カテゴリー: 世情分析

  • 子供を産む機械

    これ、現実として根強くある意識だろう。

    “石女”(いしおんな)
    子供を産めない女性の事を
    産まず女 (うまずめ) と言うのだが
    (↑ この漢字は正しいかわからない)
    この “うまずめ” を変換してみたら “妬” なのだ。
    すんげえ嫌な言葉。

    他に 「3年産まずば里に返せ」 みたいな言葉とか
    女性は子供を産んで当然、という風潮は大昔からあった。

    私はこういうのでは言葉狩りをしたくない。
    過去に女性が人権を軽んじられたのがよくわかるからだ。
    偉人の歴史は書に数多く残されているが
    一般民衆の生活は、こういった言葉から学ぶしかない。

    差別的な言葉は、言ったヤツがバカ認定されるだけ。
    歴史を垣間見る一環として利用するのがマトモな人間だ。

    今回の失言騒動は、一般人男性がこの言葉を言ったら
    「だったら、今のこの社会状況で
     何不自由なく子育てできるように稼げよ」
    って言い返されるだけ。
    家庭を言い換えれば、男性は稼ぎマシンで、女性は子育てマシン
    と、平等に嫌なたとえができる。

    現在の少子化問題は、女性側だけの理由ではない。
    もちろん社会制度の問題もある。

    だから、その社会制度をどうにかせにゃならん議員が
    これをのうのうと言う頭の弱さ、これが一番の問題だと思う。

    失言など誰にでもある。(私なんか、もう・・・)
    だけど一般庶民が、社会の片隅でメチャクチャ言っても
    本人の人格が激しく疑われるだけで、社会に影響はない。
    てか、誰でも親しい間柄の中では非道な事を言う時もある。

    その調子で “ついつい” 言ったんだろうが、これはもう公私混同。
    そんな区別も出来んヤツに国政は任せられんので
    さっさと辞任辞職してくれ。
    税金で運用される国会の時間をムダにせんでくれよ。

    私が考える少子化の原因は
    情報が容易く入手できるようになり、選択肢が増えた事だと思う。

    自由と権利と知恵を手にした人間は
    簡単に世代交代をしたがらなくなったのだ。

    いくら制度が整備されても、出生率にそう違いは出ないと思う。
    結婚、出産、子育ての他にも
    “自分のため” にやる事はいっぱいある時代だから
    子供はひとり、多くてふたりで充分だろう、ってわけ。

    各先進国の出産率低下がそれを物語っている。
    文明ってのは、まさに諸刃の剣だ。

    人類は発展しながら緩やかに滅んでいく・・・
    と言うとドラマチックだが、人間ってのは
    しょせん自分の生きている範囲の事しか考えないんだろうな。

    この件について、バツ1子なしの私は
    真っ先に非難されるべき立場で、何ひとつ言い返せる言葉はない。
    子供を産まない不良品だと言われても何か納得。
    けど、ひとつだけ問いたい。

    私の遺伝子を持つ子供って可哀想じゃないか?

    だから私は経済的に許されるのなら、養子派なのだ。

  • 親の責任

    今回は叩かれ覚悟で、すげえ辛らつな決め付けを書く。

    イジメ、ニート、犯罪低年齢化
    子供関係で色んな問題が噴出してるよな。
    これ、ほとんどが親の問題だと思う。

    ロクでもねえ親に育てられた子供はロクでもねえ、って話。

    誰でも彼でも、ごく当たり前に子供を産んでいるが
    親になるための資格ってあると思う。

    では、その資格って何だ?

    すげえ貧乏で、親は破産したり、離婚したり。
    子供にまともに教育を受けさせてもあげられない。
    周囲の環境も似たようなもの。

    これだと、ほとんどの子供は似たような道を歩む。
    代々の貧困から抜け出すのは至難の業だし
    周囲も同じようなものだと、そこが居心地がいい。
    現実、多くの子供がそのまま親の跡を継ぐか
    外の世界に出ても、戻ってきてしまう。

    だが、ある娘は外に出て働き続け、普通の人と結婚し
    よその地でお金に困らない生活をしている。

    その母親は、学がない自分には勉強の事はわからなかったが
    娘がどの世界に属しても通用するように
    礼儀作法と、それをする意味を教え込んだのである。

    キレイ事に聞こえるし、特殊な例にしか思えないだろう?
    だがこれは私が見た事実。
    つまり、そんだけ現在の境遇から抜け出すのは難しいって事。
    偉人伝なんかは、ミラクルだから成り立つのだ。

    親の責任ってのは
    子供の未来に対する選択肢をどれだけ用意できるか
    そして、旅立つ力を付けさせるか、で
    それを出来るヤツが、親の資格を持つと思う。

    前記の母親は貧乏ゆえに、子供に選択肢は与えられなかったが
    変わりにモラルを身に付けさせたのだ。
    確たる倫理観は生きる自信に繋がる。
    その母親にプライドを感じて、とても尊敬させられる。

    これを安易に考えてるから
    食わせればいい、学校に行かせてるから安心
    などと、単に経済力の問題になってくるのである。

    経済力さえあれば、学校教育はラクにこなせるから
    学歴だけは立派なクズがどれだけいる事か。

    嬉々として公園派閥を作って揉めているママ連中の子供が
    学校でイジメをするようになって何の不思議がある?

    「疲れた」 とか、グチばっかりたれてる父親の子供が
    まともに就職したがらなくなるのは当然だろう。

    夫や子供の文句ばかりブツブツ言ってる母親の子供が
    結婚して子供を作るのを嫌がるようになるのは自然じゃねえ?
    家庭というものに夢がなくなるもんな。

    スーパーで、母親たちが通路で立ち話を延々としている周囲で
    子供がギャアギャア騒いで走り回り、食品に指型を付けてたりすると
    ああ、このクソガキどもが育つと、暴走族になったりするんだな
    と、ごく自然に想像できるぜ。

    子供に始終ギャアギャアと叱る親、おめえの方が迷惑。
    そのチンピラのような物言いで子供の尊敬を得られるのか?
    おめえんちのガキがまともに育ったら、その奇跡に感謝せえ。

    給食費を払わない親、おめえんちのガキは必ず
    お金のみの損得でしか物事を判断しないようになるだろうよ。
    損だと換算したら、親でさえバッサリ切り捨てるかもな。

    少子化少子化と言うが、必要なのは “まともな大人” に育つ子で
    ロクでもないヤツらが考えなしに子供をボロボロ産んでも
    社会の害にしかならない大人が増えるだけ。

    親はなくとも子は育つ、って、誘拐や変質者が多いこの時代
    周囲のまともな大人でさえ、よそんちの子供にウカツに近付けない。
    子供は実親しか見られない閉鎖的な社会になってしまってるんだよ。

    教師がビビって、当たらず触らずなのは
    バカ親どもがしつけと虐待を混同したせいだろう。

    義務の意味も解しないドグラが、権利を主張しすぎたせいで
    逆に不都合になってしまったのが、今の世の中である。

    子供は思い通りには育たないもの。
    ちゃんと気をつけてたつもりでも、悲しむべき結果になったりする。
    しかし、子は親の鑑という。
    まず親が自分を振り返るべきじゃないのか?

    そうそう、今は子供の “供” は差別用語なんだってな。
    「“子ども” と書きなさい、子どもは付属物ではないから」 だとさ。

    くだらん!

    親に力がなく、親子の上下関係が厳然としていないから
    数多くの問題が起こるんだろう。
    子供を何もわからんのに、ひとり立ちさせてどうする。

    6歳でも20歳でも、中身の伴わないヤツはガキ。
    社会性を身に付けて初めて一人前なんだよ。
    それでもなお、親は一生、子供の前を歩かなければならない。
    言葉狩りをして責任逃れしてんじゃねえよ。

    それとも何か?
    子供を所有物としか考えない親がほとんどだからってか?
    そこまできたか、嘆かわしい・・・。
    だったら、“親” の字をどうにかせえよ。
    子供には、甘え守られ教わる時期が絶対に必要なんだから。
    “供” 結構!

  • 日本車No,1!

    病院の待合室で読んだ週刊誌に
    ベンツSLとレクサスの比較記事が載っていた。

    「大衆車専用の日本車メーカーが高級車など」
    と、各国高級車メーカーは鼻で笑ったそうだ。

    ところが、いざ本体を見ると見事な出来栄え。
    各メーカー、レクサスを購入し、分解して調査した結果
    「この価格でこのグレードは、うちには不可能」 と、驚愕した。

    ただ、いかんせん、いくらTOYOTAの
    「高級車と言えど、圧迫感がないようにデザインした」
    という売り文句が付いていても、同じ1千万出すなら
    金持ちに見られたいので、圧迫感のある車を選ぶだろう。
    特に女性はよほどの国粋主義者じゃない限り、ベンツを選ぶ。
    という内容だった。

    ふざけんな!
    病院にこんな血圧の上がる雑誌を置くな、バカモノ!
    と、その本を受付に叩きつけたくなったぜ。

    大体、ベンツSLは、確か1700万したはず。
    (すまん、この記号も値段もうろ覚え)
    以前、車を選ぶ際に、ベンツの1000万のやつの内装を見た時
    「はあ? これマークⅡに劣るじゃん。」 と思ったぞ。
    だから私は、ベンツはエンブレムに500万掛かっている
    と、固く信じているのさ。

    皮シートの高級性が何なんだよ?
    そんなに皮皮言うなら、牛でも背負って運転しとけ。

    日本車の強度テストは、しょせん5~60km走行時だろ
    ベンツは200km走行での事故でも助かるんだぞ
    という話をするヤツがいるが、この省エネ時代に
    アウトバーンを200kmで走るバカなど助からんでよろしい。

    そんなに己を守りたければ、装甲車レベルの車を作ればいいのさ。
    日本車メーカーがそれをしないのは
    まず、燃費をいかに押さえるかに心血を注ぐからだと思う。

    そして、車vs車の事故の場合、自分だけではなく
    相手の車の運転手の安全までもを考えるからだと思う。
    自分だけ助かろうという非道な考えはない。

    衝突時の衝撃をどうやって分散して逃がすか? だから
    ぶつかったら車体の意外な場所まで、グチャグチャに壊れるんだと思う。

    「思う思う」 書いてるのは、これはあくまでも
    私の勝手な日本車擁護の推測で、事実は知らないからである。

    他国メーカーは必ず、日本車メーカーに追随するようになる。
    ハイブリッドでエコでロハスに傾きつつある現在
    天然資源枯渇と温暖化のヨボヨボな地球に生きる人々は
    公道をレース場だと勘違いしてるボンクラ以外は
    必要以上のエンジンのパワーなど、眼中になくなるからだ。

    私は基本、スポーツタイプのデザインが好きなんだが
    レトロなスポーツカーに乗せてもらったところ
    (すまん、メーカー車種きれいさっぱりと忘れた)
    対向車のライトが眩しくて眩しくて
    「何で皆ハイビームで走って来んの?」 と、文句をたれたところ
    今の車は車高が高いからで、ハイビームじゃない、と言われた。

    なるほど、昔のスポーツタイプ車は車高が低いもんな。
    こりゃ今時、寝そべって運転してる場合じゃねえよな。
    スポーツタイプは元々実用性に欠けるが
    益々肩身が狭くなってきたよな、と、感じた。
    時代の流れってやつだな。

    ところで、知人の軽自動車に乗せてもらったら、すんげえたまげた!
    外観は確かに軽なのに、内部は私の元愛車レビンより広い。
    そして、走行性も良い。
    坂道加速でエンジンがウォンウォン悲鳴を上げない。
    (マイレビン、どういう車だったんやら・・・)

    確かに、他の知人のクラウンだかマークⅡだかと比べたら
    (すまんパート2、何度見ても区別が付かないんだ)
    ショックの固さを多少は感じるし、カーブの安定性は劣るが
    軽なのに、この居住性と性能とは
    日本車メーカー、ここまできたか!! と、いたく感動したよ。

    今後、買うなら迷わず軽だよな。
    (すまんハットトリック、これまたメーカーも車種も覚えてねえ)

    車の見分けも付かんヤツが言っても説得力がなかろうが
    やっぱり日本車はNo.1!!!

  • メリークリスマス!!

    以前は、プレゼントプレゼント、ケーキケーキ
    パーティーパーティー、という世間の浮かれポンチぶりを
    うっとうしく思っていた私だが、最近、意味がちょっとわかった。

    クリスマスってのは、別に楽しい事ではなく
    “ひとりでいちゃいけない” と、皆が認識している日なんだな。
    プレゼントで親や恋人の愛を確認する日でもある。

    子供の頃に、幼稚園で 「サンタなんかいない!」 と、主張したら
    親が呼び出しをくらって教師に説教された
    というヤツの話を聞いて、何となくそう思った。

    私は逆に、サンタの意味をかなり大きくなるまで知らなかった。
    それは私の生まれ育った貧農の村では
    経済的にプレゼントどころじゃなかったんで
    親一同、サンタのサの字も言わなかったし
    学校もそういう事情を考慮して、行事系一切なしだったからだ。

    私は毎年プレゼントを貰っていたけど
    “新しいお洋服” とか、事典とか、名作文学集とか
    (幼稚園のガキにだぞ?
     飛び出す絵本すら 「こんなくだらない物」 と
     買ってもらえなかったんだぞ!
     あああーーー、根に持つーーーーーっっっ)
    見事にいらないツボを突いた物ばかりで
    しかも堂々と親の選択購入を全面に押し出してくれてたので
    何の夢も希望も喜びもなかったもんだ。

    そういう環境に育つと、イベントに興味が薄くなるのであろう。
    プレゼントという物に対しても、飛び出す絵本のトラウマか
    “役立つ物!”“実用品!” という、ある種殺伐とした感覚なので
    花などを送る気持ちがいまひとつ理解できないのだ。

    てか、今の時代、アレルギーとかも考慮せにゃいかんだろ。
    私も花粉症だが、スギとか貧乏臭え木ではなく
    マジに花の花粉でなる高貴な花粉症なので
    花のプレゼントは本当に困る。

    そんな枯渇している精神の持ち主な私だが
    今年のクリスマスには野望があった。

    それは “サタン・クロース”。
    現役プロレスラーが、地獄のサンタに扮して
    イヴの夜に殺戮をして回るホラー映画である。

    「ベリー苦しみます!」 とか、広告されちゃ
    これはもう観るしかねえだろー。

    これをちょっと楽しみにしてたんだが
    今はDSで手一杯で、映画を観る余裕がねえ。
    まあ、新作料金でレンタルするような内容でもないだろうから
    後々ゆっくり観るとするか。

     <クリスマスとは何の関係もない余談>

    ニンテンドーwiiがとても気になってるのだが、雑誌に
    「あのリモコンひとつ買えば、wiiが遊べると思っている
     ゲームに縁のない人々も興味を示す・・・」 と、書いてあって
    「えっっっ?
     あのリモコンが本体じゃなかったんか!」
    と、ヘビーゲーマーの私でさえ驚いたぞ。

    あのCMだったら、あのリモコンにすべてが入ってると思うよな。
    ゲーム屋にリモコンが並んでるのを見かけてたから
    「wii、すげえ余ってるじゃん。」 とかナメてたし・・・。

    調べてみたら、真の本体は
    PS3よりちょっと背が低い縦置きタイプだった。

    むむ・・・不意を衝かれたぜ。

  • 何でもイジメと呼ぶな!

    何個かイジメに関するブログを書いたが
    書いてる最中もやはり、しっくりこない。
    自分の意見ながら、何か違うんだよなあ。
    よくわからんが、どっかがズレてるような違和感がある。

    そこで、ネットで昨今のイジメ記事を調べてみた。
    ・・・いや、書く前に調べろっちゅう話だが・・・。

    これが探しにくいの何の。
    ニュース記事は、TVの報道と変わらんし
    イジメに遭ってる人の日記やブログは客観性に欠けるし
    掲示板関連はどこまで真実かわからんし。

    ああ・・・やっぱり私の手には余る事に首を突っ込んじゃったな
    と、激しく後悔するが、ひとつだけわかった事がある。

    学校内で起きている事は、2種類ある。
    イジメと犯罪である。
    この2つを一緒にするから解決しないんだよ!

    イジメイジメって、得意のお気軽名付けかよ。
    売春は援助交際、窃盗は万引き、浮浪者はホームレス、
    職が長続きしない根気なしはフリーアルバイター、
    能無しのタダ飯喰らいはニート、
    「楽しんできたい」 は負けた時の言い訳前倒し、
    「知ったこっちゃねえよ俺には関係ねえよ」 は 「遺憾」、
    「さっさと忘れてくれよ」 は 「調査中」、参戦は復興援助

    ちょっと気の利いた風刺を言ったつもりになって、調子づいたが
    この軽い言い回しの単語のせいで
    問題の根本から目がそれるんだよな。

    “イジメ” って言うから、タラタラ自分の体験談など書いてたが
    今、問題になっているのは、こんなヌルい事じゃねえだろ。
    断じて “イジメ” じゃねえよ!

    暴行、傷害、脅迫、恐喝、強盗、名誉毀損、人権侵害
    ざっと並べただけでこんだけあるぞ。

    これらの事を学校外でやったら、即逮捕なのに
    学校内でやったら “イジメ” って
    学校ってのは、治外法権の特別自治区かよ?

    どんどん犯罪として立件していくべきだ。
    もちろん未成年だから、“保護” して “施設” だろうが
    こんな犯罪者どもを普通の子供と一緒にしておくのは危険すぎる。

    教師は警察じゃないから、こんな犯罪者どもの管理指導は無理。
    学校の責めるべき部分は、隠ぺい体質にある。

    まず、世間は “イジメ” という単語を即刻やめるべきだ。
    親もイジメとして処理せず、警察に被害届けを出すべき。
    それが当たり前になれば、学校もそう対処し始める。

    この説には問題もある。
    イジメと犯罪の線引きをどうするか
    いらん補導歴を前途ある子供に付けるのか
    また、過剰な “人権” が幅を利かせるんじゃないか、など。

    大抵の問題は、常識ある人々なら難なくクリアできるが
    ほとんどの場合、事の中心は
    常識ある人々じゃないから、やっかいなんだよな。

    諸問題を改善しようとする時に
    いつも結局、常識ある人々は人権をも配慮して
    「このドグラどもをどうするよ?」 になってしまい
    解決が困難になってくる。

    これを法で縛ろうとすると、がんじがらめの社会になる。
    一部のロクデナシの所業のせいで、全員があおりを喰らって
    どんどん生き難くなっていくのが世の常か・・・。

  • イジメたヤツへ

    そもそも、イジメたヤツの事が詳しく報じられないので
    “イジメ” と “嫌い” の差が、いまだによくわからない。

    だから、的外れな事を言ってるかも知れんが
    秋田の児童殺害事件の寄せ書きとかを見ると
    この同級生たちは、今どう思っているんだろう? と、疑問に思う。

    私だったら、きっと気付いてないか、気付いた場合も
    本人に 「おめえがそんなだからイジメられるんだよ」
    みたいな、無神経な事を言うような気がする。
    そんで、今は後悔の嵐だろうな。

    集団でイジメをしてたヤツの言い分は、何となくわかる。
    学生ってのは、学校がすべてだ。
    そこで皆がやってる事を、自分だけしない、ってのは
    ほぼ不可能に等しい。

    協調しないと、自分がターゲットにされる可能性もある。
    自分の身を守るための術だろう。

    ただ、その時の自分を恥じてないヤツは許さん。
    友人知人の過去に、集団イジメの経験があると知ったら
    「それを、今どう思ってる?」 と、聞く。

    反省している部分があるのなら、話はそれで終わるが
    ないなら、私がその場でイジメちゃるわ。

    人間、バカな事をしてしまう時ってある。
    (私のように、バカな事しかしないヤツもいる。 うるせ!)

    問題は、今後真っ当に生きていく上で
    それを反省するかしないかが、とても重要だというとこだ。
    後悔していないと、また同じ事を繰り返すぞ。

    その都度その都度、言い分ってのが出てくるだろう。
    だけど、自分の言い分で被害をこうむるヤツも再び出てくる。

    過去にイジメた相手が、その一件で深く傷付き
    人生が変わってしまったかも知れんのだ。
    それを繰り返していくのか?

    嫌いだからって、当たり障りなく接する事が出来ず
    イジワルしたりイジメたりするのは、そこでもう、ド腐れ外道だし
    「皆がやってるから」 というのも、言い訳にはならない。
    皆と同じ道を選んだのは自分だからな。

    自分が何をしたのかを自覚するのと
    言い訳で 「しょうがなかった」 と正当化するのでは
    随分違うと思うぞ。

    途中でその連鎖を切らないと、いつまで経っても
    誰かを傷つける事で、自分の立場を守るしかできない。

    争いというのは、どんな時も
    レベルの低い方に引きずられがちである。

    「おめえが言えるか?」 と、突っ込まれるだろう。
    うん。 これらの叱咤は、実は自分に向けて言ってるんだ。
    私もすごく後悔している事が多い。

    私は、大抵がボーッとしてて、周囲の状況に気付かない。
    気付いても、これまたボヤーッと軽く考えてたり
    こりゃあかん、と、真面目に動けば、逆に火に油だった。

    文句がある時は、ひとりで突っかかって行ってるつもりだが
    相手が傷付いただけで、無言でスッと引いた時、
    周囲が私に賛同して、結果的にこっちが多数になった時、
    (これは、イジメではないかも知れないけど
     相手にとっては、どっちでも違いはないであろう)
    こういう場合は、どんなに自分が正しいと確信していても
    後でむちゃくちゃ後悔する。

    自分には、しょせん大した対応もできないし
    何が正しいのかもわかっていないが
    何かこういうのって、悔いが残ってしまう。

    多分、死ぬまで引きずるだろうが
    相手はもっと傷付いているだろうから、それもしょうがない事。

    自覚、後悔、反省は第一歩でしかない。
    それをすりゃ、すべて終わりってわけじゃないしな。
    同じ事を繰り返しているかも、と、すげえ恐いんだ。

    関連記事: 06.11.14 イジメ経験談?
            06.11.21 イジメた経験

  • 支払いは男性持ち?

    何で聞いたのか忘れたが、こういう話を耳にした。

    「彼女は、食事の時に会計で 『半分出しましょうか?』 と言う
     とても性格の良い子なんです。」

    これを聞いて、「はあ?」 と思った。
    『出しましょうか?』 とは、何事だ?
    我がが食った分は、我がで払うのが当たり前だろう!
    そんなん言うヒマがあったら、速やかに金を差し出せよ。
    ハナから払う気がないのが満々じゃん。

    男女平等とか叫びながら、この支払いの不平等さの慣例は何なんだ?

    この風潮のせいで、男性と飯を食いに行った時に
    いらん苦労をせにゃならんくなった。

    席を立つ時に、相手にレシートをスッと持っていかれた場合
    飯屋内での金のやり取りは、男性の面子を潰しかねんので
    レジでの金額に聞き耳を立て
    店を出た後に、「ごちそうさまでした。 これ、私の分ね。」 と
    目立たない様にさりげなく半分を渡す、という芸当を強いられる。
    ほぼすべての男性が、受け取らないが・・・。

    男尊女卑の私だから、同権を意識して割り勘とか言ってるわけじゃない。
    そりゃ、ご馳走してもらうのは嬉しい。
    だが、女性は奢ってもらうのが当然なのか?
    その図々しさがムカつくのである。

    「だって男性の方が食べる量が多いでしょ」 と言うヤツがいたが
    相手がひとりで10人前食うならともかくも
    男女の食う量にどんだけの差があるってんだよ。
    いざ自分が払うとなると、その僅かな差にグダグダぬかすんかい。

    私なんか1人前も食えないのに、残した分も当然払っているぞ。
    飯代ってのは、食った物だけに払うわけではない。
    相手との時間の共有に価値があるんじゃないんか?

    誘った側が払うべき、という意見もあるけど
    自分の意思で承諾したのなら、払うつもりで行けよ。

    ところで、割り勘の場合、お金の払い方で嫌気が差す事がある。
    例えば合計金額が9546円になる時に
    「えーと、2で割って4千7百・・・」 と
    10円1円の位まで割り切ろうとされるのはゲンナリする。
    そういうのはキッチリしてるんじゃなく、セコいだけだろ。

    そんな時は、さっさと5000円出して 「釣りはいいよ」 と言う。
    おめえと飯食って数百円余分に払っても、損した気分にはならねえよ!
    それを相手にも思ってもらいたいから
    こういうヤツとは、もう一緒に飯を食う気にはならない。

    上に書いた事は全部、同年代ぐらいの友人知人関係での話だが
    年配の男性と飯を食いに行く場合は、すげえ難しい。

    同い年の友人にも、一度怒られた事があるからだ。
    「俺が女に金を出させる男に見えるわけ?」 と。

    それ以来、支払いにすげえ悩むようになったぜ。
    割り勘どころかこっちが奢っても構わんぞ、ってザツな性格だが
    それって “可愛げがない” んかよ?

  • 宗教の存在

    それはズバリ、飴と鞭だろう。

    色んな人間が雑多に生きている世の中で
    揉め事が起きないように、法律ができた。

    だが、それは規制でしかない。
    規制には反発がつきものである。
    そこで宗教で補っているのだと思う。

    人には、心の支えが必要であり
    指針になる存在があると、生きる道もわかりやすい。
    「あの人の言う通りにしていたら間違いない」
    と、思わせる、言わば指導者がいたらラクなのだ。

    生きてくだけで、色んな悩みや苦労があるのに
    倫理でまで悩みたくねえもんな。

    そこで神様の登場である。

    元来は、生活に苦しい平民の間で宗教が広まり
    国王や君主は、それを民衆の統制に利用していたのだが
    今では自ら信仰しているほどのカリスマぶりを誇る神様。

    キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教が4大宗教で
    各々別個の神様がいるが
    これは元はひとりなんじゃないかと思う。
    教えが、すげえ似ているからである。

    もしかして、神様が各地域の人種の特性を考慮して
    代理人を配属して、信仰を広めたんじゃないかと思うのだ。
    「こいつらは頑固だから、こういう教えで
     こいつらはアホだから、こういう教えで・・・」 って。

    キリスト教は、神がナザレという土地にイエスをつかわされた
    という話だったと思うが、実は
    「あー、ユダヤ教は地域限定っぽくなっちゃったから
     あんた、ちょっと行ってやり直してー」
    とかいう会話だったりして。

    現在は交通や通信手段の発達で、交流が活発になり
    各地域の距離感が近くなってしまい
    各人種を正しく導くための宗教が
    逆に紛争のネタになってしまっている。

    世界の統一は、宗教観の統一もセットで
    「ふざけんな、そっちがこっちに合わせろよ!」 てなもんで
    古来よりある宗教の目的も、本末転倒になっている。

    そこに登場してきたのが、現代人の感覚にマッチした新興宗教。

    日本人は宗教観に大らかな人種なので、まだ平和なのだが
    それでも新興宗教が次々に生まれているようである。
    (新興宗教の定義は、1700年? 1800年? 忘れたが
     確か、“ある年代以降に設立されたもの”、だったと思う。)

    宗教観が強い諸外国も、新興宗教は盛んで
    多分、生活の変化で、昔ながらの宗教は無理が出てきたのだろう。

    新興宗教の仕組みを観察してみると、実に興味深い。
    どうやったら人心を取り込み、儲けられるか
    実に斬新なアイディアがいっぱいで、すごく勉強になる。

    宗教というのは、そもそも、いかに清く正しく生きるかの提案で
    それは一生を掛けて、地道に積み重ねるべきものだと思うが
    今の世の中、それは受け入れられないようだ。

    そこで、ひとつ何かをしたら、対価に何かを得られるという、
    結果が早く、目に見える形の報酬システムになってきた。

    たとえば人を勧誘すると、“魂の格” みたいなのがひとつ上がる
    その宗教団体の試験に合格すると、クラスがひとつ上がる
    (マルチの、シルバー会員がゴールド会員にランクアップ、みたいな)
    など、人の名誉欲に付け込んだ、実に上手い方法なのだ。

    これは、商売として見ると、とても優れていると思うぞ。
    宗教団体の幹部って、凄い商才だと感心させられる。

    私の父は、元バリバリの共産主義で科学信奉者だったが
    「宗教が必要な人もいるのだから
     それを否定してはいけない。」 と、言っていた。

    それは一見、正論のようだが、今の宗教のトラブルを考えると
    団体に所属する必要は、まったくないんじゃないかと思える。

    人間、徒党を組むと、必ず一部が腐れるようだ。
    その腐れた部分は、えれえなパワーで全体を引っ張り
    世の中、汚いものの方が強いんだな、と、つくづく絶望する。

    人体がある程度成長すると、細胞死にまくりで老化するように
    人類も腐敗が進む終末期に入っているのかも知れない。

    その中での宗教の存在は、もはやガン細胞にしか思えないが
    それでも宗教が必要な人っているのだろうな。

  • 子供の安全

    兵庫だっけ?
    女性看護士が子供に危害を加えたよな。
    この事件を見て
    「ああああああ、女性だからって、ウカツに
     よそんちの子供に近づけなくなったあああああ」
    と、ガックリきた。

    いや、私の場合は、まず子供に近付く事はないんだが
    もしも子供が道端で泣いてたら、どうすりゃいいんだ?
    幼児がひとりでいる場合も
    危なくてしょうがないから、見過ごせんだろ。

    それで心配して声を掛けたら、こっちが変質者扱いをされかねん。
    これじゃ地域で子供を守るのも難しくねえかあ?

    てか、こんな時代に、子供を放置するなんて
    ありえん! と、思うんだが、これが結構いるんだよな
    ひとりでフラフラしているガキ。

    おいおい、大丈夫か? と、気になるが
    どうしても声は掛けられない。

    すまん、すげえ暴言だとわかってはいるが本音を書く。

    こんだけ子供が被害者になる事件が続発しているのに
    それでも子供から目を離すような親は、絶対にドグラだと思う。

     子供がひとりでいる
       ↓
     「どうしたの? お母さんはどこ?」 と、声を掛ける
       ↓
     そこにお母さん登場
       ↓
     「うちの子に何をするの!!!」 と、いきなり不審者扱い
       ↓
     警備員とか呼ばれて、子供から目を離した事実は棚に上げ
     ヒステリックに被害者ヅラされて大騒ぎをされる
       ↓
     とても面倒くさい状況に陥る

    こういう流れを想像して、それだけで恐怖。
    (人に言われる前に自分で言っておく。 「妄想おつ!」)

    だって、電車の中で子供の迷惑行為を放置して
    人に白い目で見られる母親って
    「ほら、おじさんが睨んでいるからやめなさい」 だもん。

    この話ってよく聞くので、都市伝説のたぐいかと思ってたら
    本当に目撃して、すんげえ驚いた記憶がある。
    という事は、それだけこういう親が多いって事じゃん。

    ・・・とはいえ、活発な子供から
    一瞬たりとも目を離さないのは、至難の業だと思う。

    チョロチョロする幼児って、まるで小うるせえ座敷犬のようで
    見ているだけで、グッタリ疲れる。

    公園でのお母さんなんか、遊ばせに来ているのだから
    捕まえておくわけにもいかず、後ろを小走りで追いかけていて
    子供は、ノッキング起こしている車のように、カックンカックンで
    3歩進んで2歩下がるような変則的な動きで
    しかも2mごとにコケかけて、お母さんが慌てて支えて・・・
    の繰り返しで、うわ、何かおおごと・・・、という感じ。

    こんな調子の子供なら、すぐどっかに紛れ込むって。
    ほんと、母親ひとりでの無事故な子育ては難しいと思う。

    ようするに、一部のドグラな親と変質者のせいで
    地域ぐるみの子育てが困難になっているんだよな。
    この悪循環、どうにかならんかなあ。

    うーん・・・・・
    読み返してみると、私がやたら子供好きの良い人に思えるが
    実際はその逆で、子供は苦手な悪党さ。

    でも、子供は大人の前身で、社会の宝なので
    好き嫌い関係なしに、健全に守り育てていかなきゃと思うんだ。

  • ジダンとマテラッティ

    タバコや車と同じ名前だな、が、第一印象。
    ・・・・・ジタンとマセラッティ・・・・・。

    サッカーに興味のない私は、今回の頭突き事件で
    このふたりの名前を知り、本当にこう呼ぶと思ってた。
    (実際はジダンとマテラッティでいいんだよな?)

    あっ、ロナウジーニャは知ってるぞ。
    ゴリエの番組で物真似されてるじゃん。
    「本人を知らんが、この物真似はひどい」 と、同情していたが
    ニュースで試合中の本人を見たら
    物真似の方が、まだマシだった・・・・・。
    (ロナウジーニャ、CMにも出てたんだな。
     同一人物とは気付かなかったぐらい、修正しまくりだろ)

    頭突き事件、私ならこう裁く! の巻ーーーーー。

    まず、ジダンには処分を下す。
    何があろうと、手を出したら負け、という伝統に従う。

    ただ、ボランティアに熱心なこいつが
    あっちこっちの試合で暴行しまくってるのは
    出身国のせいでの差別が原因だろうから、情状酌量は入れる。

    でも、おめえ、暴れれば暴れるほど
    「やっぱ○○人は・・・」 って思われるぞ。
    頭は突き以外にも使い道があるだろう。
    (私にだけは言われたくねえだろうが)

    マテラッティは処分なし。
    どうせ本当の事は言わないだろうし
    私のように、自分の言った事を
    言った端から、マジで忘れるヤツかも知れん。

    それどころか、平気でウソを付くヤツの可能性もある。
    以前、日本人女性観光客6人をレイプした
    イタリア人男性カバキが、TVに出てて無実の主張をしていた。

    「ワタシ、ヤッテマセーン。
     日本女性ハ、手ヲ握ルダケデ妊娠スルト知ッテイマース」

    これを真面目に言いやがったのを見た時には驚愕したぜ。
    よくもここまでズサンな嘘をのうのうと付けるもんだ。

    本気で思ってた? んなわけあるかい!
    だったら、保健体育でいいから、一からやり直せ!

    私のイタリア男性への嫌悪感は
    カバキとジローラモで、ゲージ満タンだぜ。

    サッカーでは、人種差別的発言や身内への暴言など
    相手選手への侮辱は、「普通にある事」 だと
    今回、どっかのサッカー選手が言っていた。

    これを聞いて、サッカーをするヤツに偏見を持ったぜ。
    心理戦という見方をするヤツがいるが
    それは野球の場合で言えば、キャッチャーがバッターに
    「次はカーブで行こうかなーーー?」
    「そういや、おまえ、この前浮気がバレたって?」
    とか、せいぜいが気を散らせるような範囲だろ。

    侮辱などは言語道断!
    一体どういうチンピラ揃いだよ、と、思ったぞ。

    よって、マセラッティはお咎めなしにするが
    今後、侮辱的な言葉を発した選手は
    国際試合は一切禁止、というルールを作る。

    もし日本選手が海外試合で、相手選手を 「ニ○ー」 とか
    罵って勝ち進んで、世界一になっても嬉しくねえだろ。
    それどころか、おまえら日本に帰ってくるな! と思うよな。

    国の恥は、国内に閉じ込めとけ、ってルールだ。

    「おまえのかあちゃん、売春婦」 とか
    「ユア マザー フ○ッカー」 とか
    外国人がよく言うセリフで、言われた方は激怒する。

    ラッパーのバトルでも、この手の言葉がよく出てくる。
    「おまえのかあちゃんの歩いた跡には井戸が湧く。
     砂漠を歩かせろ。 (つまりデブという意味)」 とか
    やたら、母親に関する罵倒が多い。

    ロリ大国の日本人が
    「おまえのかあちゃんとヤった」 とか、あおられても
    「そりゃ不憫なこって・・・」 と、逆に同情するし
    「おまえのかあちゃんが寝返りをうったから地震が起きた」
    なんて、「ナイスギャグ!」 と、褒め称えたいよな。 

    これは別に母親に対する想いが少ないわけではない。
    日本人は着火地点が違うだけなのだ。

    元々日本人は、かなり寛容である。
    NGワードはあるにはあるが、他人種に比べると非常に少ない。

    あいまいな言い回しを得意とする民族なので
    あまりにも直球な罵倒は、言葉自体の意味を追求しない。
    「何かものすごく怒っている」 と、判断する。

    逆に、回りくどく言いにくそうに言われると
    言葉の意味を考える作業に入る。

    そして、ほとんどの日本人には、譲れないものがあまりない。
    たとえば宗教で考えると、神様は八百万いるし
    古来より、神道と仏教の2本立てで疑問を感じないし
    それプラス、クリスマスまで祝う。

    映画でよく 「オーマイガッ」 というセリフが出てくるが
    日本人は 「なんてこったい!」 程度の意味にしか取ってない。

    しかしこれは 「ああ、神様・・・」 という、すがる言葉。
    キリスト教信仰者にとっては、神に救いを求める
    祈りの気持ちを込めた言葉なのである。

    キリスト教じゃない日本人が海外に行って
    どうでもいい場面で言ったら、ものすごく怒りを買うそうな。

    だから、今回の “侮辱的な言葉” は
    多くの日本人には、真の理解はできないんじゃないかなあ。