ちょくちょく書いているけど
私は人の半分ぐらいの聴力しかない。
その聴こえ方も、通常の人は山型の波形の聴こえ方なのに
私は谷型で、人の聴こえない雑音が聴こえるらしい。
そんで、人の声が一番聴こえにくく
他で音がすると、聴きたい音が聴こえないそうな。
ああ、別に気を遣わんで良いぞ。
私に何ひとつ不自由がないよう、便宜を図ってくれるだけで良いから。
それを、“気を遣う” と言うのだろうけどな。
自分の耳が悪いなど、気付きもしなかったよ。
だって、耳が良かった事がなく
ずっと、これでやってきたからである。
何でこんな聴こえにくい放送をするんだろう?
とかは思っていたけど
(例: TV番組 映画 駅のアナウンス 診察の呼び出し 等)
聴こえてないのが、私 だ け だったとは!
いやあ、世の中、とんだドンデン返しがあるもんだなあ
と、言われんと気付かんだったくせに
いきなり被害者ぶって、己の不遇を嘆いても良いんだけど
世のため人のために生きているのが、私!
今日は、耳が悪い人の見分け方を伝授しよう。
なお、これは私の経験に基づく説なんで
当てはまらん場合もあるのを
・・・というか、私の話は全部、半分程度に聞いてくれ。
それこそ、私の聴力レベルで。
もう、これ、ここのお約束な。
耳が中途半端に悪い人は、まず 「聴こえない」 とは申告しない。
何故ならば、そのひとことが空気を変えるからである。
いわば、酒の席で酒を飲まないヤツが
「しらける」 とか言われるのと一緒。
健康問題なんだから、それとは別、と思うのは甘ーい!
善人ぶってても人権人権言ってても
自分に関係してくる事となると、世の中案外冷たいもんよ。
まあ、これも一部の話で、また他の一部では違う。
耳が悪いと宣告されてから、図々しい私はいかにも障害者ぶって
「すみませんが、耳がちょっと悪いので聴こえやすくお願いします。」
と、ここぞとばかりにお願いした。
だって実際に聴こえにくいんだもん。
快適に生きたいじゃん。
そしたらそれが全然、快適じゃないどころか
逆にとても恥ずかしい目に遭わされる。
「耳が悪い」 の前に 「ちょっと」 と付け加えてるのに
人々は私がほぼ聴こえないかのように
大声を張り上げて語りかけるのだ。
ほら、よく老人とかに怒鳴ってるじゃん。
「いーい? これはこうでこうですよー? 聴こえますかー?」
あれをやられるのだよ、純粋な善意で。
しかも目の前で。 近いって!!!
すいません、そこまで聴こえないわけじゃない、と言うと
まるで騙したかのような目で見られる。
ほんのちょっとだけ、聴こえやすく、というのは
理解されない、と思って良い。
私自身、どの程度の音量が必要かなんてわからないしな。
そこで 世直し として、“耳が悪い人の見分け方” だよ。
自分に有利になる事には、労を惜しまんよ、私はー。
・ やたら近付いて聞く
・ やたら顔を見つめる
・ やたらジッと口元を凝視する
・ 首をかしげている
・ 手を耳にやる
・ おどおどする
・ キョトンという表情をする
・ あさってな返事をする
・ うんうん、と返事をするだけ
・ 特定の人の話には返事をするだけ
・ 喋り方がおかしい
・ 声がデカい
“近付く”“見つめる” 等は、聞く事に集中しようとしている動作。
“首をかしげる”“手を耳にやる” のも
聴こえる方の耳をフルに使おうとしているわけだ。
“おどおどする” のは、聴こえなくて動揺している時
“キョトンとする” のは、聴こえていないのもわかっていない。
え? 今何か言われた? 風に。
“あさってな返事” は、無理に会話をしようとしている。
“うんうんだけ” は、もう聞こうとするのを諦めている。
そう、耳が悪い人は、聞くのを放棄するようになる。
理由は、自分が話してる時に、いちいち 「え?」 と言われてみい
それか、常にその人とは大声で話さなくちゃいけない
このどっちも、嬉しい状況じゃないだろ?
「聴こえない」 と口にするのは
自分の欠点をさらけ出すのと同時に
相手の喋り方が悪い、と言ってるも同然なんだよ。
決してそういう非難をしているわけじゃないんだけど
事態をややこしくしているのが
実際に聞こえにくい喋り方をする人がいる、という事実。
“特定の人には返事だけ” の理由が、これ。
小声、音がこもる、早口、これらが主な理由だけど
それを自分の耳のために直せ、って要求できないだろ?
結果、耳が悪い人は、その場をとりつくろう事に腐心する。
その内に、人付き合いがつらくなる。
孤独になる。
補聴器をつけりゃ良いじゃん、と思うだろうけど
補聴器が合わない人もいるんだ。
うちの両親も、なかなか順応できず
しかも良い補聴器は数十万してた。
そんな金額、ホイホイ出せねえよな。
それをうちの親は調整調整、あげくが 「合わない」 と放置。
次は兄が耳が悪くなったら、それを使うんだと。
えらい高価だったんでもったいない、ってのが理由だと。
何のための個人個人に合わせた調整やら。
しかも数十年前のを調整しろ、とか無茶も甚だしい。
うちの兄、耳を調整する前に脳みそを調整してほしい・・・
とか言わないよ、お兄ちゃん。
たったふたりの兄妹だもん
助け合わなくても、罵り合うのは止めとこうね!
そして私がこのタイプかも、と医師に言われたんだけど
補聴器をつける事で、耳が依存するみたいになって
更に聴力が落ちる可能性がある人もいるんだって。
要するに、甘えっ子さんなわけね。
はい、石を投げつけるのは止めてくださーい。
このように、聴力の矯正はなかなかデリケートな問題っぽいんで
気軽に 「補聴器をつけたら?」 とも言えないのが現状なんだ。
だから見分け方以下同文。
“喋り方がおかしい” は、私の例。
私は幼少時に言葉を喋れなかったらしいけど
今になって思えば、耳が悪い事と関係している可能性がある。
聴いた事のない歌は歌えんだろ?
聴こえてない言葉を発音する事は出来ない。
おそらくは生まれた時からこうだっただろう
と、聴力検査をした時に、医師に言われたんだけど
それは、私の喋り方を聞いて判断したようである。
私は “口蓋裂傷” という、喉仏が避ける奇形を持ってるけど
それでは、“口が利けない” という症状は見当たらないので
他にも何かの障害があるんだと思う。
世の親御さんたちに、よく考えてほしい。
子供に酷な事実があっても、教えてあげるべきだと思う。
だってそれを背負って生きていくのは子供自身だから。
うちの親は、訊いてもはぐらかし
恥じる必要はない、と言い、悩むのを愚かだと嘆いた。
そして私に何も教えずに死んだ。
もし教えられて私が覚悟できたか、っちゅうと
それはわからんけど、それで潰れるのも自分次第だしな。
潰れてほしくないから、親は言えないんだろうけど
支える事、強い心を持つ事を教えられる可能性もあった。
私の場合、支えてくれたのは友人だった。
だから今度は、私が恩返しをしようと見分け方略。
最後の “声が大きい”。
これも私由来の情報。
声が大きいのは、うるさくしても隣近所に苦情を言われない田舎者
だって、お隣は数km先、とか。
それか耳が悪い人。
私はその2つを兼ね備えた、選ばれた民である。
耳が悪い人は、聞こえにくいので
他の人も同じように聴こえないんだと思い込んで、大声で喋る。
工事現場にいる人からの電話の声は
周囲に音漏れするほど大きいだろ?
そっちはうるさいかも知れんけど、こっちは静かだっての。
それと、無意識に世界全体の音声ボリュームを上げよう
として大声になるのかも知れない。
これは悪気じゃなくて。
「聴こえない」 と、何故言えないのか?
それはおめえが歳を取って聴こえなくなったら、わかる。
世の中が自分規格じゃない事に、なかなか文句は言いにくいんだ。
人と違う、という事で生じる不便さも
長々と生きてきたら、雰囲気で学んでいる。
だから 「聴こえない」 と言わない人は、気を遣う善人。
普段より少しだけ大きい声で、ゆっくりと話してあげよう。
気を遣ってる事を気付かれないように、さりげなく
くれぐれも、あまり相手の目を見ないで。
気遣われる事で、傷付く人もいるんだ。
あ、私は気遣い、同情、憐れみ、大歓迎だぞ。
偽善だろうが上っ面だろうが
相手にしてくれるなら何でも良いよー。
・・・この言葉の悲しさに気付いたらダメだぞ。
評価: トーラス
(2008-02-18) コメント:なあ、これ、商品名を見た瞬間、ものすごくショックを受けなかったか? えっ? 耳まで臭う場合があるんか? と。 加齢臭に敏感なお年頃の私には心臓破りなネーミングだよ・・・。 でも安心せえ。 これは犬猫用だって。 わざわざ貼ったのは私の動揺を皆にも味わってほしくて今は反省しているほんとすみません。 |