これに関しては、客側の私は 「NO」 と答える。
お店の側が、こう思って努力するのは良いけれど
肝心の客側がこう思うのは、図々しいにも程がある、と思うんだ。
そもそも日本の接客は素晴らしい。
それもこれも、“お客さまは神様です” という 意識が、そうさせているのかも知れない。
だけどこの言葉は私の記憶によると、大阪万博の歌を歌ったみなみはるお
(ごめん、字がわからない。) が言い出した事で
店舗の話ではなかった気がするんだ。
それでも、この言葉がスムーズに浸透していった状況を考えると
元々の接客態度が良い、という素地があった気がする。
この接客の良さに、あぐらをかいたバカな客が増えると
店側はガードを強めなくてはならなくなるので
客側は気持ちの良いサービスを期待したいのなら
対等な取り引きのつもりで、店側に感謝の気持ちを持つべきだと思う。
さて、店は客を選べるのか?
こういう問いは、日本ならではだと思う。
海外では、きちんと住み分けがなされているからである。
日本でも住み分けがある場所もあるけど
それでも傍若無人なヤカラが、その垣根を崩す事も、ままある。
私は “平等” など、どういうお伽噺だよ? という思想なので
接客業の場合も、“客全員を平等に扱え” という要望など呆れ対象でしかない。
予約までして行く店で、子供が走り回ってたらイヤだもん。
そんな客、追い出せよ、と言いたい。
子供が聞き分けが付く年齢になるまで、外食は控えるか
“そういう店” に行くべきだろう。
昨今の親の中には、子育ての数年を我慢できなくて
夜遅くに乳幼児を連れて遊び回る人や
叱る事 (怒る事じゃなく叱る、ね) が出来なくて
子供のしつけを出来ない人がいるけど
そういうヤツほど、子供をボロボロ産んで
世の中にドグラが増えてる気がする。
社会は子育ての真の大変さを覆い隠して
表面だけを取り繕って、少子化とやらを防ごうとしているけど
マトモな感覚を持っていたら、今の世の中、子供を何人ももてないって。
日本だったら、人口8000人ぐらいでちょうど良いんだよ。
無駄をなくせば、やっていける。
と、横道にそれたけど、店は客を選んで良いと思う。
客は自分に合った店に行くべきだと思う。
何故この話題を書いてるか、というと
身体障害者が、充分なもてなしができないという理由で
飲食店に入店を拒否されて怒っている件を聞いたから。
私も障害があるから、出来ない仕事や行けない場所はあるけど
平等やら人の親切をアテにして、チャレンジなんてしたくねえ。
そこまで人生を謳歌したいかあ?
これはもう、全ての人に言いたい事だけど
叶わぬ夢やら、あっても良いじゃん。
自分の力で無理なら、時には我慢せえよ。
この障害さえなければ、と私も自分を呪ったりもしたけど
障害ってのは、害になるから障害で
それのお陰で色々と優遇されるのなら、それはもう障害ではない。
今は “障害者” という呼び名から変えようという動きもあるけど、欺瞞だね!
ちゃんと辛さ苦しさと向きあって、人生をのたうち回らないと
来世があったら、そのターンもえらい苦労するハメになるぜ。
私はそう思う。
そう思わないと、生きていけない。
という事で、本当の状況は知らないけど
全体的に、客側はあんまり調子のんなよ。
世の中の決まり事が厳しくなると、どんどん生き辛くなるだろ。
最初から少し遠慮気味、ってのが、ちょうど良い状態を長く保てると思うんだ。
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大阪万博跡地は公園になってて、一部の噂では心霊スポットでもあるそうなw
地図を見るとあまりに広いので、いまだに行った事がないんだ・・・。