カテゴリー: 自分語り?哲学?

  • よき父親

    ハリウッド映画でよくある話だけど
    夫もしくは父親が忙しいのを責める設定、
    それがものすごく腹が立つ。

    あれ、何なの?
    “家族を大事にする” には
    たとえ全米の危機を放っといても
    授業参観とか行かなくちゃいけないの?

    仕事がちょっとたてこんでいたら
    すぐ離婚だの父親失格だの言われるの?
    誰のおかげで住んで着て食えるのか、考えないの?

     

    私の父親は年中無休の仕事をしていた。
    参観日は一回しか来た事がないし
    運動会とか行事関係など、一度も来た事がない。

    それを私は寂しいとも思わなかった。
    普段から忙しいのを目にしていたし
    何より母親のしつけがあったからである。

    母親は、事あるごとに言っていた。
    「あなたがこれを食べられる (or着られる) のも
    おとうちゃまが仕事をしてくれているからなのよ。」
     

    言っておくが、私は “おとうちゃま” とは呼んでいないぞ。
    かあちゃんの勝手な母親ドリームで
    私は乳児の頃に、来る客来る客がこぞって
    「パパはどれ?」「ママはどれ?」 と、やってくれたせいで
    “パパ”“ママ” 呼びになったのだ。

    母親が病弱で、しょっちゅう近所に預けられていたので
    そこんちの人が、“おとうさん”“おかあさん”。
    よって私の実親は、死んでも “パパ”“ママ” なのである。

    ここで、“とうちゃん”“かあちゃん” と言っているのは
    “パパ”“ママ” じゃ締まらないし
    かといって “おやじ”“おふくろ” は、あんまりだろ
    というわけなのだ。

     

    母親は、クリスマスツリーを飾り付け
    ケーキを食わせながらも
    「このプレゼントは、おとうちゃまが
    一生懸命に働いてくれるから買えたのよ。
    知らないおじいさんが持ってきてくれるわけじゃないのよ。」
    と、幼児の私に、サンタクロース全否定をかましてくれた。

    おかげで、妙なドリームは見ずに済んだが
    私のイベント嫌いを、このせいにして良いかな?

     

    そういう母親のおかげで、父親が家庭をかえりみないのも
    理不尽な事で怒られるのも、毎晩酔っ払って騒ぐのも
    仕事が忙しいからだ、で納得できた。

    今、たった今、気付いたけど
    うちのとうちゃんはアル中の子供嫌いだったようだ。
    一日も飲まない日はなかったし
    私が大人になってからしか相手にしてくれなかったもん。
    うわ、最悪の家庭環境・・・。

    かあちゃんがしきりに、とうちゃんを擁護していたのも
    自分にそう言い聞かせていた面もあるんだろうな。

     

    だから私は、何とかして時間を作ろうとする
    映画やドラマの主人公がうっとうしい。
    そして、忙しい主人公を休ませようとする妻子が
    ものすごく頭に来る。

    何で家庭ドラマをストーリーに入れるんだろう?
    すぐ恋愛が始まるのもそうだけど
    そういう横道、いらねえんじゃねえの?

    私の言う事を聞いていると
    えらい殺伐とした話になるだろうけど
    そういう話をアホウが観て、真に受けて
    バカンスを要求したり、労働時間を短縮したりしかねん。
    そういう事をしている場合か? アメリカ。

     

    て言うか、日本って
    どこどこの国はこんなに幸せ感があって
    休みも多くて、と、すぐ比べるけど
    国力は? GDPは? GNPは?
    それらが日本以上の国と比較せえよ。

    ああ、もう、ほんとイライラする!
    日本があくせく働いてる間に
    シェスタとかやってる国とか
    ユーロのお荷物になってるじゃねえかよ。

    よそはよそ、うちはうち!!!
    民族には個性があるんだから
    財布は一緒にしない方が良いと思う。

    けど、日本はムダな手順が多い事もあるから
    それは国内の問題として、どことも比べずに
    改良していくべきなのはある。

     

    ドラマや映画を観る度に思うんだけど
    家族を守るために、家庭より優先すべき時ってあるよな。

    私がこういう考えなのは、すべて親のせい。 ほほほ

     

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    季節外れにも程があるアフィリ。
    南半球は真夏のクリスマスだから
    と、わけのわからない理由付け。
    オーストラリアじゃ
    サンタ、いや、どっかの知らないおじいさんが
    あの格好でサーフィンしながら来るんだってよ。

  • 天然

    年に1~2回、自分が天然じゃないだろうか? と悩む時ってないか?

    世には “天然” を売りにしている人もいるけど
    計算ならば、自己プロデュースだから問題ない。
    だけど知らず知らずの内にバカな事をしでかしても
    人はそれを 「天然だから」 と、許してくれると思うんだ。

    そんな事になるのがイヤだから、時々自分をかえりみて
    ものすごく不安になるんだよーーー。
    知らずに人に 「やれやれ」 と溜め息を付かれてるとしたら
    気付かない内に迷惑をかけてるって事じゃん。
    私は、それがイヤなんだよー。

     

    ついこの前も、天然不安にさいなまれて 思いきって人に訊いてみたんだ。 「私って天然?」 って。

    そしたら間髪入れずにナチュラルに肯定された・・・。
    いつもなら、ここでショックを受けて思考停止をするけど
    今回は覚悟を決めていたので、「どこが?」 と訊く事ができた。

    そしたら、「自分じゃわかんないでしょ、ふふ。」

    ・・・・・・・・・・・・ この返事は想定外だった!!!!!

     

    もう、ええっ? って、ほんと ええっ? って衝撃を受けて
    思考停止をしそうになったけど、覚悟が略なので
    「わ、私、常識あるよね?」 と、多分泣きそうな顔で訊き直した。

    そしたら、「常識はあるけど、時々突き抜けるのよ。」 と言われ
    そこで力尽き、思考停止。
    “突き抜ける” って何だよ・・・?

     

    冷静さを取り戻した今、分析すると
    どうも世の中は “天然” に対して 幅広い解釈で
    しかもそう悪くは取られてないようだ。

    私は天然なんか大っ嫌いだから、言われたくないけど
    他の人はそうでもないから、気軽に私を天然認定するんじゃないかと。
    ああ、そうだよ! 言い訳開始してるよ!

     

    でも私、自分で言うのも何だけど、ほんと常識的なんだよー。
    ちゃんと和も大事にするし、社会性を持つように気を付けている。

    ただ時々、自分でもよくわからないミス?をする事はある。
    それが “突き抜けている” って事・・・?
    そんな大層なミスはしていないと思うんだけど
    まさか本当に自分では気付いてない “何か” をしてるとか?
    いやああああああああああああああ!!!!!!!

     

    と、まあ、このように、よくわからない “天然” に対して
    恐怖と憎しみを持って、迷ってしまうんだな。

    他の人はこういう事で悩まないんだろうか?
    そもそも私も、何で悩んでいるんだろう?
    自分でも “天然” だと疑っていないと悩まないよね・・・?

    ・・・あっ、今、言っちゃいけない事を言った気がする!
    天然とか自分で思ってしまったら、人前での言動が恐くなる。
    私は大丈夫、充分に常識的、普通の振る舞いをしてる大丈夫大丈夫。

     

    今さ、色々病名が付いているだろ
    社会不適応障害みたいな感じで。
    それになりたくないんで、あがいてるとこもあるけど
    よく考えたら、この歳で何をやっとんのだろうな。

    だけど悩まない人ほど、ロクでもねえ言動をしてるはず。
    悩んでる分、私には良心がある!

    と、ここで締めるのがいつものパターンなんだ。

     

    今日はただのグチ記事だけど、私には大きな恐怖なんだよー。
    似たような事で悩む仲間がいれば
    “皆、一緒” と安心できるんだがなあ。

    同類が何人いようが免罪符にはならんけど
    今回はそう罪も犯してねえよな。

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    ラピスラズリ、めちゃくちゃ好き!
    きれいな青に、金が散りばめられているんだ。
    でも天然のままじゃ硬度が低くてすぐ割れるから
    粉々にして練り直すんだって。
    そうすると金が消えてしまうんだよ・・・。
    そんなラピスラズリの地球儀、ラブリー!

  • 何となく

    皆、日常で “何となく” ってものすごく理由になってねえ?
    おそらく人々の動機No.1だと思う。
     
    私が雑談記事で書く文章は、本当に私の言葉なんだ。
    “何か” って、しょっちゅう書いているけど
    リアルでも、しょっちゅう言っている。
     
    他にも、“ていうか”“いや、”“ちが (違う)” 等
    私は口癖がとても多いのが、自分でもわかって凄く嫌。
    口癖、何かバカみたいじゃん。
    ああ・・・また “何か” 言いよるし。
     
     
    この “何か”、どういう意味だろうな、と、ふと考えてみた。
    これ、“何となく” と、ほぼ同じニュアンスで使っているようだ。
     
    やる気のねえ時の例えにばかり、飯の話を出すのはごめん、として
    「んーーー、今日は何か麺類かなあ・・・。」
    ってのは、「んーーー、今日は何となく麺類って気分かなあ。」
    な? 同じ事だろ?
     
    同じかどうかは主観によって違うだろうけど
    少なくとも私には、この2つは同じ心境。
     
     
    私の “何か” は、まあどうでも良いとして
    何故にもこんなに世の中に “何となく” がはびこっているのか?
     
    それは私たちが一生懸命な民族だからだ!
     
    さあ、お約束の注釈。
    これは他の民族を貶める (おとしめる) 意図はありません。
    ただ単に、“日本人日本人” 言ってたら
    すぐに右翼扱いするバカがいるので、それ避けです。
     
    おめえら、時代遅れなんだよ!
    右翼左翼は、高度経済発展時の民間人の流行的思想でしかない。
    ブルジョアジーの知的ぶりっこさ。
    (ブルジョアとは、確か金持ちだけど身分がない平民、という意味だったはず。
     調べないから、間違ってたら教えて。 今後、私が恥をかくから。)
     
     
    ここらへんに悪意的につっつかられると、キイキイ言いだす私は置いといて
    何故、一生懸命 → 何となく なのか?
     
    それは我々日本人が (← 結局日本日本言ってる)
    必殺仕事人の中村主税の要素を持っているからである。
     
    ただし中村主税は昼夜逆転の “何となく” ね。
    普通の日本人は、仕事となるとシャキーン! とする。 はず。
    そしてそれに全力投球するから、オフの時間はダラけてしまって
    割にどうでも良い部分が多くなる、というのが私の説なんだ。
     
     
    かくいうこの私も、キーボードを持つと
    どっかにある “やる気スイッチ” がポチッとな、と入る。
    そして文豪に変身するのである。
     
    キーボードを持っていない私は
    ただの上品で知的でナイスバディーな淑女でしかない。
    若さについては、もう自信ゼロ。
    ゴッと老けちゃったよー。
    マスクを付けない真夏は、ババアのコスプレをせにゃならん・・・。
     
     
    あ、余談だがな、この前服を買った時に
    「うーん、これ、いくつまでイケますかねえ?」 と
    店員さんと話してて、「アラフォーまでなら充分ですよ。」 と言われたさ。
     
    ほーーーーーーーーーほほほほほほほほほほほ
     
    ごめん! マスクしててごめん! 卑怯くさくてごっめーん!!!
    でも店員さんは売れれば良いだろうし、恥を掻くのは私だし自業自得だよなっ。
     
    にしても、マスクの威力、いや顔半分下の老け方か、問題は。
    冬は良いけど、買ったの、春夏ものなんだよな・・・。
    かなり特殊なデザインなんで、今年の夏の私は笑い者か?
     
     
    ・・・・・・なあ、皆、気付いてた?
    私、この記事で論点1行ぐらいしか言ってない・・・。
    あと全部、余談雑談・・・。
     
    とうとうここまで井戸端的な事しか言えなくなったか・・・
    と、自分の凡化に感慨深いものがあるよ。
    これで、そこらへんのジジババ相手に世間話を楽しく出来る日も近い。
     
    ・・・あ、そうか、そういう時に “何となく” 喋っていれば良いのか。
    でもご近所付き合いって、むちゃくちゃ大事だし
    無難な話題って、人の地雷がわからないと難しいし
    お天気、気温、あと何があるっけ?
    私には、食い物どうでもいい、というハンデがあるんだよな。
     
    ・・・そういう時、日本人ならではの協調性!
    (ほら、日本日本言ってる。)(良いじゃん!!!)
     
     
    今日の記事、くだらなさ過ぎてヤベえ・・・。
     
     

    評価:

    不二家


    ¥ 1,916

    コメント:これのイチゴ味がむっちゃ美味かった! 身も蓋もないレビューすいませんーーーっ! いや私、ミルキーはイチゴ味の方が好きでさ。 外硬く、中サクサクのドロリもあるでよ、というエロイ食感。 下品レビューすいませんーーーっ!

  • 頑張れ!

    「頑張って」
    この言葉に、割りかし動揺させられている。
     
    私の場合は、まるっきり頑張っていないので
    単に図星を差されて、キョドっとるだけなんだが
    頑張っている人にとっては、「え? 私、頑張ってないの?」 と
    自分の努力を全否定された気分になる場合もあると思うんだ。
     
    でもこの言葉がピキッと来るのは、言う相手による。
    大抵の人には、言われても腹が立たないどころか
    素直に激励として受け取れて、ありがたいと感謝させられるからだ。
     
    でも何故か言われて嫌な気持ちにさせられる相手もいるので
    この言葉は、言う人をものすごく選ぶ言葉だと思う。
     
    いや、この言葉を言って相手を不愉快にさせる人って
    ものすごく少ないんだけど、強烈だから印象に残るんだろうな。
     
     
    と言うのも、私の苦手なタイプに “押し付ける人” ってのがいる。
    自分の感覚が、普通で大多数で正義だと信じて疑わない人
    大変アピール、忙しいアピールが激しい人
    人生楽しまなくちゃ、と幸せ探しに夢中な人
     
    要するに、それをひとりでコツコツやってる分には文句もない
    て言うか、逆に偉いな、とまで思うはずなのに
    それをやってる自分って、偉いでしょ凄いでしょ、と
    周囲に表現しまくるのが、うっとうしいのである。
     
    こういうヤツに限って、「頑張ろ?」 と言う。
    「頑張ろう」 じゃなく、「頑張ろう?」 なんだよ。
    語尾の “?” が、すげえイラッとさせられるんだよー。
     
    ひとりでやってくれよ、巻き込むなよ
    そもそも何でこっちが頑張っていない、と決め付けてるんだよ?
     
     
    だけどこういうタイプには、一切何も言わない。
    一度訊いてみた事があるんだ。
    「私、頑張ってないように見える?」 って。
     
    そしたら
     
    「ああ、うんうん、いいのいいの、頑張ってるよね?
    でも努力に終わりはないと思うの。 世界って広いんだよ?」
     
    みたいな事を、申し訳なさそうに ← !!! 言われて
    一体どっから逆上すれば良いのか、激しく混乱させられたからだ。
    ああああああああああああああああああ
     
    こういうタイプは、産まれたてのLV1からメダパニの呪文を持っていると思う。
    相手にかける用バーサクの呪文も、幼少時のLV3ぐらいで取得できると思う。
    そんで職業は、氷系魔法使いだと思う。
    アストロンも持っていると思う。
     
    (解説しよう!
     メダパニってのは、ドラクエの敵を混乱させる魔法。
     バーサクってのは、相手を狂戦士状態にする魔法。
     氷系魔法は、もちろん心を凍えさせ
     ひどい時にはフリーズもさせられる。
     アストロンは、自分が数十秒間ぐらい鋼鉄の塊になって
     外部の攻撃を一切受け付けなくする魔法である。)
     
    お・・・恐ろしい・・・、と心底冷えきって
    それ以上突っ込むのをやめたぜ。
    私にも敵わない相手ってのはいる。
    ほんと、おっしゃる通り、世界って広いのお。
     
     
    何かさ、こういう事を言うヤツって、目が違うんだよ。
    よくよく考えてみたら、宗教やマルチにはまってるヤツと
    同じ目の輝きをしているんだ。
    目が合ってるはずなのに、相手は自分の目を見ているはずなのに
    焦点がものすごく遠くを見ているような、そんな目つき。
     
    どれも同じく、盲信ってやつだよな。
    そういうタイプには関わらん方が吉だぜ。
     
     
    こういうヤツらのせいで、私は 「頑張れ」 という言葉が好きじゃなくなり
    使うのにも、大丈夫かな、とちゅうちょするようになっちゃったんだが
    この言葉を使わずに励ます、って結構大変なんだよな。
     
    だから、つい言ってしまう場面も多いんだが
    やっぱり言った後に、ちょっとハラハラしてしまう自分がいる。
     
     
    いらんヤツらの標準語のようになってしまって
    「頑張れ」、ほんと、可哀想だと思う。
     
     
     

    評価:

    株式会社タコー


    ¥ 4,800

    コメント:えーと、この板が発生させるマイナスイオンで、静電気と電磁波から身を守れるんだと。 ばかもの! ヒランヤシールと一緒にすな! これは、第11回国際発明展金賞受賞1999.3米国特許取得済み という、何か偉い肩書きが付いてるんだぞ。

  • バカにする

    この言葉、たまに言う人がいるんだけど
    その意図がわからなかった。
     
    人が人をバカにする事は、普通にある。
    でも私にそのつもりがない時に、「バカにしてるの?」 と言う人は
    何をそう感じて言うんだろう? と、本当に不思議だったんだ。
     
     
    そもそも、この “私” が人をバカにする場合は
    槍で相手の胸を突いてえぐるように、徹底的にするので
    「バカにしてるの?」 など、訊くまでもないからだ。
     
    ああ、でもこれは “罵倒” だな。
    “バカにする” は、もっと軽いよな。
    対等性もない気がするなあ。
     
    私は何様だけど、知能的にも経験的にもアホウだと自覚しているんで
    対等じゃない付き合いは、そのほとんどを相手が上だと見なすんだ。
    そんな相手をバカにする・・・、ないよな。
     
     
    だからきっと、私のふざけた態度が
    バカにしているように見えているんだろう、と思っていた。
    だったら違うよ、誤解だよ
    私は真面目にふざけてるんだよ、とも言ってきた。
     
    だけどブログを書き続けてきた、この10年、ムダじゃなかった。
    コメントでのやり取りで、ちょっとわかったよ。
    “バカにする” と言う心理が!
     
     
    人が自分やその関係の話をする時に
    自分が気に入らない評価だと
    “バカにしている” と思う人がいるのである。
     
    単なる感想も、正当な文句も、悪口も
    私がよくする “面白がる” のも、果ては起きた事実を言うだけでも
    自分が納得しないと、全部 “バカにしている” になる。
     
     
    これは、自分を過剰に守っているのだと思う。
    大抵の人は、自分が何かを言われた時には
    “言われた理由”、つまり自分の言動を省みる。
     
    ところが絶対に傷付きたくない人は
    被害者意識を強くして、自分を守るのである。
    「バカにしてる?」 = 相手がヒドい と非難しているわけだ。
     
    いやいや、そうじゃなく、こういう事なんだよ
    と説明しても、そういう思考のクセが付いている人は
    自分の思う通りの評価をされていない事にしか、目が行かないのだ。
    言われるだけの原因が自分にあるかも知れないのに、それを探そうとしない。
     
     
    こういう心理は、誰でもわかるであろう。
    だって傷付きたくないもんな。
    私なんてほぼ9割方は、付く必要のない傷で
    人生ムダに苦労してるなあ、と我ながら悲しいけど、それも
     
    自業自得! もしくは 自己責任!
     
    とか、えらい格好良い事を言うとるが、その実態は
    うわあん、また非難されたー、きついよー、悲しいよー
    と、のたうち回っているだけだ。
     
    年老いて得した事と言えば、物忘れがより一層良くなったんで
    昨日腹壊したのに、今日またアイスを食うような真似が出来るとこだな。
    つまりは、1個も学習していないんで
    年寄りへの忠言はムダ、という見事な生き証人だよな。
     
     
    直す直さない、八つ当たる八つ当たらないは別として
    私は自業自得、自己責任、天罰ドーン! は
    恐々ながらも受け入れているので、それが不幸な出来事だとは思わない。
    いや、充分に不幸だけど、納得できるだけマシっちゅうか。
     
    でも、責任を取りたくない、バチなんて当たりたくない
    悪いのは私じゃなく他の人よ環境よ、と言う人は
    バカにしてるバカにしてる、と騒ぎたくなるんだろう。
     
     
    ここまでは、普通の道筋による思考。
    こっからは経験による答。
     
    「バカにしてるの?」 は、言葉だけで思われるのではない。
    その場その場にあった、適切な言動をしていないと
    そいつがふざけているように見えるのだ。
    つまり、これからは “言われる側に非がある” という説。
     
     
    和を尊ぶ日本では、意思の統一が重要視される。
    狭い島国ではそうやって治めないと、逃げ場がないからだ。
     
    だからTPOが、ものすごく大事になってくる。
    この “TPO”、何の略かというと
    Time (時)、Place (場所)、Occasion (場合)。
     
    何でいちいち英語を使うのか
    日本にはこれをひとことで表わす素晴らしい言葉があるのに。
     
    空 気
     
     
    TPOに合わせない人は、つまり空気を読まない人は
    その場にいる人のみならず、その場を穢す事にもなりかねない。
    その良い例が、冠婚葬祭である。
     
    日常の場面でも、あまりにも周囲とかけ離れた言動を繰り出すと
    その場に “軽蔑” という雰囲気が生まれる。
    「バカにしてるの?」 と言いながら
    その実は、こっちが相手をバカにしているのである。
    「おめえ、ちっとは空気を読んでくれよ!」 と。
     
     
    私がどっちの意味で言われてるのか、
    きっと両方の意味で、満遍なく怒られてるのだろう。
     
    そういう頭の悪いヤツにも、最後のチャンスはちゃんと残されている。
    それは、“愛すべきバカ”。
    バカにされる事と愛は、どうやら関係ない時もあるみたいなんだ。
     
    空気を読むのがヘタでも、周囲に合わせて
    わからない時や怪しい時は、口も手も出さずに大人しくしておこう。
    それを3回のうち1回成功させていれば
    そう悪気はない、と世間様は受け取ってくれるかも知れない。
     
    いずれにしても、良い意味でも悪い意味でも
    愛・最強! だな。
     
     
    いやあー、にしても、まさか自分が “愛されバカ” とか
    そういう情けない地位を、視野に入れる事になるとは思ってもいなかったよ。
     
    だって私は天才でナイスバディーなんだから
    尊敬されてしかるべき! と自信満々でいたら、あれえ? だったよ。
    人の評価というのは、本当に思いがけない方向に行くよな。
     
    しょうがねえ、私は今はバカで良いや。
    “能ある鷹は爪を隠す” の、ことわざにもあるように
    私にも爪がどっかに隠れているんで、えっと
    いや、その隠した場所がどこか、ちょっと忘れて
    うるせえ! その内、ノーベル平和賞でも取って
    実はわたくし本当に天才でしたのよほほほほほ、と奢り高ぶるよ。
    あの18金のメダルは換金させてもらうがな。
     
    ↑ こういう言動がバカにされる原因。
     
     

    評価:

    Public Design/Floyd


    ¥ 2,625

    コメント:アフィっといて何だけど、こういうのを買うヤツは ど う か し て る ぜ! “メダル” の検索で出てきた中でも、目を引いた逸品。 他にも色んな模様があるから、ネタ的プレゼントとしては、一瞬だけ面白いかも。

  • 天才

    私、すっげえバカなんだよねー、みたいな事を言ったら
    「本当は自分が頭が良いと思ってるくせに
     あんたのそういう謙遜、ムカつく」 と言われた。
     
    これが良い大人を通り越した、初老の会話かと思われるだろうが
    人間の真の内面って、割に25歳ぐらいで色々とストップしてしまうんだ。
     
    で、その煽りを言われた私は
    へえ、こいつ、私の事を頭が良いと思ってるんだ?
    と、とても嬉しかったのが顔に出てたようで
    ものすごく嫌な顔をされた。
     
     
    意外だろうが、私は自分を “頭が良い” とは思っていない。
    “頭が良い” って、勉強が出来るとか色々知ってるとかじゃないだろ。
     
    私は義務教育までは勉強が出来たし
    内容の質さえ問わないのなら、広く浅く知っている事もある。
     
    そこらへん面倒くさい時は、全部ひっくるめて
    “頭が良い” 自称もしているのだけど
    恥知らずゆえに、客観性も持っているので
    どうも自分があまり頭がよろしくない事がわかってしまうのだ。
     
    どういうのが “頭が良い” のか、突っ込まれたら答に困るんだけど
    少なくとも、物覚えが悪くて物忘れが激しくて
    空気が読めない言動と、ありえない失敗を繰り返すババアは
    決して “頭が良い” とは言えないと思う。
     
    そこで、何が何でも自画自賛したい私は
    “天才” を、本気! で自称しているのだが
    ほら、私、優れた客観性があるじゃん
    何か最近、天才ですらない事に気付きつつあるんだよ・・・。
     
     
    大真面目に天才を自称しているので
    小説も書いているからには、“文豪” も自称せんと気が済まない。
     
    でも、客観性略なので、ノーベル文学賞までは言えず
    政治的要素の強いノーベル平和賞に八つ当たりをしているわけで
    そのノーベル平和賞を盗った暁には、確か賞金みたいなんが出るけど
    それは震災のために諸経費を除いて全額寄付をしよう、と思っているんだ。
     
    そんな善行をしていたら、きっとどこかのお金持ちが
    何かしら恵んでくれるだろうから
    その際には、マンションをおねだりしよう、と決めている。
     
    そこで、関西のどこに住むのが便利が良いか
    地図を見て研究してたりする。
     
    周囲の人に、どこに住みたいアンケートを取ったりしてるのは
    実はそういう意味があった、など口が裂けても言えない。 ほほほ
     
     
    と、いらん日常をポロリしたところで、本題に戻ると
    『ほら、私、優れた客観性があるじゃん』
    ・・・上記のこれは冗談じゃなくて、マジであるんだよ、客観性。
    恥知らずゆえに。
     
    恥を恥と思える人は、自分の欠点をあまり直視したくないだろ?
    私は、「ま、いいか。 私も万能じゃないし。」 と
    恥知らずな自己弁護を出来るので、欠点どすこい! なのだ。
     
    だから客観性がある。
    反省もするけど、改善する気は
    ないとは言わんけど、苦労の度合いによる。
     
     
    そんな私も、自分が何で本気で “天才” だと思えるのか
    よく考えたら、絶対におかしい気がするんだ。
    よく考えなかったら幸せなままなんだけど、何せ客観性略。
     
    そこで、自称 “天才” の動機について、掘り下げてみた。
    ら、答はすぐ出たぞ。
    どうも私は単純なようで、そう難しい心理でもなかったさ。
     
     
    私はドドド田舎の山村に生まれ育ったので
    6歳で幼稚園に入るまでは、同年代の子と接触する機会があまりなかった。
    いつもひとりで裏山に入っては遭難しかけてたさ。
     
    同年代がいない = 競争心が育たない
    これが、あると思う。
    私は、人と自分を比べる事をしないんだ。
     
    ああ、“マイペース” とよく言われてたのは、これか・・・
    と、結構なショックを受けたさ。
    「人に興味がないでしょ」 と、心外な事も言われるんだよ。
    人に興味がないヤツが、訓練ジジイを観察するかい!
     
    関連記事: 狡猾な愛すべき犬というヤツら 11.3.28
     
    世間は、人に注目する = 自分と比較する なんかな。
    いずれにしても、比較対象の存在は具体的な目標になるので
    するのとしないのとでは、頑張りが違うはず。
     
    私に競争心があれば、世界の私! になっていたろうに
    ほんと幼少時の環境って大事だよなあ。
     
     
    つまり、人と比べないから自分を天才だと思えるわけだ。
    では何故、“そんなに頭が良くない” と分析している自分を
    天才だと思えるのか?
     
    これ、言うのはどうかと思うんだけど
    私は単純に、また単純に、ほんっと信じられない単純な事に
    “人体の不思議を賞賛しているに過ぎない”、と結論づいた。
     
    ・・・ほんと、だから自分がバカだと思うんだよ・・・。
     
    どういう事かっちゅうと、例え話だけど
    危ない! と思った瞬間ブレーキを踏める、とか
    わけわからんパソコンのトラブルを、偶然直せた、とか
    夢で壮大な物語を見れる、とか
    そういった皆が出来る事々、それを私はものすごく得意がるわけだ。
    ある意味、えらい幸せな思考回路だよな。
     
     
    これで、そんなに迷惑はかけてはいないだろうから
    直す気がサラッサラないどころか
    自称天才の由来がわかって、益々言いやすくなったさ。
     
    でも自分ひとりの王国の王様じゃないぞ。
    私の世界には、ちゃんと皆がいる。
    中心は私だがな。 ほーほほほほほほ
     
     
     

    評価:

    加藤美蜂園本舗


    ¥ 591

    (2010-05-01)

    コメント:この “てんさい” とは “甜菜” と書いて、大根の一種だってさ。 糖って体を冷やすものが多いけど、甜菜は寒冷地で育つので体を温める、と言われてるそうな。 でもこれは俗説らしいから、自分に合うかで選べ。

  • 論点のすり替え

    最近、話が通じない人がチラホラいて
    私の日本語がおかしいのか、と悩みそうになっていたけど
    TVを観ていてもヘンだと感じるので、ちょっと考察をしてみた。
     
    これ、当たっているかはわからないけど
    人に注意や非難をされるのを極端に嫌がる人は
    どうも無意識に、“論点のすり替え” をやっているようである。
     
     
    今、私の身近な例が思い浮かばないので、例え話で説明するけど
    服を脱ぎ散らかす夫に、せめて靴下ぐらいは洗濯かごに入れて
    と妻が頼んだ時の夫の反論。
    「俺は毎日毎日、仕事で疲れてるんだよ!」
     
    彼女の欠点を指摘して、直してほしいと懇願した彼氏に
    図星を指されたのはわかっているけど、素直になれずについ
    「私も悪いとこがあるかも知れないけど、あなただって
     (こっから彼氏への不満をまくしたてる)」
     
    どういう人間関係でも、こういった事はよく起こるだろ?
    文句を言うと、多くの人は言い訳をし始めるか、論点をズラして怒る。
     
     
    ほぼ全部の言い訳が、「で、それで?」 な場合がほとんどだから
    ほんっと聞いている時間がムダに思えるけど
    人は “説明” をしないと、気が済まない生き物なので
    とりあえず、言い訳は一応聞く。
    “万が一” があるから。
     
    だけどそんな温情の最中でも、論点のすり替えだけは受け付けない。
    だって相手はそれで、自分を正当化しようとしているだけなのだから
    それは注意をしてくれた人に、とても失礼だろ。
     
     
    と言う私は、怒られても言い訳も反論もしない。
    論点のすり替えも、思い違い、勘違いをしてる時以外はしない。
    怒られるのが愛だと思っているのが、その一番の理由。
     
    一番がある、という事は他にも理由があるのか?
    うん、ある。
     
    ほら、冤罪って結構多くねえ?
     ・ え? それ、私がした (言った) 事じゃないよ?
     ・ ええーーー、○○さんに指示されたからしたのにーーー。
     
    この2つが、世の中では頻発してるはず。
    私はどんだけ悪に思われてるのか、1つ目の冤罪系が割に多いんで
    2つ目の事は、もう主張しない。
     
    いや、それは違う! と、必死で無実を訴えなきゃいけない時に備えて
    どうでもいい冤罪は、かぶるしかないのである。
    いくら正しい事でも、自分の主張ばかりしてたら
    「あの人は必ず言い訳をする」 と認識されるからだ。
     
     
    これ、納得できないかも知れないけど
    人生って不条理な事も、結構フツーにまかり通るんだよ。
     
    “出る杭は打たれる” の予言は当たっていて
    目立つ人は、色々と罪をかぶせられる。
    ましてや、普段から悪の言動をしていたら、悪い事のシワ寄せが来やすい。
     
    ここは、割り切らなければならない。
    何の邪魔もなく、思い通りに生きられる事などないんだから
    どっかを我慢すべきなのだ。
     
    私は好き放題に言い散らかしたいから
    シワ寄せ、どんと来い! だ。
     
    あ、それも程度問題で、あまりな言い掛かりには抵抗するぞ。
    でもそういう時でも、普段自分の非を認めていれば
    とっさの時に信じてもらいやすいんだよ。
     
     
    私の場合は、非難され慣れているし
    孤独なんで、罵倒だろうが何だろうが
    人がこっちを向いてくれる事が嬉しいんだけど
    そんな変質者は、そういないよな。
    そこで、未来に希望がある人に忠告したい。
     
    論点のすり替えが上手くなれ!
     
    その場ではおめえの勢いに押されて終わっても
    相手は必ず後になって、その時のおめえの言葉を思い返す。
    そこで疑問や反感を持たれたら
    おめえの必死の抗弁は、ムダどころか逆効果になる。
     
    多くの人は、「ええ? そんな事言うけど」「俺にも言い分が」 等の
    気軽な反抗心や自尊心で、ヘンな方向の反論をする。
    しかも、自分が否定された、と感じた途端、反射的に。
    これが間違いの元なのである。
     
    論点のすり替えを “つい” してしまう、と言う人は
    もう、それ前提で日頃から言葉に計算を尽くすべきなのだ。
     
    ・・・・・・・・・・・・・・
     
    あ・・・、ごめん、ここまで言って気付いたわ。
    肝心の、論点のすり替えのコツがわからん・・・。
    だって私は、土下座バッタだもん。
     
    あああ、こっからが本題のはずだったのにーーーっっっ。
     
    このブログでも、さすがにこういう展開は滅多にねえぞ。
    暑いのが・・・、この暑さが悪いんだ・・・。
     
    しょうがねえ、必殺 “白いものも黒” 作戦!
     
     
    ・・・うん、そうは言っても、ひとつ覚えておいてほしいんだ。
    おめえ自身のために。
     
     ・ 正義はひとつではない
     ・ 自分が正義とは限らない
     ・ てか、正義じゃなくても良い
     
    善でも悪でもなく、中間なのが人間だと思うんだ。
    完全なる善だったら、神系になる。
    人間というのは、神に近付こうと目指しているだけであって、神じゃない。
    善意を持とうとさえしていれば、善じゃなくても良くないか?
    (この考えを自分擁護に使い過ぎると地獄に堕ちるぞ。)
     
    私が提言したいのは、自分の感覚のすべてを
    自分の思う “自分” で、ガッチガチに固めなくても良いんじゃないか
    発展途上だから、人から突っ込まれる事もあるだろ
    て言うか、注意されてる内が華だぜ、って事。
     
    実際、欠点があっても完璧じゃなくても
    たとえ自分を否定されても、愛してもらえるんだから
    そこまで自分で自分を守る必要もなくねえ?
     
    注意してくれる人って、自分を見てくれてるわけだしさ。
    それもある種の愛だと言えるぞ。
     
    だから言い訳も反論も、本当はしなくて良い。
    論点のすり替えも・・・、な。
     
     
    見たか!
    この見事なる論点のすり替えを!
    ほーほほほほ ほーほほほほほほほ
     
    そうか、コツは “話をデカくする” なんだな。
    詐欺師の手法か、なるほどーーー。
     
     
     

    評価:

    コンフォーティスブラ


    ¥ 8,700

    コメント:バストアップのエクストリームブラを更に快適にした後継者だそうだ。 ワイヤーなしレースなしでタレ防止、キュンキュンこねえ? ババアの乳は拷問器具のような締め付けブラじゃないと上がらないので、体調が悪い日にはこれを・・・寿命が・・・。

  • 仕えられる人

    人間を2種類に分けるとする。
    人を使う人と、人に使われる人。
     
    私はもうここに来る全員が予想しているように、使う側
    ・・・・・・ではないのだ。
     
     
    私はまがりなりにも一応は、九州女なので
    主人に仕える事をよしとする。
    ただし、九州女にあるまじき、何様な条件付けをするがな。
    私が仕えるに ふ さ わ し い ご主人様の場合に限る、と。
     
    女医タレントの西川史子が、「私は尽くす女」 と言って
    それはないない、とバッシングをされていたが
    あれはこういう事なのだよ。
    私には西川史子の言いたい事が、とてもよくわかったぜ。
     
    私をひれ伏させる事が出来るヤツがいたら出てこいやー
    そりゃもう、心置きなく仕えさせてもらうぜ! って事なのだが
    もっと他に気立ても見目も良い娘さんたちが沢山いるので
    わざわざこんな面倒くせえ女性を相手にする必要もないわけだ。
     
     
    私のラブリーメイドさんっぷりを力説しているが
    この記事の本題は、“ご主人様” の方である。
    タイトルをよく読め。
     
    世の中にはな、素でご主人様体質のヤツがいるのだよ!!!
     
    ご主人様、っちゅうと、威張り散らして鼻にかけて
    すんげえヤなヤツ、ってイメージしかない。
    私も平民なので、そう思っていた。
    ところが、いたのだ。 身近にご主人様体質が。
     
    それは私の母親。
     
     
    ここで皆に問いたいが、人が仕事をしている横で何をする?
    自分も仕事をしている、という場合なら
    人をコキ使うのは、大好きなんだよ、私は。
     
    でも、たとえば家電が壊れた、だので
    修理屋さんがうちに来るとか、掃除屋さんを頼むとか
    他人が働いて自分が何もしない状況、ってのが
    もんのすごーーーく苦手なのである。
     
    え? 人が働いてるのに私は何もしなくて良いの?
    という気分にならんかあ?
    自分ちに人が来てるんだから、接待も必要だろ
     
    でも、こっちがそういう事をやってると
    間違いなく相手の仕事の邪魔になるんだよな。
     
     
    だから私は家電等が壊れると、世界が終わった気分になるのだが
    うちのかあちゃんは、それを感じない人種である。
     
    昔のある日、英語で言うところの ロングアゴーとか言うやつ?
    実家にノコノコ行くと、掃除をしている女性がいた。
    隠居後、週に2回掃除の人を頼みやがっていたんだ。
    庭師さんも頼んでいるし、ほんに羨ましい財力である。
     
    と思ったのも、つかのま。
    もう、間が持たなくて困る困る。
    自分ちでもないのに気を遣って、ウロウロするので
    「仕事の邪魔になるから、こっちに来ときなさい」 と
    かあちゃんに怒られる始末である。
     
    そういうかあちゃんは、実に優雅に時を過ごしていた。
    ちゃんと皿まで付いてる茶器でティーを飲みながら
    覗かれても支障のないマトモな小説を読んで
    まるで家の中には、自分以外の誰もいないかのようにくつろいでいる。
     
     
    掃除の人が帰ってから、訊いてみた。
    人が働いて自分が遊んでいるのって、罪悪感はないんか? と。
    すると、「あの人たちはそれが仕事なのよ」 みたいな事を
    何ちゅうか、イヤミなく自然に言うのである。
     
    えー、私には無理だなあ、落ち着かないじゃん と言うと
    ああ、あなたは育ちが良くないしね と
    実の親が言ったらダメだろ、という事をサラッと言いやがった。
     
    かあちゃんは幼い頃から使用人に囲まれた生活だったそうな。
    何でそれを私の代に持ってこないのか、と責めると
    ごめんなさいね、おとうちゃまが貧乏だったのよ と謝られた。
     
    何で貧乏人と結婚するんだよ と突っ込んだら
    今の貧乏な父の遺伝子じゃなければ、私は生まれてないので
    金持ちと結婚した場合は、私には一切関係ない
    みたいな正論を、ほほほ と笑いながらされ
    どう転んでも貧して鈍な運命かよ、私は! と、とてもイラついた。
     
     
    かあちゃんを見ていて思う。
    他人が横で自分のために働いているというのに
    あんなに自然体にくつろげるのは
    そういう境遇に生まれ育った者じゃないと無理! と。
     
    威張るでもなし、見張るでもなし、気遣うでもなく
    仕事人に全任せして干渉しないなど
    どんだけ人に、させ慣れてるんやら。
     
     
    使用人が大勢いる家の裕福具合など、想像も付かない愚民の私は
    仕事人の後ろをウロウロして、「あっ、ハサミがいるんですね」 とか
    気を利かせようとするだけじゃなく、沈黙に耐え切れず
    「この機械は何ですかあ?」 などと質問したりして
    マリオで言えば、クリボーのような存在になっておる。
    えらい微妙感ただようザコキャラなのが悲しいが、それが現実。
     
    今までの経験で、男性は会話と手が連動する、と知った。
    つまり会話をすると、手が止まるようになっているようだ。
    なので、話しかけるのは極力ひかえている。
     
     
    ていうか、もうどうすりゃ良いのかわからんので
    最初に訊いちゃうよ。
    「私、どうしてたら良いでしょう?」 って。
     
    皆、こっちの事は気にせず、自由にしててください、と言うんで
    その “自由” の度合いがわからねえんだよ! と思いつつ
    「他の人はどうしてますか?」 と、具体的に訊くと
    座ってTVを観てる人が大半だそうだ。
     
    「とにかく、くつろいでてください。」
    と、とても優しい事を言ってもらえるが
    私の “くつろぐ” は
    座椅子に寝転んで、足をコタツの上に乗せて、ケツを掻きながら
    ベビースターラーメン (チキン味) や柿の種を食いつつ
    ゲーム or ホラー なので、出来るわけがねえ!
     
    しかし、そこまで己をさらけ出したくないので
    「ではすみませんが、よろしくお願いします」 と言って
    普通に座って、観たくもねえTVを点けてボーッと眺めている。
    もう、10秒が6分ぐらいに感じるよ。
     
    普通に座るだけでも腹筋にこんかあ?
    ほんと普段の生活って、意外なところで露呈するよな。
     
     
    ああ・・・、仕事人来訪ってほんとしんどい・・・。
    実は家電が壊れたんで、こういう記事でグチグチと・・・。
     
     

    評価:

    iwaki


    ¥ 1,260

    コメント:二重構造のグラスはな、むっちゃ重宝するぞ! 水滴が発生しにくいはず。 ・・・いや、私は冷たいお飲み物は飲まないんでな。 すぐに腹を下す壊れババアだもんで、いついかなる時でも、“温かいお飲み物” だよ。 ヌルい、流行ってくれよ!

  • 女性の明るさのリスク

    コメント欄とかの皆の意見を聞いて、ふと思った事を言ってみる。
     
     
    リスクの意味は、“危険度”。
     
    “モラルリスク” という言葉もあって、これは本来は保険業界の用語で
    保険金詐欺などに使われるんで、真似しないで欲しいが
    私の中では、無意識に危険度の高い方向に行くヤツを
    「モラルリスクが高い」 と思っている。
     
    リスクにも色々あって、生命の危機、生活の危機、経済の危機 等
    とにかく、“安泰じゃなければヤベえよ!”
    という単純な使い方を、私はするわけだが
    これも多分、正しくない使い方なので、真似をするのはお勧めしない。
     
    てか、真似すんな真似すんな、正しくない、とか思うんなら書くな!
    っちゅう話なんだが、これは自分を守ってるだけなんで書く!
     
    よって真似するなら、自己責任でな、自己責任!
    んで、何かあったら教えて。
    そういう事故に合わないように気を付けるから。
     
     
    今回は人間関係における、女性の明るさに特化して書く。
     
    友人に数人、リスクの高いヤツがいる。
    嫌われる、ナメられる、バカにされる、ウザがられる、など。
     
    そんなヤツとよく友人でいられるな、と思うかも知れんが
    人間、誰しも欠点はあるわけじゃん。
     
    いや、私もナイスバディだが顔が悪い、とか欠点があるし
    物覚えが悪くて、物忘れが優れているなど
    類が友を呼びまくっている恐れもあるんだが
    そいつらのリスクは、“単なる欠点” だと私は捉えているんだ。
     
    付き合っていると、確かにウゼえ、と思うんだが、良いところもあるんだ。
    でも、初手で引くぐらい、欠点が目立つんだよ。
    これを私は、リスクが高えヤツだな、と思う。
     
     
    たとえば女性で言えば
    明るい性格の方向で、すんげえテンションが高いヤツ。
     
    私は、あまり人にナメられる事はない。
    自分で言うのはほんと情けないけど、アホウなのに何故?
     
    この疑問は、彼女らを見ていて解けた。
    私は普段のテンションが、すげえ低いんだ。
     
    明るいのは長所に思えるけど、ナメられる事が多い。
    友人にも数人いるし、同級生にもかなりの数でいた。
     
     
    何故ナメられるかと考えたら
    ひとつは、キャンキャン吠える座敷犬のようなテンション。
    もう、うるせえうるせえ。
     
    「キャーーーッ! 可愛いーーーーーーー!!!」
    と、気っ色悪い人形を見ても言っとる。
    他の言葉は、「うっそー」「ほんとー?」「すごーい」。
    3分に1度、この単語を叫ばれてみい
    そりゃもう毒沼に入ったかのように、寿命がゴゴッゴゴッと削られるんだ。
     
    このせいで、陰で嫌われていた子がいたが
    私はブチ切れて、本人に 「うるせえ!」 と怒鳴った。
    そしたら、「いいじゃん!」 と腕にしがみついてきた。
    結構しぶといヤツなようだ・・・。
    こいつとは今でも、連絡が取れる関係を保っている。
     
     
    次にこいつらがよくやるのが、“笑う”。
    傷付く事を言われても、その場で笑って流す。
    そして陰で泣くんだ。
     
    私はその場では気付かない、大概なポヤンなのだが
    はー、ほー、へー、ふーん、と、ハ行で無表情の反応をする。
    この無表情が、私の顔面構造上かなり無愛想に見えるらしいんで
    怒っている? となるようなのだ。
     
    女性の明るさは美徳として教えられるが、かなりの諸刃だと思う。
    とにかく何があっても笑顔でいれば切り抜けられる、とか言うけど
    私もたまに、それに助けられる事もあるけど
    ずっとそれでやっていける人は、単に運に恵まれてるとしか思えない。
     
    正直、女性は計算で笑顔を出した方が安全だと思う。
    締めるとこはビシッと締めんと、つけ込む輩も多い気がする。
     
     
    私の明るい友人たちは、お互いの存在すら知らず
    生まれ育った環境も、性格も、住んでる場所も共通点はないけど
    この、“明るいテンションの高さ“ という、たった1点で
    それぞれが似たような人間関係を築いている。
     
    学生時代は教師や同級生にナメられ、結婚してからは夫にナメられ
    近所の主婦仲間にナメられ、我が子にナメられているんだ。
    私には、そう見える。
     
     
    「それ、ナメられてるよ、ビシッと言ったら?」
    みたいに言っても、「でも」「だって」の嵐なんで
    力になれなくて、正直イライラする時もある。
    私が近所にいたら、暴れまくるのに!!!
     
    てか、近くにいた時は、そうしてた。
    たまに本人からストップが掛かってたんで、ありがた迷惑だったんかも。
    その手のヤツは、協和を大切にするから
    私の暴走は困りものだったんかも知れんなあ。
     
    そう考えると、性格が良いのがどっちかは、おのずとわかるが
    世の中の全員が善人じゃないんだから
    いつでもどこでも何があっても “良い人” なのは
    やっぱり、リスクが高いと思うんだ。
     
     
    嫌がらない断らない人は、人に嫌われたくないんだろ?
    それが何で、ナメられるか嫌われるかの二択になるのか
    本人たちは理不尽に思えるだろうけど
    弱肉強食のバトルフィールドに、知らずに引き込まれているんだよ。
     
    そこで無意識に負け続けているんだ。
    嫌われたくない、人を傷付けたくない、と言うから
    ナメられて傷付けられる。
     
    これはまるで、「世界はひとつ」 と言いながら
    他国にどんどんつけこまれていく我が国のようではないか。
     
    そこで、専守防衛ドーン!
    ナメられているのを止めたいヤツ、私の方法を試してみい。
    これは誰がやっても、効果があるから大丈夫。
     
     
    まず、ムカつく事を言われて怒れない状況だとする。
    相手がこっちの顔を見て言ってたら、チャンス!
     
    一瞬だけ、真顔になれ。
     
    ただ、これだけ。
    その後、いつものように受け答えをすれば良い。
     
    相手が見ていない時でも、この一瞬真顔をしたら周囲の誰かが気付く。
    そこから変わる事もある。
     
    この一瞬真顔、とにかくものすごく恐いんだ。
    その瞬間に、怒りを混ぜるか、悲しみを込めるかでも
    違うオーラを出せるので、練習してみい。
     
     
    そんな抵抗すらしたくないヤツは、とっとと犬死にせえ
     
    と言いたいところだけど、私は実は親切なので
    また何か、他の打つ手を考えてみるよ。
    私のひらめきよ、なるべくカミングスーン!
     
     
     

    評価:

    松原卓二

    メディアファクトリー


    ¥ 1,300

    (2012-04-20)

    コメント:動物好きに悪い人がいてごめん、私だ! ただし動物からは、出会った瞬間嫌われるんで、平和は乱していないと思う。 そんな動物好きなら、“笑顔” の単語検索で出てきたこれを貼らずにはおられまい。

  • 親の死

    今、日本中が浅田真央選手を思いやっている事であろう。
    かくいう私も、飯時にちょっとTVを点けたら
    ニュースでその話をやってて
    食わなきゃ体が冷えて動かなくなる、この寒い時期に
    むっちゃ飯、大事なのに、もらい泣き号泣で食欲ダウン
     
    ここ数年、TVを点けて良い事があった試しがねえ!
     
     
    それでなくとも冬場は、年寄り仲間がひとり抜けふたり抜け
    と、するので、暗鬱たる気分になるのだが
    ここは、そういう自分の寿命グチは置いといて
    世の子供たちに教えておこう。
     
    親の死は当たり前!
     
     
    うちのかあちゃんは、本来なら私を産む前に
    とっくに死んでいるはずの難病を患っていたので
    幼い私に向かって、「あなたが小学校に入るまで生きていられたら」
    小学生の私に、「あなたが中学生になるまで生きていられたら」
    中学生では、「あなたが高校生になるまで生きていられたら」
     
    で、私が高校生になって、ようやく
    自分が死ぬ死ぬ詐欺をやってた事に気付いたのか
    Death系の話題はしなくなったが
    どういう出番を感じたのか、次はとうちゃんが大晦日の度に
    「来年も家族皆で正月を迎えられると良いんじゃが・・・。」
    と、始めるようになった。
     
    明日がその、“来年の正月” なんだが
    と突っ込むと怒られそうなので、黙っていたのは親孝行!
     
     
    とまあ、親が年老いてから産まれた子供は
    常に親からの、寿命カウントダウンのプレッシャーが掛けられ
    家を出る度に、これが最後かも、と思い続けてきたわけだ。
     
    うちの親の凄いところは、その最期。
    とうちゃんは、死因もわからない変死だし
    かあちゃんは、院内感染で私の顔を見た途端に危篤だし
    最後の最後まで、さすがうちの親だと感心させられる展開。
     
     
    で、親の死を覚悟していた子供は
    立派に親を見送れたのか? というと
     
    兄妹ともどもパニくって、超・変なテンション!
     
     
    何かもう、覚悟は済んでるはずなのに、親が死んだとわかってるのに
    悲しみが1個もなくて、次なんだっけ? 葬儀社の手配?
    誰呼ぶの? いつ呼ぶの? どうやって呼ぶの? みたいな
    まるで、大爆笑しながらライオンに追われているような数日間だった。
     
    いや、兄と私がバカ過ぎるだけなんだけど
    うちの親の葬儀は、どっちも “葬式狂想曲” みたいな
    てんやわんやのしっちゃかめっちゃかな雰囲気で
    あの葬式で成仏できるなら、世話ないと思う・・・。
     
     
    私が真に泣けたのは、かあちゃんが死んでから丁度30日目に
    夢でかあちゃんが別れに来てくれた時だった。
    かあちゃんが行くのを、1秒でも引き止めようとしていた私は
    やっと親の死を悲しむ子供になれた。
     
    ちなみにとうちゃんの時は、死神みたいな白装束のじいさんが来て
    おまえの父親は地獄?に堕ちた?みたいな事を
    覚えられない仏教用語多用で怒鳴ってきたので
    あーあ、とうちゃん、やらかしたな、と思った。
     
    私の話は絶対に “良い話” で終わらせねえぞ。
    ま、とうちゃんの成仏を祈ってるけどさ。
     
    だから今でも、葬儀で泣いている人を見ると
    瞬時に現実を受け止められるなんて、本当に凄いと尊敬するよ。
     
     
    そういう、マトモじゃない事ばかりやってる私に
    何ひとつ助言されたくはないだろうが
    私が、したり顔で偉そぶって言いたいんで聞け。
     
    親は必ず死ぬ。
     
    死ななければ、ちょっとヤバい生き物かも知れない。
    というホラー好きの間の悪い冗談はともかく、
    “逆縁”(ぎゃくえん) って言葉を知ってるか?
     
    親より先に、子供が死ぬ事だ。
    これ以上の悲しみは世にない、とされている。
     
    まあ、親子関係にも色々あろうけど
    とにかく自分の死を子供に見せる事が、親の最後の子育てなのだ。
     
    親の死を喜べ、とは言わないけど
    逆縁をしなくて済んだのは、良かったと思うべきだと言いたい。
    いつだって、見送る側がより悲しいんだ。
    その悲しみを持って生きて行くのが、子供の義務だ。
     
     
    ちょっと不安になって、“逆縁” を調べてみた。
    元は仏教用語で、悪い事をして反省して仏門に入る事だってさ。
     
    基本的には、“順序が逆” って事を指して
    姉より妹が先に結婚する、とかいう場合にも使われるらしい。
     
    その中に、年長者が年下の者の葬式をする事、とあって
    もちろん親が子の葬式をする事も含まれているんで
    私の記憶は、やっぱり天才的だったわけだ。
    めでたし、めでたし、と。
     
     
     

    評価:

    新宿銀の蔵


    ¥ 6,430

    コメント:何か最近、皆こういうのをしてるよなー。 一体どこで誰が流行らせたんだ? と、常々疑問だったところに、知人がしてたんで意味を訊いたら、真面目な宗教だった・・・。 年齢層でガチさが違うものだと実感!