カテゴリー: 自分語り?哲学?

  • 浮上方法

    夕べさ、グラスを割ったんだ。
    10年ぐらい愛用してたやつで、すんげえ気に入ってたやつを。
    多分、探しても同じのはないと思うし
    あったとしても値段が高いんで、今の身分じゃ買えないんだな。

    ほんと、何でこう気に入ったやつ
    しかも高価なのばかり、率先して割れるんだよ?

    それが割れた時に、何かもう気分は暗転後
    バッハのあの有名な、チャララ~~~ン♪ って曲だったんだけど
    とりあえず飯が冷めるんで、そういう表現をしとる暇はない。
    さっさと食わんと、と事務的に行動した。

    ところが飯を食ってる内に、どんどん悲しくなってきてさ。
    動揺した時って、動いたらいかんな。
    普段ショックな事があった時は
    ひたすらゲームをするか、雑誌を読むかで
    それが上の空だったとしても、刺激にはならんから
    表向きだけでも、何とか平常心を保てる。

    でも、“飯を食う” ってのは、生きるための行為だから
    頑張ってる気分になるんかも知れんのか
    もう、飯を食いながら号泣。

    泣くか食うか、どっちかにした方が良いんだろうけど
    そういう余裕すらないんだ。
    グラス破壊瞬間に、いきなり食欲が落ちてしもうたが
    腹は空っぽだし、病後なんで体力もつけにゃいかん。
    感情より栄養優先だろうー。
    まあ、こういう心理状態で食ったものが消化されるんかわからんけど。

    にしても、たかがグラス1個だぜ?
    私、何をしとるんやら、と号泣食いしながらも
    冷静に呆れている、もうひとりの自分がいたぞ。

    そんで今日、夕べの己の見苦しい所業を思い出すと
    普通なら失笑もんなのに、またもや泣けてくるんだ。
    泣いてた自分が可哀想に思えてさ。

    ああ、そうか、病後ウツだな、と思った。
    グラス1個で泣くのも、それを思い出して泣くのも
    私的には、普通ならありえん。

    これはヤバい。
    今の私なら、歯磨きがなくなっても号泣しかねん。
    (まだ出るまだ出る、とチューブを絞りまくってる最中でさ。)
    ちょっとした事で、心をグリグリえぐられる状況に陥っているようだ。
    これを書いててもウルウルしてるし。

    こういう時はどうすれば良いのか、長年の経験上わかっている。
    私のパターンとしては、通常時はかなりのローテンションだけど
    ちゃんと喜怒哀楽は感じる事ができる。
    普段はその波が、えらい低いところで上下しとるんだが
    それが一定ラインを超えると、その感情が癖になるんだ。

    今は、悲しいモードに突入しとる。
    これを打ち消すには、別のモードに切り替えれば良い。

    一番手っ取り早くて激しいのは、怒りモードなんで
    政治ニュースでも見れば済むんだが
    悲しいモードで、胃も調子が悪くなってるんで
    これ以上、体に障る事はしたくない。

    よって、楽しい系にしようと思う。
    笑いが理想的なのだが、私の笑いのツボは自分でもよくわからんので
    ホラー映画を観よう。 そして恐いモードに入るわけだ。

    いつもいつも恐い系に頼っていて、アホかと思われそうだが
    これ、ものすげえ便利なんだぞ。
    自宅の風呂場に長い髪の女性がいるかも知れん、と思ってみい
    食器の1個や2個どころか10個20個でも、どうでも良くなるだろ。

    恐怖で眠れない、恐くて家に帰りたくない等
    もっと他の弊害が出るかも知れんが
    本当に切羽詰って恐くなった時は
    出るんなら出て来い、こらあ! 出てきたら家賃請求したる!
    と、逆切れすれば良いわけで、それで怒りモードに移行できるし
    この方法なら、どう転んでも目出度い、と思うんだがな。

    何か、色んな事をナメてるようで申し訳ない気もするが
    自分の人生もナメていられないんで、どっちかをナメにゃならん場合
    迷わず、我が人生以外のものをナメてかかる事を選ぶぜ。

    これでどうにかやり過ごせているのも、我ながら不思議で
    もっと良い方法があるなら、と探しているんだが
    今のところ私には、これが人様に迷惑をかけない最良の手段なのだ。

  • 親子関係

    通常の状態なら、犬は犬の子を猫は猫の子を育てるわけだが
    人間だけは、自分と同種族の子を育てていないような気がする。

    トンビの親が鷹の子を育てながら
    うちの子は本当に良い子で、と喜ぶのは目出度いだけなのだが
    カバの親が豚の子に、何故おまえは泳げない?
    と言うようなのは悲劇である。
    この子は何でこれが出来ないのか、こういう風に育たないのか
    これを言い出すと、親も子も悩み苦しむだけになる。

    中には、白鳥の親が亀の子に向かって
    “私たち皆” には出来るんだから、あなたも出来るはず
    と、空を飛ばせようとして、転落死させるような事もある。

    比喩だらけで何が言いたいのか、わかりにくくなっとるが
    いくら自分の実の子でも、同種族という保証はない、って話。

    美しい親から産まれた醜い子供、賢い親から産まれた愚鈍な子供
    親は自分の子なのだから、自分の血を受け継いでいるはず
    美しいはず賢いはず器用なはず優しいはず強いはず
    そうやって、血の繋がりに呪いをかけてしまう。

    ここで一番恐ろしいのは、これに真の愛情が含まれるとこである。
    信じられないであろうが、どんな親にも無条件の愛が存在する。
    親の愛は、自己愛が混ざっていようが、歪んでいようが、本物なのだ。

    何が足りなくても何が出来なくても、親の愛に揺らぎはない。
    だからこそ、思い通りにならない子供を見て親は苦しむ。
    その姿を見て、子供も苦しむ。

    実は、愛とはそんなに正しい事でもないんだろうな。
    世の親を見ていて、そう思う。

    すべての親子関係がこうではないだろうが
    賢い父親と美しい母親の間に産まれた、バカでブサイクな子供は
    親の愛に縛られ続けるのである。

    真にバカだったんで、親の言う事を聞きはするけど
    理解出来なかったのが逆に幸いして
    愛のみで育ったつもりになっていたけど
    今になって思い返すと、親は悩んだんだろうな、と、とても申し訳ない。

    もし子供の頃に、この関係に気付いていたら
    違った性格になっていたかも知れない。
    良い方にか悪い方にかもわからんけど。

    親の存在は、一生消える事はない。
    たとえ親が死んでもだ。
    というか、死ねば死ぬほど強くなったりする。
    いや、何度も死ぬって意味じゃないが。

    いくら自立しても、親の呪縛に苦しみ続ける人もいる。
    親の思惑に気付いていた、賢くも愚かな子供である。
    そういう子供に、重要な事はほぼすっ飛ばして生きてきて
    最後のそのまた後になって、ようやくふと気付いた私が言いたい。

    親の期待はごく自然なものなのだ。
    親は我が子を同種族にしか見られない。
    愛で目が曇っているからだ。
    親の目は、ある意味腐っとるのさ。

    だから親の希望を気にする必要はない。
    親と同種族だったら、おめえにその望みは叶える事が出来ただろう。
    獅子に 「飛べ」 言っても無理だろ。
    気にせず、狩りでもしとけ。

    親の目は覚めない。
    覚める事が出来るのなら、託卵は不可能だから。
    子供を “神様の贈り物” とか言うのは、案外的を射てるかも。

     ミニ知識: 託卵 (たくらん)
    カッコウが有名。(てか、私はカッコウぐらいしか知らない。)

    カッコウは、他の種類の鳥の巣に卵を産む。
    親鳥がいない隙を狙って産みつけるのだ。

    こっから、ちょっと怪しい記憶なんで断言は出来ないけど
    カッコウのヒナは、よそんちの巣で孵化した後
    他のヒナたちを巣から蹴り落としたりして、次々に殺していくのだ。
    ちょっとしたホラーである。

    何故こういう事をするのかっちゅうと
    エサを独り占めして、自分だけ成長したいからで
    血縁もねえ他のヒナなど、知ったこっちゃないらしい。
    親が親なら、子も子である。

    その間、親鳥はカッコウの子が我が子ではないと気付かず
    しかもその他人の子に、実子たちが惨殺されてるのも知らず
    この不法侵入の連続殺人鬼に、せっせとエサを運び続けるのである。

    気付かないからこそ、幸せだという話かも。

    私たちはカッコウなのか?

  • 姓名判断

    占いは大っ嫌いである。
    当たってる事が少ないのに、悪い事を言われたら気になるからである。
    だから雑誌の占いページすら見ないのだが
    ついうっかり姓名判断をするハメになってしまった。

    軽い気持ちでやったのだが、私の姓名は凄かった。
    周囲の人から、「占いなんだし」「気にする事ないよ」
    「これ以上悪くならないって」 ← よく考えるとひでえーーーっ
    と、慰められまくるほどに悲惨な結果が出たのである。

    詳しい内容は、またしてもよく覚えてないのだが
    私の姓名が持つ数字というのは、「凡人に過ぎたる値」 らしく
    ひとつの姓名で、○○運とか××数とかいくつかの項目が出て
    そのすべての数値が良いなら、天下をとれる数字なんだと。

    ところが、その数字を持つと波乱万丈の人生で
    天下統一か破滅かしかなく、特に何とか運と何たら数が悪いとダメ。
    私の場合、何のお約束か、他の数値は良かったが
    見事にその何とか運と何たら値が凶数。
    つまり、破滅決定。

    そんで、このひでえ事しか書いてない占いが、結構当たっていたんだよ。
    とにかく病弱で、孤独なんだとさ。
    そういや思い当たる節があれこれある。
    そうか、私の人生は散々なんか・・・。

    女性は結婚で苗字を変えられるけど、旧姓の運を引きずるんだと。
    どう転んでも、見込みのない転落人生だよな。
    何でここまで最悪な名を付けたんだよ
    無意識でもやって良い事と悪い事があるぞ、ったく、うちの親はよー。

    いきなり後ろから肩をポンポンと叩かれ
    振り向いたら、指で頬をプニュッとされ
    「あんた、不幸」 と言われた気分になったけど
    その時に私が思ったのは
    「これで不幸なんだったら、人生結構チョロくねえ?」。

    確かに薄らぼんやりと、自分の人生がロクでもねえような気はしてたが
    病弱なのはたまらんけど、孤独は別にそれほど悪くはないし
    雨露しのげる屋根の下で、飢えずに生きていける。
    これを不幸な人生だと言ったら、贅沢すぎやしねえか?

    自分の人生を不幸だと仮定して、思い返してみると
    波乱は多けれど、何かどれもこれも自業自得風味だし
    ところどころに、“救い” というお助けシステムが出現してるし
    やっぱり人生プラマイゼロだと思う。

    それに私は最凶運命かも知れんが、最強武器も与えられている。
    それは、“ドバカ” という大剣。
    しかしこの武器、剣なのにどうも束、取っ手がないのだ。
    握ると、自分の手までザックリ切れる。

    諸刃よりタチが悪い剣のような気がするが
    武器は使えるヤツに与えられるもの、という設定を信じて
    ちゅうちょなく振り回しては、大ケガをしているぜ。

    そして今、新たに入手できたのは、“姓名が悪い” 槍。
    都合が悪い事が起きたら、「字画が悪いからー」 と
    何でもかんでも姓名のせいにすれば良いわけだ。
    まさに “投げやり” に出来るから、気分的にはすげえラク。

    何か占いとか聞くと、先祖の因縁とか前世の報いとか
    覚えのない罪を背負わされている気もせんでもないが
    良き事をせんでも、悪い事はせんように心掛けて
    ちょっとした事に感謝しつつ、淡々と生きてれば
    償わなきゃならん罪も、ちょっとは軽くなるんじゃないのか?

    てか、そんな大層な罪をこの人生1個だけでどうこうは出来んだろ。
    ただただ真面目にやってれば、いつかは清くなるだろう、という
    のんびりした気持ちで、今を生きてればそれで良いと思う。

    耐えられるだけの痛みしか、人は感じないものだから
    自分の宿命がどうであれ、それを普通に受け入れられる要素も
    同時に持っていると、私は思っている。

    ちなみに、まだまだこれからどんどん悪くなっていく運命かも知れんが
    太陽はどの位置にある時よりも、沈みかけが美しいから見ものだな。
    自分を太陽と同列扱いするとこから間違っているだろうがな。

    現在 LV4 (すげえ低レベル!)  所持武器 ドバカ大剣 凶数槍

  • 子供のツクリ

    親というのは、子供を紹介したがるものであって
    私も数多くの見たくもない写真や映像を見せられてきたわけだが
    最近のガキって、全体的にキレイさが底上げされていないか?

    私が見るところによると、夫婦どっちかがキレイならば
    その子供は、キレイらしい顔形にほぼ育つ。
    たとえ両方の親がブラクラでも、ものすごい個性の強い圧縮ファイルでも
    子供は良い遺伝子を主に選んで受け継ぐのか
    似つつも、きちんとバージョンアップされているのだ。

    うちの母親は美人の誉れも高かった見目で
    父親もハンサムとは言わないが、それなりだった。
    なのに何故、私に伝わったファイルが破損されているんだよ?
    一体何が違うんだ? “時代” で片付けて良い問題か?

    何を言っとんのか、自分でもよくわからない混乱ぶりだが
    キレイらしいガキどもを見る度に、自分の不遇が不思議でしょうがない。

    ところで、子供が美形になるかどうか
    私的に、ある法則を持って脳内で予言できる。
    親には、あなたの可愛い我が子の未来図はワヤクチャですよ
    などとは言えないから、あくまで脳内だけで。

    乳児の時は、どいつもこいつも土偶風味で大差はないが
    児童になった時に、むっちゃくちゃ可愛いガキっているだろ。
    そいつはまず間違いなく、将来は惜しいビジュアルになる。

    これは思うに、幼少時に顔立ちがバランス良く整っていると
    成長するにつれ、どっかが間延びしてくるからだと推理する。
    都合の良い部分だけ都合良く成長はできないものなんだな。
    そいつの黄金率は、幼少時が完成段階だったわけだ。

    子供の頃は、ちょっと崩れているぐらいが
    大人になった時に、美しく孵化できる。
    私の友人でも美人連中は皆、幼少時の風貌は無残なものだ。
    私は実に可愛いガキだった。

    もういっちょ、親がまともかどうかは
    そいつの食の好き嫌いを見ればわかる。
    もちろんアレルギーの有無などや、例外は省いて考える。

    好き嫌いが異常に多いヤツは、甘やかされ放題に育った率が高い。
    あれ嫌ーい、これ嫌ーい、などと言ってる男性は
    マザコンの可能性が高いから、結婚する時には気をつけろ。

    てか、激しい好き嫌いなど、一緒に生活していく上できっつい困難を伴う。
    私など好き嫌いどころか、食う事に興味が薄いので
    料理するのを嫌がるは、自分の好きなものしか作らないは
    妻にすると最悪だと我ながら思うぜ。

    そういうつもりじゃなかったのに、結局自分をコキ下ろしてしまい
    おめえ自身に問題が多いだけだろ ってな話になっとるだけだが
    この説、私の周囲では割に当たってるんで、ちょっと観察してみい。

  • 嫌われる人

    私には、嫌いな人というのがほとんどいない。

    “ほとんど” と書いたが、その数少ない嫌いな人は
    全部、過去の彼氏関係で知り合った人たちだった。
    私が人を嫌う主な理由は、自分の存在を傷つけられた場合。
    九州男児を嫌うのは、堂々と付属品扱いをしてくれるからである。
    お陰で関西に逃亡した今は、嫌いな人はひとりもなし。
    実に (私だけには) 快適な人間関係を築けている。

    てか、自分の存在を傷付けられる場面は、いつでもどこでもあるけど
    私はプライドが異様に低いので
    余程じゃないと気付かない事が多い → よって嫌いな人も出来にくい
    という、黄金のバカ最強パターンである。

    そういう私が他人にどう思われているかと想像すると
    どうも、許される or むちゃくちゃ嫌われる の両極端のようだ。

    他人の悪口を聞いてて、「それ、私にも当てはまるんじゃねえ?」
    と、訊いてみた事が何度かあったが
    返事は 「あなたは良いのよ、悪気はないし」
    みたいな、あいまいなフォローばかりだった。

    同じ事をしても、私は良くてその人はダメって事は
    まず、嫌いが先にきて理由は後付けなんかな、と思ったが
    だったらその “嫌い” は、どっから来るんだろう?

    私の場合、ヘタしたら会った事もないのに
    相手からいきなり、すげえ嫌われてて
    その理由もまったくわからない、という場面がたまにあるが
    これとも関連性があるのではないかと思う。

    答は案外単純で、そこまで出掛かっているようなのだが
    他人の心理など推し量るものではない、とストッパーが作動している。
    頂上に向かって投げた雪玉が、雪崩になって返ってくるような
    イヤな予感がするからだ。

    「嫌いな人なんていないわよ」 みたいに
    一見、心が広い事を言っているのは、大抵が加害者側だという法則がある。
    自分に被害がないから、キレイ事でいられるのだ。
    多分私も自覚があろうがなかろうが、誰かにとっては加害者なのだろう。

    しかしただひとつ、“悪気がない” というのは手に負えない
    という事だけは、私にもわかる。
    この言葉は毎日聞くかのようによく使われていて
    何かの諦めの呪文のような気がする。

    私もこの言葉とともに許されている予感がするので
    自分がその、悪意なき悪意そのものじゃないか? という不安があるが
    自分のどこが悪いのか、その悪い部分は果たして直せるのか
    深く考えるとドツボにハマるので、とりあえず放置している。

    正直、万人に合わせた私作りは不可能だし
    周囲の友人知人に気を遣うだけでゼイゼイだぜ。

    こういう、いけシャアシャアとした部分が嫌われるのかも知れないけど
    逆にものすごい高評価だったり、好かれている事もあって
    今のところ勝敗はどっこいどっこいなので
    正直、どう生きたら良いのかさっぱりわからず
    投げ出しているのが実情なのさ。

    こういう、他人と自分の思惑の差などは、よっぽどな実害でも出ない限り
    あまり追求しても、正解はないと思う。
    自分がした事は必ず自分に返ってくる、ってのを知っていて
    大事なものも持っているのなら、人はそう道を外れないものだぜ。

    と信じて、今日も生きていこう。 はー、やれやれ。

  • 苦手

    パーフェクト!な私が何を苦手としているかと言うと、金額計算である。
    人生上1~2位を争う、この重要な物件を苦手など
    今までどんだけ損をしてきたかと思うと、まことに恐ろしい。

    よくある、消費税5%の計算がわからない、これ当たり前。
    5%って、×0.05だろ?
    そんなもん暗算できるかよ!
    そんな高度な話じゃなく、1000円で680円の物を買ったら
    お釣りはいくらか? で、金縛りに遭うレベルで苦手なんだよ!

    これを聞いたヤツは皆、気の毒そうな顔をしてくれるが
    数学はともかくも、算数は出来たさ。 そりゃもう完璧に。
    だけど何故か ¥ が付くと、パニくるんだ。
    何かの呪符か? このマークは!

    ところが、この私の “苦手” を根本から揺るがす出来事があった。
    パズルをやってた私を、見ていたらしい知人が
    「あなた金額計算が苦手なんてウソでしょ」
    と、イチャモンを付けてきた。
    「え? 何で?」 と問うと、パズルを解くスピードを見てだと答える。

    いや、パズルにはパズルのコツみたいなもんがあって
    と、グチャグチャ言い訳をしていたら
    「いいから、これやって」 と、金子?計算みたいなのを渡された。

    それを真面目にやったのに、間違いだらけで
    何なの? と責める目で睨まれた。

    これで自分自身も、何なの? という疑問が出てきた。
    いぶかしがられるのも当然である。

    言われてみれば、パズルで散々暗算をしているんだよ。
    これと、1000円から730円を引いたお釣りは?
    に、どういう違いがあるんやら。
    でも実際に 「お金の計算をして」 と言われると、出来なくなる。
    これは一体どうした事なんだ?

    どう冷静に考えても、苦手意識というものは
    自分が作り上げた虚像だと分析せざるを得ない。

    多分、何かで軽くつまづいて大きくショックを受けた、とかのきっかけで
    自分はこれは出来ないんだ、と自分で壁を作るのだ。
    そしてそれに関わる事が出現したら、即座に脳がフリーズする。

    本当は普通に出来るはずなのに、脳が 「無理、絶対出来ない」
    と思い込むせいで、えらく苦労をするハメになり
    それが更に 「出来ない」 という実績になる。
    こうやって、苦手なものはより苦手になっていくのだ。

    私の場合も、過去に金額計算にまつわる失敗みたいなものがあって
    それが苦手意識に発展していったのであろう。
    その、あったかも知れない過去の出来事はまったく覚えていないが
    私の事だから、きっとすげえくだらん事のような気がする。

    さて、こう気付いたので、苦手意識が直るのかっちゅうと
    これが中々難しい。
    今でも、金額計算、とくると、ピクッと身構えるし
    消費税計算も相変わらず間違えまくっている。

    そういうわけわからん自分を見ていて
    もしかして、人は苦手なものをなくしたくないのかも、とすら思う。

    脳内で、得意なものと苦手なものとの黄金バランスがあって
    それを崩すと、精神衛生上良くないのかも。
    人が普通に存在するには、自分にとって悪いものも必要なのかも。
    こう思えるほど、苦手意識が克服できないのだ。

    これも、出来ない言い訳でしかないような気もするが
    こうやって人は、許す事を記憶し続けていられるのかもな。

    とりあえず、お釣りの計算ぐらいは速やかに出来ないと
    絶対に痛い目に遭いそうなので、努力は続けるけど
    本音を言えば、¥とか円とかのそのマークが
    ほんっっっっっと嫌いだーーーっ!

    あっ、もしや私の苦手意識って、化粧品の値段からかも。
    「え? これで12000円? ふざけんな!」
    とか、雑誌を見ていて、よく怒ってるし。

    ああ・・・、これが原因だったら、予想通り見事にくだらん・・・。

  • いっそ小さく死ねばいい

    歌手名も曲名も、すったり忘れてしもうたが
    先週TVでこの歌を小耳にはさんだ時に
    この歌詞は物議をかもしだすだろうな、と思ったけど
    案の定、賛否両論になっているらしい。

    全部の歌詞を聴けば、自殺擁護などしてはいないとわかるのだが
    歌の披露は大体、1番プラスサビの繰り返しだろ。
    オチというのを早めに持ってこないと、誤解を招きやすい。
    だからこの歌にとって、話題にされるのは良い事である。
    全歌詞を取り上げてもらえるのだから。

    と言うかな、「辛かったら死ね!」 みたいな歌、誰も歌わんと思うぞ。
    デスメタルでも、「政治家のブタ野郎は死ね!」 とか
    ちゃんと相手を選抜して叫んでいるっちゅうのに
    こんな睡眠学習に最適な曲調の歌で
    そんな自殺幇助のような歌詞がまかり通るわけがねえ。

    よし、じゃあ私がわざわざ波風をたてるような歌詞に書き換えてあげよう。

    生きてる事が辛いなら~~~
    迷惑かけずに死ぬなら 許・可!
    誰ひとり残らず何ひとつとて 迷惑も手間もかけるの禁止!!!
    掃除の人にも 解剖の人にも 不動産の人にも 店子にも
    地方自治体にも 役所にも そして親兄弟配偶者親族各自にも
    迷惑かけずに死ぬなら 許・可!

    遺書があろうが死体が出るまで、失踪宣告して7年
    配偶者は “悪意の遺棄” から、離婚可能まであと3年
    子供は不遇 一生縁が切られなーい
    葬式たっけー 戒名たっけー 仏壇たっけー 墓地たっけー
    そんだけでも大迷惑 そんだけでもDAIMEIWAKU!

    飛び散った内臓の掃除 肉料理が食えなくなった
    解剖室は連日満員 解剖医は結構薄給
    一応事件性も調べなきゃ 重要事件は他にもたくさん
    死人が出た場所 事故物件 店子チェンジで1年浄化
    仕事と言えども大迷惑 仕事と言えどもDAIMEIWAKU!

    電車ストップ大遅刻 飛行機は待っちゃくれやしねえ
    シャコが喰いつき事情聴取 うっかり漁もできやしねえ
    練炭発動でレッカー出動 しかも大抵山の奥
    混ぜるな危険は入るな危険 隣近所は緊急避難
    樹海は毎年 税金投入 大当たりしかない大捜索
    発見した人、深いトラウマ 一族郎党、黒歴史
    一般市民も大迷惑 赤の他人もDAIMEIWAKU!

    誰にも迷惑をかけない自殺なんて ねえんだよーーーっ!
    よっておめえの死にたい却下!
    却下! 却下! 却下却下却下!!!
    却下! 却下! 却下却下却下!!!

    そこいらへんでブラブラしている、だらしない格好の若者ども
    これにテケトーにヘイとかホーとか入れつつ、クネクネ踊り叫んでくれ。

    生きてる事が辛いなら、来世の幸せは確約されたも同然。
    手に入れるのが簡単なものほど、大したものじゃねえだろ。
    現世利益の宗教が流行っているけど、大事なのは次の次元じゃね?
    来世が寿命500年とかだったらどうするよ。
    今世の残りはたかだか数十年なのに、それを自殺して
    地獄に堕ちて、永遠に苦しむようなポカはしちゃいけねえ。

    えれえ途方もない脳内劇場だし、しょせん我欲だが
    それを “希望” って言うのさ。

    何をもって辛いと思うか、ってのは
    結局は自分が “幸せ” を知ってるから、それと比べているだけ。
    自分の欲望に、立ち入らせたらダメなものってある。
    社会と自分だけの世界とを両方持ち、夢は自分の世界で見ろ。
    それが揺らがない自分を保つコツだと思うぞ。

  • 持ち家か賃貸か

    私のこの答は、「迷わず賃貸!」 で
    これを言うと、大抵の人に驚かれる。
    こっちの方が驚きだ。 その持ち家信仰は何なんだ?

    私的な理論では、庶民には持ち家のメリットは少ない。
    財産とか言うが、それは親の持ち家を継いだ場合のみ。
    平均的な家庭では、30年ローンとか組むと
    返し終わった頃には老後突入、ヘタすると既に死んでたり。

    家賃を払ってるのと、そう変わりはないどころか
    同じ場所の賃貸の相場より、ローンの方が高いと思う。

    それでも子孫に託すのなら、まだ救われるが
    家ってのは建てたら終わりではなく、メンテが必要で
    今の住宅では、そのメンテをおろそかにすると
    家自体の寿命がとても短くなる。 20年でボロ家状態。

    このメンテ費ってのが、またえれえ高い。
    約5年に1度は白アリ駆除が必要で、これはまだ10万ほどで済むが
    屋根、壁、トイなどの傷みを放置すると、たちまち家の内部が腐るし
    水回りは湿気で傷みやすいし、これらは100万超えは軽いぞ。

    何らかの事故でも、それに火災保険が降りにくい場合も多く
    ローンを払いつつの、突発的な高額出費に耐えられるのか?

    それに持ち家の一番のデメリットは、気軽に引越しをできない事。

    少々耳が悪いんで、大音量でTVを点けていて
    しかもそれがホラーや心霊物ばかりで、悲鳴のてんこ盛り。
    音楽といえば、ファッキンファッキン叫ぶ耳障りな曲ばかりで
    時々夜中に悲鳴を上げて、押入れの物を出し入れしている
    妙な女が隣にいたら、心休まるか?

    こんな具体例はどうでもいいが
    もし近所に口うるさいイヤなヤツがいたり
    しつけの悪いバカガキが、爆音バイクや車を所持していたり
    最悪、変質者が住んでいる可能性もある。
    そういう時に逃げ出せないのは地獄だろう。

    一軒家だと、ほとんどの人が住宅地に建てると思うが
    そういうとこは、年老いても歩ける距離に商業施設が揃ってるか?

    それを考えると、買うならマンションだよな。
    それでも、不便な場所に建っているマンションも多く
    マンションの意味がねえ、と思うんだが。

    持ち家にする意味って、一体何なんだろう?

    これがわからないのは、私に子孫がいないせいだとはわかっている。
    ただ家を建てる時は、自分の代で返し終わる設定で行くべき。
    たとえローンが済んでも、相続税は現金で残してもらいたい。

    私の場合、親が建てた家を、兄が着々とゴミ屋敷にしている最中で
    もし兄が先に死んだ場合、それが私に回ってくるんだが
    あれは売りたくても、家は壊して土地だけじゃないと無理っぽくて
    しかも相続税とかも発生するし
    その費用をどこから捻出すればいいのか、想像するだけで恐怖。
    純粋な解体費だけでも、100万以上は掛かるぜ、あれは・・・。

    まさに放棄するしかない負の遺産であって、考えるとゆううつになる。
    こういう状況なので、持ち家には拒否反応があるのかもな。

  • 写す

    知らないヤツに写真を撮られた事はあるか?
    私はしょっちゅうある。

    東京にいた頃に、街を歩いている時に
    カメラマン風情の男性に、何度か写真を撮られている。
    その当時は、ファッションに凝っていたので
    雑誌か何かのスナップ写真だろう、ぐらいにしか思わなかったが
    許可も取らずに撮られるのは、あまり気分の良い事ではなかった。

    あっ、必ず自慢を盛り込まねばならないんで
    海に泳ぎに行った時の話も忘れてはいけなかった。
    スーパーナイスバディの私が、黒ビキニを着ていたら
    そりゃあ、カメラ小僧の標的になるよな。

    その時は私も、純粋な娘さん時代だったので
    何で水辺にカメラを持ってくるんだろう?
    と、不思議だったが、高校生ぐらいの男子たちに望遠で追い回されて
    すげえ気に障って、イヤな気分だった。
    一緒に行った彼氏に訴えても、その彼氏アホだったんで逆に喜んでるし
    帰り道で大ゲンカになったぜ。
    あれ、流出してねえだろうな?

    あああああー、自慢した気分にならねえーーーーーっ。
    これって、痴漢に遭ったのと似たような心境だからか?

    でも何より一番図々しいのは、観光で来ている外国人だ。
    旅の恥はかき捨て、とでも思っているんか
    挨拶もなしに、いきなりカメラを向ける。

    こんなくだらん画に、そんな何枚もフィルムを浪費していいんか?
    と心配になるほど、何枚も撮るのだ。
    んで、最後にニッコリ笑えば許される、とでも言うかのように
    満面の笑みをくれて、去っていく。

    大体、旅行にきといて、一個人を何枚も撮るってどういう意味が?
    後年になって、見ず知らずのヤツの写真を見て楽しいかあ?

    目の前ですんげえドアップで、4~5枚撮られた事もあって
    多分その時の私は、あまりの仰天な出来事にあぜんとして
    ビックリ顔をしてたので、異国の地にその写真が存在するのが
    そんで、それを見て笑われてるかも知れないのが、すげえ悲しい。

    で、何で “私” なんだよ?
    言いたくねえけど、もっと美人を撮れば良いじゃん。

    こんな事は、日本人観光客にはされた事はなく
    男女関わらず外国人だけに、写真を撮られまくっているので
    もしかして、ある種の人々のツボを突く何かを持ってるんか?
    と、自分に疑問を持ってしまうから、ほんとやめて欲しい。
    そもそも、ものすげえ失礼だろ。

    観光地でカメラを構えている人は多い。
    そのレンズがこっち方面を向いていても
    自分の周囲を撮っているのか、自分を撮っているのかは
    すぐわかるんだよ。

    風景の一部として、自分が偶然映り込むのは構わない。
    映ってしまうのは仕方がないが、写されるのはイヤなのだ。

    かと言って、「撮ってもいいですか?」 と聞かれても、断る。
    このご時世に、知らない人に写真を撮られたくねえよ。
    どう使われるか、わかったもんじゃない。
    よくある、エロ目的だけじゃなく
    美容整形ビフォーアフターのビフォーにでも使われたら
    一生引きこもる!!!!!!!

    撮られる不愉快さがわかっているから、私は無闇に写真を撮らない。
    風景や建造物、無機物などは撮る事もあるけど
    赤の他人を主人公にした写真は撮らないし
    飯屋に行って出された料理を撮るのも、ちゅうちょする。

    今は携帯に写真機能が付いているので
    誰でもすぐ写真を撮る事が可能な状況にある。
    ブログにアップとかの理由からか、写真を撮っているのをよく見かける。

    しかし事故や事件の現場でそれは如何なものか?
    ニュースを観ている側としては、情報が得られてありがたいが
    それって、現場で撮った画像をTV局に売ってるって事だろ?

    これは証拠として残しておかないと、みたいな状況だったら
    私も事故現場の写真を撮っておくかも知れないけど
    それは警察に提出するだけで
    ブログに記事を書いた場合も、写真は載せない。

    事故の現場を撮って呪われた、みたいな心霊話もあるので
    やたらな物はウカツに写真を撮りたくねえし。

    事件事故の現場で、ただ見ている野次馬と
    携帯で写しているヤツとは、同じ他人事な好奇心でも
    モラルには雲泥の差があると思うんだが。

    撮られて文句を言った事がなく、全泣き寝入りしてるのは
    いまだにいきなり撮られる事に慣れず、パニくるからで
    後で思い出してムカムカするだけしか出来ない。

    無断撮影は暴力だ!

  • 高校中退

    出だしに結論を書くが、私は中退はお勧めしない。
    ドバカ学校で勉強のべの字もなく、学校中で乱闘騒ぎの
    何のヤンキーマンガの舞台? というような学校なら
    さっさとやめて、塾に通い大検でスキップした方が良いが
    それ以外なら、中退するべきではない。

    何故なら、高校は3年間で終るからである。
    終わりがあるとわかっているのが、どんなに救われるかは
    社会に出た人なら皆、実感していることだろう。

    昨今はイジメという犯罪は、学校の専用用語のように思われているが
    会社勤めでも、近所付き合いでも、家庭内でも、それはある。
    いい大人が・・・と思うのだが、どこに行っても鬼畜はいるもんさ。

    しかもこれらの環境は、“辞める” 事が、高校より遥かに難しいのだ。
    生活がかかっているだけに、自分ひとりの問題ではなくなる。
    そして終わりが見えない。
    転勤、引越し、離婚などの選択肢もあるが
    そこに至るまでには、大抵が3年どころじゃない葛藤を強いられる。

    こういう事を書くと、人生に何の希望もなくなるだろうが
    希望は見つけられるか見つけられないか、だけの違いなのだ。
    不幸というのは、幸せがないと存在できない。

    いつも幸せなら、その人は幸せを普通の人生として捉えるだろう。
    人は不幸になって初めて、あの時は幸せだったと気付くものである。
    不幸の経験を知らないと、幸せの価値はわからない。
    そして、その幸せの価値を覚えている人だけが
    何もない事自体が幸せだと、実感できる術を持ち
    人生の幸せをあちこちに見つける事が出来るのである。

    幸せになれない人は、何もない事に価値を見出せない。
    不幸になった時に、あの頃は・・・と、以前を振り返るだけで
    そういう人にとっては、幸せは思い出の中にしか存在しない。

    これが幸せになれるか、なれないかの違いなのである。
    基本、生きていくことは辛いもの、と腹をくくれば
    些細な事でもすげえ嬉しいもの。
    期待値の高さは、ほとんどの場合、自分の首を絞めるだけである。
    大抵の人は、成長過程でこれを学ぶ。
    だから辛い事もあるのに、「フツーに幸せ」 と言う事ができるのだ。

    何故、高校を中退すべきではないのか?
    それは学歴社会の仕組みが、人生に大きくのしかかってくるから。
    大検で大学進学をしても、高校中退は履歴に残る。
    正味な話、これはデメリットになるだろう。
    社会は、“皆やってる事をしていない” というのには厳しい。

    だけどそれより何より大事なのが
    集団の中で自分を見つめられる事が、ものすごく有益なのである。
    自分が人にどう接するか、接されるか
    自分の集団の中での立ち位置はどこにあたるのか
    これらのデータを収集、分析できたら
    それは自分の人生において、一生のマニュアルになる。

    そんなんどこでも出来る、と思うなかれ。
    社会に出たら、同じ種類の人間に囲まれる事が多い。
    学校は、あらゆる種類の人間が集まる場所で
    こういう所はありそうで、そうはないものである。
    これを生活に責任のない学生時代にやっておくべき。

    とは言っても、逃げ出したい時もあるだろう。
    そういう時には、逃げ場を作ること。
    学生にとって、学校は生活のほとんどを占める。
    それが苦痛の原因でもある。
    他に自分の居場所を確保しておけば、意識が分散できる。
    塾、習い事、遊び場、ネットもそのひとつである。

    1箇所で上手くいかなくても、他の場所で楽しければ
    上手くいかない1箇所が、そう気にならなくなる。
    嫌な場所をオンリーワンにしとくから苦しいのだ。

    そもそも、1つに集中していると
    その1つが自分の中で大きくなりすぎて
    支配されて振り回されるハメになるのは、よくあるドツボ。
    自分の世界をいくつも持っておくのは、人生のコツである。

    生きていくには、いくつかのコツがあって
    それは自分のテリトリー内だけでは学べない事も多い。
    何気なく見聞きしている事でも、自分にどう役立つか、という点に
    もっと貪欲になると、見えなかった事が見えてくることもある。
    視界ってのは、ある日突然開けるものだから。