カテゴリー: 世情分析

  • ライオン氷殺ジェット

    この一発変換ができない、面倒くせえ名の正体は
    氷点下スプレーで虫を冬眠させて殺る! という殺虫剤である。

    本当はちょっと違う仕組みだろうが
    私よりも、よっぽど勘違いしてるバカ消費者が多いから

    製造中止になっっちゃったじゃねえかよ!!!!!!!!!

    うちにジーオーケーアイビーユーアールアイ ゴ・キ・ブ・リ!
    が出た事で、パニックを起こして買いに走ったものだが
    買って数日目に、既に回収騒ぎかよっ?????

    しかも、その理由が
    「他の殺虫剤と同様に、噴射剤には可燃性ガスを使用している。
     このため、使用中にガスコンロの火に引火して
     顔に軽いやけどを負ったり、
     風呂釜の火に引火して網戸を焼く火災などが起こった。」
    (by 読売ニュース社会面) だと!!!!!!!

    もう、バカかアホかと!!!!!

    可燃性であろうがなかろうが、スプレーの類は
    火気のあるとこじゃ、ビビって使えんのが
    正しい社会人のあるべき姿じゃねえのか?

    電子レンジもPCも、いつ爆発してもおかしくないのが精密機械!
    DVDはキラキラ面に一瞬でも触ったら、全データ強制消去だし
    カセットロムのキザキザ部分は、バグ製造部位だし
    携帯電話を長時間耳にあててると、電磁波で脳細胞が死ぬし
    電気カーペットは時々放電するロシアンルーレットなんだよ!

    何でこう危機感を持たずに物を扱うかなあ?

    そういう平和ボケ消費者のせいで
    せっかくの殺虫成分が入っていない目出度い殺虫スプレーが
    持ってたら犯罪になる、ご禁制の品扱いだよ!
    ほんと、善良な消費者にとって、いい迷惑だ。

    買ったら説明書きを100回読んで、正しく使え!!!!!
    TVも、「恐いですねえ」 などと、商品を責めずに
    間違った使用者を恐がれ!

    ちなみに、買った後、威力を試したくてウズウズしていたところに
    文字通り “飛んで火に入る夏の虫” で
    小さい蛾みたいなんが部屋に入ってきた。

    元気良く飛び回っているところに、ブシュブシュ噴射したが
    あれ、相手がジッとしてくれないと、氷のムダ使いになるんだな。
    なかなか弱ってくれず、焦ったよ。
    こんなんでジーオー略はやっつけられるんかいな。

    ・・・私が買ったのは、“這う虫” の方である。

    対応虫のところに名前がないし、ジーに効かないんかと落胆したが
    あの素早い動きをちょっとでも止められたら、その隙に!
    という目論みで買ったんだ。

    ジーは飛ぶ虫、這う虫、どっちに分類されるのか、かなり悩んだんだが
    私が使うであろう状況は、ジーが走っている時なので
    (飛んでる時は、同じ部屋にいるのも無理だから!)
    “這う虫” の方にしたのさ。

    それで蛾に噴射して 「効かない!」 など
    私も立派な消費者とは言えない気もせんでもないが
    虫の分類を、“飛ぶ” と “這う” でさせるな!!!!!
    と、逆切れして良いよな?

  • 速度違反

    私の勝手な交通法規遵守ルール (この言い方何かヘン) として
    指定速度が50km/hなら、58km/hで走る。
    これは、59km/hまでなら捕まらないと聞いたので
    測定誤差を入れて、58km/hなのだ。
    (関西ではプラス20km/hまでは大丈夫と聞いたが
     これは本当に本当か??????)

    そんで、片側1車線の普通道路での車間距離は50mは欲しい。
    何があっても50m。
    運動神経の良い私でも、そこまで自分を保証できないからである。
    これが自動車専用道路や高速だったら
    100m以上はないと安心できない。
    それぐらいあったら、大抵の状況に対応可能だと思う。

    速度指定は (プラス8km/hで) 必ず守るが
    前後に車が何台も連なっている場合は、他車と同じ速度で走る。
    流れを乱す方がリスクが大きくなるからである。

    以前、制限速度80km/hの自動車専用道路の
    左側車線を走行中、前方に40km/hで走ってる車がいた。
    右側は100km/h以上で走る車が続いていて
    直線道路ってわけじゃなかったので
    低速車に気付いた時には、どうしても右に入り込めず
    くっ付いて走る内に、後ろから気付くのが遅れた高速車が
    こっちに突っ込んでこないか、ヒヤヒヤした事がある。

    交通法規などほとんど忘れてしまっているが
    80km/hの自動車専用道路を40km/hってのも
    交通違反じゃないかと思うんだけど
    何せその低速車は航空貨物輸送トラックだったので、プロだし
    そんな妙な走りをしている運転手がマトモとも思えないので
    文句も言えず、すげえ苦労してやり過ごした。

    40km/hから100km/h超に加速するには
    助走距離が必要で、それを取るには一時的に
    前方の40km/h車より更にスピードを落とす必要があるのだ。
    しかも右はひっきりなしに車が来るんだぜー。
    もう、どうしろと? と、前方車を呪ったよ。

    スピードさえ出さなければ事故はしないと言うが
    私も実際そう思うが、ああいうのはとても危ねえよ。

    友人は、自分が先頭で信号で停まった場合
    青になったら、とにかくアクセルを踏みまくると言っていた。
    自分の前に車がいないと、ものすごく不安なので
    前方に車が見えてくるまで飛ばすのだそうだ。

    それを聞いた時に爆笑したが、何となく気持ちはわかる。
    自分がその場の道路の流れを作る立場になりたくないんだよな。
    でもあまりそういう事をやってると
    前に車が現れるまでに、速度違反で捕まるかも知れんだろうに。

    すいたイエローライン道路で、前後対向車線車なしで
    後続車1台にあおられた場合にどうするか、論争になった事がある。

    私は追い越しやすいようにスピードを落とす。
    イエローラインははみ出し禁止だが
    自分が急ぎたいくせに、イエローラインは守って
    他人に速度違反を強要するのは間違っているだろう。

    そういうヤツの言いなりになって、アクセルを踏むなら
    そいつは 「皆あおれば自分に合わせてくれる」 と益々調子こき
    自分が無謀運転車を増やしてるも同然だ。 共犯だよ。

    ほんと不思議に思うんだが
    何で運転すると1分1秒を惜しみ始めるんだよ?
    おめえは24時間、その調子で暮らしてるのか?
    そんなに時間を惜しむ状況など、そうあるもんでもない。

    それに、速度違反は平気で、何ではみ出し禁止は守りたがるんだ?
    仕事などで切羽詰ってるとかでも
    急ぎたいヤツは自分がリスクを負うべきだ。
    追い越す技術もないくせに、アクセルを踏みたがるな!

    あと、他車の無謀運転にいちいち怒るヤツ、聞いてて気分が悪い。
    「こっちにも危険が生じるかも知れない」 とか言うが
    その無謀車の運転手に直接言わない限り、何も改善されんどころか
    聞いてる私の機嫌が悪くなるという変化が起きるぞ。

    確かに無謀な運転をするヤツは、見てて腹が立つが
    直接被害がないなら、巻き込まれなくて良かったと
    我が身の幸運を喜んだ方が、よっぽど精神衛生に良い。
    イライラしながら運転してると、こっちが危ないわ。

    私は猛スピードで走る車は
    「ああ、うんこが漏れそうなんだな、気の毒に」
    と、上から目線で同情して、心の平和を保っているぞ。

    ま、私のマイルールが正しいのかどうかはわからんが
    他人に迷惑を掛ける運転はしないようにしている。

    運転は周囲に合わせまくるという、繊細な神経が必要なので
    私にはまったく向いてないと、それだけは自覚しとる。

    運転後にマジで熱が出るほど、気を遣って疲れるんだ。
    これで自分では気付かず、周囲に迷惑を掛けてたとしたら
    ほんとむくわれんよー。

  • 現代のフェミニズム

    男女平等は、精神的には当たり前の事である。
    しかし社会的、物理的には違うと思う。
    男女は区別されなければならない。

    フェミニズムというのは、最初は
    (さあ、こっから既に知識が怪しくなってくるぞ)
    男性の身の回りの世話をする役目や
    その家の財産の一部でしかなかった女性にも
    参政権を与えようとする運動だったはずである。

    これは女性の社会的立場を確保し
    男性の付属品として以外に、生きる可能性が出てきた事になる。

    ウーマン・リブとか中ピ連とか、よく知らない。
    だが、彼女らのお陰で今の女性は
    伸び伸びと生きられるようになったらしい。

    アメリカの 「奥さまは魔女」 ってTVドラマ、
    あれを今観ると、能無しのくせに威張る夫と
    甲斐甲斐しく仕える美人妻という、日本っぽい話なのだが
    当時はあれがアメリカの理想の姿だったらしい。
    今のアメリカとは似ても似つかないよな。

    ニコール・キッドマン主演の映画
    「ステップフォード・ワイフ」 も
    そういう理想の家庭を実現させようとする町の話だ。
    (こっちは妻が自立心を思い出し、ワヤになったが)

    アメリカでも、こういう葛藤があるんだな、と興味深かった。
    男女同権を都合良く勘違いする人権擁護派は、どこの国にもいて
    しかも、こぞって強い勢力のようだ。

    と言うのも、最近のフェミと呼ばれる論理は一体何なんだ?
    専業主婦をバカにしたり、ジェンダーフリーとか称して
    男女の性別をまったく無視する方向に行っている。

    それでいて、同じDVを受けてる被害者でも
    女性だったら、言い分を一方的に支持してもらえ
    男性には救済措置はほとんどないらしい。

    これはどういう “平等” なんだ?

    女性が第一線で働くのは結構な事である。
    でも、家庭に入りたい女性も (男性も) いる。
    そこは自由な選択肢があっていい。

    もちろん専業主婦をけしからんと言うのはごく一部だろう。
    しかし、共働きで夫婦が家事を分担って実質可能か?
    もし子供が出来たら?

    ここらへんで平等を言うのは、とても無理があると思う。
    その結果が、今の少子化なのではないだろうか。

    そもそも、家事分担と言い張るヤツは公務員家庭なのか?
    9時5時の就業時間なら、それも可能だろうが
    そんな職場は滅多にない。
    公務員でさえ職種によっては激務なのに
    民間企業で規定の退社時間に帰宅できる人など、閑職だろう。

    男性と同じように働く妻なら、就業時間も同じようなはず。
    帰宅が夜の9時10時で、それから家事。
    これで子供が出来たらどうなる事やら。

    いくら保育の補助とか整備されても、それじゃ子供を親元から離し
    一箇所で育てる某共産国家とどう違うんだよ?
    女性が社会に出て、男性と同等に働き
    子供をバンバン産み育てる社会など、どう法整備をしても不可能である。

    男女平等と少子化は深い因果関係がある、と
    世界各国の出産率に結論が出ているように思う。

    もうひとつ、男女平等の弊害がある。
    私はこの時世では、女性と子供は社会で守るべきだと思う。
    あまりにも犯罪の被害に遭う機会が多いからである。

    「いい大人なんだから」 って、バカ女、多いぞ?
    ギリギリになるまで危機を察知しない鈍感脳で
    まさに 「体は大人、頭脳はお子ちゃま」 だ。

    男女平等なら、自分の身は自分で守るのも当然だろ。
    でも、男性の力には女性は絶対に敵わないって。

    種ども、大事な畑 (さあ、これらは差別用語か?) たちが
    ドグラに荒らされるのを黙認してていいのか?

    こういう男女平等思想は、極左志向に見える。
    フェミは実は、共産主義と根っこは同じだと思う。

    平等だから、と女性ひとりで出歩き
    男女平等などどうでもいい鬼畜に犯されてたら、やっとられんだろう。
    だから、全員くまなく同じ思想を持ってない限り、成り立たない。

    男女平等の言葉自体が、昔の権利闘争の聖戦で美化されているし
    一見マトモな事を言ってるように聞こえるのがやっかいである。

    しかし、深く問いたい。
    今のそれに個人の思想の自由があるのか?
    人権、平等を振りかざし、正義ヅラをして
    言葉狩り、ひいては思想狩りまでやっているように見える。

    表面的な事ばかりにギャアギャア目くじらを立て
    本当に重要な根本の問題からは目を逸らす。
    人権、平等をしきりに言うヤツが
    こんなロクデナシばかりなのはどういうわけだ?

    個人個人が平等で自由な世の中など、ありえない。
    世界中の社会主義、共産主義国家が倒れている史実で
    机上の空論と知っていいはずなのに
    一体どんな背景のヤツが、こういう事をガナり立てているんだか。

    見果てぬ理想に目が眩んでしまったら
    到達しない結果にたどり着こうとする過程で
    様々な弊害が出てくる事に、早く気付くべきである。

    女性が家を二の次にしたら、社会はやっていけない。
    また、男性の賃金が下がったら、家庭はやっていけない。
    少子化はその最初の兆候である。

    政府は専業主婦と、扶養家族を持つ夫の優遇をした方が
    少子化に歯止めが掛かると思う。

    “家” というのが、いかに大事か
    男女の役割りの差というのは歴然とあるが、そこに優劣などない
    という感覚が、人間社会の真の健康な在り方である。

    何にしても、その気のないヤツも動員して、全員一丸参加など
    負け戦末期の余裕のない様相も同然だろう。

    そこらへんの心理操作をフェミは実に上手くやっている。
    ただ、こいつらって、真に日本のためにはならんと私は思うがな。
    政府にこそ、もちっとこいつらの小ズルさを見習って
    国政対策を立ててもらいたいもんだ。

  • 赤ちゃんポストに幼児

    赤ちゃんポスト稼動第1日目に、3歳幼児が入れられ
    関係者は動揺している。

    このニュースを聞いた瞬間、不謹慎だが笑ってしまった。
    “赤ちゃん” ポストと言うから
    皆、赤ちゃん専用だと思い込んでいて
    赤ちゃん以外が入れられるなど、誰も想像してなかっただろ?
    いやあー、さすがドグラは一般人の予想の斜め上をいくもんだな。

    3歳児は父親の名前も言えるそうだが
    熊本市は探す事はせず、不問に処すそうだ。
    遺棄にはならないのが、ちょっと納得がいかない。

    何となく、離婚して子供を引き取ったはいいが、育てるのが困難で
    でも、あんな女 (元妻) に渡すぐらいなら・・・
    ってパターンのような気がする。

    最近気付いたが、慈恵病院だっけ?
    マリア像のレリーフが赤ちゃんポストの隣にあったけど
    あそこはカトリック系の病院なんだな?
    それで、なるほど、と思った。

    厳格なカトリックというのは、避妊も禁止されてるんだ。
    中絶じゃないぞ、避妊だぞ。 (中絶も禁止)

    熊本は切支丹の歴史があるせいか、キリスト教信者が結構多い。
    子供が4人いて、5人目を妊娠してしまい悩んでいた人がいて
    何でかと思ったら、カトリック信者で
    避妊行為も中絶も禁止されているのだそうだ。
    そりゃ、ヤらないしか手はないなあ・・・と、不憫に思った。

    カトリック系の病院が、そういう人たちのために
    赤ちゃんポストを設置するのは、ありえる。
    善意は悪意で裏切られるのが常で
    現実には信者以外の人が大いに活用しそうだが。

    それはさておき、今回の騒動で
    赤ちゃんポスト自体に衝撃を受けて
    目を向ける事を忘れていた問題が浮上した。

    とにかく赤ちゃんを助ける事に重きを置いてるようだが
    その後はどういうシステムになってるんだろう。
    養護施設みたいなものと連携しているのか?
    だったら、「3歳児を施設に送った」 って報道は何だ?

    そういや開設前に、赤ちゃんが入れらた場合は
    「いつか親が引き取りに来られるように、何かの目印?を」
    みたいな説明をやってたよな。
    という事は、養子斡旋はしないんだ?

    どういう事?
    赤ちゃんを助けて、その後どう養育するんだ?
    養子の選択肢なしに外部施設に丸投げ?

    ここが一番大事な部分じゃないか?
    正直言って、捨てた親の気持ちなど、どうでもいい。
    捨てられた赤ちゃんが幸せに生きられる事だけを考えるべき。

    「後から引き取りに来た場合」 など、考える必要があるのか?
    捨てたくせに何を言う、ひとりで苦しんどけ、と思うのは非道か?

    いまだに事情もあまり知らないくせに、あーだこーだ言ってるのだが
    ちょっと安易に捉えていたかも、と
    改めてこの問題に対して、考えさせられた。

    赤ちゃんポスト、どういうシステムなんだろう?

  • 平等という不平等

    07.4.25の 全国学力テスト 関連で
    思い出した事を書こう。

    現職教師が実際に言ってた事。

    「点数以外で評価できる科目 (美術、音楽、体育など) は
     “勉強ができない子” に、良い評価を振り分ける。」

    「全部の科目で90点を取る子より
     1科目だけ80点を取る子の評価を上にする。」

    その理由が
    「皆に “平等” に、良い評価をされる喜びを味わってほしいから。」

    ・・・・・そういうのを “不平等” って言うんじゃねえのか?

    これさ、推薦入試とか視野に入れて
    一生懸命勉強してる生徒にしたら、たまったもんじゃねえぞ。
    何、操作してんだよ!!!!! って感じ。

    何やら己の平等感に誇りを持って、そうしてたみたいだが
    これが真の平等だとしたら
    平等とは、“皆横並びしか許せない事” になる。

    突出は許さないわけだ。
    んで 「学校は勉強するだけの場所ではない」 と、言いつつ
    勉強の成果を “配慮” するんだ?

    誰にでも、頑張っても出来ない事ってある。
    子供の頃にそういう絶望感を、わざわざ教える必要はない。
    だが、現実に挫折というのは必ず襲ってくる。

    大人が子供に対して出来るのは
    そういう時に立ち直れる力を覚えさせる事ではないのか?
    そして、「価値はひとつではない」 と、教える事ではないのか?

    全員で手を繋いでゴールする徒競走は
    足の遅い生徒に対する配慮だろう。
    それが自分だ、と知った時の子供はどう思う?

    お情けで “皆と同じ” にさせてもらったなど
    ものすごく情けなくないか?
    というか、これを 「情けない」 と思わない教育をしてるのか?
    日本の教育機関は子供をどうしたいんだ?

    もし、日本の全部の人間がこういう感覚になったとする。
    何て気色の悪い国だ、とは思うが
    日本国内だけでちんたらやってるなら、それも良い。

    だが、日本は日本だけじゃやっていけないんだよ。
    今の世の中、世界を視野に入れない産業などない。
    なあなあな平等感で、世界を相手にやっていけるのか?

    人を導く職業のくせに、長いスパンで全体像を見ず
    事なかれ主義でやり過ごそうなど、言語道断!

    この問題の根底には、人権の間違った解釈がある。
    今の人権の基本は、“憐れみ” だ。
    「可哀想だから」 が見えない設定になっている。

    人権というのは、人間の権利と義務の話。
    感情を切り離して語られるべきであり
    基準の定まらない事柄に、平等を押し付ける道具ではない。

    同情心は悪い事ではない。
    だが、甘やかしは人間を腐らせる。
    保護してやって、自分は良い事をした気分になれるだろうが
    一時しのぎは、結局は相手のためにならない。

    いい加減、何でもかんでも “人権” を持ち出すのはやめにせんか?
    人権の単語で、何かのスイッチが入ったように意見を曲げる。
    ドラクエで言えばメダパニ、FFで言えばコンフュ
    まさに、混乱の呪文になってるぞ。

    人権の印籠を振りかざすヤツは、皆が等しく同じに幸せという状況が
    本当にありえると思ってはいないような気がする。
    これならこれで戦略のひとつで、まだ理解ができる。

    一番恐いのは、本気で思い込んでいるヤツ。
    自分が幸せなら、他人も “同じように” 幸せであるはずだ
    という、ものすげえ自分本位の自己愛って、やっかいだ・・・。

  • 全国学力テスト

    これの何が悪いのかがわからない。
    学力のデータを採って何が悪い?

    個人情報漏えいの可能性はあるけど
    今の世の中、それは何にでも付きまとうだろう。
    管理をちゃんとして、国として学力を把握すべきだと思う。

    反対している人の言い分を聞いて、要約すると
    「優劣をつけると、差別に繋がる」 みたいな意見が多いように思う。

    この差別ってのは、生徒側だけじゃなく
    やる気のない教師間、学校間、県単位であるのかも。
    それを公表されると 「あそこの学校は学力が低いから」 と
    入学生が来なくなるとか、そういう懸念ではないのか?

    そもそも、今の学校って何をするところなんだ?
    こっから問題発言を連発するが
    私は学校は学力別にクラスを分けるべきだと思う。

    これが差別とか言うけど、勉強が出来る生徒と出来ない生徒を
    一緒にしてたら、どっちかが犠牲になる。
    出来る子、出来ない子、教え方が同じで済むわけがない。

    その子のレベルに合った教育を受けさせるべきで
    それが無理なら進級スキップ制を導入させたらどうだ?

    日本の学力が世界と比べて落ちているのには騒ぐくせに
    個性も差別の材料にする妙な人権意識をかざして
    対策に手をこまねいて、学校は勉強する場じゃねえの?

    「学校はそれだけじゃない」 というヤツ、
    だったら、学校で何を教えているんだ?
    社会性? モラル?
    ちょっと怒ったら 「体罰」 とか騒がれて
    事なかれ主義に徹するくせに?

    今の義務教育は、単なる保育所の延長にしか見えんよ。
    私が親なら、どんな無理をしてでも子供には
    レベルのはっきりしている学校か、私立に行かせる。

    くだらん事で怒鳴り込んできたり、給食費も払わん親の子供と
    一緒にさせたら、こっちまで悪影響を受けかねないし
    ちゃんと “学問” を学んでほしいから
    住むところすら、子供の学校を考慮するね。

    もう、こっからして “差別” と言われそうな事は始まっている。
    子供の将来を考える親は、経済的に許される限り
    少しでも安全でまともな学校に子供をやりたがる。

    平等平等と言うのは、自分が迷惑を掛けているヤツらがほとんどだろ。
    迷惑を掛けられている側は、黙って身を引いてるよ。

    そして、私の経験上、勉強ができない子供は
    ほとんどの場合、親が子供の教育や子供自身に興味が薄い。
    親の姿勢は見事に子供に現れている。

    もちろんトンビがタカを産むという事もあるが
    それは、例外の範ちゅうに入るほどである。
    子供が非熱心な親以外の指導者を持てれば、
    それが教師であったら理想なんだが、今の学校じゃねえ・・・。

    学校の勉強など、実社会では何の役にも立たない、というヤツもいるが
    それは自分の人生が義務教育の学問に
    どれだけ助けられているかもわからんバカモノだろう。

    いい年こいて、算数が出来なかったり、地理を知らなかったり
    こういうのって世間話で出て、わからなかったら
    「こいつドアホ・・・?」 と、他人から内心軽蔑されるぞ。
    そういう事などを見通して子育てをしない親はドグラである。

    言っとくが、私は蔭で笑わんと
    「こういう事も知らんと、社会人として疑われるぞ。
     今からでも勉強しろよ」 と、教えてるぞ。
    私のお蔭で分数の計算が出来るようになったヤツもいるさ。
    ・・・誰か私に英語を教えてください・・・。

    学校は事なかれ事なかれであがかんと
    学問かしつけ、せめてどっちかだけでもキチンとしてもらいたい。

    この少子化の時代、存在してるだけの学校は淘汰されて当然。
    自分たちが日本の未来を担っているという自覚を持てよ!

    今回は学校側だけを責めてるが、親に関しては
    07.1.30 の 親の責任 で、きっちり責めているぞ。

    関連記事: 07.5.1 平等という不平等

  • 赤ちゃんポスト

    熊本で認可が出たなあ。

    何で “熊本” かっちゅうと、少し心当たりがある。
    熊本は、何とか会というのがあって
    (この “何とか” には地名が入るんだけど、忘れた・・・)
    孤児を育成して養子斡旋する組織が昔からあるんだ。

    軍事都市なんで、戦の孤児とかが多かったんかなと、推察するんだが
    そういう基盤があるんで、こういうシステムがをしようと
    する動きが起きやすかったのかも。

    この赤ちゃんポスト、賛成か反対か判断が付かない。
    それは、私の知らない世界があるからだ。

    ド田舎に行くと、今でも何十年も前の感覚が残っていて
    子供を間引くだの、女児はいらないだのの風習が
    現存しているところもあるらしい。

    避妊はせんのか? と、普通なら思うが
    家長絶対服従というのも残ってるそうだから
    色々と計り知れない苦労があるんだろう。

    にわかには信じがたいが、自分の知ってる世界がすべてではないので
    そういう事もあるのかも、と思うと
    この赤ちゃんポストは必要にも思えるんだ。

    あと、たとえばレイプをされて妊娠した場合
    子供に罪はないので中絶できないけど、子供を見るのは辛い
    といった場合にも、外野は非難や指導はできない。

    ただひとつだけ言えるのは、これができたからとて
    虐待や育児放棄をされる不幸な子供は減らないという事。

    言っちゃなんだが、そういうバカ親こそ
    自分の子供を愛さないくせに、手放さない傾向にある。
    逆に言えば、それで愛してるつもりなのかも。

    折檻するのは “しつけ” だし
    育児放棄は、自分優先が基本だから
    それが普通で、ちゃんと育ててるじゃん、って言うことだろう。

    パチンコに行って子供を放置するのも “たまの” 息抜きだそうだし。
    入浴や歯磨きをさせないのも、“子供が嫌がるから” だし
    すべての行為に、やつらなりの言い分があるみたいだ。

    こんな親は子供が不幸など、思いもしないだろう。
    中には手当てが出るから、と子供を食いものにしてる親もいるそうな。
    そんで、親ヅラだけは人一倍。

    こんなバカ親こそ、赤ちゃんポストを利用してもらいたいもんだが
    まず、しないだろうな。

    どっかで聞いたが、虐待認定されて施設に保護される子供たちは
    養子に出す事が難しいそうだ。

    まず、親が親権を手放さないらしい。
    理由は、虐待じゃないという言い分の他に、虐待を自覚してても
    「いつか自分の虐待癖が治った時に」 という希望を持ってて
    そのために、一番大人の愛情を独り占めしたい時期に
    子供は施設で暮らすハメになる、という。

    それともうひとつ、虐待を受けた子供は、精神的な傷が激しく
    メンタルケアを学んでない大人じゃ万全な対処ができないので
    普通の家庭には預けられないのだそうだ。

    こういう話を聞くたびに、“親の資格” を思う。
    子育てなんて、何がどう転ぶかわからんものだが
    途中で 「こんなはずじゃ・・・」 となっても
    ただひたすら親が努力するしかないんだよな。

    赤ちゃんポストを利用する人が
    どういう境遇でそうするのか、想像が付かないが
    「とりあえず赤ちゃんの命だけは救う」 と
    見切り発車したように見えて、とても危なっかしい。

    もちっと法整備をする方が先じゃないか? と思うが
    その間にも子供が死んでて、何とか会の伝統のある熊本なら
    しかたはないかな、とも感じる部分もある。

    ただ、明らかに失敗したと思ったら、速やかに改善するよう願うだけ。

  • 落し物

    川にお金が流れてたという事件で
    警察と住民が拾っていたのをTVで観ながら
    これがよその国なら、我先に拾おうと阿鼻叫喚の地獄絵図かも
    日本人って何て正直で親切なんだろう、と思っていたら
    日本で落し物として届けられたお金は、何と1年で26億円だそうだ。

    すげえな。
    まず、そんだけのお金を皆ボロボロ落とすのが凄い。
    ヘタな犯罪をするより、日本全国拾得物の旅でもした方が
    儲かるんじゃないのか?

    私はお金を拾った事があまりない。
    どっちかというと、上の方を見ながら歩くらしいせいか?
    (はたから見ると、これはとてもバカっぽいそうだ)
    しかし、面倒事を拾わなくて済むから良い。

    というのも、誰から聞いたのか忘れたけど
    財布を拾って交番に届けたら
    落とし主に 「入れといたお金が減ってる」 と
    言い掛かりを付けられたという話が印象深いからである。
    善意で届けたのに、そういう疑いをかけられるのは悲しいよな。

    普通、交番に届けるのならお金を盗ったりしないと思うんだが
    中身を抜いて届ける人もいるらしい。
    この心理がよくわからんのよな。
    財布に入ってるカード類は返してあげようという情け心か?

    カードで思い出したが、知人が財布を拾った。
    交番に届け、中身を確認すると、持ち主は若い女性だったが
    消費者金融のカードが何枚も入っていた。

    何かあった時のために、自分の連絡先は一応警官には伝えたが
    お礼もいらないので、落とし主には内緒にするよう頼んだという。

    理由を聞いたら
    「あんなにサラ金のカードを持っているヤツとは関わりたくない」
    だそうで、なるほど、と納得させられたよ。

    財布を拾っても交番に届けないというヤツは大抵
    「自分が落とした時には戻ってこなかったから」 と言う。
    だけど、悪意を悪意で返していたら、世の中悪意だらけになってしまう。

    自分の時には良い結果が出なくても、他人に何度も親切をしている内に
    1回でも、相手が 「自分も」 と思ってくれる事があったら
    それだけでちょっと世界が良くなったという事じゃないか?

    私は運転の時には、こういう気持ちで譲ったりしているが
    落し物となると、ちょっとちゅうちょしてしまう。
    そりゃ落ちている財布に気付いたら交番に届けるけど
    お金は複数ならともかくも、1枚1個だったら拾わない。

    人に聞いてみると、落ちているお金の対応の基準は
    1万円以下ならネコババする、というのが多かった。

    昔の私なら、その気持ちはよくわかったが
    最近は少額でも泥棒、という意識があるので
    交番に届けてお巡りさんに迷惑がられない金額じゃない限り
    見て見ぬフリをすると思う。

    これもすんげえ罪悪感があるんで
    頼む、少額の落し物は子供のしつけ用って設定をしてくれよー。

  • 健全

    今回の柳沢厚生相大臣の発言も、大した事じゃないよな。
    皆、深読みしすぎだろう。

    ただ、これは声を大にして言いたいが
    自分が不健全なのを自覚せえ!

    「子供いらない」「結婚したくない」「離婚したい」
    これ、すべて不健全だから!

    不健全だから、どうだというわけではないし
    それによって差別心が出てくるのは、人として既に論外だが
    こういう、社会を構成する上で必要な事をしないってのは
    充分に不健全な感覚を持っているんだよ。

    言っとくが、上の言葉は全部私そのものだ。
    だが、私は “それをしない権利” というのを主張はしない。
    「すんません、私どうも無理っすー」 と、へりくだる。

    フツーの事ができないくせに、デカいツラなんかできない。
    役に立たんのなら、せめて人様に迷惑を掛けないよう
    大人しくしとけって感覚。

    確かに、人と違う事は辛い。 すげえ不安もある。
    「変わってるね」 などと言われたら、ズーンと落ち込む。
    だけど、それはやっぱり自分に問題があるのだ。

    何でもかんでも、人と同じじゃなきゃいけないわけじゃない。
    人には個性ってもんがあるから。
    しかし、その “個性” が、健全か不健全か
    見極められるぐらいの客観性は持っていてほしい。

    どんなヤツにも自分なりの事情や言い分がある。 自由もある。
    それを履き違えて、妙な権利主張にすり返るなって事。

    柳沢発言は子供絡みの話だから、ここまで騒がれるんだろう。
    欲しくても子供ができない人たちもいるからな。
    そういう人たちは “不健全” とは言わないし
    子供ができない体の女性は “不健康” である。

    この “不健康” にも突っ込まれるだろうが
    じゃ、健康なのか?
    不健康にも様々な病気や症状があって、そのひとつだろう。
    子供を産めないという一点をやたら重要視して
    特別扱いをする方が差別じゃないのか?

    「不健康ですまん」 だけで良いんだよ。
    それをグダグダヒソヒソ言うドアホなど、自分から願い下げせえ。
    ある意味、人間性の踏み絵になるってもんさ。

    健康じゃない人が、それを自覚して
    健康管理をしていかなきゃならないように
    健全じゃない人も、それを自覚しないと周囲に迷惑を掛けかねない。
    何事も自覚なしには始まらない。

    こういう問題を議論するのは
    世の中の人権意識を確認し、守る意味で有益ではある。
    が、必要以上にヒステリックに騒がないでもらいたい。

    人権人権言いまくってる社会など、ロクなもんじゃないぞ。
    そんなに日本人には常識がないとは思えない。
    黙ってても皆、良識ある優しい心を持っていると思う。

  • 戸籍なし

    「離婚後300日以内に産まれた子供は前夫の子」
    「出産後14日以内に出生届を出さなければならない」
    これは法で決まっている事。
    女性が、離婚後半年間は再婚をできないのは
    子供ができた場合を考えたからである。

    今、日本には出生届を出してもらえず
    戸籍がないヤツが、かなりの数いるそうである。
    TVでチラッと聞いただけで、確かな事はわからないが
    2000人とか3000人とか、ギョッとする数だったぞ。

    離婚した途端、次の男性と中出しでやりまくって
    早産で300日を切ったあげくに
    「一時的にでも前夫の戸籍に我が子を入れるのは嫌」 とか
    だったら、何故その数ヶ月だけでも避妊しない?

    これ、妊娠したから結婚したんだろ?
    いずれ結婚するつもりなら、こんな無計画な事はしないよな。
    そして出来た子の戸籍を2年間放置?

    いい大人が結婚してないのに避妊をしないなど、頭も股もユルすぎる。
    妊娠を結婚の理由にするなど情けない。
    物事には順序っちゅうもんがあるんだよ!

    DV前夫に知られたくなかったので
    子供の戸籍を作らず、子供がパスポートを取れない、と騒ぐ母親。
    子供、高校生だそうだ。

    DV前夫から一生、子供ともども逃げ隠れるのか?
    子供のためを思うなら、どんな事をしても
    母親がカタを付けなきゃならんだろう。

    こいつら、親の資格があるのか?
    自分たちがしでかした事だろう。
    自分たちで責任を取れよ。
    自分たちだけで戦えよ。

    法的手続きを怠って、子供の国民としての権利をすべて放棄したんだぞ。
    社会的保護を受けられないのは当たり前だ。
    それどころか、子供は世界中のどの国にも所属させられてないんだよ!
    戸籍を軽んじるな!

    子供が出来た時点で、腹をくくって
    裁判でも起こしてさっさとどうにかするべき。

    離婚も結婚も親が解決すべき問題。
    何の関係もない子供を巻き込むんじゃない!

    あー、もう、何でこんな考えなしが多いんだろうな。
    え? ちゃんと考えて苦しんだって?
    うそつけ、悩んでただけだろう。
    “悩む” は、感情的にグジグジする事
    “考える” は、解決に向かって試行錯誤する事。
    似ているようで、まったくの別物なんだよ。
    それとも、“考え” てそれなら、脳みそが残念すぎる。
    いずれにしても、親を選べない子供が可哀想だぜ。

    何をこんなにイラ立っているかというと
    先進国で、制度もある学校もある食い物もある、一応平和な国なのに
    それは世界規模で見ると、とても幸運な事なのに
    その国民としての意識の低さは何なんだ? と、嘆かわしいんだ。

    それでなくとも、不安定なこの世界の中
    国民の国を守ろうという気持ちが情勢を左右するのに
    守ろうどころか、するべき事をせず文句をたれる。

    国に守ってもらいたければ、法に沿え。
    決められた最低限の事ぐらいはしろよ。