夢をみた。
どっかの宗教団体信者が集団自殺をしようとしてて
私がそれを必死に止めようとしている夢。
「そんな事をしても意味ねえぞ。
今持ってるもの (命) が気にいらんからといって捨てても
次のが良いとは限らんぞ。
今持ってるものを使い切ってこそ、上に行けるんじゃねえのか?」
おお、私、良い事言うじゃーん、と起きた。
高校がプロテスタントだったので、毎朝礼拝をさせられ
週一、本職の牧師がきて宗教の授業があった。
初めて聖書を読んだ時は、わけがわからん物語に見えた。
こんなん本気で信じてるヤツは
「私、○○星の王女だったの」 とか言う電波連中と
変わらんのじゃないか、とまで思った。
一番わからなかったのが、カインとアベルの話である。
カインとアベルの兄弟が、神に貢ぎ物をした。
神はアベルの貢ぎ物だけを喜び、カインを無視した。
不満に思ったカインは、弟アベルを殺してしまった。
人類初の兄弟殺しである。
神は怒り、カインをエデンの東の荒野に追い払った。
こんな話だったと思うが、これを読んだ時に
神のえこひいきを、すんげえ理不尽に感じた。
もちろん授業で質問をしたが、答は得られなかった。
その後、宗教勧誘にくるエホバの信者に聞いたが
いずれも答は得られなかった。
父にその話をすると、「真面目にやってる人をいじめるな」
と、怒られた。
そういうつもりはないんだが、どうやらこの話は
キリスト教の謎のひとつになっているらしい。
ある日、アフガンとバトルをしてて
こいつ、犬の分際で何でこう言う事を聞かんのか、と
思った途端、理解できた。
あ、そうか、平等じゃないんだ!!!!!!!
つまり、神と人間は同等の立場ではない。
神は人間を試せる力を持ち、人間は試される存在なのだ。
一 段 上 キターーーーー!!!!!
常々、宗教とは、権力者が民衆を束ねるための手段だと
解釈していたが、凄え計算上に作られたものなんだな。
人間同士だと、どうしても平等感が出て、筋を通す必要があるが
相手が人間じゃない神なら、やりたい放題オッケーなわけだ。
うちの一族は無宗教 (行事として一応仏教に属している) だが
父は 「宗教が必要な人もいる」 と言っていた。
それは凄く説得力のある言葉で、私も否定はしない。
宗教の話なんか、聞くと面白いし。
ただ、入信をしつこく勧めると噛み付く。
私には今のところ、宗教は必要ないが
独自の信仰は持っている。
それは、“感謝”。
晴れたら太陽に感謝し、雨が降ったら天の恵みに感謝する。
もう、どっかの土着民のような原始的信仰心だが
すべての宗教の根源は、この “感謝” だと思う。
そしてこれは、幸せの源でもある。
足りないものに嘆くより、あるものに感謝できるのなら
こんな幸せな人生はない。
宗教をやってて心の平穏を保てるのなら、幸せなら
それでいいんじゃないのかな。
ま、私は修行が足りんので、すぐ暴れるが。