カテゴリー: 世情分析

  • 宗教

    夢をみた。
    どっかの宗教団体信者が集団自殺をしようとしてて
    私がそれを必死に止めようとしている夢。
    「そんな事をしても意味ねえぞ。
     今持ってるもの (命) が気にいらんからといって捨てても
     次のが良いとは限らんぞ。
     今持ってるものを使い切ってこそ、上に行けるんじゃねえのか?」
    おお、私、良い事言うじゃーん、と起きた。

    高校がプロテスタントだったので、毎朝礼拝をさせられ
    週一、本職の牧師がきて宗教の授業があった。
    初めて聖書を読んだ時は、わけがわからん物語に見えた。
    こんなん本気で信じてるヤツは
    「私、○○星の王女だったの」 とか言う電波連中と
    変わらんのじゃないか、とまで思った。

    一番わからなかったのが、カインとアベルの話である。
    カインとアベルの兄弟が、神に貢ぎ物をした。
    神はアベルの貢ぎ物だけを喜び、カインを無視した。
    不満に思ったカインは、弟アベルを殺してしまった。
    人類初の兄弟殺しである。
    神は怒り、カインをエデンの東の荒野に追い払った。

    こんな話だったと思うが、これを読んだ時に
    神のえこひいきを、すんげえ理不尽に感じた。
    もちろん授業で質問をしたが、答は得られなかった。

    その後、宗教勧誘にくるエホバの信者に聞いたが
    いずれも答は得られなかった。
    父にその話をすると、「真面目にやってる人をいじめるな」
    と、怒られた。
    そういうつもりはないんだが、どうやらこの話は
    キリスト教の謎のひとつになっているらしい。

    ある日、アフガンとバトルをしてて
    こいつ、犬の分際で何でこう言う事を聞かんのか、と
    思った途端、理解できた。
    あ、そうか、平等じゃないんだ!!!!!!!

    つまり、神と人間は同等の立場ではない。
    神は人間を試せる力を持ち、人間は試される存在なのだ。

         一 段 上 キターーーーー!!!!!

    常々、宗教とは、権力者が民衆を束ねるための手段だと
    解釈していたが、凄え計算上に作られたものなんだな。
    人間同士だと、どうしても平等感が出て、筋を通す必要があるが
    相手が人間じゃない神なら、やりたい放題オッケーなわけだ。

    うちの一族は無宗教 (行事として一応仏教に属している) だが
    父は 「宗教が必要な人もいる」 と言っていた。
    それは凄く説得力のある言葉で、私も否定はしない。
    宗教の話なんか、聞くと面白いし。
    ただ、入信をしつこく勧めると噛み付く。

    私には今のところ、宗教は必要ないが
    独自の信仰は持っている。
    それは、“感謝”。
    晴れたら太陽に感謝し、雨が降ったら天の恵みに感謝する。

    もう、どっかの土着民のような原始的信仰心だが
    すべての宗教の根源は、この “感謝” だと思う。
    そしてこれは、幸せの源でもある。
    足りないものに嘆くより、あるものに感謝できるのなら
    こんな幸せな人生はない。
    宗教をやってて心の平穏を保てるのなら、幸せなら
    それでいいんじゃないのかな。

    ま、私は修行が足りんので、すぐ暴れるが。

  • 祝・紀宮様 ご結婚

    朝も早よから、宮城のダチからメールで起こされた。
    「朝から地震でダルさも2倍増し」
    「豪雪にも注意せえ」 と、心のない返事を送り
    TVを点けたら、今日は紀宮様の結婚式。

    あらら・・・と思ったのは私だけじゃないはず。
    ネットでは、紀宮様の行事の度に地震が起きるという噂が出てるのだ。
    そりゃあ、世界中どっかで地震は起きてるだろうが
    新潟やスマトラ沖など、デカいのが重なったもんで
    騒がれるのもしょうがない。

    新郎の黒田さんの印象も迷惑なものだったはず。
    ご婚約内定の時、ちょうど日本は奈良女児殺害事件に震撼させられ
    犯人の小林が逮捕され、TVではその顔写真がバンバン流れてた。
    その合間合間に、ご婚約ニュースが入るので
    最初に黒田さんの写真を見た時に
    「こいつが犯人かあ、いかにも変態の顔だよな」
    とか、勘違いしてしもうて、何たる不敬・・・。
    あの黒田さんの写真も、どアップの免許証写真みたいなんで
    あんなん出したらいかんだろうーーー。
    証明写真なんて、誰でも極悪に写ってるんだぞ。
    私だって 「グヘヘヘヘ」 な顔だし。

    紀宮様が何歳かは知らんが、周囲は婚期にヤキモキしただろう。
    大抵の親は、娘が若い時は 「嫁になんかやらん!」 と言うが
    20代も半ばを過ぎると、今度は追い出しにかかる。
    「誰かいないの?」 とか、見合い写真を持ってきたりして
    もの凄えプレッシャーを掛けまくるのだ。

    その点は、うちの親親族は違っていた。
    結婚のけの字も抹消されるどころか
    かあちゃんなど 「お見合いの話があったけど断ったわよ」
    とか、のうのうと言う。
    丁度その頃、彼氏と別れてフリーだった私は
    「何で断るの?」 と、聞くと
    「だって相手は医者よ? 医者なんてヘンな人が多いのよ。
     それにお母様は私のお友達なのよ、イヤよ、恥ずかしい」 だと。
    ようするに、うちの一族はこぞって私に
    「絶対に嫁に行くなよ、行ったら恥」 と呪いを掛けてたわけだ。

    そんな私も結婚をしたが、したらしたで
    いつ戻ってくるか、ビクビクしていたようで
    案の定、戻ってきた時は 「ああ・・・やっぱり」 になっていた。
    次は再婚禁止令が出されているんだが
    そんなに恥ずかしいヤツなら、幽閉しとけっての。
    嫌がらせにニュースに出るような死に方をしたろか。
    ったくよお。

    ともあれ、紀宮様、おめでとうございます。
    しばらくはTVはこの話題で持ちきりだな・・・。

    とか、書いてる間にも、中学の同級生が離婚をしたと一報が入った。
    縁起でもねえーーーーーーー!

  • 喫煙者の悲劇

    この話題は出したくないが
    世のマナー悪の喫煙者を責める以上
    己の事だけ避けるのは卑怯なので、しょうがねえ。

    私の喫煙歴は16歳からである。
    当たり前だがその頃、周囲の友人は誰も吸っていない。
    ひとりで、ごく自然に吸い始めたのだが、今思うと
    父がロングピースのヘビースモーカーで
    しかも火を点けて置きタバコという吸い方をしてたので
    私は生まれてからずっと副煙流の中にいた事になる。
    もしかして既にニコチン中毒になってたのかも知れん。

    ま、理由はともあれ、私もヘビースモーカーで
    1日に40~50本ぐらい吸う。
    かろうじてニコチン0.1mgのに落としてはいるが
    そんな事は何の気休めにもならん。

    このタバコというのは、良い事いっちょもなしで
    まず金銭面。
    1箱270円で、それを計算すると
    過去とんでもない金額になるし、未来も目まいがする金額になる。
    もう、絶対に計算したくない。
    次に健康面、美容面。
    私の体調不良の原因は、元を正せばすべてタバコに起因すると思う。
    美容もタバコのせいで、せんでいい努力が不可欠。
    普段の生活でも、例えばタバコの臭いを消すために
    ミントは常に持ち歩くとか
    ヤニ付着防止のための歯磨きにも余念がなく
    マウスウォッシュも2種類常備。
    こうやって、いらん金がどんどん飛ぶのである。
    これらは詳しくは言いたくない・・・。

    では何故こんな弊害を受けてまで喫煙をするのか?
    それは、吸ってしまったからである。
    それしか言いようがない。
    タバコは最初から吸わないに限る。

    私の場合は、止められんと言うより、止める気がない。
    ふと、アル中やヤク中とどっちが良いんかな、とか考えてしまう。
    そういう比較をしたくなるほど、タバコは厄介である。

    こんな私は、外出をしてもタバコは手放せない。
    美味いとは思わないが、吸わないと落ち着かないのだ。
    デパートとかでキーキー買い物に走りまくっても
    最近の茶屋は喫煙席もないところが多いので
    灰皿のある場所で一服、となる。
    行きかう人々には迷惑かも知れんが、ごめん、見逃して、と
    端っこで細々と吸うのである。
    それが大抵は寒空の下 (夏は炎天下) で
    「こんな思いまでして吸うんか?」 と、情けない事この上ない。
    なので、堂々と歩きタバコをしているヤツを見ると
    「おめえらがそんな事をするからーーーーー」 と
    喫煙しないヤツが思う以上に殺意を覚える。

    まあ、どこで吸おうが、他人に副煙流は迷惑だし
    全席喫煙可でも、周囲への気遣いは必要だ。
    外では吸わないのが一番良いんだが、それができんので困る。
    他人に迷惑を掛けないように、出来る限り努力をしているとはいえ
    この部分では、私もモラルがないと懺悔する。
    皆様すいません、なるべく早死にするように心掛けます。

    タバコを吸うのは、タバコに自分の幸せを吸われてる事になる。
    酒を呑むのは、酒に幸せを呑まれている事になり
    覚せい剤を打つのは、自分の人生に終止符を打つ事だ。
    常習性のある物に手を出したら身の破滅。

  • 主婦のブログ

    主婦の間でブログが流行っているそうな。
    子供の成長記録や、料理、夫へのグチなど
    主婦でない私には (たとえ主婦であっても) 無縁の内容である。

    へえ、良い事じゃないの? と、思ったが
    ブログを中心に生活が回っていて、夫を放って
    3時間も4時間もPCに向かっている主婦もいるらしい。
    これはいかんだろうーーー。

    趣味は空き時間にすべし、が鉄則。
    夫がいる時は、夫にまとわりつくのが妻の役目。
    私には、会話のない家庭はつまらんと思うんだが
    こういう家庭もアリなんかなあ?
    (と、離婚したアホウが己の間違いに気付かず)

    その主婦達のブログがTVに出ていたが
    写真がバンバン載ってて、絵文字満載の華やかな内容。
    それを見て、「おお、ブログってこんなんなんかあ
     しっかし毎日よく書く事があるよな」 と、感心していたが
    よく考えたら、私のこれもブログなんだよな。
    しかも、ほぼ毎日、書いているよな。
    なのに彼女らのとは全然違うんだが、一体どこが・・・・・?

    と、しばらく悩み、もしかして私ひとりが何か勘違いしていて
    周囲は注意したいけど放置している状況じゃ? と
    すんげえイヤンな予想が湧いてきたので
    とりあえず 「私のはブログの場所でブログじゃない事をしている」
    という欺瞞な結論で、自分の疑問に手を打った。

    その中で、毎日のお弁当の写真だけをアップし続けるブログがあった。
    これは良い!!!
    面倒くせえ事も、そうやって報告を義務付けると
    張り合いもあるし、やる気も出る。
    たとえば、片付けられないヤツが部屋の写真をアップし
    「今日はペットボトルを一箇所にまとめた」 とかやってたら
    いつかきれいに片付けられるんじゃないのか?

    そうか、ブログってそういうもんなんだ! と、開眼し
    (これもちょっと違うかも?)
    私の場合、何があるんだろう、と考えたら、これが何もない。

    弁当は作らんし、普段から掃除はするし
    熱中している事と言えばお手入れだが、顔写真は出したくない。
    というか、出すとグロページになるぞ。
    出せると言えば、ナイスバディの写真だが
    毎日ナイスバディなんで、何の変化もなく、つまらんだろう。

    話がループするが、私の書くブログもどきって
    ほとんどが文句やインネン付け (プラス自画自賛) で
    しかも差別用語や放送禁止用語を使いまくりで
    おまけに長い。 長文ダラダラ。
    これじゃ読む方も大変だし、不愉快じゃねえの?

    と、とことん自分否定になってきたので、そこで思考を止めた。
    自己否定なんて何時間でもできるし、自傷と変わらん。
    間違うな私、考えなきゃならん問題は解決策なのだ。
    と、これを数日間考えたが、何も出ない。
    そもそもブログとか以前に、自分の状況も立場も
    周囲の気持ちもよくわからんのだ。
    これじゃ考えても改善案が出るわけがねえ。

      バカの考え 休むに似たり
      小人 閑居して 不全をなす
    この2つは、事ある毎に私の脳裏によく浮かぶ言葉だ。
    私の人生を実に的確に表現している。

    ま、問題がありゃ誰かがその内止めるだろう。
    感動とか、楽しい、キレイ、可愛い、面白い、はよそに任せて
    ここのコンセプトはズバリ!
      人のフリ見て我がフリ直せ
      隙を見せたら即叩け    だ!!
    (ちょっと待て、改善どころか開き直っとるぞ)

  • 解放してあげるという傲慢

    昨日、野生の掟についてブーブー書いてた時に思った話。
    これは賛否両論あるだろう。
    いや、“否” しかないかも知れない。

    イラクが解放 (アメリカ談) されてから
    世界ではアラブ系テロが激しくなった。
    何でこんな事になったのか・・・。

    そもそも、フセインが捕まった後
    「解放してくれてありがとう! これから自国のために頑張るよ!」
    という言葉を聞いた記憶がない。

    自衛隊が復興支援に行く事になった時、イラクのおっさん達が
    「自衛隊になんか来てもらっても嬉しくない。
     我々は日本の金持ちに助けてほしい」 と、怒りをぶちまけていて
    その図々しさに驚かされた。

    いやいや、彼らは今大変だし、日本はアメリカの属国扱いだし
    と、アメリカ批判のかたわら、暖かい目で見ていると、数週間後
    「自衛隊は何をしている。
     隣の村にだけ給水管を作って、うちにはまだ来ないぞ」
    と、役立たずだと怒っている。

    日本人だったら、こういう事を言うだろうか?
    そういや過去、戦争紛争の後 「解放してくれてありがとう」
    などと、お人好しな事を言ったのは、日本人だけかも知れない。
    ちとバカじゃないかとも思うが
    自分の国を自分らで復興しようとしていたのは偉い。
    だが、この態度が、後々のアメリカの傲慢さを産んだのかも知れん。

    そもそも、自国を独裁されてブーブー言いつつも行動せず
    アメリカによる (余計なお世話の) 解放をされても
    ブーブー文句を言う。
    国民100人の内、10人ぐらいしか頑張ってないように見える。

    そういう国に、いらん事、首を突っ込むから
    テロが活発になって、世界中とんだ迷惑じゃないのか?
    もしかすると、リーダーが力で押さえ込んでいた方が
    上手くいく国ってあるんじゃないのか?
    そう思えてくるのは、私が非人道的なんだろうか?

    ここで、もう1個、ヤバい国がある。
    某独裁政権国である。
    以前、脱北したおばさんがTVに出ていた。
    「日本は我々が苦しんでいるのに、何故、何もしない!」
    と、ギャアギャア怒りまくっていた。

    それを見て、「ちょっと待て!」 と、思った。
    あんたらの国で、かつてあんたらが支持したトップがのさばって
    それをあんたら以外の国のヤツにどうにかしろと!
    しかも、散々侵略呼ばわりした日本に、またどうにかしろと!

    不平不満を言いたい気持ちはわかるが
    何で怒られつつ、よそんちの尻拭いをせにゃならんのか?
    もしかして、この国の政権を壊したら
    アラブのようにテロが頻発するようになるんじゃないだろうか
    とすら思った映像だった。

    国民に対しては同情していたが
    最近どんどん反感を持つようになってきている。
    何もしない、できないというのは
    その状況を甘受しているに等しい。
    飢え死にするのと、一族郎党で歯向かって死ぬのと
    結果は同じ死でも、意味が違うんじゃないだろうか。
    と、遠くから理想論を言うのは簡単だが
    自分が踏み台になるのは、なかなかできないのが現実だ。

    各国、色々事情はあるだろう。
    出てこない真実もあるだろう。
    私は単にTVで流す表面的な内容だけに対して
    腹を立てているにすぎないという自覚はある。
    だが、他国のシステムに対する怒りをこっちに向けられると
    どうしても反感を持ってしまう。

    自国の事だろう?
    自分らの感情を逆なでせずに、控えめな態度で適切に支援して
    満足させてくれとは、あまりにも都合が良くないか?

    こう思わされる画像ばかりが流れるのも不思議だ。
    マスコミは一体、何がしたいんだ?
    マスコミに対する不信感もあるので
    最近はその話題になるとチャンネルを変えている。

    金持ちが貧乏人に金を恵むのは当然だという国がある。
    くれないと困る、と平気で怒るんだと。
    約束を守らなかったり、仕事をきちんとしないのは
    相手と自分の因縁が悪いせいだという国もある。
    日本人には理解できない言い分である。

    日本人日本人と連呼して、他国差別をしているように聞こえるが
    差別ではなく、区別をしないとトラブルになる。
    日本で通用する事が、その国では通用せず
    その国で通用する事が、日本では通用しない。

    自分の国の価値観が絶対だという傲慢さが
    世界中の紛争の原因になっているのが現状だろう。
    そこの大国、何が “世界の警察” だよ、思い上がるなよ!
    あんたらの脳内正義でどんだけ世界が混乱しているやら。

    私の意見としては、自国の流儀を曲げず
    できる支援はしても、必要以上に踏み込まない方が良い。
    その国にはその国独自の正義がある。
    国の未来は、その国の民に任せるべきだろう。

    あー、最近の世界情勢にはイライラさせられる。

  • 人間性の評価

    人の人に対する評価には法則がある。
    「あの人、仕事はできるけど」「あの人、優しいけど」
    この 「けど」 の後に来るのは、その人の欠点と思われる評価。
    人の評価は減点法なのである。

    大抵のヤツは良いヤツだと判断される。
    だが、完璧なヤツなどいないから
    たまに垣間見せる欠点が、とても際立つのである。
    例えば普段温厚な人が怒ると、それが強烈に感じ
    「あの人、物静かだけど、実は怒ると恐いのよ」 となる。
    これは別に欠点ではない。
    どんなに温厚なヤツでも、我慢できない事だってあって
    つい怒ってしまう状況になるのは当然だ。
    でも、それをすると、「実は恐い」 という
    レッテルが貼られてしまう。
    誰だって怒るだろ、みたいな状況で普通に怒っただけなのにな。

    ほとんどのヤツは、この減点法をされている。
    だが中には加点法で評価されるヤツらがいる。
    「けど」 や 「実は」 の後に賛辞をされるヤツら、
    それはロクでもないヤツらである。
    こいつらは、最初の評価が最低で下がりようがない。
    そういうドグラ (どこの方言かわからんがロクデナシの別称)
    でも、たまに良い面を見せる事もある。
    そういう場合に加点されるのである。
     例: 「あの人、殴るけど、優しいとこもあるのよ」

    この 「けど」 「実は」 の後の評価は
    本来のその人の評価より、絶大な効力を持つ。
    「優しいけど、恐い」 の場合
    本来のそいつは優しいヤツなのに、「恐い」 に重点が置かれる。
    「殴るけど、優しいとこもある」 のは
    そいつは殴る蹴るのどうしようもないヤツなのに
    「優しいとこもある」 のが重視されるのだ。

    この 「けど」 「実は」 に、カラクリがある。
    人は何故か、他人が本来の姿を隠していると思い込んでいる。
    だから人が普段しない言動をすると
    それが本来の姿だと勘違いしてしまうのだ。
    ここらへんの心理は、よくわからないのだが
    完璧に良い人も、芯から悪い人もいない、という感覚なんだろう。
    だから良い人には減点法、悪い人には加点法で評価する。
    それを重ねていって、人は皆同じ、と
    安心したいのかも知れない。

    さて、加点法をされるヤツ代表の私だが
    この制度には、とても恩恵を受けている。
    飯を作ると驚かれ、掃除をすると感動され
    ちょっと笑うと可愛がられ
    ごくフツーの事をしているのに、高待遇になるのは
    とーてーもーありがたい!!
    あげくが 「案外、普通なんだな」 などと言いたれ
    「おめえの見る目が初手から大間違いなんだよ!」 と
    私に罵倒されるハメになるが、何故か一度加点されると
    なかなか減点されないものなのだ。

    私の親族連中も、こぞって言っているらしい。
    「あの子は変わっているけど、案外ちゃんとやっているようよ」
    「あの子は我がままだけど、あれで意外と素直なんだ」
    おめえら、何、夢を見たがっているんだ、と突っ込みたいが
    精神を平穏に保ちたいがゆえの自己暗示だな、と察し
    あえて水面に石を投げ込むような真似はしないようにしている。
    叔母も私がニュースに出ないかとドキドキしていたらしいが
    最近は安心しているようだし。

    私は良いヤツじゃないが、悪いヤツでもない。
    いつもこれを言っているのに
    何でこんなに最初の評価が最低なのかが、非常にムカつくが
    これも長年の友人が指摘してくれて解明したし
    (早速忘れてしもうたが、ようするに愛想が悪いだったっけ?)
    人の評価ってのは、正しいんだろうな。

    あ、これで思い出す度に笑える話があるが
    従姉妹の旦那さんが、今は亡き私の父に
    「この子はどういう人間だと思うかね」 と、聞かれ
    汗をかきながら 「と、とても自由でうらやましいです」
    と、答えて、父が 「自由???かね?」 と、なっていた。
    その時、目の前にいた私も、己をよく知らない頃だったので
    「はあ?」 だったが、今になって思えば
    「おめえは良いよな、何ひとつ気を遣わずに生きていて」
    という意味だろうが、某大手メーカー営業の人にそう言われると
    私じゃなくても、ごもっとも! としか思えないって。
    しかし、とうちゃんも酷な質問をするよ。
    多分、父親ながら私に不安を感じたんだろうなあ。
    欺瞞でも褒めてほしかったんだろうが、それは甘えすぎだぞ。
    「悪魔のようなヤツです」 と言われないだけマシっちゅうもんだ。
    親にこんな不信感を持たれるとは、私ってば
    ダミアン(映画オーメンの主役)並みの扱いだな。

  • 運転マナー

    関西に来て驚いたのは、皆、運転マナーが良い事!
    路上駐車だけは噂通りひどいが、運転は大人しいのだ。
    そりゃ中には荒いヤツもいるが、それが熊本では普通レベルである。

    よそから熊本に来て住んだ人は皆、一様に言う。
    「普段は良い人ばかりなのに、何故こんなに運転マナーが悪いのか」
    熊本で免許を取り、熊本で運転をしてた私も
    周囲のマナーの悪さにはさすがにうんざりし
    自分では気をつけていたつもりだったが
    関西に来たら、マナーが悪いクラスに入ってしまうようだ。

    どういう風にマナーが悪いか、いちいち言うとキリがない。
    わき道があろうと、前の車にびっちりつけて停車するし
    割り込まれたくないので、走っている時も車間距離をあけない。
    離合が難しい細い道でも、1cmでも進みたいのか突っ込んでくる等々。
    ひとことで言えば
    「自分が1秒でも早く行きたいので、他人の事は知ったこっちゃねえ
     と、殺伐とした雰囲気に包まれている。」 だな。

    道の混み具合は、熊本も関西もそう違いはない。
    道の広さや整備状態は断然熊本が勝っているが
    車社会なので、車の数は関西と同じぐらいである。
    車所有の人口比率は当然熊本が上だろう。
    皆が普通に普段から運転してるのに、何故こうもマナーが悪いのか。

    ここで注記したいのは、熊本=九州ではないという事。
    あちこちチョロチョロして感じるのは
    九州で一番平均して気が荒いのは熊本県人。
    歴史を見てもなるほど、と思うし
    噴火しまくる阿蘇山のように、基本的に荒い気質なんだろう。
    それが運転にも現れているような気がする。

    ちなみに、熊本に暴走族はいない。
    警察の人が大いばりで教えてくれたが
    県警が総力をあげてブッ潰したそうだ。
    そういや、熊本は警察が強い。
    その代わり、関西みたいに横柄な態度の警官は少ない。

    熊本をウロつく暴走車は、ほとんどが他県から来るヤツで
    熊本の警察の強さを知らないヤツなんだろうが
    熊本県人の強さも知らないようで
    数年前にバイパスを走り回っていたバイクが
    住人に投げつけられた角材が原因で事故り、ひとりが死亡した。
    まだ10代の他県の若者だった。
    ニュースでインタビューを受けていた近隣住人が言った。
    「夜中になると爆音を立てて走り回って眠れやしない。
     また来たら今度は俺が角材を投げてやる!」
    不謹慎だが笑ってしまった。
    その地区は、ごく普通の住宅地なんで、余計に凄え。
    これが “肥後もっこす”  だ。
    (九州男児を表現する熊本独特の単語)

    熊本に来るヤツは、運転はしない方がいいな。
    イヤな思いをする事うけあい。
    熊本じゃ、特にバイクはハエ扱いだから
    幅寄せや進路妨害を無意識(!)に悪気なく(!)される。
    他県ナンバーなら、多少は大目に見てもらえるかも知れんが
    クラクション、パッシング、あおりは標準設定だと割り切るように。
    タクシーの運転も、急発進、急ブレーキ、ノッキングと荒いけど
    悪気はないので、その妙技を熊本名物と思って味わえば吉。

    ようするに 「おいでになりませんように熊本」 だ。
    ああ・・・、自覚のない熊本県人の反応が恐いwので、良いとこも。
    車社会なので、駐車場はきっちりある。 ない店は繁盛しない。
    そんな熊本では、路駐は巨悪。
    容赦なく通報され、警察も疾風のように飛んでくる。
    ・・・こんだけしか思い浮かばん・・・。

    これらの事情は、熊本を離れて数年経つから
    今はどうなってるのかわからん。
    が、帰省する度にタクシーに乗るが
    荒さに変化はないんで相変わらずかもな。
    その荒さを懐かしく感じる私も、熊本産ドライバーって事かも。

  • セレブ?

    最初にセレブという単語を聞いたのはいつだったっけ。
    VIPみたいな意味かと思ってたが
    よく聞いてると、単に裕福なだけでも良いみたいだな。

    私はこの現象に別に反感は持っていない。
    というか、どうでもいい。
    でも、セレブになりたいヤツには興味がある。

    玉の輿ってのは昔からあって、憧れるのもわかるが
    まったく違う環境に入ると、苦労も並大抵ではないと思う。
    現にヨーロッパでは実質、今でも階級が残っていて
    娘を持つ親は、身の丈に合った人との付き合いをしつけるそうな。

    人間は平等と言うが、明らかに“差”はあるわけで
    差があるからには、優位に立ちたいという気持ちもわかる。
    だから、高額所得者とのお見合いパーティーとかに行く女性たちは
    目的がわかりやすくて良い。
    お金を得るには苦労がつきものだしな。

    で、私自身はどうなのかと問われると、どうでもいい。
    そりゃ、お金はあるに越した事はない。
    お金でほとんどの事は解決できるし。
    天から大金が降ってくるなら、そんで拾ってバチが当たらんなら
    喜んで拾うが、余計な苦労をするぐらいならいらん。
    (ていうか、貧乏も苦労なんだがな)

    私は芯から偉そうなヤツなので、これに現実が伴ったら
    ロクな事にならんと思うのだ。
    ひとり脳内で根拠もなく偉そうにしてて
    周囲にちょっと迷惑をかける程度でいい。(ごめんな、皆)
    おお、我ながらストイックだ!、と感動するが
    単に現実感のない、とんだ妄想野郎かもな。

    だがな、世の中、割と思い通りに転がるもんだぞ。
    値段を気にせずに入浴剤を買いたいーーー、と切望していたら
    筋肉裂傷で湯船に入れんようになったんで
    入浴剤まったく必要なしになって、欲しがる事もなくなったしな。

  • 脳年齢

    ニンテンドーDSの脳年齢ゲームが
    オヤジどもの間で流行ってるらしい。
    「脳を若返らせよう」だってさ。

    私の脳年齢は3歳ぐらいなので
    これ以上若返ったら胎児になるぞ? ああー?

    皆、普通にそうかと思ってたら
    違うようなので、自慢にしとるが
    私はガキの頃や思春期の頃の
    気持ちをはっきり覚えている。

    これが、「いつまでも子供の心を」とか
    美しいもんじゃねえんだよな。

    “気持ち”は、喜ぶべきか恥じるべきか
    はっきり言って、今とほとんど変わらんのだ。
    違うのは、年を取る毎に知識や経験が増えていき
    それのおかげで、理解できる状況が増えただけって感じ。

    特に高校ぐらいの頃は
    わからない=不安 に繋がって
    文字通り、とても不安定な精神状態だったもんだ。

    年齢を重ねるにつれ、知識と経験で
    物事ってのは、本質は単純なんだと気付いてくる。
    そこでようやく落ち着くんだが
    これは実は、頭が良くなったわけではない。
    基本的なバカさ加減は、ほとんど変更なしである。

    これに気付いたら、ちょっと沈むが
    頭の良し悪しは一生固定項目のようだ。

    この“頭の良し悪し”は、学校の成績の事ではない。
    記憶力、理解力、判断力、応用力、順応力などなど。
    ほんと、脳の働きみたいなもんだな。

    しかも、これが年々衰えてくるんだよ。
    私なんか、20歳を過ぎたあたりで
    ガクーーーーーッときて
    不安になって、兄に相談したもんね。
    「頭の中に霧が掛かってない?」

    身内は冷たいもんで、即、流されたが
    あの頃は、自分の脳細胞が日々死んでいくのが
    実感できて、いずれ脳死状態になるんじゃないかと
    マジですんげえ怖かったもんだ。

    今じゃ生きてる脳細胞はロクに働かずに
    生き長らえているヤツらばっかりなんで
    悩みも減って目出度えもんさ。

    だから、頭が鈍くなるってのも
    本人にとっちゃ、そう不幸な事じゃないかも知れん。
    ただ、頑固者ってのは、周囲には迷惑だよな。

    ニンテンドー、相変わらず良いところに着目する。