カテゴリー: 世情分析

  • 耳が悪い人

    ちょくちょく書いているけど
    私は人の半分ぐらいの聴力しかない。
     
    その聴こえ方も、通常の人は山型の波形の聴こえ方なのに
    私は谷型で、人の聴こえない雑音が聴こえるらしい。
     
    そんで、人の声が一番聴こえにくく
    他で音がすると、聴きたい音が聴こえないそうな。
     
    ああ、別に気を遣わんで良いぞ。
    私に何ひとつ不自由がないよう、便宜を図ってくれるだけで良いから。
    それを、“気を遣う” と言うのだろうけどな。
     
     
    自分の耳が悪いなど、気付きもしなかったよ。
    だって、耳が良かった事がなく
    ずっと、これでやってきたからである。
     
    何でこんな聴こえにくい放送をするんだろう?
    とかは思っていたけど
    (例: TV番組 映画 駅のアナウンス 診察の呼び出し 等)
    聴こえてないのが、私 だ け だったとは!
     
    いやあ、世の中、とんだドンデン返しがあるもんだなあ
    と、言われんと気付かんだったくせに
    いきなり被害者ぶって、己の不遇を嘆いても良いんだけど
    世のため人のために生きているのが、私!
     
    今日は、耳が悪い人の見分け方を伝授しよう。
    なお、これは私の経験に基づく説なんで
    当てはまらん場合もあるのを
     
    ・・・というか、私の話は全部、半分程度に聞いてくれ。
    それこそ、私の聴力レベルで。
    もう、これ、ここのお約束な。
     
     
    耳が中途半端に悪い人は、まず 「聴こえない」 とは申告しない。
    何故ならば、そのひとことが空気を変えるからである。
     
    いわば、酒の席で酒を飲まないヤツが
    「しらける」 とか言われるのと一緒。
    健康問題なんだから、それとは別、と思うのは甘ーい!
    善人ぶってても人権人権言ってても
    自分に関係してくる事となると、世の中案外冷たいもんよ。
     
     
    まあ、これも一部の話で、また他の一部では違う。
    耳が悪いと宣告されてから、図々しい私はいかにも障害者ぶって
    「すみませんが、耳がちょっと悪いので聴こえやすくお願いします。」
    と、ここぞとばかりにお願いした。
    だって実際に聴こえにくいんだもん。
    快適に生きたいじゃん。
     
    そしたらそれが全然、快適じゃないどころか
    逆にとても恥ずかしい目に遭わされる。
     
    「耳が悪い」 の前に 「ちょっと」 と付け加えてるのに
    人々は私がほぼ聴こえないかのように
    大声を張り上げて語りかけるのだ。
     
    ほら、よく老人とかに怒鳴ってるじゃん。
    「いーい? これはこうでこうですよー? 聴こえますかー?」
     
    あれをやられるのだよ、純粋な善意で。
    しかも目の前で。 近いって!!!
     
    すいません、そこまで聴こえないわけじゃない、と言うと
    まるで騙したかのような目で見られる。
     
    ほんのちょっとだけ、聴こえやすく、というのは
    理解されない、と思って良い。
    私自身、どの程度の音量が必要かなんてわからないしな。
     
    そこで 世直し として、“耳が悪い人の見分け方” だよ。
    自分に有利になる事には、労を惜しまんよ、私はー。
     
     
     ・ やたら近付いて聞く
     ・ やたら顔を見つめる
     ・ やたらジッと口元を凝視する
     ・ 首をかしげている
     ・ 手を耳にやる
     
     ・ おどおどする
     ・ キョトンという表情をする
     ・ あさってな返事をする
     ・ うんうん、と返事をするだけ
     
     ・ 特定の人の話には返事をするだけ
     ・ 喋り方がおかしい
     ・ 声がデカい
     
    “近付く”“見つめる” 等は、聞く事に集中しようとしている動作。
    “首をかしげる”“手を耳にやる” のも
    聴こえる方の耳をフルに使おうとしているわけだ。
     
    “おどおどする” のは、聴こえなくて動揺している時
    “キョトンとする” のは、聴こえていないのもわかっていない。
    え? 今何か言われた? 風に。
     
    “あさってな返事” は、無理に会話をしようとしている。
    “うんうんだけ” は、もう聞こうとするのを諦めている。
     
     
    そう、耳が悪い人は、聞くのを放棄するようになる。
    理由は、自分が話してる時に、いちいち 「え?」 と言われてみい
    それか、常にその人とは大声で話さなくちゃいけない
    このどっちも、嬉しい状況じゃないだろ?
     
    「聴こえない」 と口にするのは
    自分の欠点をさらけ出すのと同時に
    相手の喋り方が悪い、と言ってるも同然なんだよ。
     
    決してそういう非難をしているわけじゃないんだけど
    事態をややこしくしているのが
    実際に聞こえにくい喋り方をする人がいる、という事実。
    “特定の人には返事だけ” の理由が、これ。
     
    小声、音がこもる、早口、これらが主な理由だけど
    それを自分の耳のために直せ、って要求できないだろ?
     
    結果、耳が悪い人は、その場をとりつくろう事に腐心する。
    その内に、人付き合いがつらくなる。
    孤独になる。
     
     
    補聴器をつけりゃ良いじゃん、と思うだろうけど
    補聴器が合わない人もいるんだ。
     
    うちの両親も、なかなか順応できず
    しかも良い補聴器は数十万してた。
    そんな金額、ホイホイ出せねえよな。
     
    それをうちの親は調整調整、あげくが 「合わない」 と放置。
    次は兄が耳が悪くなったら、それを使うんだと。
    えらい高価だったんでもったいない、ってのが理由だと。
     
    何のための個人個人に合わせた調整やら。
    しかも数十年前のを調整しろ、とか無茶も甚だしい。
    うちの兄、耳を調整する前に脳みそを調整してほしい・・・
     
    とか言わないよ、お兄ちゃん。
    たったふたりの兄妹だもん
    助け合わなくても、罵り合うのは止めとこうね!
     
     
    そして私がこのタイプかも、と医師に言われたんだけど
    補聴器をつける事で、耳が依存するみたいになって
    更に聴力が落ちる可能性がある人もいるんだって。
     
    要するに、甘えっ子さんなわけね。
    はい、石を投げつけるのは止めてくださーい。
     
    このように、聴力の矯正はなかなかデリケートな問題っぽいんで
    気軽に 「補聴器をつけたら?」 とも言えないのが現状なんだ。
    だから見分け方以下同文。
     
     
    “喋り方がおかしい” は、私の例。
    私は幼少時に言葉を喋れなかったらしいけど
    今になって思えば、耳が悪い事と関係している可能性がある。
     
    聴いた事のない歌は歌えんだろ?
    聴こえてない言葉を発音する事は出来ない。
     
    おそらくは生まれた時からこうだっただろう
    と、聴力検査をした時に、医師に言われたんだけど
    それは、私の喋り方を聞いて判断したようである。
     
    私は “口蓋裂傷” という、喉仏が避ける奇形を持ってるけど
    それでは、“口が利けない” という症状は見当たらないので
    他にも何かの障害があるんだと思う。
     
     
    世の親御さんたちに、よく考えてほしい。
    子供に酷な事実があっても、教えてあげるべきだと思う。
    だってそれを背負って生きていくのは子供自身だから。
     
    うちの親は、訊いてもはぐらかし
    恥じる必要はない、と言い、悩むのを愚かだと嘆いた。
    そして私に何も教えずに死んだ。
     
    もし教えられて私が覚悟できたか、っちゅうと
    それはわからんけど、それで潰れるのも自分次第だしな。
     
    潰れてほしくないから、親は言えないんだろうけど
    支える事、強い心を持つ事を教えられる可能性もあった。
    私の場合、支えてくれたのは友人だった。
    だから今度は、私が恩返しをしようと見分け方略。
     
     
    最後の “声が大きい”。
    これも私由来の情報。
     
    声が大きいのは、うるさくしても隣近所に苦情を言われない田舎者
    だって、お隣は数km先、とか。
    それか耳が悪い人。
    私はその2つを兼ね備えた、選ばれた民である。
     
    耳が悪い人は、聞こえにくいので
    他の人も同じように聴こえないんだと思い込んで、大声で喋る。
     
    工事現場にいる人からの電話の声は
    周囲に音漏れするほど大きいだろ?
    そっちはうるさいかも知れんけど、こっちは静かだっての。
     
    それと、無意識に世界全体の音声ボリュームを上げよう
    として大声になるのかも知れない。
    これは悪気じゃなくて。
     
     
    「聴こえない」 と、何故言えないのか?
    それはおめえが歳を取って聴こえなくなったら、わかる。
    世の中が自分規格じゃない事に、なかなか文句は言いにくいんだ。
     
    人と違う、という事で生じる不便さも
    長々と生きてきたら、雰囲気で学んでいる。
     
     
    だから 「聴こえない」 と言わない人は、気を遣う善人。
    普段より少しだけ大きい声で、ゆっくりと話してあげよう。
     
    気を遣ってる事を気付かれないように、さりげなく
    くれぐれも、あまり相手の目を見ないで。
    気遣われる事で、傷付く人もいるんだ。
     
     
    あ、私は気遣い、同情、憐れみ、大歓迎だぞ。
    偽善だろうが上っ面だろうが
    相手にしてくれるなら何でも良いよー。
     
    ・・・この言葉の悲しさに気付いたらダメだぞ。
     
     

    評価:

    トーラス


    ¥ 664

    (2008-02-18)

    コメント:なあ、これ、商品名を見た瞬間、ものすごくショックを受けなかったか? えっ? 耳まで臭う場合があるんか? と。 加齢臭に敏感なお年頃の私には心臓破りなネーミングだよ・・・。 でも安心せえ。 これは犬猫用だって。 わざわざ貼ったのは私の動揺を皆にも味わってほしくて今は反省しているほんとすみません。

  • マザコン

    この言葉は悪い意味でよく使われる言葉だけど
    日本と欧米では、その内情が違うと思う。
     
    “欧米” と、ひとくくりに言っているけど
    私が見聞きしたのはアメリカの一部の話なんで
    ヨーロッパはどうかわからない。
    ま、とにかく日本以外のとこの私が知ってる話限定。
    (これほど無責任な設定があるだろうか?)
     
     
    アメリカでは、子供が成人したら
    日本で言えば、別戸籍として扱われる。
    日本でも別戸籍に出来るけど、何ちゅうか
    アメリカでは、“身内の義務” みたいなものが
    一切なくなる感じなのである。
     
    そういう境遇で、成人した人がママ、ママと言っていたら
    大げさに言えば、変態扱いされてもしょうがない。
    私から見たら、それぐらいアメリカの “成人” と言うのは
    親子の決別に思えるのである。
     
    だって結婚の時も、相手を紹介して
    「結婚するから。」 だろ。
    「結婚させてください」 と許可を願うわけではない。
    もう、こっからして、アメリカの感覚は違うわけじゃん。
     
     
    じゃあ、日本ではどうか。
    日本では、いつまで経っても親子は強いつながりがある。
    その関係が、良い悪いは別として。
    仲が良い悪いも別として。
     
    “老いては子に従え” という格言は
    死ぬまで親子はベッタリ前提。
     
    親の不始末は子が背負い、子の不始末は親が背負う。
    法律上は別人格として定められていても
    感情がそれを許さないのである。
    親と子は、互いにその存在に縛られる。
     
     
    多くの母親は、甲斐甲斐しく我が子の世話を焼く。
    子供は母親を家政婦だと思っている。
    魔法の財布も持っていると思っている。
    我がままをぶつけてタカって見下して、それはすべて甘えからくるもの。
     
    そして親が死んだ後に、その価値について気付く。
    そうなったら、一生親に囚われる。
    母親以上に自分を気にかけて、面倒を見てくれた存在はいない、と
    わかったら、その思い出をいつまでも追ってしまうのは
    情けないけど、しょうがない事でもある。
    すいません、私です。
     
    日本の場合は、これを
    “自立していない”“マザコン” と言うのではないか?
    まあ、確かに私だけは死ぬまで自立せんだろうが。
     
    他にも、離婚や死別で早くに母親を失った子が
    その影を追い求める場合もあるけど
    いずれにしても、母親を想い過ぎるのを
    マザコンと言っているような気がする。
     
     
    私はマザコンの男性とは、あまり縁がないけど
    世間の話を聞くと、割にきっつい内容が多い。
    常に妻や彼女より、母親を優先し
    女性に母親と同じ振る舞いを求めるようである。
     
    そういう人が、日本では本当のマザコンであって、実に特殊で
    そんな例を見聞きすると、普通の親孝行に対しても
    世の中は気軽にマザコンマザコン過剰反応し過ぎじゃないか?
    と疑問に思うのだ。
     
     
    母親に対する思慕など、誰でも色んな形で持っていて
    それを一列に “マザコン” と片付けるのは
    母親という存在に対する冒涜とも言える。
     
    冗談でも、あまりそういう言葉を使わない方が良いと思うのだが
    この意見は、“言葉狩り” になったら困るんで
    ここでグチグチ言っているだけなんだ。
     
     

    評価:

    宝島社


    ¥ 3,000

    (2011-07-20)

    コメント:ヘンなキーワードばかりで検索して、ほんとすいませんほんとすいません。 これが “魔法の財布” だそうですーーー。 雑誌の広告とかのは金色とか昇り竜の型押しとか、一発でバレるデザインだけど、これはごく普通の見た目。 黄色でもないし。 そこを評価しようよ! 

  • 少子化のウソ

    原発事故で、学者や有識者があれだけ
    ウソ、あいまい、はぐらかし、紛らわしい、論点すり替え
    をしたので、研究だの学問だのデータだの信用できなくなったよな。
     
    だったら素人のドアホウである私が、根拠なしに
    感じた事を率直に書いて、何の罪になるんだ?
     
    という事で、常々感じていた “少子化” についての
    違和感を、ほぼストレートに言う。
    “ほぼ” というのは、一応最低ラインは己を守りたいんで
    やっぱり言わない事もあるから、それは念力で察してくれ。
     
     
    日本は少子化、先進国の女性は子供を何人も産みたがらない
    とか言うだろ?
    これ、違うと思うんだ。
     
    昔もひとりの女性は、せいぜい2~3人しか
    産み育てていなかったんじゃないか?
     
    そりゃ子沢山の地域もあるだろうけど
    今のように医療が発展してなかったから
    跡継ぎが必要な場合は、大勢産む必要があった。
    でも医療発展が、まだまだなせいで
    たとえば5人産んでも成人するのは2人ぐらい
    この計算があったからゆえの子沢山じゃなかったのか?
     
    つまり現代は、1~2人産んできっちり寿命を全うさせられる。
    何人産もうが少子化だろうが、結果は一緒じゃねえ?
     
     
    こっから暴言だけど、世界的に人口、減ってねえよな。
    むしろ増えてる。
    少子化対策にどこの先進国も悩んでいる、とかTVで言ってるじゃん。
    人口、増えてるのに何が問題なの?
     
    とか、イヤミな言い方をしているけど
    役に立たない人々が増えても国は発展しない、という事だよな。
     
    だったら、子供の健康管理も教育も
    きっちりと出来る知恵を持った女性が
    ひとりふたりを大事に育てて、成人させれば良いんじゃないのか?
     
    そういう女性たちに、単純に子供の数だけで
    ストレスを掛けるのは、愚の骨頂だと思うんだ。
     
     
    ちなみにさ、日本と同じような国土の面積の先進国はドイツ。
    日本が1億2千万人+戸籍を持たない人に対して
    ドイツの人口は8千万人ちょい。
     
    そのドイツも、ヨーロッパでは割に人口過密の部類に入る。
    そして、ユーロを一手に支えている。
     
    先進国で、日本より広い国土を持つ国で
    日本以上の人口過密度の国はないよ。
     
    そもそも日本は、人口が多過ぎなんだよ。
    そんな躍起になって子供を産む必要はない。
    日本では、子供は無事に育つ確率が高いんだから。
     
     
    そんでさ、人口と年齢の図を “人口ピラミッド” というんだけど
    最近よく使われるようになった、正にあの三角形ピラミッド型。
    人口ピラミッドの理想形は、あの形じゃなかった気がするんだけど
    よーく考えてみい、ピラミッド、あれ、ひどいと思わんか?
     
    あれさ、大勢産んで、その中の数人が何とか成人して
    働きまくって、歳を取ったらさっさと死ね、って生き様の見本じゃん。
    何だ? その、ロコツな奴隷型は。
    やっぱ、“ピラミッド” に奴隷はつきものか。
     
    人生って、産まれて無事に生きて、60歳を過ぎたら
    徐々に死んでいく、というのが理想じゃないんか?
    働き詰めで、定年退職して安らぐ時間も与えられないなら
    何のために生まれてくるんだよ?
     
    人口ピラミッドの理想図は、鉛筆型だろうー。
    0歳から60歳ぐらいまで同じ人数で
    それ以降は削った鉛筆の先のように、なだらかに尖っていく。
    途中で死ぬ人などいない、って形。
     
     
    今は “人権” とやらが悪用されてて
    子供にも人権があるんで、老後の面倒をみせる親は鬼
    そう言われるから、子供の養育に掛かるはずのお金を
    自分たちの老後用に貯金せざるを得ないんだよ。
     
    子供ひとりあたり、大学までいかせるのなら
    1千万は掛かる、とか言うじゃん。
    それプラス老後の貯金、無理な家庭も多いだろ。
     
    少子化の本当の理由は
    “子供の権利を守るためにも
     死ぬまで自分たちだけで生活をしていかなくちゃならないので
     そのための貯えもあるんで、余分に子供を産み育てる余裕がない”
    これだと思う。
     
     
    少子化対策は、いらないと私は思う。
    少子化を止める事で解決しようとしている、
    国を運営するための方法には、違う解決策がちゃんとある。
     
    それは、年金、生活保護等の不正受給
    それを厳しく取り締まって、なくす事。
    繰り返し言うけど、“不正受給” だからな。
     
    日本人じゃない人が、年金を払っていないのに
    日本に住んでるから、と年金の受給を求めたり
    2005年以降に日本に来て、何故か生活保護を受けてた外国人が
    東北震災で祖国に避難して、再度日本に来た時に入管審査の書類に
    「生活見通し: 生活保護」 と書いて再入国したり。
     
    日本は税金を納めて国を維持しようと努力する日本人のためのもの。
    生活保護も、本当に仕事ができなくて困っている日本人のためのもの。
     
     
    日本人が日本人らしい最低限の暮らしをするための制度が
    外国人や遊んで暮らしたい人に食い荒らされているのを取り締まれば
    年金も立ち回るようになり、日本人の年寄りは
    肩身が狭い想いをせずに、一生懸命に働いたご褒美に
    のんびりした老後を過ごせるようになるかも知れない。
     
    そうなれば、女性たちも子供を必要以上に産めという
    強要される風潮もなくなるはず。
     
    少子化なんて、本当の問題点じゃない。
    マトモな人の稼ぎにぶら下がって生きるヤツが多すぎるから
    国が機能的に動かなくなるんだ。
     
     
     

    評価:

    SEIKO CLOCK


    ¥ 5,900

    (2009-12-11)

    コメント:とっぺんを触ると、音声で年月日や時間を知らせてくれるそうだ。 目が見えないと今日が何曜かもわかりにくいから、そういう人に向く機能なんだと。 そんで、こいつは何と英語も喋るそうだ・・・。 いいいいいや、まさかー、あははー、時計に負けた気分などまったくないよ? 大丈夫。 うん、大丈夫大丈夫・・・・・

  • 募金

    口を開いた瞬間、ロクでもねえ事を言いたれるけど
     
    私は募金が大っっっ嫌いだ!!!!!
     
     
    話は古代にさかのぼって、私がまだ純情可憐な乙女だった頃
    (いや、今でも乙女自称はしとるが、今は邪念目腐され乙女である。)
    友達と24時間TVを観ていて、感動したので
    私たちも募金をしよう! となったんだ。
    当時は募金は電話受け付けだったんで、電話をしたんだよ。
     
    「あの、募金をしたいんですけど。」
    出たのは、若い男性だった。
    「はいっ、ありがとうございます!
     おいくらでしょうか?」
    「3000円です。」
    「はあああ? 3ぜんえん~~~っ? プッ
     ・・・(無愛想に) では振込用紙をお送りしますので・・・」
     
    確かこういう流れだった。
    あの頃は、選ばれた人か何かがスタジオに行って
    欽ちゃんに貯金箱を渡す以外は
    電話をして振込用紙を送ってもらう手筈だったと記憶している。
     
     
    TVで感謝されてる、そのボトルの1円玉貯金は
    絶対に3千円以下だと思うぞ。
    てか、いくらでも良いから電話して、って言ってたじゃん!
     
    隣で受話器に耳をくっつけて
    このやり取りを聞いていた友人もショックを受けていた。
     
    この電話に出た兄ちゃんは、TVの善意演出を真に受けて
    本当に少額の募金をしてくるマヌケをあざ笑ったんだろうけど
    あの頃の私たちは学生で、金銭的余裕がなく
    3000円でも大変な時だったんだよ!!
     
    これ以来、24時間TVは観なくなった。
    あの時、一緒にいた友人も同じらしい。
     
     
    このたったひとりのバカ男のせいだけで
    未来永劫、募金を嫌いになっても良いんだが
    更に募金に疑問を持つ事が起こる。
     
    熊本で私が住んでた地域は、年末になると
    赤い羽根募金を集めて回るんだよ。
    「赤い羽根の募金、500円です。」 って。
     
    最初に聞いた時には、えええええええっ? だったよ。
    だって有無を言わせずなんだよ。
    募金って “善意” じゃないんか?
    と、突っ込みたかったけど、無言で払ってたさ。
     
     
    ところがな、阪神淡路大震災が起こった時に
    来たんだよ、班長が。
    「阪神淡路大震災の募金を500円お願いします。」 と。
     
    その時うちは、裕福だったのでさすがに言ったさ。
    「うちはもっと出したいんですが。」
    「いえ、500円でお願いします。」
    「1万円出したいんですけど。」
    「いえ、困ります。」
    で、500円払う。
     
     
    今だったらわかるよ。
    色々と事務手続きが大変だから、一律金額にして
    それ以上は、他で個人でやってくれ、と。
     
    でも当時の大バカモノな私には、それはわからなかったよ。
    どこぞのボランティア団体の職員の給料は
    日本人の平均年収より遥かに高いらしい、とか
    24時間TVに出るタレントは有償で出てる、とか
    そういう事にばかり目が行って、募金、大嫌いだよ。
    私は点字を打てるけど、そのせいでボランティアも大嫌いだよ。
     
     
    だけどな、歳を取って目は悪くなったけど
    視野が少し広まってきた時に気が付いたんだ。
     
    強制しないと、何もしないどころか
    今、世の中で何が起こっているのか知らない人もいる、と。
     
     
    人が言わない真実を言おう。
    住んでる地域や会社で集められる募金は
    “義務” と思うべきだ。
     
    それに文句を言ったり協力をしないと、人間性を疑われる。
    何も言われなくても、人間的評価は確実に下がり
    何かの時に、それが周囲の判断材料になってしまう。
     
    AさんとBさん、どっちを昇格させるか、とか言う時に
    ふたりの能力が同じなら、募金をしない方が落とされるかも知れない。
    そう。 募金に協力しない or 文句を言うだけで。
    それが “日本” だ!
     
     
    だから集団で集める募金は、義務でやり
    何かしたい “気持ち” があるのなら
    個人で別個に募金をするべきである。
     
    もっとたくさん募金をしたい場合も、よそで個人ですべき。
    一律いくら、と決められているのは
    事務処理の煩雑さを省くためと
    “皆の足並みを揃える” ためである。
     
    募金というのは、善意ですべきなのだけど
    出せる金額には個人差がある。
     
    金額が気持ちの大きさと比例しているわけではないけど
    1000円の人より、1万円の人の方が歓迎されるのは当然である。
    でも、それは密かにやれば良いわけで
    個人個人の出せる金額を明らかにする必要はないだろ?
     
    現実的に言って、善意として出す金額が
    その人自身の評価に確実に繋がるからこそ
    人間関係を乱さないように
    最初に金額を決められているんだと思うよ。
     
     
    私はそれを学んだんで、今回はちゃんと選んで募金をしたよ。
    正直、今でもボランティア団体は信用できないんで
    被災地の自治体に直接郵送したいけど
    そういう事をされても困るだろうから
    近所の役場で始めた募金に協力してきた。
    役所なら、中抜きも少ないだろうし。
     
    金額は聞かないでくれ。
    壊れかけの洗濯機を買い換えようと
    貯めていたお金の一部を出すから、ほんと少額なんだ。
     
    皆、被災者のために祈っている時に
    ついでに、うちの洗濯機がもちっと耐えてくれるようにも頼む。
     
     
    あ、この記事は募金の推奨じゃないぞ。
    したくなけりゃ、しなくて良いと思う。
    そういう “自由” もある。
     
    だけど何かしらの気持ちがあるならば
    素人はお金で表すのが、相手は一番助かると思う。
     
    被災していないバカなヤツらが、買い締めに走ってるけど
    今の日本には、ちゃんと物資はあるんだから
    お金さえ持っていれば、自由に好きに使える。
     
    今は皆こぞって協力してくれるけど、割とすぐ忘れるじゃん。
    そうなっちゃっても、手元のお金は腐らないからな。

  • 娘の趣味

    主婦は夫、子持ちは子供の話題をしょっちゅう出してきて
    おめえんちの家族のたわいない話なぞ、どうでも良いよ
    と、ウンザリする私は、だからこそか、孤独老人なんだが
    結婚していた時も同様に思っていたので、単に性格が悪いだけであろう。
     
    よって、こういう私の性格を知っている人は
    余程の突飛もない面白い出来事でもない限り
    家族の話はしてこないんだが
    ある時、知人にふとこう言われた。
     
    「うちの娘、あなたと気が合いそう、って言ってるのよ (笑)」
     
    ん? どういうこった? と、興味を惹かれて訊いてみた。
    「どこらへんが?」
     
     
    この知人には以前に私が、家の趣味の品々を処分した、という話をした。
    孤独死した場合、私の部屋を片付ける時に
    関係者に更なるショックを与えたくないからである。
     
    「妙な痕跡は残さんに限るよ。」
    そう、“裏のヒト” ぶって語った記憶がある。
     
    こんな薄汚い話を、家庭内で何で話題にするのか知らんが
    とにかく、それを聞いた知人の娘が
    「あしゅさんと気が合いそうー。」 と、言ったらしいのだ。
     
    そんで、自分が死んだ場合も
    部屋の整理はまったく関係ない業者に頼んで
    と、お願いされたそうだ。
     
     
    これを笑いながら話す知人だったが、私は笑えなかった。
    娘はどういう物を持っているんだ? と問うたら
    「さあ? よくわからないけど本かしら?」
     
    もうここでピンと来たが、確認のため更に突っ込む。
    その本はどんな本だ? 薄い冊子か?
    娘は何か書いてたり描いてたりするか?
     
    結果わかったのは、娘は読むだけらしいが
    薄い本をいっぱい持っているらしい。
    そして独身主義らしい。
     
    私が、某RPGをやってる、と聞いた時も
    「気が合いそうーーー!」 と喜んでいたそうな。
    (だから何で私のそういう話を家族に言うかなあ)
     
    ああ・・・、娘、腐女子だよ・・・、しかも二次元の・・・。
     
     
    と言うか、私は腐ではない。
    某RPGも知らずにやってから、その “真価” に気付いた。
     
    別の意味では、充分に腐ってはいるが
    そりゃ、色んなジャンルの本をチェックしてはいるが
    ハマらず、素通りしているだけなのだ。
     
    娘よ、私を仲間扱いすな! と思ったが
    そういう趣味にも一応の理解はあるつもりなので
    私的には一向に構わん。
     
    だが、それを笑顔で語るこの母は、多分その正体を知らない。
    娘が男性を見る度に、受け、攻め、など想像してるとは知るまい。
    腐女子の脳内は、パラレルワールドらしいのに。
     
     
    どのジャンルのどのレベルの腐かまでは
    この母の話では推測できなかった。
     
    こっちも、詳しい事を説明したくないし
    第一、そんなにその世界についてよく知らない。
    それに特殊趣味の人々は、理解されずに苦しむ事も多いだろうから
    チクるような非道な事は出来んよ。
     
    しかし、この母親は私の大事な知り合いである。
    母娘の関係は良好そうだし、元々大らかな女性なので
    用心しながらも、これだけは伝えておいた。
     
    「おめえの娘は変態だぞ、後々ショックを受けんようにな。」
     
    知人は大ウケして、爆笑していた。
    ま、この分じゃ大丈夫だろう・・・か・・・?
     
     
    にしても、娘、何でそっちの道に行ったんやら。
    すんげえ真面目で勉強も出来る、可愛い良い娘なんだが。
     
    リアル知人で腐っていうのも、初めて見たんで感慨深い。
     
     

    評価:

    キューブ


    ¥ 998

    (2006-12-25)

    コメント:“フィギュア” で検索したのに、これに魅せられた私は動物好きのとてもイイ人。 が、よく見ると、先っぽが何故ここに付けられたのか、邪推で夜も眠れず昼寝する。 レビューを書いた私の尊厳と、買ったあなたの人格を台無しにする逸品。

  • 酒乱

    ようやく今日になって、海老蔵事件に追いついたんだけど
    とんだ浦島太郎になっとるが
    これは今が12月なのと、アフィリとツイッターと
    小説に苦労していたせいである。
     
    商品使用レポは、次々にポンポン出るんだけど
    もう、小説の文章が浮かばねえ浮かばねえ。
    欲望に目が眩むと、芸術 ← ! はダメになるんだな・・・。
    よし! 私の死後に評価してくれ!!!
     
    あっ、↑ は格好つけて言ってるだけで
    今、たった今、チヤホヤしてくれても一向に構わんのだぞ?
     
     
    さて、たわごとはこれぐらいにして
    海老蔵の謝罪会見、鼻で笑わせてもらうぜ。
    断酒したら、本当に反省していると認めてやるわ
     
    酒乱の父親を持った身として!!!!!
     
    断酒、出来るか? それは出来ないだろ?
    ものすごく理由付けして、飲酒は続けるよな?
    海老蔵、酒乱だろ?
    酒乱は死んでも治らないね。
     
    一般家庭内での話にとどまらず
    仕事上でも、色んな人に迷惑を掛けたのだから
    断酒以外に反省の態度はない! と断言しちゃるよ。
    一般家庭でも、ああいうのがひとりいると地獄なのに・・・。
     
    と言うか、アルコールって毒だと思う。
    本当にそう思う。
    度を過ぎると、というけど、適度な飲酒をしてる人は
    仮に酒がなくなっても生きていけるはず。
     
     
    うちの父親は酒乱だった。
    暴力こそなかったけど、絡み酒というか
    叫ぶ怒鳴るで、毎晩毎晩、本当にうっとうしかった。
     
    昼間は沈着冷静で威厳があって
    不正を許さず、真っ直ぐで平等で公平で崇高な人なのに
    アルコールが入ると、豹変するのだ。
     
    まあ、一日中あの “正しさ” を保てるなど
    神さま以外には出来ないだろうけど
    相反するふたつの人格が、一人の人間の中にあるなど
    レイジング・ケイン! (多重人格者の映画)
     
    ちなみに面白いのがな
    シラフの時は、酔っている時の事を一切覚えてないんだよ。
    でも酔ってる時は、酔っている時の大昔の事まで覚えている。
    うちの父には、同時進行で2つの歴史があったわけだ。
     
    ほんと、ああなると病気扱いをして良いと思う。
    のむ・うつ・かう このどれも、ひとつでもやってるなら
    手を出すべき相手じゃない。
     
     
    子供の頃に、親の知り合いの人が私にプレゼントを送ってくれて
    お礼の手紙を書きなさい、と親に命じられた。
    その時に私が書いた文章は
     
     パパは毎晩お酒を飲みます
     お酒を飲んだパパは恐いです
     ママはよく泣いています
     パパの事は好きだけど、お酒を飲んだパパは嫌いです
     私はパパにお酒を飲まないでほしいです
     
    もう、お礼全然関係なく
    自分でも何でそういう事を書いたのか、わからないけど
    バカガキなりにストレスを溜めて、SOSを出したんだと思う。
     
    しかし、うちの親はこっからが凄かった。
    とうちゃんは、酒量がいつにも増して多くなり
    かあちゃんは、そういう文章を書いた私を怒り
    泣きながら、欺まん的なお礼を書き直させられたのだ。
     
     
    まあ、手紙の書き直しは当然だけど
    その後も何の変化もなかったので
    愛娘の悲痛な叫びにも応えられない酒乱は、不治の病だぜ。
     
    真の共産主義だから、あまり我が子への愛はなかったようだが。
    ・・・とか書いてると、ロクでもねえ親だよな
    うちのとうちゃん・・・。
    昼間はとても尊敬できる、子にとって誇らしい父親だったんだぜ。
    ・・・夜になって酒さえ飲まなければな・・・。
    (“~しなければ良い人”、周囲のこの感覚が更正の機会を奪う)
     
    倫理的には、母親をも責めたいところだが
    現実問題、かあちゃんの気持ちも立場もわかるんで
    もう、ただひたすら、家族は耐えるしかなかったんだよな。
     
    だから、最初からそういう物件には手を出さない方が良い。
    素人じゃ手に負えないし、治らない。
    愛でも乗り越えられない事はある。
    希望はない。
     
     
    ところで、私はアル中になる要素を持っている気がする。
    父親は夜しか飲酒をしなかったけど、アル中だったと思う。
    その血を、私は受け継いでいる。
     
    酔わないし、味も嫌いだし、体調が悪くなるだけなのに
    飲み始めたら、毎晩飲まなきゃ気が済まないし
    酒量がどんどん増えていくからである。
     
    幸い (?) 肝臓がイカレているし
    酒類も酒飲みも大っ嫌いなので
    そういう場所にも人にも、近寄りたくもない。
     
    このまま酒が存在しない人生で、生涯を終えられたら良いなあ。
     
     
    “父親が酒乱” って、結構な苦労だけど
    感性の鈍いガキだった私は、あまり深刻には受け止めていなかったんだ。
    要所要所で、イヤな想いはさせられたけどさ。
     
    こういう、せんで良い苦労をしている人に言いたい。
    おめえのその苦労さ、すげえ武器だぜ。
     
    たとえば今回、一生懸命に謝っている人を
    鼻で笑うなんて、凄え非人道的な所業だろ?
    だけど私には、誰もそれを言えない。
     
    だって私には、“酒乱の父” という印籠があるからだ。
    「あなたに酒乱の家族を持った者の気持ちがわかるの?」
    これを言われたら、私系のヤツ以外は黙るしかねえよな。
     
    ああ? 私は反論できるよ。
    何? その被害者ヅラ、って。
    おめえの気持ちがわからないと、こっちは物も言えんのかよ? って。
     
    私は鬼畜だから、自分の弱みを武器にも出来るわけで
    そういう事をしているヤツには、何の同情もせんで良し。
     
    ただ特殊な苦労は、ここぞという時に使えるよお?

    と、いらん伝授をしとるわけだ。 ほっほっほ

  • 少子化の原因

    今、産め育て働け と強制されている人々
    それは多分、私たちの世代あたりのせいだ。
    本当に申し訳ない。
     
     
    私の世代のサラリーマン家庭の母親は
    ほとんどが専業主婦だった。
    うちの母親も専業主婦であった。
     
    私の父は、母を名前で呼んだ事はない。
    「おりゃ!」 と呼ぶ。
    母は、はいはい、と来る。
     
    私に母の話をする時は
    しらふの時は、「母親は」「おまえの母は」
    酔っている時は、「おかあちゃんは」 と言う。
     
    私が両親を何と呼んでいたか。
    “パパ”“ママ” である。
    両親は、“おとうちゃま”“おかあちゃま” と
    呼ばせる予定であった。
    潜伏のどっかに書いているが、兄はそうしつけられた。
     
    ところが時は高度成長期時代。 ・・・かな? よくわからん。
    一般家庭にはTVが普及し
    アメリカのドラマなどが人気を博する。
     
    来る人来る人に、「パパはどれー?」「ママはどれー?」
    と訊かれた私が、両親をパパママと呼ぶのはごく自然な流れ。
     
     
    さあ、問題はここである。
    アメリカのドラマは、父母である前に夫と妻。
     
    夫は妻を名前で呼ぶどころか
    和訳で言うところの、“愛しの君” 的表現の
    「マイハニー」 とかなんとか、デレてチュッチュしよる。
     
    TVを切れば、家の中では父親が母親を 「おい」 と呼ぶ。
    「靴下はどこだ?」 などと訊かれるようじゃ、妻失格。
    さすがに父も自分で身支度はしていたが
    パンツから帽子にいたるまで
    すべてを順番通りに用意しておくのが、妻の役目である。
     
    それは長男にも適用される。
    跡取りである長男は、父親に次いで偉い立場。
    あれやこれやと世話を焼く。
     
    しつけの良い家庭だったら、娘は良妻賢母になるよう育てられるが
    うちのかあちゃんは、私を甘やかしに甘やかしたので
    私は何も出来ない無知な女性にと育ってしまった。
     
     
    私の場合、母親を家政婦だと思った事はない。
    ちょっと脳の出来が悪いガキだったので
    母親の仕事が何なのかすら、考えた事はなかった。
    ただ母親は、私を可愛がって面倒を見てくれる存在だったのだ。
     
    母親とは、そういうものだと思っていたので
    子供嫌いの私に、それが出来る自信がなかった。
    よって私は、早くから子供を持たない選択をした。
     
    「我が子となると違うよ」 という人もいるけど
    人ひとりを生み育てるのに、そういう賭けは出来ない。
     
    「子供が欲しい」 と言われた事もあるけど
    「うん、育てるのはお願いね。」
    と言ったら、さっさと諦められた。
     
    病弱なので、残りの私の健康は多分犠牲になる。
    それでも、産むのは産んでも良いんだよ。
    だけど子育ては自信がないんだ。
     
     
    東京でひとり暮らしを始めて
    気軽に母親に頼れなくなって初めて
    “料理” というものが、こんなに面倒だったのか、とわかり
    結婚して一軒家を建てて初めて
    “家事” というものが、こんなに大変だったのか、とわかった。
     
    妻の仕事だけでもおおごとなのに
    “母親” までは、愚鈍な私には無理だぜ。
     
     
    私の場合は、こうだったけど
    私と同世代の女性たちは、さぞかし “母親” という職業が
    しいたげられたものに見えていたと思う。
     
    ウーマンリブとか叫ばれ出して
    女性は家に縛られなくても良いんだよ
    自由に出来るんだよ、と教えられてるのに
    結婚したら、夫の親から孫産め攻撃だ。
     
    孫を産んでも、男子を産むまで攻撃は止まない。
    おめえんちは、どっかの高貴な御方ですかと!
     
    甘やかされて育った夫は、ママンママン
    離婚するなら、産んだ男子は置いて行け
    子供が出来ない石女 (うまずめと読む。) は追い出せ
    男子を産めない女腹は離婚だ
     
    だったら外で働くよ!
     
    こうなるのも無理はないわな。
    そんでそういう女性は、我が娘に自立できるよう教育を施す。
    可愛い我が子を、どっかの家族の奴隷にさせられたくないから。
     
     
    これが少子化への流れだと思う。
    私たちの世代の頃は、嫁を奴隷に扱う家も多かった。
    信じられないような酷い話も耳にした。
     
    現実にそういう悲劇が起きる可能性があるのなら
    愛する我が子には、予防線を張るよな。
     
     
    少子化になる過程で存在したひとりとして、詫びているわけだけど
    本当に悪いのは何なんだろうな?
     
    “家” に嫁ぐ風習か?
    嫁を同等に扱わない事か?
    男尊女卑か?
     
    どれも改善は出来る問題なんだけど
    子供を産み育てる期間が
    まるで自分の人生のロスのような気がするんだ。
     
    こう思う女性って、結構いるんじゃないか?
    これって、生き物としてマトモな感覚じゃないと思うんだが
    何なんだろう?
     
    もしかして私のようなヤツは、人類の自殺細胞なんじゃないだろうか。
    子孫を残さず、家を途絶えさせる役割り。
    やはり人類は増え過ぎているのかも知れない。
     
     
    関連記事 : 少子化対策 10.11.16

  • 子供

    最近、やたら手触りが気持ち良いクッションや枕ってあるよな。
    特にドンキで、そういうのを見つける。
     
     
    その時の私は、バナナの枕をワシワシ揉んでいた。
    何か不幸な事でもあったんか
    ワシワシワシワシワシワシワシワシワシワシワシワシ
    ずーーーーーーーーーーっと揉んでいた。
     
    私のその姿を遠目に見ている女の子がいるな、とは気付いていた。
    予想外だったのは、その子が恐る恐る近寄ってきて
    おどおどとこっちを伺いつつ、バナナ枕に手を伸ばした事だ。
     
    そして一揉みした途端、恐々だった表情が
    パアッと満開の笑みになり、私に向かって叫んだ。
     
    「気持ち良いね!」
     
     
    それを無表情で上から見下ろしながら
    あー、私ってほんと子供が嫌いなんだな、と自覚した。
     
    それでも一応、国家の財産であるガキには
    オトナとして、きちんと対応をせにゃならんので
    張り付いたような愛想笑いを返しておいたんだけど
    それよりも気になったのは、その子の顔の可愛さである。
     
     
    子供の歳とか、よくわからんけど
    多分幼稚園とかその辺。
    小学校には行ってない年齢なのは確実。
     
    で、顔が整ってて本当に可愛い上に
    フリフリブラウスにパステルカラーのふわふわスカート
    とどめがリボンで結ばれたツインテール。
     
    キレイで可愛い格好をさせられてるんで
    さぞかし親に可愛がられてるんだろう。
     
    だけどその親、どこにいるんだよ???
     
     
    辺りを見回しても、保護者らしき姿はない。
    私のワシワシ時間、結構な長さだったんで
    子供から目を放して良い時間じゃないだろ。
     
    それに、この子の無防備さは何なんだよ?
    私が上品な淑女だから安心しとんのか?
    最近は女でも、ヘンなの多いぞーーー?
     
    てか、ツインテール、ふわミニスカ、美幼女が
    「気持ち良いね」 など、その筋のお方には
    この上なく、たまらんシチュエーションじゃねえのか?
     
     
    これは危険! と判断した私は
    おめえの親はどこにおる? と
    上から威嚇するように、ドスの利いた声で訊こうとしたら
    タイミングが遅く、その子はバーッと走って行ってしまった。
     
    あっ、おい待てこら、と追いかけたけど
    ドンキの店内って、神隠しの地だよな。
    一瞬で見失ってしまっちゃったよ。
     
    ああ・・・、これで事件とか起きたら
    防犯カメラに私のワシワシ姿が・・・
    いや、何より保護しなかった事をものすごく後悔する!
     
    と思って、引き続きウロウロ探していたら
    乳児を抱いた若めの男性が、キョロキョロしていた。
     
    その顔を見たら、かなりなイケメンだったので
    こいつはきっと、あのプリティガキの親なはず!
    と決め付けて、役目を終えた気になった。
     
     
    帰りにその一家がいたので、ほんと安心したけど
    何で赤の他人の私が、ここまで心を砕かなくちゃいけないんだよ。
    可愛い顔の子供に可愛い格好をさせたら
    目を放すのは1.5秒までにしてくれ。
    ドンキ店内は2秒で行方不明になるから!
     
    ほんっと危ないぞ!
    おめえんとこのガキ、幼女属性にズギューン! な事を言ってたぞ。
    ちゃんとしつけろ!
    知らないヤツに話しかけさせるな!!
     
     
    “子供を地域で育てる” とか、よく言うけど
    そんなん無理だよ。
    じゃあ町内のそれほど知らない人が
    我が子を構ってオッケーなんか?
     
    てか、ロリもどっかの町内に住んでるわけだからな。
    そこ近辺の人だけ残念、ってか?
     
     
    子供に道も訊けない、そんな時代ポイズンになってしまったけど
    ドンキでの自分のうろたえを思い出すと
    やっぱり子供はあまり自由にさせるべきじゃない、と思うぞ。
     
     
    余談だけど、私が何で子供が嫌いなのか
    どっかに書いたよな?
     
    ま、何度繰り返し書いても一向に構わんので、繰り返しまくるけど
    子供は空気を読まないし、気を遣わないから嫌いなんだ。
    中には気を遣う子供もいるけど
    私に気を遣っている事を気付かせるからイヤ!
     
    何ちゅうおとなげない意見だ、と思われるだろうけど
    子供ババアだしな、ふん。
    同属嫌悪? 違えーよ、一緒にすんなよ! きいいいいっ!!!!!
     
    あっ、中学生以上なら、オッケー。

  • ババアの言葉遣い

    このブログでの私の言葉遣いは悪い。
    一見、10代のチャラ男がわめいているようである。
     
    ところが現実は、あらビックリ!
    ナイスバディで上品で知的でストイックな
    淑女なのだよ、“あしゅ” 様はよー。
    (自分を様付けで呼ぶヤツに限って、悲惨な死を遂げる。
     参考文献 : 北斗の拳 )
     
    使ってる言葉も言ってる内容も、ブログとリアルでは違う。
    根本の思想を隠して、リアルではオトナな言動をしているのだ。
     
     
    ・・・最近までは、そう思っていた。
    出るとこに出りゃ、キチンとふるまっている、とな。
     
    だがな、正確な敬語が使えないどころか、日本語が不自由なあげく
    空気が読めない、根回しする知能がない私が
    それを出来るわけがなかった・・・。
     
     
    この前、ちょっとかしこまった状況になってさ
    しばらく話をしていて、打ち解けてきて
    気を抜いたつもりはなかったんだけど、つい出た語尾。
    「 ~ じゃなくないですかあ?」
     
    言った瞬間、あっっっ!!! と思ったよ。
    おめえはどこの女子高生なんだよ? と。
     
    もちろん相手はジェントルマンなんで、気にしない風に
    話を続けてくれたけど、もうこっちの心中は大パニックだよ。
    こうなると私はモロい。
    もうガラガラと崩れていったさ、大人の言葉遣い。
     
     
    久々に大恥をかいた自覚がある経験をしたが
    そこでちと考えてみた。
     
    私の年代ってさ、同じ世代でも
    何だかすごく老若が入り混じっているんだ。
    生活や感覚の幅も、えらい様々っちゅうか
    不思議なぐらいに統一感が感じられない年齢層なんだよな。
     
    それでも友人同士の会話だと、お互いに素で話せるから
    「えー、それはねえだろ、って感じじゃねえ?」
    とか、普通に喋っていられるんだけど
    これは、夫婦間とごく親しい友人ぐらいまで。
     
    それより遠い関係になると、普通の大人の言葉遣いに
    きっちり切り替えている。
    敬語に動揺するのも私ぐらいである。
     
     
    ネットで年齢極秘の理由は、ほんと書きたくないが、これなんだ。
     
    「この歳でこの言動?」 と思われるのがイヤだからである。
     
    本当なら、見てみい、この肌 このナイスバディ とか
    実年齢込みの大自慢大会を開きたいんだが
    そういうカラ威張り欲求より
    “常識” という、世間の目への恐怖の方が強い。
     
    “個人差”“個性” などというキレイ事で済まんほど
    やる事なす事、あまりにもアホ過ぎるような気がする。
    自覚はあるんだが、性格は中々直らんでなあ・・・。
     
    ババアである事は、かろうじてカミングアウトしているが
    具体的に明かせば明かすほど、非難の目も具体的になりそうで恐いのだ。
    贅沢を言うようだが、反面教師にだけはなりたくねえし。
     
     
    自分の実年齢と実情のギャップでの葛藤が激しく
    毎年更新ゆえに年齢計算に困るけど、歳を取るのは嫌いではない。
     
    またアホくせえ事を言うが、私の子供時代には
    世界は1999年7の月で終わるはずだったのだ。
    それがここまで生きている、という感動があるからである。
     
    まだ、2012年とか色んな説は残っているが
    何となく、世界の終末は個人的にしか来ない気がする。
    病弱病弱言うヤツに限って、命汚く長生きするもんだしな。

    ・・・関係ないけど、弱弱 ← この字面、腸みたいじゃねえ?
     
     
    それにな、おめえが言うな! な事をヌケヌケと言うが
    リアルでは、年齢、大事だぞーーー。
    都合の悪い事など、全部歳のせいに出来るようになるんだから。
     
    嫌われる年寄りNo.1のようなドス黒い野望だが
    何かのせいにせにゃ、やっとられん事って多いじゃん。
    他人のせいにするのは、シャレにならんので
    年齢って、丁度良い生け贄的存在なんだよな。
     
    美容マニアとしては老化は敵だが
    ロクデナシとしては絶大な切り札なんで
    天秤にかけたら、歳を取ったら年寄りブる方がラクなのである。
     
    全面的に確実にトボケを善意解釈してもらえる年齢に早くなりたい
    と願うが、それまでにちょっとでも人格を整えとかんと
    人々の許容範囲も底なしじゃないからな。
     
     
    結局、私にとって年齢がどういう位置付けなのか
    さっぱりわからん文章になってしまっとるが
    心配すな、書いた本人にもまるっきりわからん。
     
    年老いていくというのは、辛い事も多いが
    それをどう受け入れるかの一例として
    私のやり方も参考になるんかもわからんが
    ひとつだけはっきりしているのは
    マネはせん方が良い、って事かな。

  • 誘わない人

    こっちから声を掛けると、ホイホイ付き合ってくれるのに
    自分からは絶対に誘って来ないヤツっているだろ。
     
    いっつもいっつも自分からばかり誘っている状態だと
    え? 本当は私と遊ぶのイヤなの? と、ふと不安にさせられるよな。
     
    私、結構これ。 誘わないタイプ。
    だから多分、誘わないヤツの気持ちを代弁できると思う。
     
     
    私は自分からはあまり人を誘わない。
    メールもしない。
    これは誰に対しても、こうである。
    用がある時を除いて。
     
    何故そうしてるのか? という理由、
    私の場合は、ある日ふと思ったんだ。
    他人と自分の事情って違うんじゃないか? と。
     
    私が話したい時に、相手が話したいとは限らない。
    もちろん、こんな事を言ってたら友達付き合いなど出来ないわけで
    融通を利かせたり、我がままを聞いてもらったり、は当たり前の事である。
    現にこの私でさえ、少々都合が悪くても相手を優先させる。
     
     
    だけどな、長年生きてきて今更になって思ったのがな
    自分のペースは他の人と違い過ぎるんじゃないか? って事。
     
    ここらへん、どういう事になっとんのか
    空気が読めないんで、ほんとわからないんだけど
    全体的に見ると、いつもいつも世話になっとる側なんで
    いつ面倒を見てもらうかは、相手の都合で良いよ、みたいな。
     
    こいつと付き合うとロクでもねえ事しかねえだろうな
    みたいな事を書き連ねながら、何なんだが
    私の気持ちとしては、なるべく相手に負担を掛けたくないんだよ。
     
    いつ相手が都合が良いか、とか
    そういう全体像も、ほんと読めないんで
    せめて始まりの合図ぐらいは相手に合わせよう、みたいな。
     
     
    メールでもそうなんだ。
    相手がどういう状況かわからないから
    用事でもない限り、遠慮してしまう。
     
    でも、それぞれにそれぞれの対応法があるだろうから
    ここまで気を遣う必要もなく、もっと気楽に連絡しても良いんだろうな
    とは、わかっている。
     
    でも、天然だのマイペースだの変わってるだの、散々言われてるとな
    よくわからんけど、何となく私、多分絶対におかしい気がする!
    と思い込んで (その思い込み方まで自信なさげに)
    どうしても他人を巻き込む事柄には、臆病になってしまうんだよ。
     
     
    だから人付き合いに関しては、私は
    来るもの拒まず、去るもの追わずで
    自分に主導権はない、と決めている。
     
    この決心が、えらく冷酷に映る時もあるようだけど
    相手が私を思い出すよりも、私が相手を思い出す回数の方が
    絶対に多い! と、ここだけは自信がある。
     
    根拠は、私は一日中脳内の隅で記憶が勝手に巡っているんで
    コンスタントに、友人知人ネット仲間も出てきているからである。
    だから、ちゃんと愛はあるんだよ
    いつも想っているんだよ、と言いたい。
     
    そんなん、ちゃんと言葉で伝えなきゃ相手は気付かんわけで
    こっちの勝手な言い訳なのはわかっているけど
    この、“伝える” っちゅうのも、重くねえか?
    と、ちゅうちょするんで、もうどうすりゃ良いのか
    自分でもワヤクチャなんだ。
     
     
    自分から誘わないヤツって、このように
    人との距離感に自信がないんだと思う。
    本心は、決して付き合いがイヤなわけじゃなく
    むしろどんどん誘って! って感じ。
     
    誘わない人の、全員がこうではないだろうけど
    私はこうで、私と似たような理由の人もいると思う。
     
    あー、もうそれを言われたらねえ・・・、という
    卑怯な言葉を、最後に発射させてもらうが
     
     悪 気 は な い ん だ
     
     
    まあ、私はそこまで頑なに誘わないわけじゃないけど
    それ系のトラブルが1度あって、その時に気付いたよ。
    相手によっては、“誘われる” って段取りも重要なんだな、と。
     
    だから誘わない人は、気をつけた方が良い。
    相手を疑心暗鬼に陥らせているかも知れないから。
    3度に1度は誘う側に回るべきだな。
     
    考えてみれば、こっちが遠慮して出来ない事を
    相手に押し付けている形になってる、って場合もあるし
    付き合いもバランスが大事だと思う。
     
    まあ、相手の都合おかまいなしの若者時代を過ごし
    年を取ってからやっと、世界は自分基準じゃない、と気付いて
    いきなり極端に遠慮し始めた私には言われたくないだろうがな。