頭も性格も顔も悪いくせに、無意味に自信満々のヤツっているだろ?
(あっ、こっち見るな!) あれ、何でだと思うか?
それは、愛されてる自覚があるからだ。
具体的な事例じゃなく、漠然と自分に自信がなくて
そのせいで色んな事が上手くいかない、というのは
愛されているという自覚が持てないヤツに多い気がする。
こういうタイプは、無意識に愛に渇望していて
私から見れば、周囲に充分に愛があるのに贅沢である。
どんだけヒーロー扱いされれば満足なのか
と、突っ込みたいぐらい欲深いと思う。
向上心なら良い事だけど、自分と周囲に期待しすぎだろう。
愛は “自覚” して、初めて存在しうるものなのだ。
私はよく批判されるし、えれえ嫌われる事も多い。
だけどそれも “愛” だと捉えている。
メールで罵倒されたり、ここにも非難コメントがたまにあって
それはやっぱり、動悸や息切れがするぐらいショックだけど
ああ、イヤなものを見た、と無視すりゃ済むものを
わざわざ言ってきてくれるなど、親切な人だとマジで思う。
店員のおねえさんが愛想が良いのも、客としての愛を貰ってるからだし
親族が口うるさいのも、身内として気にかけてもらっているからだし
近所の人の陰口も、自分の存在を認められているからだ。
人は生きているだけで、毎日愛のやり取りをしているのだ。
どうした “イイ性格” だと言われそうだが
嫌う = 気になる = 愛 という三段論法。
一番愛のない反応は、“どうでもいい” である。
これは極論だろうな、と常々自分でも思っていたが
先日TVで、マザーテレサ (だったと思う) が
似たような事を言っていたと知り
(そのせっかくの名言も忘れてしもうたが)
ほら見た事か! と、高笑いをしたさ。
世界的な偉人は、益々私を調子づかせてしまったわけだ。
世の中に、愛された事のないヤツなどいない。
何故かっちゅうと、産まれてきた事自体が既に愛された証拠だからである。
各々事情はあれど、妊娠中ってすげえ辛いらしいし
出産ともなると死の危険があるし、育児などそりゃもう大変で
そこに愛がひとかけらもなかったわけがない。
関わった人が何と思おうと、言おうとだ。
愛があればすべてを乗り越えられる、とは決して思わないけど
その愛に対する感謝を持っているのといないのとでは
人生を歩むラクさに、かなりの差が出ると思う。
自分に自信が持てない人は、まず生きている事に感謝をしてみろ。
良い事などひとつもなくて、辛いばかりだとしても
だからこそ、今まで生き延びてきた事が奇跡だと思え。
不幸なヤツほど小さな幸せを探し始めるが、それが正解である。
せせこましい話かも知れんけど、幸せなどその積み重ねなんだよ。
不満をつのらせるより、そういう自己啓発みたいなものに
忙しくしてる方が、よっぽど実りがあるってもんだろ。
ちなみに、私は自分に自信があるか? と問われたら
「よく考えると、ない」 というのが答。
そもそも、そういう事をよく考える必要などあるのか?
自分の価値や意味など、答があるものなのか?
仮に価値がなかったとして、だから何なんだ?
自分が存在している事だけは、紛れもない現実だろう。
えっ、ここまできて、タイトルをひっくり返すような方向? だが
そういう自分で自分の首を絞めるような思考をし始めたら
ちょっとウツ入ってるな、と思った方がいい。
そんな哲学は自傷行為にも等しいから、考えるべきではない。
生きてるだけで丸儲け、で良いじゃん。
それ以上の事を望むのは、絶好調の時にしろ。
この意見を、「生温い」 と思うヤツは
苦難の道を自ら好んで歩いていないか?
幸不幸など、自分の感覚が決めるものだから。