カテゴリー: 世情分析

  • 「楽しみたい」 と言う代表選手

    いつの頃からか、オリンピック代表選手とかが
    意気込みを聞かれて 「楽しんできたい」 と
    いったような事を言うようになった。

    選手は楽しむな、とは言わん。
    だが、何でそれをわざわざ言う?

    おめえら国内で戦いまくって、勝ち上がり
    夢破れて泣いている何千人もの代表として
    世界大会に出場するんだろ?

    そういう想いを背負っているのに
    “楽しむ” とかいう表現は無神経じゃねえのか?

    「リラックスして力を出したい」 という意味なら
    言葉足らず、ってか、表現ミス。
    ヘンな比喩などせずに、最初からちゃんとそう言え。

    ガツガツ必死なのが格好悪いって感覚で
    余裕を見せようとしているのなら

     そんなんだから世界で勝てねえんだよ!

    オリンピックや世界大会で、本当に楽しいのはただ一瞬。
    優勝した時だけだ。

    優勝確実と言われている選手でも
    実際に優勝を手にするまで
    どんだけプレッシャーに怯えている事やら。

    それを、表彰台にも上れんヤツが
    行く前から 「楽しみたい」 など
    どうせ勝てないだろう、という言い訳にしか聞こえん。

    じゃ、行くな! 単なる頭数揃えだ。
    どうせ行くのなら、必死こいてあがいてこい!

    ガクガク震えながら、それで精一杯やって
    大負けして、泣き喚きながら帰ってきても
    そんなんで誰も、格好悪いとか情けないとか思わんよ。

    ボロ負けして帰ってきて 「楽しめた」 とか言うから
    皆、ガックリくるんだぞ。

    日本代表になるぐらいなんだから
    普段の努力も涙も、真面目にやってる事も、見ずともわかる。
    普通の人の何倍も大変なんだろうな
    命かけてやってるんだろうな、って思う。

    そんだけで充分、格好いいんだよ。

    苦労話満載のお涙ちょうだいも、うっとうしいが
    最近やたらCOOLぶったり、ビッグマウスだったり
    日本の代表にしたくねえ好感度の低いヤツばかりだ。
    それで弱いときたら、もう踏んだり蹴ったりだぜ。

    普段死に物狂いでやって、代表の座を勝ち取って
    世界の晴れ舞台で、自分の力を全部出し切りたいのなら
    そこでも普段通り、なりふり構わずやった方が
    いつもの自分が出るんじゃねえ?

    妙に虚勢を張って、いらん事に気を回すから
    普段以下の結果しか出せないんだろう。

    「努力? 別にー?」 って
    天才ぶりたいんなら、優勝してからやれ。
    (いくら強くても、何様すぎると嫌われるだろうが)

    “ハングリー精神” ってのは
    「これに負けたら、生活ができない」 ではない。

    完璧に思えても、まだ努力できる部分はないか?
    まだ自分に足りない部分はないか?
    まだ改善できる事はないか?

    いくら食っても満足しない飢餓感のように
    自分を疑って、追い詰めて、精進しようとする精神だ。

    日本が食うに困らない豊かな国になったおかげで
    空腹感がなくなってしまったからじゃない。

    おごり高ぶってしまったからだよ!
    「楽しみたい」 という表現が、そのいい証しだね。

    スポーツってのは人格は鍛えられんのだな、と、思ってしまうぜ。

  • オタクとマニアの違い

    オタクも海外にまで認知されてる昨今
    どうも国内では、いまだ蔑称として使われてる雰囲気である。
    マニアってのは、そう悪い意味で呼ばれてはいないと思うんだが
    このふたつの意味の違いを考察してみた。

    ちなみに私は広く浅くと、全方位カバーのレーダー所持なので
    マニアでもオタクでもない。
    単に、気が散りやすい落ち着かないアホウってだけだが
    どだ? 物は言い様だろ? ふふん

    ここでは世の人々には “オタク” が蔑称として使われる
    と、根拠なく断定している。
    実際はそうでもないのかも知れんが
    “オタク” がNGワードになってるネトゲもあったので
    これはあながち間違いでもないと思うんだよな。

    オタクもマニアも、基本は “ひとつの分野に熱中する人” 。
    では、その分野とやらによって呼称が変わるのか?
    これはちょっと違う印象がある。

    何故かというと、ガンオタとガンマニア
    鉄オタと鉄道マニア、ミリオタとミリタリーマニア、といったように
    各分野にそれぞれオタクとマニアがいるからである。

    分野じゃないのなら、“中の人” であろう。
    (中の人、というのは、ネトゲなどでよく使われる言葉で
     ゲームのキャラを操作する本人を指す)

    もう、こっからは毎度の私お得意の独断と偏見になるが
    ひとつの事にだけ反応するヤツというのがいる。
    「こいつ、話しててもつまらんが、○○の話題になると
     急にイキイキ喰いついてくるよなあ」 ってヤツ。
    これがずばりオタクの真髄じゃないかと思っている。

    つまり、自分の好みの分野以外では
    他人と上手くコミュニケーションが取れないヤツ。
    もっときつく言えば、自分の殻に閉じこもっているヤツ。

    小中学生の頃には、流行っているTV番組を観ないと
    クラスに溶け込めない、みたいな感覚があるが
    人と付き合うには、共通の話題が多いほど有効である。

    オタクは趣味の分野だけに熱心で
    人付き合いをスムースにこなせないので
    一般人に敬遠されるのではないだろうか。
    一般人にとっては、オタク=付き合ってつまらんヤツ である。
    ここにオタクとマニアの呼称の分かれ目があるとみた。

    こう結論付けると、秋葉原に集う大勢の人々に疑問が出てくる。
    アキバ系=オタク になっているが
    あいつらの多くは、通常は普通の人間で
    秋葉原に行く時だけ、オタクのキャラをまとっているんじゃないのか?
    世の中にあんなに多くのコミュニケーション不能のヤツが
    生息しているとは思えないのだが、甘いか?

    オタクを装う理由としては
    マニアよりオタクの方が、趣味分野での結びつきが深くなるから
    と推理しているんだが、ここんとこは自信がない。

    今や A-BOY という別名があるように
    アキバ系オタクは、それ自体がひとつのキャラになっていると感じる。

    アホ外国人が、マニアでとめときゃいいのに
    「オタクモエー」 とか、いまいち成り切れん
    (見た目は格好良いのに、あえて貶す) アキバ系に
    チャレンジしているのを見ると
    ある意味、ステータスになってる気もするので
    休日オタク族がいても不思議ではない。

    いずれにしても、既存品の改良に力を発揮してきた日本人が
    自ら生み出した貴重な文化のひとつなので
    私的には温かい目で見守りたいが
    それは私に関係がない遠くで展開してる事が大前提である。
    マニアすら、身内とかにいたら迷惑だぜ。

    うーん・・・こうやって書いてみると、別に大した説でもなく
    今まで散々言われてきて、皆納得している内容だよなあ。
    これじゃあ、わざわざ書く意味もなかったが
    ビチビチ入力するのに掛かった時間が惜しいので消さん。

    ・・・・・これも毎度毎度のワンパターンな結末で
    オノレの歴史が激しく繰り返されてて、ちと悲しいぜ。

    でも、考えなしに喋るヤツが、考えなしに書くのも無理はねえよな。
    すげえ自分らしくてオッケーだろ。 (物は言い様パート2)

  • WBC

    アメリカで開催された野球大会の事だ。
    私が応援しなかったから、日本は優勝できた。
    おめでとう!!!!!

    準決勝で敗退した韓国が、自国のニュースで
    「日本は漁夫の利で優勝した」 だの
    「幸運にも優勝した日本」 だの言ってるのを見て
    ほんに見苦しい、と思っていたんだが、韓国野球界が
    「日本は韓国に2敗したのに優勝した。
     これでは日本も納得できないだろうから、秋に再戦しよう。
     気候の問題がないように、ドームのある日本で。」
    と、言い出した時には、呆れる以外にどうせえと?

    今回の大会は、ベスト4をリーグ戦によって決め
    その4強でトーナメントをして、優勝を決めるというルール。

    つまり、リーグ戦で全勝する必要はない。
    極端に言えば、リーグ戦は、ベスト4に残る事が目的で
    何勝しようが意味はないのである。

    この大会のルールを把握して参加してたんじゃねえのか?
    日本、絶対にこの申し出を受けるなよ。
    いくら 「日韓友好」 とか、付け加えたとしても
    “再戦” と言ってるんだから、受けたら
    開催国、参加国、WBC関係者全員に失礼だぞ。

    そもそも 「恨みを晴らす」 とかいう感覚でスポーツをするべきではない。
    球場にも、竹島問題の垂れ幕を張ってたアホウがいたが
    いくら国交に問題があっても、スポーツの世界に
    それを持ち込むのはタブー、まともな人間のする事ではない。

    ましてや、負けた後に文句を言うなど愚の骨頂。
    どんなスポーツでも、たとえ何連勝していても
    次も必ず勝てる保証はないし、負ける覚悟も背負ってやっている。

    人は悪い時に本当の人格が出ると言うが
    反省のないヤツに進歩はない。
    すべて自分以外のせいにする相手と試合をしても
    勝っても負けても、不快感しか残らないだろう。

    こんなんなら、スポーツの価値はない。
    そんなヤツらは相手にしないでほしい。

    昔、テニスの天才だが、審判によく抗議するマッケンローを評して
    ある選手 (誰か忘れた) が言っていた。

    「我々はテニスの世界トッププレイヤーである。
     その我々の目と、審判の目では
     当然、速球を瞬時に追える我々の目が、より正確である。
     マッケンローの気持ちはわかる。
     多分、彼の見た球筋の方が正しい。
     だが、それでもほとんどのプレイヤーは、審判のコールに従う。」

    北の湖という横綱が、故貴乃花と対戦した。
    土俵の中で両者は抱き合い、貴乃花が背中から倒れた。
    そのまま倒れれば、北の湖の勝ちである。

    だが、北の湖はとっさに右手を突いて
    まともに倒れるのを避けた。
    行司は故貴乃花に軍配をあげた。

    そこで物言いがついた。
    話し合いの末、出た結論は北の湖の勝ち。

    あのまま倒れていれば、小柄な故貴乃花は
    重量級の北の湖の下敷きになって、大怪我をしたであろう。
    それをとっさにかばった北の湖の行為は、試合放棄ではない。
    故貴乃花はすでに死に体だったので、北の湖の勝利に問題はない。
    これが理由であった。
    北の湖は優勝した。

    スポーツの世界は、勝ちがすべてである。
    だが、その中に確かに、立派な勝ち、立派な負け、というのが存在する。
    これこそが、スポーツをやる意味である。

    審判がどうの、気候がどうの、そういう環境も運も
    すべて含めてが、“実力” 。
    スポーツとは、そんな潔さを持ち、挑むものなのだ。

  • 大根の大ちゃん

    兵庫の道端に生えた大根が民衆にウケて
    それが抜かれて大騒ぎになって
    ビビった犯人が抜いた大根を放置して
    それを役場が回収して、救命作業をしているそうな。

    その特集をTVでやってて
    役場では結構、深刻にアタフタしてるんだが
    何となくアホくせえ臭いもするんで、詳細は省く。

    ただ、一箇所、大爆笑させてもらった。
    役場の大ちゃん担当の人が呼んだ “大根の専門家”
    大ちゃんを見るなり

    「ああ、こりゃもう食えませんなあ」

    あははははははははは
    役場が必死こいて世話しとるのは
    食うつもりじゃねえっつうの!!!
    きっとこの人は大根栽培業なんだろうな。

    役場はさっさと、どこぞの研究機関に依頼して
    大ちゃんのクローンを作ってもらうんだとさ。

    役場のこうした動きに
    「そういう金があるなら他に使え!」
    と、怒るヤツもいるが、これはイメージ戦略なのだ。
    なあんか方向性が違って、それが市民の神経を逆なでするよな。

    ちなみに、この根性大根
    どこぞの寺の敷地内にも生えて、そこの坊さんが
    「お布施が増えました」 と、素直に喜んどった。
    すげえでけえ寺だった。

    貧乏人、大根をこっそり植えろーーー!

    そういや、私が小学校5年生の時
    学校の花壇に見事なヒマワリが咲いた。
    パンジーやサルビアの中に1本だけ。

    何の疑問も持たず、その大輪のヒマワリを眺めていたが
    ある日、担任が朝のHRで、あのヒマワリがどこから来たのか
    大問題になっていると言う。
    おまえたち、何か知らないか、と。

    そう言われて、よく考えてみたら
    理科の時間に実験に使ったヒマワリの種を
    ピーンと指ではじいて、外に捨てた記憶があった。
    ヒマワリが咲いているのは、まさに理科室の前。

    「あ、私かも」 と、それを告白すると、ものすんげえ怒られた。
    職員会議で先生たちが、えれえ頭を悩ませていたんだとさ。

    ヒマワリを持って還れと命令され
    掘り起こして抱えて帰宅しながら (これがデカくて重いんだ)
    こんな事で悩むなんて、先生たちもアホじゃねえか?
    と、思ったものだ。

    もいっちょ思ったのが、授業の一環でヒマワリの栽培があって
    「枯れたら落第だぞ!」 と、教師に怒鳴られ、毎日毎日世話をし
    観察日記を付けさせられて、すげえ面倒な思いをしたのに
    ヒマワリ、何もしなくても咲くじゃん! だった。

    植物に対する愛もへったくれもあったもんじゃない話だ。

  • 何が一番大事?

    討論番組のテーマに最後のいちゃもん付け。
    「お金が一番か?」

    ・・・・・・ケンカ売っとんのか、こらあ!!
    視聴者をナメた質問ばっかりするんじゃねえ!!!

    会場の答が 「お金が一番」 には驚いた。
    いやあ、びっくり。
    目的を達成するための道具にこんだけ支持が集まるとは
    欲深いというのか、幸せというか。

    では、私の答
    「いいえ」
    ノー! ノン! ネイン! ニェート! 

    何で “お金” と “愛” が対にくるんか
    「お金じゃない」 と言うヤツは皆、「愛が一番」 って、笑止。
    他にもっと大事なものがあるんだよ!

    それは 健 康 

    健康な体を持っていれば、働いてお金を稼げる。
    健康な精神を持っていれば、人を慈しみ愛せて
    よって、人からも愛される。

    他に何が足りないんだよ、充分じゃねえか。
    健康なだけじゃ稼げないレベルの金額が欲しいんか?
    それ自体、精神が不健康。 欲深すぎるぜ。

    もし、大富豪だったとしても
    入院手術を繰り返す生活でも幸せか?
    リストカットがやめられないとか
    他人が恐くてひきこもる生活で幸せか?

    愛する人と一緒でも、飯が食えん寝る場所もない生活で幸せか?
    周囲の愛情に支えられても寝たきりの人生で幸せか?

    極論に思えるだろうが
    一番以外のものは持ってる前提で答えてるだろ。
    すべてを生み出すのが健康なんだよ。
    普通に暮らしたいのに、何も欲張ってもいないのに
    病気で苦しんでいる人がどんだけいることやら。
    これを一番に考えんのは、それだけで幸せな人生だと気付け。

    と、キシャーキシャー叫んでみたが
    多分、皆、生活に対する不安が大きいんだろうな。
    それは、よおーーーーーくわかる!
    私だってビンボーでビンボーで、老後はどうなるやら。
    けど、それよりも不安なのが健康に対してで
    これらの重要度の違いは、今までの人生によるんだろうな。

    私がそんなに大病をしたかというと、そこまではない。
    幼い頃から、どちらかといえば病弱で
    要所要所でチマチマした病気をしているだけ。

    だけど、そんなせせこましい体調不良でも
    人生観を変えるほどの威力を持ってたので
    私程度でこれだから、大病を患ってる人は
    どれだけ苦しいんだろう
    健康、あなどれん! と、ビビっているのである。

    注: 「病気の人は全員不幸か?」 と、突っ込まれそうだが
        その人が健康な時よりは、そりゃ不幸だろう。
        その人が持つべき幸せが、病気によって目減りしている
        という意味で、病人を哀れんでいるわけではない。

    この問いに関しては、「愛」 と答えようが
    「お金」 と答えようが、どれも間違いではないと思う。
    ただ、あの番組で 「お金」 と答えたヤツの多くは
    欲深いだけとか、人を信用できないとかいう印象を受けたので
    賛同はし難い。

    「愛」 と答えたヤツは、単なる夢の国の住人に見えたぞ。
    愛はもちろん大事だが、それも自分のありよう次第だろ。
    愛とは欲しがるものじゃなく、他人を大事にしていれば
    自然に発生するものだと思うんだが
    私が能天気なだけなんだろうか?

    でも、どうも愛に関しても欲深いヤツが多い気がするなあ。
    何に関しても、望みすぎるとロクな事にならんのは経験済みだ。

    「お金が一番大事?」 なんて質問はありえん。
    その他の事を全部なし前提だったら、ほぼ全員がNOだろ。
    命、いらねえのか? ってなw

    見て損をさせられた気分になる番組を作るな!!

  • 学歴

    くだんの番組のテーマで
    「学歴は必要か?」 という問いもあった。
    東大卒作家とかが暴言を吐きまくっていて、嫌われまくっていた。

    私に問われたら答える。
    「学歴は必要」 と。

    多くの人が、一流大学に入った事が勝利だと勘違いしている。
    確かに勝利である。
    が、それは何試合もある中の一勝利に過ぎず
    人生の勝利ではない。

    学生の義務は勉強で、それを頑張った成果が学歴である。
    企業はその真面目さを買って、自社に入れるんであって
    仕事でも同じように頑張ってくれるだろう、という目安なのだ。

    「教科書に載ってる事って社会に出たら意味がない」
    とは、よく聞く言葉だが、これも違う。
    若い時に、脳みそを鍛え、一般教養を身に付け
    与えられた事をこなすという性質を養うのだ。
    それが義務教育の意味。

    学歴は、「一生懸命頑張りますよ」 という
    付加価値が自分に付くんであって
    頑張ればちゃんと認められる証拠。
    受験のためだけに勉強させられてるんではない。

    問題は、一流大学に入ったら目的達成をしたという勘違い。
    次は大学で自分が何をしなければならないのか
    会社で何を求められているか
    自分の環境によって、次々に目的を変えて
    頑張り続けるという持続性がないと、意味がない。
    学歴だけでは世の中は渡っていけないという現実は
    こういう仕組みになっているからだ。
    つまり、一生、頑張り続けろってこと。

    では、学歴が直接関係ない仕事につきたい場合
    それでも学歴は必要か?
    その都度その都度、頑張ったら、それは自分の力になるから
    結果として学歴をつけられる状況はついてくる。
    進学するかどうかは、家庭環境にあるだろうが
    寄り道できるなら、進学した方がいい。
    どうせ人生、一生勉強なんだ。
    それがメインにできる学生時代に、それをせんともったいねえ。

    学歴がない人は?
    学歴という付加価値に代わる武器を身につければいい。
    逆に言えば、高学歴しかないヤツより、遥かにいい。
    ヘタに高学歴になったアホウは、それを葵の御紋のように
    使いまくって、己の品格を軽蔑されるもんだ。

    家庭の事情とか、自分の学力以外の要因で
    学歴をつけられない場合も同じ。
    マシンガンにするか、アサルトライフルにするかの違いだ。
    一見、マシンガンの方が万能に思えるが
    マシンガンの本来の用途は支援的役目で
    なのに敵からは、一番に標的にされる。
    状況によって武器も選ばんと使えんってことだ。

    そもそもが、「学歴なんていらない」 とか
    「学歴だけじゃない」 とか
    そういう言葉を言う気持ちがわからん。

    学歴社会や高学歴天狗に対して言う事が多いだろうが
    学歴社会は日本の一部で、全部ではないし
    学歴を鼻にかけてるヤツにそれを言って何の効果があるんだ?
    そいつは、それを言いたくなるほどヤなヤツなんだろ?
    わざわざ自分が改心させてあげる必要はないし
    聞く耳を持ってるのなら、ヤなヤツになんかなってない。
    そんなアホをまともに相手にする
    自分の信念の揺らぎを恥じれ。

    そんなヤツのお世話より、その言葉が
    頑張ろうとしてるヤツのやる気を失くすかも知れんから
    売り言葉に買い言葉でも言うべきじゃないな。

    うーん、書いてて思ったが、私の正確な答は
    「学歴は必要」 じゃなく、「学歴は大事」 だな。
    あの番組の問いには沿ってない答になる。
    ヘンな質問をするから極論しか出ねえんだよ!

    しかし、こういう説明は、親や教師がするべきであって
    こんなバカな議論が出る世の中なのが悲しい。

  • いじめ

    TVで討論番組をやっていた。
    お題は 「いじめる側といじめられる側、どっちが悪い?」
    結果は 「いじめる側が悪い」 が、6:4ぐらいで多かった。

    「いじめられる側が悪い」 というヤツの言い分は
    「いじめられる側にも原因がある」
    「いじめられる側は反抗できずに弱いから」

    途中、元教師で、今はいじめ相談所に勤めている女性が出て
    いじめられた体験を話す子に
    「みんな辛かったね。 何もできなかった自分が悔しい。
     いじめた子に代わって謝るしかできない。
     ごめんなさいね。」
    と、芝居がかったヒューマニズムをふりまき
    さすがに会場は冷えまくっていた。

    番組の最後は、いじめに遭って自殺した子の親の
    インタビューを流し、会場号泣で終わり。

    最初から最後までイライラさせられた番組だった。

    「どっちが悪い?」 はああああああああああああ?
    いじめる側が悪いに決まってるだろうよ。
    いじめられる側に原因があっても
    それを解決するには、何通りも方法があるのに
    いじめという方法を取る自体で、既に悪い。

    この番組はいじめをどうにかしたくはないのか?
    こんなお題で何か進展するのか?
    番組の意図するとこがよくわからん。
    単に不幸話を羅列して、傷の舐めあいをしようってか?

    いじめは何も学校内だけではない。
    会社でも近所付き合いでも社会全体でも
    人が複数いるところには必ずある。
    学校でいじめられてたヤツが、卒業すれば終わりじゃねえんだよ。
    いじめられる度に、泣き寝入りしてやり過ごすのか?

    いじめをどうにかしたいのなら
    被害者には被害者の戦い方があるというのを教えてあげるべきだ。
    被害者ヅラってのも、戦うには武器にはなるが
    それだけで乗り切れるものではない。

    いじめられた子は、涙するほど可哀想で
    厳しい事など言えなくなってしまうが
    その子の人生で、いじめが起きる可能性は永遠に続く。
    本当にその子の心安らかな人生を望むのなら
    慰めるだけでなく、知恵をつけさせてあげるべきだ。

    番組に出てきたいじめ相談所の女性を見てると
    その時の心の傷は癒せるかもしれんが
    また起きるかもしれんいじめの対策には
    役立っていなさそうに思える。
    一緒に泣くだけでは何の解決にもならんわ。

    では、その解決法とは?
    それは状況によって違う。
    ケースによって、公的機関に訴えるのがいいのか
    本人だけで戦うのがいいのか変わってくるからで
    まさにケースバイケースである。

    ただ、ひとつだけ言えるのは
    「そこが世界のすべてではない」
    いじめる側もいじめられる側も、狭いコミュニティに
    どっぷり浸かっているので、そういう衝突が起きる。

    いじめなんて、ほんとーーーーーーにくだらん。
    くだらんのに、やり口がどんどん陰湿化しているのは
    いじめる側に妙な知恵がついてきてるからだ。
    いじめられる側も進化しないと、太刀打ちできない。
    「告げ口すると、もっとひどくやられる」 ってのは
    後手後手に回ってるから。
    すべてを巻き込んで自爆したるぐらい、腹をくくれ。
    嵐と違って、通り過ぎてはくれんものには
    ぶつかるしかないだろう。

    いじめに対しての私のスタンスはこれだ。
    これができないからこそ、いじめられるんだ、という
    話もあるが、私もいじめられた経験はある。
    ・・・が、自覚はなかった・・・。
    今思えば、あれっていじめだよな、って感じなのだ。

    小学校低学年の時、上級生の男の子数人に
    コブを作り、ケガをし、服を破かれ
    ズタボロになって毎日帰宅していたのに
    何で気づかないのやら。
    毎日泣いて帰るのに、それを苦にもしてなかった。
    どころか、いじめる子の判別もできてなかった。

    どこまでアホだったんだか、今となっては笑い話だが
    私がまともな知能のガキだったら、悲劇が起きてたのかも。
    でも、あの時の私には、学校が世界のすべてではなかったので
    校内で起きる事ばかりを考えてはいなかったせいだと思う。

    その後もいくつかいじめに巻き込まれたようだが
    全部、自覚がなかった。 (後々、人に言われて気付く)
    こういうヤツが周囲にいたら、さぞイライラすると思う。
    私なら、余計にいじめるがなw

    経験から、このふたつを推奨する。
     ・世界をあっちゃこっちゃに持てば、余裕がでる
     ・自分の脳みそ、神経の状態によって剣と鎧を選べ
    私のようなアホは少々突付いても気付かんもんさ。

    最後に、いじめるヤツと傍観者に進言。
    人は集団に頼ると自分の制御が難しくなる。
    永久的に安住できる集団なんて存在しないので
    常に背後に気をつけれ。

  • 姉歯の真実

    姉歯建築士 (剥奪されたが) が、表に出なくなった件について
    推理をしてみた。

    私は、姉歯のヅラに事故が起きたんだと思う。

    姉歯は今回の事があるまで、ヅラをつけてなかったそうな。
    これが大前提の推論である。

    マスコミに出るっちゅうことで、ヅラをつけたとみえるが
    ヅラなんて、すぐ作れるものでもない。
    あんなに合ってない不自然なヅラだと、既製品かも知れんが
    問題が発覚した最中にヅラを買いに行く余裕はなかろう。
    よって、以前に作ってしまい込んでいたものだと推測される。

    で、以前買ったものだもんで、お手入れ法を忘れたかも知れん。
    ストレスのせいで、ザツに扱ったかも知れん。

    ・精神的圧迫と、着け慣れないせいで、頭に大汗をかき
      ヅラが臭くなり、合わない洗剤で洗っちゃった
    ・部屋に入って、無造作にヅラを放り投げ
      それを飼い犬 (いるか知らんが) が、かじり散らかした
    ・ストーブの前にヅラを置いて焦げた
    ・ずっとしまい込んでいたので、ダニが湧いてて
      それに気付かず、着けて頭皮を食われた
    ・ダニはいないが、ストレスで弱ってる頭皮に
      かぶりものをしたので、かぶれてとんでもない事になった

    ざっと考えても、これだけの危険が予測できる。

    私はこの説が有力だと、真面目に思うんだが
    誰に言っても、相手にしてくれない。
    「体調不良」 は、「頭部異常」 なんだってば!

    大体、何でいきなりヅラをかぶったか、というと
    あれ、変装のつもりだったんじゃないのか?
    ほとぼりがさめたらヅラを取って、ひっそりと暮らそう、とか。
    それとも途中でヅラを脱ぎ捨てて逃亡するつもりだったんか?

    いずれにしても、こんだけヅラ込みで有名になったら
    着けようが取ろうが、個人特定は容易だよな。

  • 師走開始!

    今年もイヤな季節がやってきた。
    年末年始の慌ただしさが、とてつもなく嫌いである。
    私自身は普段から掃除をしてるから、そう慌てる事もないのだが
    子供の頃は、あまり掃除をしないかあちゃんのせいか
    年末というと、大掃除、ほんとに大掃除をさせられていた。
    畳をあげてパンパンとか、障子の張り替えとか
    業者に頼めよ! と、叫びたくなるような大掃除である。

    普段は家の事を何もしない父親も、何故か張り切るが
    畳をあげて、下に敷いてある昔の新聞を読みふけるなど
    サザエさんのようなワンシーンを、素で繰り広げる。

    この当時の記憶が刻み込まれているせいか
    この季節になると、落ち着かなくなる。
    周囲も何か慌ててる感じだし、ほんと、うっとうしい時期だ。

    ていうか、年末の前にクリスマスとかあって
    これもまた、うっとうしい。
    行事無視の私は、淡々と過ごすわけだが
    街を歩いてもTVを見ても、クリスマス一色で
    フツーの晩飯が貧相に思えて、すんげえ不愉快。
    何がメリークリスマスだよ。
    仏教の国なら潅仏会に大騒ぎせえよ。
    とか言うのも無粋なんで、黙々と普通に過ごすわい。

    この時期になると、年末年始の話題で埋まるTVがイヤで
    TVゲームに逃避するのだが
    「おまえはこの忙しい時期に何を遊んどる」 と
    罵倒されるのはやむを得まい。

    てか、何で年末年始が真冬なんだ。
    掃除をするにも寒いし、風邪を引いていたりして地獄!
    真夏は真夏で、暑いし、バテてたりするんで、春か秋希望。

    そういや以前、懇意にしていたダスキンのおねえさまが
    「忙しい中、おせちを作ったのに家族全員、コンビニに行ったのよ。
     もう二度と作らん!」 と、ブリブリ怒っていた。
    おせち、確かに食える物ねえよな。
    今や正月早々開いてる店も多いんで、おせち、いらなくねえ?
    一度も作った事がないぜ。

    私は正月になると、レトルトカレーが食いたくなる。
    かあちゃんが、きっちりおせちを作るヤツで
    しかも三が日、うちには食い物がそれしかない。
    おせちの中で唯一食える、かまぼこで飢えをしのぐんだが
    TVCMで 「おせちに飽きたらカレー」 とかやってて
    いいなあ、食べたいなあ、と、切望した子供時代のすり込み。
    普段からあまり食べないガキだった私なのに
    正月は空腹で過ごす期間であった。
    一年の始まりに断食とは、これまた不吉だよな。

  • 雑誌広告

    世の中では殺人や建設設計書偽造など、大きな事件が起きているが
    今日はそういう事に噛み付く気分ではない。
    というのも、物凄い物を見つけたからである。

    私は雑誌の怪しい広告を読むのが大好きなんだが
    久々のオオモノを発見した。
    もう大興奮である。
    イチャモンを付けられたらイヤなので、名はふせるが
    モノは砂金入りのペンダント。

    この砂金に力が宿っていて、女性の名を冠して
    「S子砂金」 と、名づけられている。
    これを身に付けたら、富がガッポガポだそうな。

    これだけじゃ、何の変哲もない普通の怪しい商品なんだが
    ミソは広告の売り文句。

    砂金をS子さんに与えたS子さんの祖父は
    政府直轄の錬金術師だったんだと。
     
      
    錬 金 術 師 

    地球上の海水には、50億トン以上の金が含まれていて
    その採取と精製には特殊な技術が必要で
    どの国も手を出せないが
    第1次世界大戦時の日本政府だけは
    錬金術を駆使して、海水から砂金を採ってて
    これは歴史的に検証されているんだと!
    S子さんの祖父は、そこで働く錬金術師だったんじゃないかと!

    これを読んだ時は、感動したぜ。
    今の時流を見極めた見事なマーケティング。
    「鋼の錬金術師」 のヒットによる
    “錬金術師” の知名度の広がりに目をつけ
    海水に金が含有されている話はニュースでもやってて
    皆よく知ってるだろうし
    それを “技術大国ニッポン” だけが採取できるという
    自負心をくすぐるストーリー。
    第1次世界大戦という、ギリギリ技術的にありえるかも
    な時代で、あの頃の日本の中枢部は陰で何をやってたか
    わからないもんな、と、思える微妙な時期の選択。

    いやあ、お見事!!
    近年マレに見る広告戦術には感嘆させられたよ。

    抽出されたただの海水の金に、何で富ガッポガポの力があるのか
    そこらへんが、いまいち説得力がないのが惜しいが
    錬金する時に何かのパワーでも注入した、っちゅう事にしとく?
    じゃないと、錬金じゃなく単なる採取業だもんね。

    もう、どこぞの秘境に眠る奇跡の石とか
    ありふれてて、イマイチ面白くないんだよな。
    こういう設定だと、「これで幸せになったぞ」 とか
    のたまってるヤツのキャラしか見どころがないんで
    今後は使用禁止にしてくれ。
    “エリア51で捕獲されてるグレイノーズがパワーを与えた石”
    “宇宙から移住してきた宇宙人が所有していた未知の物体”
    “中国の野人が守る伝説の石をわけてもらった”
    “ナチスの第4帝国が販売しているパワーストーン”
    など、いくらでも設定できるだろう。

    怪しい商品は企画が命!
    ジャロを気にせず、人生を賭けて頑張れ!

    怪しい広告を見る時は、住所とか電話番号に注目すべし。
    使い回しされてる事があるぞ。
    「ほお、この会社、今度はこの商品を作ったんかあ」
    とか、発見できた時は、妙な達成感があるんだー。