カテゴリー: 自分語り?哲学?

  • いらないサプライズ

    「喜ばない」  と責められた事が数度ある。
    全部、元彼にである。
     
    それもそうだろう。
    友人知人レベルでは、この指摘はしにくい。
    現に言われた後に、ケンカになった事もある。
     
     
    イベントだのサプライズだの、女は面倒くさい
    というのが世の常識だが
    私から言わせると、男性の方がよっぽどメルヘン脳である。
    誘い受けもひどい。
     
    プレゼントを渡す直前になって、「○○系って好き?」 と訊く。
    そしてそこで、悲劇にもって行くのが私である。
     
    例えば、「ネックレスとか、何でいつもしてないの?」
    「嫌いだから。」「え・・・。」
     
    はあ・・・・・
    その後に渡された箱のラッピングをほどいたら
    当然入っているのはネックレス、と思うだろ?
    だがペンダントだったのは、素人男性だから突っ込まない。
    けど、
     
    私 は 喜 ば な き ゃ な ら ん の か ?
     
     
    そりゃ喜ばにゃならんだろうな。
    でもな、私にも言い分はあるぞ。
    まず私の嗜好を、せめて好きなものぐらいはリサーチせえ!
     
    どの世界で一般的に外れがない贈り物になってるのか知らんが
    花、ぬいぐるみ、人形、アクセサリー
    私は大大大っっっ嫌いなんだよ!!!
     
    化粧品を贈っておきゃ間違いないんで
    簡単だと思うんだが、それだと面白くないんだと。
    自分が “サプライズ” じゃないんだと。
     
     
    その自己満足を理解してあげるのも、“付き合い” だよな。
    うん、そんぐらいわかる年頃になってきたんで
    波風を立てないようにはしているつもりだが
     
    そ れ を 買 う 金 を そ の ま ま く れ
     
    これが世の人々、老若男女の総意だよな?
    本音はこれだよな?
    そんな、自分の好みドンピシャのサプライズって
    一生に数度ぐらいのレベルの奇跡だよな?
     
     
    さて、何をイラ付いているのか、というと、別に何もない。
    ただ、つい最近、「喜んでいる時って、そうなんだー?」
    と言われて、昔の事を思い出しただけなんだ。
     
    私にプレゼントをして、それが本当に嬉しくても
    「うわあ、ありがとうーーー!!!」 と、はしゃぐのは
    私の素の表現ではない。
     
    グヘッとニタリ笑いをするだけ。
    でもよく観察していると、事ある毎にそれの方向を見ている。
    これが私の自然体での、最大級の喜びの表現なのである。
    気色悪い事この上ないが、私はテンションが低い人間なのだ。
     
    だけど、こういう態度ではあまりに失礼なので
    感謝の気持ちとともに、うわあ、ありがとうーーー! と
    大げさに喜びを表現しているけど
    わざとらしくないか、とってもヒヤヒヤする。
     
     
    嬉しいんだけど、表現は相手に合わせて無理をするのが疲れる。
    私って人格障害かも、とか思いつつも
    何とか社会で浮かないように、努めてきたつもりだったが
    「喜んでいる時って、そうなんだー?」 と言われて
    えっ? 全バレしてた? と、愕然とした。
     
    どうも、満面の作り笑顔の 「ありがとうーーー!」 の後に
    数秒して、ニタッと笑うか笑わないかで
    喜んでいるいないの判別をされたようである。
     
     
    ・・・笑ってたか・・・。
    良く言えば、正直っちゃあ正直なんだけど
    心情ダダ漏れは困るよな。
    そんで世間の人って、観察眼が鋭すぎるよな。
     
    にしても、数秒後の笑み・・・。
    そこに注目するなんて、凄すぎ!
     
     
    関連記事: 贈り物の難しさ 11.11.21 
     
     

    評価:

    LA CHERE


    ¥ 680

    コメント:私の人生に、これほどいらない物を初めて見た!!! 私にこれをくれる人がいたら、その勇気に逆に尊敬してしまうかも知れない。 その後、最大の敬意をはらって全力で攻撃させてもらうがな。 ・・・にしても、こいつの存在、ほんと奇跡と言っても過言じゃないぜ。 何に必&

  • 皆が皆そうじゃない

    私は誰が何を言おうと、バカにしたりはしない。
    そもそも、“人をバカにする” 事があまりないのだ。
    だって、その人にはその人の事情があるだろ。
     
    軽蔑する事はあるぞ。
    嫌う事もある。
    それは私の拒否反応であって
    私にも好き嫌いで付き合う相手を選ぶ権利はある、っちゅう事だ。
     
    でも、バカにはしない。
    「バカじゃねえの?」 とは言うけど
    それはバカにしているわけではなく、侮辱しているのだ。
    この2つ、似ているようでかなり違うと思う。
     
    ふざけた言動をしているので、誤解されやすいけど
    私は大真面目にふざけているのだから
    そういう事で、言い訳などしない。
     
     
    そんな菩薩のような私が、唯一バカにする言葉がある。
     
    「皆が皆、そうじゃありません」
    「全員そうじゃない」
    「あなたの狭い世界で決め付けないで」
     
    ブログを書いていると、この言葉を日々言われ続けるけど
    これを言う人だけは、バカにする。
     
     
    皆が皆、そうだったのを見た事があるか?
    世界中のあらゆる事を網羅する一般人っているのか?
     
    “皆が皆そうじゃない” というのは
    物事を考える上での、不動の大前提である。
     
    「もう、全員こう!」 とか言っても
    全員そうじゃないのは、わかりきったお約束。
    あえて言うまでもない事を、わざわざ持ち出すのは
    真のバカだと、私は断言する。
     
    でも、これも時と場合によるので
    皆が皆そうじゃない、と思っているさ。
     
     
    人は自分の稼動範囲で見聞きして、思考力を養って
    TV、本、ネットなどの意見を読んで、自分なりの意見を持つ。
     
    それを言って何が悪いんだ?
    有名人や専門家や公人が、それをするなら問題だけど
    一市民の言葉が社会に流布されて、皆が従ったとしたら
    それはもう、“人々の総意” だろ。
     
     
    “個人の意見” ってのは、無責任で当たり前なんだよ。
    データだのソースだのも、本当か検証できないだろ。
    “専門家だって保身のためにウソを付く” と、この前わかっただろうて。
     
    そもそも、おめえは人の話を鵜呑みにするんかよ?
    ああ、こういう考えの人もいるんだな、と
    自分の脳のデータを増やせば良いだけではないか。
     
     
    あまりにもバカな事を言ってるヤツは
    叱責されたり、死ねと言われたりしてるよ。
     
    私はそれなら納得できる。
    間違いを訂正したり、そんなんじゃダメだよ
    と言ってくるのは、親切心からの怒りだし
    死ねバカアホ等は、怒って感情をぶつけてきているのだから
    どっちも、とても理解できる反応である。
     
     
    だけど 「皆が皆・・・」 と言うヤツには
    バカを晒しに来てどうするんだよ、と思ってしまう。
     
    これを言う人は、論理的でいるようで
    感情のみで言ってる事に気付いていない。
     
    自分が正義、そういう傲慢な思い込みによる使命感が気色悪い。
    そういう人が、“人権” だの “平等” だの言って
    この世の中をゆがめたんだと思う。
     
    そういう言葉は、自分に向けて言ってほしい。
    皆が皆、おめえのような考えを持ってるわけじゃないんだよ
    おめえ基準も、おめえの脳内での感覚でしかないんだよ。
     
     
    ツイッターや掲示板なんかで
    「個人的な意見だけど」「ごく一部の人だろうけど」「自分の周囲では」
    こういう単語を付けているのを見る度に、悲しくなる。
     
    色んな方面に気を遣わざるを得ないよね
    “言論の自由” や “表現の自由” は
    特定の人々しか許されないもんね・・・、と。
     
     
    私は10人見て6人そうだったら、「全員こう!」 と言いたい。
    そんな私の感覚を真に受けるのは、犬でもしない。
     
    ほんっと、犬も自分で判断してるんだぞ。
    「はあ・・・、こいつがこう言い張るんなら
     もう逆らわずにおこう、めんどくせえしな。」 って。
    元飼い犬のこういう表情を、何度見た事やら。
     
     
    ・・・いや、別に 「犬にも劣る」 とは言ってないぞ。
    えらい洗脳されやすそうで大変だな、とも
    感覚外の事を受け入れられない固い脳みそで大変だろうな、とも
    決して言いたいわけじゃない。
     
    思っても言うと、また会話が続いて面倒くせえから
    ただ、私に関わらないでほしい、それだけだな。
     
     
    この記事、結構な踏み絵だよな、ふひひ
     
     
     

    評価:

    フリッチャイ(フェレンツ),ベートーヴェン,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

    ユニバーサル ミュージック クラシック


    ¥ 2,020

    (2001-02-07)

    コメント:念のための解説。 これは音楽CD。 有名な“歓びのうた”は、1時間以上ある曲のラストなんだぞ。 でもBGMに良い。 このわたくしがクラシックで、しかもCDを買うほど好きな曲があるなど、上品さダダ漏れみたいで、いやあん。 “皆” で検索して何故かこれが出て。

  • 他人事

    「気のせいじゃない?」「気にし過ぎよ。」
    「考え過ぎだって。」「大丈夫よー。」
     
    “相談” した時に、これらの言葉を言われると、私は激怒する。
    えっ? と思われるほど激怒する。

    八つ当たりも混ざっているかも知れないけど
    他の人が人に相談してそう言われた、と聞くだけでも
    「何だ、そのいい加減な受け答えは!」 と、いきり立つので
    きっと上記の言葉は私のNGワードなのであろう。
     
     
    私は相談しているのである。 そ・う・だ・ん。
    相談とは、解決への道を探るために
    何かヒントがないか、他の人の考えを訊く行為である。
     
    だから上記の言葉は不適切じゃないか?
    私は解決策を探しているんだよ!
    気のせいかも知れない。 考え過ぎかも知れない。
    だけど
     
    気のせいかも知れない事を気にして、考え過ぎる私が
    大丈夫じゃないから、おめえに相談してるんだよ!!!
     
     
    まったく、何たる他人事!
    そういう情のない事で、世の中良いんかよ?
     
    と思うので、とても突っ込んであげる。
    へえ、気にし過ぎ・・・
    じゃあ、おめえは気にし過ぎる状況の時、どう対処してる? と。
     
     
    「こういう場合、おめえならどうする?」 と
    その人の周囲に当てはめて考えてもらうと
    私ならこうすると思う、という
    同意できるできないは別として
    その人独自の意見が返ってくるので
     
    い ま ど き の風潮
    (・・・こう言い出すと、もうすっかり年寄りの証拠だが)
    は、スピード感重視で、立ち止まってじっくり考えずに返事をする
     
    というのが、私の中の結論である。
    別に、何でもかんでも他人事ではないみたいだ。
    ただ、ライトめな会話が好まれるんかな。
     
    なんせ私はヘビー・ババアなので
    軽い付き合いはよそでやれ、と思うんだ。
    念のために言っとくけど、蛇ババアじゃないぞ。
    だけど時代がそれならば、私が合わせるべきなので
    ちょっと動揺する人付き合いになっている。
     
     
    ちょっと何かグチられた時とか
    それは単なるグチ吐きなのか
    それとも私の意見を求めているのか
    同意して気を落ち着かせたいのか
    新しい糸口を見つけたいのか
    ど れ な の か 空 気 が 読 め な い。
     
    女性って、そうあるよね、と言うけど
    男性だって、そうあるんだよ。
     
    しかも男性の方は、“男の沽券” とやらを持ち出すので
    ちょっと意に沿わない事を返すと
    プライドを傷つけるだの、男を立てないだの
    女は黙って聞けば良いだの
    おめえは八代亜紀の歌か!!!!!
     
     
    私だって、相手に喜んでほしい
    けど、私は癒し系ではないし、もちろんいやらし系でもないので
     
    ・・・自分が歳を取ったな、思うのはこういう時だな。
    文章の方々に必要のないしかもくだらんダジャレを入れる・・・
    それがまた楽しいんだ。
    老化した脳みそは、韻を踏みたがるのかな?
    だったら老人ラップとか、・・・寒々しい歌詞になりそうだよな
    やりたいのと面白いのと、また話が別だもんな。
     
    さて、横道に逸れたんで、何を言いたいのかを忘れた。
    単純な事を思い出せない。
    語彙 (ごい) の豊富さも失われつつある。
     
    こっから年寄りのグチに発展させても良いが
    まだ理性は残っているので、類似の話題でごまかす。
     
     
    “ただ聞いてほしい” ってさ、謙虚だよな。
    その心理がわからんのだ。
     
    私の知らない人のグチを言ってきた人がいたので
    ああ、これはグチを言いたいだけなんだな、と悟り
    何だそいつはそんなヤツは自主規制
    と、非人道的すぎる悪口を重ねて言ってあげたら
    ドン引きされて、逆にたしなめられた。
     
    だけど、嫌いな相手をかばえる心境になれたのだから
    少しは心安らかになれただろう。
    私の評価はとても下がったようだが。
    きっとこれは、“ただ聞いて欲しい” 事案だな。
     
     
    にしても、浮上したいなら
    先にも後にも褒めてもらうのが一番じゃん。
    私は悩んでいて、相談する気はなくても
    落ち込みから脱出したい時は、「とにかく褒めて」 と頼むよ。
     
    皆、これを嫌がるんだよー。
    しかも褒めるのも、ありきたりのセリフで
    口先だけで言ってるのが丸わかりなんだ。
     
    もっと気合いを入れて褒めないと、いつまでも目の前で泣き崩れてやる!
    と、脅しつつ、何とか合格点をあげて
    次までに上手く褒められるように
    いくつかのパターンを考えておくように、と言ったら
    あんたも褒めやすい人格になれ! と怒られたので
    こいつとの友情はとりあえず安泰かな、と嬉しかった。
     
     
    “ただ聞いてほしい”、ほんとよくわからんのお。
    だけど書いてて、友人知人が減る理由がわかったので、1勝1敗である。
     
     
    ・・・あれ? これ、2敗じゃねえ?
     
     
     

    評価:

    サンディ ホチキス

    草思社


    ¥ 1,575

    (2009-04-22)

    コメント:読んでない。 グサグサきそうで。 でも他のレビューを読んで面白そうだなと思ってレビューした。 ・・・ってのは倫理的に一体どうなのか、それはやっていいのか、結局、自分のことも考えていないわたくし、になっちゃうのか。

  • さあ逃げよう

    「何事も経験」 と言うけれど、歳を取ってくると
    “する必要のない苦労” ってのがある、とわかってくる。
     
    この、“何事も経験” とかいう、一見正義ジャンルの言葉は
    何かヤバそう、って時に、奮起や諦めを呼び起こす呪文だったのだ。
    必要なようでいて実は必要じゃなかった、と気付かないための・・・。
     
     
    実際に、不本意な経験が後々役に立つ事もあるんだが
    それはその時点では判断しようがない。
    と言うか、実際に経験して痛い目に遭わなくても、習い聞けば済む話である。
     
    周囲であれこれ起こるから、どう生きていても
    長生きしているだけで、経験豊富にはなれる。
    よって、年寄りの知恵ってのは
    同年代老人なら、すべからく持っているものなので
    偉そうに披露できるのは、主に若い者に対してのみ。
     
    経験をどこでどう生かすかの判断は、個人の力量によるものだが
    それを真に発揮できるのは、大概は老齢になってから。
     
    つまり我々人類は、生き字引きとなるために
    日々コツコツと経験を重ね、精神の鍛錬を繰り返して生きているのだ。
     
    こう考えると、人生イヤになるよな・・・。
     
     
    その “罠苦労” とは、役に立つ苦労のフリをして
    何の吉事ももたらさないどころか
    ヘタに関わると、人生の汚点になってしまう事になるもの。
     
    たとえば、シワだらけのシーツはまだ良い。
    ウォッシャブル加工だと言い張る事も出来ないでもない。
    しかしそこに1個でもシミが付いたら、途端に全体が薄汚れて見える。
    “人生の汚点” というのは、こういうもの。
     
    人生に汚点が付いてしまうと、もう、寿命全部がワヤ!
    大開きしていた天国の門も、鼻先で閉じられる予感がしてくる。
     
    そこで、それ以上愚行を重ねないように、年寄りは慎重になる。
    年寄りの頭が固い、と思われるのは、多分このせいだ。
     
     
    道に倒れている人を介抱したら、それがB国の兵士で
    私、関係ないA国人なのに、B国C国2国間の戦争に
    いつのまにか介抱した兵士の側として参戦しちゃってた
    みたいなトラブルって、多々あるだろ。
     
    こういう、巻き込まれ事故に遭わないためにはどうするか?
    倒れている人を素通りするのか?
     
    っちゅう人道問題になるのだが
    積み重ねてきた経験を基に、脳細胞を総動員させ
    “倒れている兵士を、本人に気付かれないように
     いかに隣国の敷地内に戻すか”
    という解決法を取れるのが、知恵袋称号を持つ年寄りの真価である。
     
     
    何を手放せるのか、いかに損失を最小限に抑えられるか
    あらゆる方向から分析判断して、正しく逃げろ。
    逃げたらみっともない、とか、予定調和の世界のみの話。
    成功したからこそ、「逃げなくて良かった」 と言えるんだろ。
     
    上級者ともなると、自分に正義があるかのように錯覚させて
    しかも華麗に逃げる。
    突っ込み玉砕は誰にでも出来るが、これは難しいだろうー?
     
    相手に 「逃げた」 と気付かせないのは、もはや神の技。
    仕事においても付き合いにおいても、無敵!
     
     
    思えば人生って、「如何に逃げられるか」 を最終目標にした
    シミュレーションゲームのような気がする。
     
    生き字引きだの、逃げチキン推奨だの
    ほんと “生” に夢がなくなる表現ばかりしているけど
    そんだけ現実には、落とし穴がいっぱいあると思う。
     
    “逃げるという選択肢がないと思われる状態でも
     頭の片隅で逃げる算段を、一応は取ってみる”
    そういう保険的な思考のクセを身に付けておけば、割に安泰だぞ。
     
     
    年を取れば、全員フル装備できるはずの逃げスキルなのに
    ドアホウな私は、年寄り初心者になっても
    まだまだ見極めが甘く、生き字引きの称号も持っていない。
     
    とりあえず降りかかった火の粉も、落としどころがわからず
    及び腰に挑んでいる真っ最中である。
     
    穏やかな老後を迎えようと、キイキイひとり騒ぎしているところに
    いらん行事を組み込むなよ、万が一が危ねえだろ。
    縄1本かろうじて残っている足場の上で、はしゃぐ余裕があるかよ。
     
    このような、神にも悪魔にも決して評価されない姿勢でいるので
    天国への階段すら見つかっていない状況である。
     
     
    教訓: 逃げる事の大事さを、知っているのと知らないのとでは大違い!
     
     
     

    評価:

    浩生


    ¥ 2,610

    コメント:毎回、記事のひとことをキーワードに商品検索をしとるが、今日は “逃げ”。 ちょ、この商品、本当? うちの地域、鳩がどんどん勢力拡大してるんだよ。 鳩、恐えよ、平和の象徴が何であんな無機質な目をしてるんだよ、てか現に図々しくて凶暴だぞ。 鳩、お願い、来ないで!

  • 痛がっても良いんだよ

    ブスがモテる方法 11.4.7 のコメント欄で
    批判コメントが付いてたのを見つけた時に、まず私がしたのは
    ああああああああああああああああああ
    と、床にうずくまる事。
     
    さっきまで連休ボケで、ああダリぃ・・・とか
    尻を掻きながら、よっこらしょっとパソコンの電源を入れ
    ツイッターで、しょうもないツイートをしてたのに
    たった1コメントで、奈落の底!
     
    おい、人格全否定されてるよ
    どうすんだよ、この生きていたくなくなった感・・・
    取り繕えねえよ、このショック
    記事、書けねえよーーーーーー!!!
    と、悩もうとした時に、ふと思った。
     
     
    いやな、批判とか罵倒、結構あるんだよ、ここ。
    上の記事だって、苦情が出て当然の内容だろ?
    そういう事ばっかり書いているんで
    「死ね」 とか来るんだ。
     
    で、いつもは黙って耐えるか、ひどい時には友達に電話をして
    「ねえ、私の事、好き? 好きって言って! (注: 相手は女性)
     辛い事があったから、とにかく慰めて!」
    とかやっていたんだよ。
    (私の友人知人、ほんと忍耐強い。)
     
     
    駅とかで転んでも、皆、恥ずかしそうにすぐ立ち上がって行くけど
    痛いんなら無理して動かない方が、と思うんだ。
    私、一度、心斎橋の地下でこけて
    いってえええええ! と、うずくまっていたら
    通りがかりの人が心配してくれたぞ。
     
    まあ、そういう恥知らずな事をやっとるのは
    私ぐらいのものかも知れんけど
    痛い時は痛い、って言って良いんじゃないんかな。
     
    ブログの記事で好き放題言ってるんだから
    こういう時も感情を隠さなくて良くねえ?
     
    見てもらおうじゃないか、私の号泣を
    アホウな事ばかり書いたら、アホウと言われるのは当たり前
    だけど刺されりゃ、やっぱり痛いんだよ!
    さあ、のたうち回るよーーーっ
     
    と、今回はツイッターやブログで
    傷付いたー傷付いたー、と大騒ぎをしたんだ。
     
    普段の暴言の結果まで、ちゃんと見てもらおうと思って
    自分のみっともない姿をさらけ出したつもりなんだ。
     
     
    いや、こういう、言いたい放題をしている限りは
    批判が来るのは覚悟しているんだけど
    どうしても慣れずに、いつも新鮮に傷付くんだよ。
    正直、寿命もリアルに縮んでると思う。
     
    だけど罵倒する人も傷付いてるんだと思うと
    ガードするのは卑怯かな、と。
    最初に仕掛けたのは、多分私の方 (記事を書く) だから
    反撃するのも、自分の土俵内だから不公平だし
    もう、素直に痛がって、ごめんね、と言おうと思うんだ。
     
    ただ痛すぎて、そこにばかり気を取られて
    斬りつけてきた武器が、カッターナイフなのか包丁なのか
    わからないのが、今ひとつ進歩しない理由だと思う。
     
    原因がわからずとも、反省って漠然と出来るものなんだな。
    反省しているのに更生しないのは、ほんと頭が悪い証拠だ・・・。
     
     
    結果、どうなったかっちゅうと
    たくさんの人が心配してくれて、慰めてもらえたんだよ。
     
    これは意外だった。
    ツイッターで、あんな見苦しく叫んだんで
    誰も近寄らないだろう、と思っていたのに
    うちのブログ、アホウか病人か変質者か鬼畜しか来ないのに
    皆、それぞれの気遣いをしてくれるんだ。
     
     
    お陰で立ち直りどころか、天狗にまでなっちゃったよ。
    胸の痛みがこんなに早く取れるなんて、初めてだよ。
     
    あ、傷付いた時って、胸、本当に痛むよな?
    ヘンな宙に浮いたようなモヤモヤした痛みがあるよな?
    動悸もリアルにするよな?
    前頭葉、おでこの上あたりからスーッってなるのは
    血の気が引いてる、って事だよな?
     
    ババアになるとよ、ここらへんのショック反応が
    マジ疾患と見分けが付かなくて、不安なんだよ。
    ほんと私、命を賭けてこのブログを書いてる気がするぜ・・・。
     
     
    本来なら、1ヶ月はふとした時に思い出して
    胸がキュウッってなったりするんだけど
    今回は10日ぐらいで済みそうだ。
     
    本音を言うと、野放しにしてたらどこまで増長するかわからんので
    たまにこうやってギャフンと言わされた方が
    私のためにもなる・・・と思うんだけど
    現実的に体が付いていかない。
    ・・・ああ、そうか、だから年寄りは引っ込んでた方が良いんだな?
     
    なるほど、そうだったのか。
    だけど、床の間で生き腐れをするぐらいなら
    長堀橋ですっ転んでいたいんだ。
    人と、愛や罵倒のやり取りをしたいから。
     
     
    だから私は今日も調子をこく。
    そして痛いと泣き喚く。
     
    ・・・ああ・・・、いい迷惑・・・
     
     
     

    評価:

    Henckels (ヘンケルス)


    ¥ 1,980

    (2009-07-01)

    コメント:うち、安物包丁しかないけど、やたら切れるのがあって、よく見たらヘンケルだった・・・。 そりゃもう驚いたよーーー! さすがドイツの職人技だよな! ハサミも飛び抜けて切れるのがヘンケルで、その、いつの間にか周囲にあって、バッキバキにキメてる仕事ぶり、ほんとタダものじゃねえよ、ヘンケル。

  • 褒められる女

    知人と話していた時の事。
    その知人の悩みは、恐そうに見える事らしい。
     
    ふと疑問が浮かんだ。
    「道を訊かれたりする?」
    知人の答は NO である。
     
    私もそうなりたいんだよね、と羨んだら
    「あしゅさんは無理だと思う。」 と即答された。
    私は優しそうに見えるんだと!!!
     
     
    訊ねられる人 10.9.28 で
    「私って、パッと見、優しそうに見える?」
    という質問に、ものすごく困られた、と書いただろ。
     
    その時に訊いたのは男性だったんだよ。
    そして今回の知人は女性。
     
     
    これが何を意味するのか、わかるか?
    私はロクでもねえヤツだと思われとるんだ。
     
    “パッと見”“初対面だとして” と条件付けているのに
    男性はそういう仮定で想像するのが苦手なのか
    どうしても自分の意見が混ざってしまう。
    で、ついつい本音の反応をしてしまうんだろう。
     
    女性はおおむね、そこらへんの演技が上手い。
    人生において、ほとんどの状況で仕えざるを得ないので
    総じて、機嫌取りのスキルが高い。
     
    ロコツな媚びへつらいカバン持ちは、男性に多いのだ。
    女性は、相手に気付かせずに媚びる。
     
     
    つまりこの場合の真の反応は、男性知人の方である。
    え? 女性には気を遣って貰ってるんだから良いじゃん
    と思ったらいけない。
     
    関係性にもよるが、プライベートでは女性はあまり女性を褒めない。
    それは常に、女の戦いの土俵に上がっているからである。
     
    同年代で同ステータスの女性同士なら、常に戦闘状態なのだ。
    これは悪い事ではない。
    むしろ、戦いを止めたら死ぬ。
     
    女性は生まれながらの戦士だからだ!!!!!
     
     
    ああ? おめえ個人の凶暴性を
    いかにも大多数の女性の性質のように言うなだと?
     
    そういうドアホウは、これからも
    女性の仮面に騙されながら生きていけ。
    それも充分に幸せな人生だと思うぞお?
     
     
    さて、女性として結構な出来損ないの私だが
    それでもナイスバディなので
    土俵内に投げ込まれる人生であった。
    女として認められてたら、これは当然。
    誇って良い。
     
    だけど今回、私の目の前で戦場への門が閉じられてしまった・・・。
     
     
    よおく考えてみい。
    彼氏を見せびらかす女に限って、どう思う? どう思う? と
    後で感想を求めるだろ。
    それがまた微妙~んな彼氏だったら、答はひとつしかないよな?
     
    本気の合コンで、メンバー集めを頼まれた時に
    連れて行く当て馬女への褒め言葉はこれだろ。
     
     優 し そ う
     
    もう、この言葉は、除隊通知と同じ効力だと思え!
     
    本当に優しそうな人なら、この言葉は純粋な褒め言葉だよ。
    だけど、私に こ れ は な い !
    私に使われる場合は、誤魔化しのための言葉なんだ。
    鈍臭い田舎者にでも見えるんだろう。
    ナマリまくってるしな。
     
     
    ああ・・・、とうとう戦力外通知を突きつけられたか・・・
    何にしろ、女性としては引退っぽいのは確かだ。
     
    良いんだけど、むしろ楽隠居を望んでいたんだけど、
    実際にその時がくると、かなりヘコむ・・・。

  • 訊ねられる人

    私の外見の印象目標は “COOL” である。
     
    何でもかんでも、「かわいい~」 で済ませる
    女子高生ノリと同じようなアメリカ人の
    言う 「COOL」 ではなく
    触れなば切れん、といった冷たい印象を心掛けている。
     
    何故? って?
    私的には、それが格好良いと思うからだ!
     
    よって街を歩く時は、周囲の人全部を見下すかのような
    高飛車な表情で、ツンケンして気取って闊歩している。
    たとえて言えば、「見ろ、人がゴミのようだ」 byラピュタ。
     
    えらいケッタイなひとり芝居をしているわけだが
    これが楽しくてしょうがないんだよっ。
     
     
    日頃のこういう努力 (?) のお陰で
    妙な勧誘には一切声を掛けられず、風俗のお誘いもゼロになって
    (後半はちょっと物悲しいものもあるかも知れないけど)
    快適に道を歩けているのだが、ひとつ解せない事がある。
     
    善良な市民に、声を掛けられるのである!!!
     
    ナンパ自慢?(笑) と思ったヤツ、よく読め!
    “善良な” と書いてあるだろうが!
    そもそも私はナンパ経験は、ほぼ皆無なんだよ。
    痴漢、それもそういう単語が可愛いぐらいの変質者と遭遇する方が多い
    という悲しい人生だったさ!
     
     
    と、いらん過去の傷をえぐっとらんと、本題に入るけど
    ここで何故この人数の中から私を選ぶ?
    という状況で、声を掛けられる事が多いんだ。
     
    梅田で時間を訊かれたり
    奈良公園で道を訊かれたり
    駅で乗り継ぎを訊かれたり
    モールで公衆電話の場所を訊かれたり
     
    選挙の出口調査では、人ごみをかきわけてまで逃げに逃げたのに
    全力で追ってこられて捕まったよ。
    お互いにゼイゼイ言ってたさ。
    何故そこまでして私に?
     
    目も合ってないのに、突然声を掛けられる。
    それも、私に答えられた事が1回もない。
    時計は持ってないし、携帯電話は携帯し忘れてるし
    地元民じゃないので、道も電車も公衆電話もわからん。
     
    出口調査は、朝○新聞にはガッカリな答をガシガシ書いてあげたさ。
    いや、嫌がらせじゃなく、本音で。
    おにいさん、あ然としていた。
    自由平等を愛してそうに見えるだろうけど (どんな見え方だ?)
    私はリベラルではないんだよ、保守だよ、それもガッチガチの。
     
     
    道端で困った時に、どんな人に助けを求めるか?
    私だったら、絶対に優しそうな人だ。
    ほとんどの人が、そうだと思う。
     
    何で、寄るな触るな、と歩いている私に訊くんだろうか???
    ほんと、自分のCOOL演出が効いてないんか、と落ち込むわ。
     
    で、もしかして私って、優しそうな印象があるんだろうか?
    と思うのは当然だよな。
    友人知人に訊いてみたさ。
    「私って、パッと見、優しそうに見える?」
     
    も の す ご く 困 ら れ た よ !!!
     
    こいつは何でいつも答に困る質問ばかりしてくるんだ・・・
    と、心の声まで聴こえたよ。
    悪いのは私かよ?
    空気を読んでない迷子たちの方だろうが!
     
    ・・・ああ・・・、でも “子供っぽい” の例もあるし
    また私、何か勘違いをしてるんかも・・・。
     
    最近、ほんっと自分がわからんわ。
    以前からあまり自分を知らない気はしてたけど
    自分、誰よりもわかりにくいよ!
     
     
    もう、ほんと訊かれたくないんで、バリアを張りたいんだが
    てか、張ってるつもりなんだが、破られまくりだ・・・。
     
    せめて私にわかる質問をしてくれよー。
    毎回毎回、「あー・・・、すいません、地元じゃないもので、すいません」
    と、詫びに詫びてるよ、何もしてないのに!
    てか、ウソだよ、もう長年住んでるから地元も同然だよ
    ほんとすいません、だよ!
     
     
    にしても、歩いてるだけで謝らにゃならん人生って、どうなんだよ?
    ひとこと喋るだけで、納得されるのもムカつくんだよ。
    九州弁丸出しだからな。
    額に “九州” と書けってか?
    九州人に怒られるだろうが!
    (九州の人、同郷ですまん。 九州も結構広いよな。)
     
    はっ、まさか田舎者に見えるから、とかじゃないよな?
    田舎者に都会の地理なぞ訊かないものな。
    それに田舎者、勧誘の良いカモだよな。
    勧誘、一切来ないから、そこは安心していいよな?
     
     
    声を掛けられずに済むには、どうしたら良いんだろうか?
    人格を疑われない範囲で、対策ってないかな。
     
    考えてみると、この現象は関西に来てから起こり始めたんだ。
    東京や九州にいた時は、こんな事はなかった。
    そこも不思議。
    関西人は、私の中に何を見ているんだろうか?
     
     
    てかさ、人ごみで知らない人からいきなり声を掛けられるって
    何度されても慣れないものなんだ。
    すんげえビックリする。
    多分、顔に出てると思う。 驚きが。
    そんで答えられないから、その後の歩く方向が同じだとほんと気まずい。
     
    人が少ないところだったら、まだ覚悟ができてるんだよ。
    大勢人がいる中で、ってのが驚愕ポイントだと思う。
    それも、よりによってこの中で一番答えられないであろう私を
    ピンポイントで選ぶのも凄い確率で、それにも愕然だ・・・。
     
     
    最近、外を歩くのが恐くなってきたぜ。

  • 年齢詐称

    ここ数年、自分の年齢をとても意識している。
    子供の頃 “大人” として認識していた歳に、自分がなったからである。
     
    大人とは、教養があって思慮深くて物静かな偉人だと思っていたんだが
    どう自画自賛精神で見ても、今の自分が程遠いのが不思議でならん。
     
    どこでどう間違えたんだか、とにかく軌道修正をしようと
    「大人はこんな事しない」「大人らしく」「大人だから」 等
    キーワード “立派な大人” で、自分の言動を制限している真っ最中。
     
    そこに、“老化” という要素が加わってきて
    そりゃもう、年齢に縛られまくりである。
    私ほど年齢に囚われて生きているヤツはおらん! と断言できる。
     
     
    ところが、ここで弱点が障害になる。
    20歳を過ぎてから、自分の年齢がわからなくなってきたのだ。
     
    脳の成長は20歳で止まるという、医学的見解の証明どころか
    20歳になった途端、脳が衰え始めたのを実感した。
    医学、ちょっと間違えてねえか?
    止まるんじゃなく衰退し始めたぞ、20歳。
     
    いつも年齢を書く欄でペンが止まり、「今、何年ですか?」 と人に訊く。
    現在の西暦から、自分の生まれ年を引くのだ。
    それを誰にも知られずに、しかも暗算でせにゃならんので
    これまでに計算間違いも多々あったような気がせんでもない。
     
    自分の年齢を覚えていないなど、大人として恥ずかしく
    今何年なのかを覚えられないのも、大人として恥ずかしく
    現に真面目に怒られた事もあるので
    端から見たら呆れネタだろうけど、こっちは必死なのだ。
    皆どうやって自分の年齢を記憶しているんだろう?
     
     
    普通の知能の持ち主ならせんでも良い努力を、人知れずしてきたお陰で
    ここ数年は自分の年齢を正しく把握できている、と満足だったが
    ある時TVで有名人を観て、その人が私と同年齢だったので
    世間話の最中にそれをふと思い出し、友人に言った。
     
    そしたら友人が怪訝そうに、その有名人って何歳? と訊き返す。
    「○歳だって」「・・・? あなた○歳だと思ってたけど、違うの?」
    「え?」「何年生まれ?」「○年」「・・・同い年じゃないじゃん」
     
    何故かはわからんが、自分の歳を実年齢 + 2歳で覚えていた。
    友人には、「数え年のつもり? それでも計算違うよね?」
    とか突っ込まれて、まさか記憶違いでしたなど言えずに困るし
    それにいつから + 2歳で計算してたんか、定かじゃないけど
    年齢記入欄に、例えば 「2000年○月○日生まれ (11歳)」 とか
    わけのわからん書き込みをしまくっていたはず。
    かなりショックな出来事だった。
     
     
    ババアババアと、ブログで自嘲する繊細さ?があるのに
    現実生活では、このようにありえないミスをしているのだが
    私が年齢を気にする理由はただひとつ、恥を掻かないためだけである。
     
    真っ当な大人として生きていきたいので
    世間の評価を気にするために、年齢はひとつの目安だと考えている。
    簡単に言うと、キワモノ扱いは御免こうむりたい一心なのだ。
     
    ネットでは実年齢を隠していて
    各登録も、バラバラの年齢で行なっているけど
    その理由のひとつは、引き算がしやすい生まれ年希望。
    よって、私の登録は1950年生まれの事が多い。
    これなら2000 - 50 で済むだろ。
    と思っていたら、現在が200?年かが問題になってくるんだよな。
    ちょっと失敗こいた作戦である。
     
    しかし以前に計算しやすいように、2000年生まれで登録していたら
    未成年という事で、チャットルームに参加できず
    当時所属していた集まりの会議が、私の登録し直し待ちで大幅に遅れ
    「どこまでサバ読んでるんだよ!」 と、ものすごい非難を浴びたんだ。
    だから、2000年がダメなら、1950年しかねえだろ?
    1900年は、選択項目になかったんだよ。
     
    こういう事をやっとるから、余計に混乱して年齢を覚えられないんだよ!
    と思われそうだが、覚えられんのはネットデビュー前からなので
    ここに敗因はないと思う。 多分。
     
     
    私の、“枠にハマりたい気持ち” がわかるか?
    ほら、小動物って狭い場所に入りたがるだろ、あれだよ、あれ。
     
    心の安定を図るためにも、日々あれこれと妙な画策をしているわけだが
    裏目裏目に出ているようなのが、ほんと不本意で
    こんなグチ、リアルでは言えないのも、ほんっと不便!

  • 子供ババア

    知人に痛恨の一撃をくらった。
     
    「あしゅさんの場合、“天然” というより
     “子供っぽい” んですよね。」
     
     
    ・・・いやあ・・・、私も自称では散々自分の事を
    “ガキ” だの、“大人になりきれていない” だの
    謙遜、けんそん、け・ん・そ・ん してきたけどな、
    そりゃ薄々は、これ、結構シャレになってないんじゃないか?
    と、たまに本気で思ったりしてはいたけどな、
    実際に人から言葉で聞くと
    もんのすげえええええええええええええダメージがあるんだ!!!
     
    もう、こういうとこが子供なんだろうけど
    私、多分その時ショックで顔色が変わったと思うんだ。
    その子供っぽいところが魅力だとか何とか
    知人、むっちゃフォローしてきたから。
     
    だけど私の心の中は、愕然・・・ だったよ。
    超・図星☆!!!
    それが私の欠点の根本だと思う。
     
     
    私の中には、“なりたい自分像” というのが
    それはそれは、1mmのブレもなくある。
     
    上品で知的で冷たく恐そうなオールド・ミス。
    ファッションで言えば、白シャツ黒タイト黒ブチめがねピンヒール
    いらんちょっかいを出すと、皮のムチが飛んでくるぞ、みたいな。
    可愛いより美しい、優しいより厳しい、明るいより冷めてる が好き。
     
    ド素人の女教師像そのまんまで、何のヒネリもなくてすまんが
    本気でこういうタイプに憧れていて
    また、私なら充分に可能! と、心の底から信じていたのだ。
     
    ところが、もしかしたら現実は
    下品でアホウで落ち着きない凶暴なだけのバツ1になっとるかも知れん。
     
     
    理想像が具体的であればあるほど、目指しやすくもなるが
    失敗も、目に見えてわかるんだろうな・・・。
     
    自分でも時々調子こき過ぎたりはしてる、と反省してたよ。
    だけどまさか、人に全解読されているとは思わなかった。
    と言うか、言われるまで自分の真の姿に気付いてなかったさ。
     
    そうか・・・、私、子供っぽかったんだ・・・
    と、激しく落ち込んでいる。
     
     
    いくつになっても子供の心を忘れない、とか
    夢みる少女、とか、私がいっっっちばん嫌いなタイプである。
    大人なら大人らしくせんか! と、はちくり回したくなる。
     
    よって、私はこのタイプの “子供” ではない。
    自分では、大人として振舞うよう頑張っているからだ。
    とすると、一番笑えないタイプしか残っていない。
     
     成長しきれていないバカ
     
    悩んで苦しんで、日々考えて生きてきた結果が ↑ かよ?
     
     
    ああーーーーーーーー
    まだ、“赤ん坊ババア” とかの妖怪系の方がマシだぜ。
    ほんと、言われたくなかった。
    今、もんんんのすげえ自信喪失ーーーーーーー。
     
    物忘れが良いので、明日には立ち直れる自信があるけど
    ちょこちょこ思い出しては落ち込むような項目が増えたのが、気が重い。
     
     
    知人も、ほんとに悪気がなかったのはわかるんだ。
    とても気が合って、仲の良い関係なんだよ。
    迷惑も掛けた記憶はないし。
    と言うか、むしろ褒めてくれていたんだよ、話の流れ的には。
     
    誰だよ? “ババア可愛い” を肯定して広めたヤツは?
    いくら可愛いを目指しても、無理な年齢ってあるんだよ!
    てか、“可愛い”、そんな重視するものじゃねえだろ。
    年上に向かって 「可愛い」、失礼だと思うわ。
     
    知人もせっかく褒めた相手が、こんな反応で
    報われなくて、ほんと申し訳なかった。
    私を変人認定していないと良いけど・・・。
    でも、10歳以上年上の人に言って良い言葉じゃないよな。
     
    ・・・つまり、それだけガキっぽいんか・・・
    あああああああああああああああああああーーーーーーーーーーー!!!!!
     
     
    余談だけどさ、数行上で “大人として振舞うよう頑張っている”
    と書いたけどさ、頑張らなきゃ振舞えない時点で
    既に心は大人じゃないんじゃ? と思われるかも知れんけど、
     
    紛れもない大人の年齢になったけど
    子供の頃の自分が見聞きした、思い描いた大人像と自分が
    えらくかけ離れている、と皆は思わんか?
     
    大人の年齢になったは良いけど
    若い頃とあまり根っこは変わらんけど何で? みたいに。
     
    昔の大人って、もっと落ち着いていたよな?
    それともそれは表向きだけで
    私たちも若い子から見れば、落ち着いているように思われてるんだろうか?
     
    とりあえず表面だけ取り繕えれば良い、というザツな性格なんで
    落ち着いて見えるなら、それで問題なしなんだけど。
     
     
    ・・・って、「子供っぽい」 と言われたんだから
    絶対に落ち着いて見えてはいないよな?
     
    ああああああああああああああああああああああーーーーーっっっっっ

  • ストレスと怒り

    意外に思われるだろうが、私は怒りの濃度が薄く沸点も高い。
    他人のためになら、怒りは湧くのだが
    自分のための怒りが湧きにくいのである。
     
    これは “優しい” とか解釈されそうだけど
    そんなキレイな動機ではない。
     
    他人に起きた理不尽な出来事なら
    他人が悲しい想いをしている、という名目があるので
    自己流正義感に基づいて、ギャアギャア怒れる。
     
    しかし同じ事が自分の身に起きた場合は
    「もしかして、自分が悪いんじゃないだろうか」 と
    まず自分を責める方に考えるので、迷い、自省などで
    悩み悲しみが先に立って、率直に怒る事が出来ないのだ。
     
    つまり自分に自信がないと、“自分がイヤな想いをした” という事だけを
    堂々と理由にする勇気がなく、怒りが湧かないのである。
     
     
    怒れない人というのは、結構な数いる。
    もしかして日本人の大多数はそうじゃないか?
     
    日本人にストレスが多いのは、怒れないからだと思う。
    ストレスは怒る事で発散するのが、一番簡単そうだから
    怒れない日本人には、ストレス発散が難しいじゃないだろうか。
     
     
    怒りは、和を尊ぶ日本では悪い事のように扱われているけど
    個人にとっては重要な、生きるパワーとなる。
    怒りを向上心ややる気に変換できる人は、健全な精神力を持っている。
    表立っては怒れなくても、内面に正当な怒りを抱えられる人も大丈夫である。
     
    問題は、怒りを上手く発生させられない人である。
    そういう人は、大抵が自分を責める傾向にあり
    エネルギーを内へ内へと潜り込ませていく。
    ものすげえ鈍感な人や、心の広い人でも
    知らず知らずに、心の奥底にストレスを溜め込んでいる。
     
    その溜まったものが、汚染されて自らを蝕むか
    発酵して出たガスに引火するか、どちらも悲劇である。
     
    そうならないためには、こまめに怒って発散するべきだが
    それが出来ないゆえの貯蔵なのであって
    出来るものなら、とっくにやっているわけだ。
     
     
    そこで私的には、亡き事をいいことに親に怒る。
    “私が悪いのかも知れないけど
     それはしつけが悪かったうちの親のせい。
     自分では常識的な判断ができないのよ
     なんせ、親に習わなかったものだから。
     もう、うちの親はまったく!”
     
    親、ほんとごめん、と思う。
    人生の3分の2は自業自得だとわかっている。
     
    でも自分がそんなロクデナシだとは、認めたくないんだ。
    てか、普段から充分に自分を責めているんで
    少しぐらい引き受けてくれても良いだろ?
     
    お空から見守ってくれる千里眼があるのなら
    私のこの苦悩と葛藤も見透かしてくれているだろうし
    何でもかんでも親のせい、というのも、半分は本気ではないし
    そういうのを受け止めるのも親の務めだろう、という
    過大解釈による、防衛策なのだ。
     
     
    こんな甘えは、現存している人には出来ない。
    どう組み合わせても親のせいに出来ない事は、霊の仕業にしている。
     
    “私がこんなにイヤな目に遭うのは
     きっと先祖がいたらん事をしたせい。”
    “こんな不幸は霊障だわ!”
     
    とんだ逃避活動だが、自分の中でいびつな種を発芽させたくないので
    これでも必死で試行錯誤をしているのだ。
     
    現に、精神的なもので足が動かなくなった、とかの経験があるので
    ストレスに気付かずにいたら
    自分の体は何をしでかすかわからん恐怖がある。
     
    もちろん今でも自分の苦悩に気付かずにいるのだが
    とにかく密かに何かを溜め込んでいるはず、という設定で
    自滅を回避しようとしている。
     
    しかし、ないとしか思えんものを発散するのは困難だろ。
    だから見えない人々に頼っている有り様なのだ。
     
     
    全然タメにならん解決法しか出せんで申し訳ないが
    ひとつだけ、確実にわかった事がある。
     
    怒りというのは、クセ付けする事が出来るようだ。
    怒りっぽい人っているだろ、あれは怒りを習慣化できているんだよ。
     
    これに気付いたのは、ヘルドッグ・アフガンハウンドとの
    激しい戦いが終わった時だった。
    何で戦いの最中じゃないかっちゅうと
    アフガンが暴力的なのも自分のせいかも、とか思っていたんだな。
     
    それがブチーーーッときて、アフガンを制圧できた後に
    次は君主としての、平定が義務になって
    あれダメこれダメ私に逆らうのは許さんモードで
    日々暴君しまくっていたら
    瞬時に怒りスイッチを入れられるようになったんだ。
    本当は怒ってなくても、義務で!
     
    怒りは、きっかけさえあれば、スムーズ発射できるようになる。
    多分、他の感情も習慣化できると思う。
    ただし暴力もクセになるので、何を短縮ダイヤルに入れるかは
    よく考えた方が良いと思う。
     
    アフガン騒乱以来、怒りの出し方がちょっとは上手くなったつもりだったが
    関西に来て、関西人の見事な怒りっぷりに
    自分はまだまだだった、と自信喪失気味なのが痛い。
    関西人、うわてを行ってるのお・・・。
     
     
    自分のためだけの単純でクリアな怒りは、自分にとって必要な事である。
    代わりに怒ってくれる自称正義の味方が、いつでもいるとは限らない。
    自分を大事にするというのは
    喜怒哀楽をバランス良く持つ事が、第一歩のような気がする。