だった、っちゅう事でひとつ何とぞー。

    ボーッと観てて、あまりにもボーッと観すぎてて
    ついついブログの事を忘れて、最後まで観て
    終わった後に、あれっ? と
    私は何でこの番組を観てたんだっけ? と。

    もう、ほんと相変わらずの忘却っぷりで
    最初から探し直して、ストップして携帯で撮ったぜ。
    この番組、面白いよな。
    関西はメイド刑事をやっとる場合じゃないぞ。

    なお、この録画が観たい人は
    ぷらちッに言えば送ってくれるそうです。

    にしても、この一瞬、なくても良いんじゃないのか?
    今回のシャンプーの話、私の記事とまったく関係ない気がするんだが
    何でこの記事を映そうと思ったんだか
    この一瞬のために、わざわざメールで了解を取って
    しかも私にわけわからん返事をされて
    番組制作って大変なんだな、と思った。

    ちなみに、“モテるシャンプー” とは
    イタリア人男性のフェロモン入りだと。

    匂い、やめといた方が良いぞーーー。
    良い匂いと臭い、紙一重だぞーーー。

    たとえば、オリエンタル系って一歩間違うと線香臭くなるじゃん
    それが歳を取ると、更に振り幅がデカくなって
    いまや、ヘタなローズの匂いのボディミルクなんか付けると
    老人臭のごとき酸っぱい匂いが漂うようになってきてよー。
    もう、薔薇の貴婦人と自称するには、ほど遠くなっちゃったぜ。

    あれって、何の匂いが悪さしてるんだろうなあ。
    自分の皮膚に付くと変化する香りがあるんだよな。
    とにかく年齢とともに、NG香りが増えてくるんだ。

    と、ここまで悪態ついておいて今更だが
    フェロモンって匂いじゃない、って聞いた事がある。
    フェロモンには匂いなどないんだと。

    調べてみたけど、よくわからんだった。
    ほんと、ここまで言っといて投げ出してすまんこったが
    シャンプーとか香水とか、必ず他人に感想を確認しながら使うようにな
    という逃げのまとめで良いか?

    ちゅーか、次の放送、稲川順二の恐い話だったんじゃん!
    ちょ、そっちの方が私の専門 ( ← ? ) じゃーん!
    ホラー、心霊、私に語らせてくれよーーー!!!
    あああああああああああああああああああああ、観たかったーーー!

  • 自分の文章の移り変わり

    いきなりブログの書き主として、無責任極まりない事を言うが
    自分の書いた文章は読み直さない。
    妙な流行に踊らされていた若い頃の写真を
    晩年になって発見するぐらい気恥ずかしく、自己嫌悪に陥るからである。

    書いている途中で、こんがらがってこりゃあかん! となった時は
    さすがに推敲するけど、それ以外は書きっ放しの載せっ放しである。

    そんで書いた内容は、すぐ忘れる。 翌日には忘れている。
    お陰で、同じ事を何度も何度も書いているようだが
    これは老人にはありがちな会話術なので
    周囲はよっぽどじゃない限り、温かくうなずきながら流してくれるのが
    人の道だと信じているから、やらかしてる側としては問題なし。

    たまに昔の記事にコメントが寄せられてて
    どんな記事を書いたっけ? と、おそるおそる読み返すけど
    大抵ドンピシャでロクな内容ではないので、毎度の儀式で落ち込む。
    返答態度が土下座デフォになっている事で、それがよくわかるだろ?

    それが先日犬の記事を書いた時に、これはよくある感覚なのだが
    「どうも前にどっかで同じような事を書いたような・・・」
    と、デジャヴに襲われて、珍しくちょっと不安になって
    カテゴリー動物の記事を、ついうっかり読み直してしまった。

    すると、そこは全部05年に書いた記事だったんだけど
    ものすんげえ攻撃性あふれる文章で、我が文ながらビックリこいたよ。

    だけど考えてみると、ちょい前までは確かに私は攻撃的な性格だった。
    この攻撃性は、アフガンとのバトルで養われたもので
    アフガンとの出会う前の私は、おっとりした性格だったはず。

    今はと言うと、関西の穏やかな気候で穏やかな人々に囲まれ
    実に穏やかな暮らしに、本来の自分を取り戻している。
    貧乏で苦しいのは除いて。

    関西に来た頃は、自分はキレる年寄りになるんじゃないか、と
    ヒヤヒヤしていたが、安らかな老婦人への道が微かに見えてきた。
    上手くいけば、このままのんびりと生きていけるであろう。
    貧困にあえいでいるのを除けば。

    しかしまだ、アフガンバトルの後遺症が抜けていないのか
    激しい性格だよね、と言われる事も時々あり、安心は出来ない。

    ブログを書く上で、個性といったようなものを重視するのなら
    昔のイケイケの方が、色んな意味で面白かったんかも知れんが
    世界平和を主体に考えると、このまま好々爺になっていった方が
    周囲に迷惑も掛けんで済むので、このまま更に精進して
    生き仏を目指そう、と思っている。

    長く続けていると、自分の変遷がまざまざと読み取れるが
    読み返さないので、何の教訓にもなっていなかった。
    せっかく自分の思想の記録があるというのに、実にもったいない話だが
    読み返して落ち込む事に、懲りてビビっているので
    今後も自分の書いたものは読み返さないであろう。

    あれこれもっともらしい言い訳をしているけど、要するに
    責任放棄の書きっ放しをするよ、と堂々と宣言してるわけだ。
    ブログを続けていられるのも、この態度だからこそかも知れない。

    一部の人々には、私の記事は公害のような存在だろうが
    私的には脳の整理が出来て、とても助かっているよ。
    どうもありがとう。
    ( ↑ こういうのを、“いけしゃあしゃあ” と言う。)

  • 記事使用の許可

    今日、見知らぬメールが届いていたんだけど
    それがブログの記事の使用許可を求める内容なんだよ。

    びっくらこいたよー。
    ブログ記事を使用する際に、メールで許可を求めるんだー?
    うお、そんなご丁寧に、と恐縮しちゃったが
    使いたい記事が、よりによってハゲ連呼しているとこなんだよ。

    慌てて、管理人ぷらちッに相談したら
    「楽しみやねー」 と、お気楽な返事のみでさ。

    しょうがねえので、自分で返事を書く事にしたんだが
    イイ大人どころか、イイ故人になりそうな年齢のババアが
    敬語もわけわからんと、「私に気を遣ってご使用あそばせ!」
    みたいな、つんのぼせた事を書いたんで
    そこで既に向こうから却下されたかも知れん。

    という事で、使用されるかどうかはわからんが
    09.8.7の24:45~25:15の
    TV朝日の 「爆笑問題の検索ちゃん」 という番組を観てくれ。

    ・・・・・・・って、この番組、関西でやってねえええええええええ!
    あああああああああああああああああああああああああああああああ
    自分が観られなければ、意味ねえじゃんーーーーーーー!!!

    誰か録画して、私にメールで送ってくれ。
    アップ出来るような形で! 頼む、心から頼む!

    ぷらちッは、その日、中国でニーハオの出張予定なんだよーーー。
    何という、間の悪い巡り合わせなんだ?
    もしかしてGODが 「観ない方が幸せ」 と妨害してるのか?
    何? 全国的に笑いものになるのか?

    って、5秒ほどらしいから、検索ページの一部として映るだけだろうけど
    それにしても不吉な予兆よのお。
    私の私による私のための、私だけが平和で静かなブログライフが
    乱されなきゃ良いのだが・・・。

  • 日記のススメ

    最近、このブログのコメントで、褒められる事があり
    もちろん充分に天狗にならせてもらっている。

    ところがマイ人生、そう甘い設定にはなっていないらしい。
    ちょっと図に乗ると、即行で叩き落とされるんだ。
    何で慢性的天狗にならせてもらえないのか、先祖の戒めか祟りか
    結局は貧乏くせえショボショボしたテンションに、すぐ戻ってしまう。

    このブログを書くのに、“紙” を使っている。
    アホウ! 紙に手書きメモじゃねえ!
    これだ! →  http://www.kamilabo.jp/index.html

    コトの始まりは、06.1.26 の記事。
    それまで、管理ページでチマチマ書いていたのだが
    ヘンなとこで、スクロールキーだかを押すか何かをすると
    書いた記事が全消えする、という惨劇が頻発し
    見かねた仲間が、この “紙” を紹介してくれたのである。

    それ以来 “紙” を愛用しているので、書いた記事が消える事はなくなり
    ついでに、この世から消したい記事も消えずに残り。
    仲間って本当にありがたい、と思う出来事。

    ここ以前にも、他のサイトで日記を書いていたけど
    ここは05年の8月から始まっている。
    “紙” を知る以前の記事は、“紙” に保存していないのだ。

    時々大昔の記事に関するコメントが入っていたりして
    そんな記事書いたっけ? と、“紙” を探すも、ない
    という事が起きていたので、過去記事も “紙” に
    保存した方が良いんではないか、とは思っていた。

    が、そんな面倒くさい事を、即座にする気にもなれず放置していたのが
    何のはずみか、やり始めてしまったのである。
    こうなると、一気に全部やってしまうのが習性。
    100近い記事を、コピーして貼り付けコピーして貼り付け
    一体誰がこんな事をやろうと思ったんだよ私だよ誰か代わりに
    と、己を呪いながら、マウスをクリッククリッククリッククリック。

    その最中に、イヤでも目に入ってしまうんだよ、過去記事がーーー。
    「また、くだらん事を書いて・・・」 としか思えないシロモノがよー。
    しかも何度も何度も同じ事を書いているしさー。
    過去の自分と向き合うのが、これほど辛い事だったとは。

    私は自分の過去記事は、滅多に読み返さない。
    わかりやすく言うと、夜中に書いたラブレターを朝読み返すな説。
    私の場合、時間帯に関わらず、15分前に言いたれていた言葉が
    既に汚点として、歴史に刻まれてしまう事多数なんで
    過去記事を読むというのは、自傷と同等の行いなのである。

    それがコピーの際に次から次へと・・・・・。
    もう、ここんとこの天狗気分なぞ、ふっ飛んだぜ。

    そこで気付いたのが、自分の老化。
    最近の私は精彩がない、と密かに感じていて
    とうとう脳が劣化し始めて、マトモな文も書けなくなったか
    と、悲しんでいたんだが、そんな事はなかった。

    数年前の私の方も、今と劣らず大たわけ者だった!
    ここ数年、低脳を見事に維持できているらしい。
    てか、今に輪を掛けて、堂々としたバカさ加減を誇っている。

    ここにきて、自分がバカでアホでマヌケだと自覚しだしたのは
    歳を取りながら、多少は常識というものが身についたんか
    温厚になったんか、覇気がなくなったんか、客観的になったんか
    わからんが、ちょっとは変化をしているようである。
    これがわかったのは、実に有意義である。(が、受けた傷も実に深い)

    日記を書くのは、(読み返す勇気があるならば) 人生に有効かも。

  • お知らせ

    今、ブログのコメントが荒らされているんで
    ぷらちに相談して、対策がまとまるまで
    ここのブログはコメントを閉鎖します。

    消すだけなら、せっせこせっせこやるんだけど
    それ以上の措置は、私には無理なんでさ。

    ・・・と思ったら、設定がよくわからんで
    一体どういう事になっとんのか、さっぱりな状態にー。
    ぷらち、設定をせせくったけど、すまん、後処理よろしく・・・。

    なお、ブログの記事は勝手に続ける。 ほほほ

    一応、1記事1テーマを目標にしてるんで
    今日は上のお知らせだけで終った方が、キレイに収まる。
    しかし! ダラダラ書かないと気が済まないので、関係ない話題でも。

    プリンって最近、なめらか流行りじゃん。
    すげえ柔らかくて、ふんわりしてるの。
    だけど私は、そういう高級っぽい手間の掛かったプリンは嫌いなんだ。
    ムースやババロアが嫌いで、それにかぶってると思う。
    はいはい、安物食い乙、で終りそうだけど。

    私の理想のプリンは、かあちゃんが作ってくれてた
    卵と牛乳と砂糖を混ぜて、蒸したやつで
    これまた、マザコン乙、で終る話なんだが
    ツルツルなめらかじゃなくて、ザラザラブリブリが好きでさ。

    ところが、ここんとこなめらかブームだろ
    スーパーに売ってる安物でも、なめかりやがって
    ほんと、プッチンプリンぐらいしか食うものがねえんだよ!

    昔、生協の宅配で買ってたのが、モロゾフのプリンに激似で
    先月コープを見つけて行って、買ったプリンがまさにそれでさ。
    そしたらそれが、近所の西友にも売っていた!

    モロゾフより甘いのが難点だけど、私の好む食感と味なんだ。
    ちょっとクセがあるんで、好みが分かれるだろうが
    安いんで、見かけたら試してくれ。