• 部屋着

    家の中では思いっきり気を抜いている。
    体を締め付けるのが苦手なので、本当は全裸でいたいんだが
    それは悪の所業にも等しいだろう、という倫理観から自重。
    実はやってみた事もあるんだが、素っ裸で過ごせるなど
    並の神経ではやっとられん事がわかり、諦めた。

    こういう言い訳を錦の御旗とし、私の部屋着は最悪である。
    どんだけかと言うと、アポなしで来た人に謝られるレベル。
    友人知人、親戚、目上の人、仕事関係、宅配、訪問販売
    全員の初めて来た時の一言目が、「あっ、すいません」 という詫び。
    アポありでもアポなしでも、同じ格好なのだが
    「突然来た自分が悪い」 と、瞬時に思われるらしい。
    私ほど、何もしていないのに人から謝られているヤツはいないであろう。

    過去の彼氏もひとりを除いて、全員が
    「もうちょっと家でもどうにかしてほしい」 と、懇願していた。
    (その除かれたひとりとは、パンクファッション時代の彼で
     当時の外出時の私は化け物も同然だったので
     逆に家でのフツーの姿に安らいでいたようだ。)

    まあ、ユルユル部屋着じゃ、私のナイスバディも拝めないもんな。
    外で気取っている女性ほど、家の中ではギャップが激しく
    家族はゲンナリする、というお約束ってあると思う。
    (このお約束では、外での私の勇姿を知らない宅配の人が
     謝る理由が付かないが。)

    私はスウェットを着ても普通よりは格好良い、と自画自賛してるんだが
    周囲の反応を見てると、どうやらえれえな勘違いかも知れん。
    しかし、どんなに豪勢なもんでも毎日食うと飽きるし
    私のナイスバディは、外出時のみの恩恵と思ってもらいたい。

    ・・・こういう事を言ってるから、余計に怒られるんだろうが
    どこぞの抑圧された夫が、妻にだらしなさを怒られ
    「俺はどこで気を抜けば良いんだー!」 と、切れるように
    あまり突っ込まれると、逆切れも辞さない構えである。

    そんなに凄いのか! と、引かれそうだが、そんな事はない。
    夏場はタンクトップに短パン
    冬場はスウェット上下にフリースのジャンパー
    もちろん無地で地味目な色。
    いたって普通だろ?

    ただ、普通じゃない心当たりが2個ある。
    ひとつ目は、破れるまで服を捨てない性格。
    皆、服ってどんだけ着るんだ?
    布って中々破れないと思わんかあ?

    破れないくせにすぐ毛玉ができて、とてもみすぼらしくなるけど
    上下スウェットとか、あの範囲の広さに毛玉取り機は面倒くせえ。
    そんなんやっとられるかい、で放置なのだ。

    破れたら、さすがに諦めて雑巾用に切り刻むが
    ヘタをすると、破れ部分によっては見なかった事にもするので
    そういうケチ臭さが、哀れさを漂わせているのかも知れない。
    が、見た目が悲惨でも、まだ着られる服を捨てる覚悟が出来ずにいる。

    もういっちょが、関西に来てからの冬の寒さの厳しさ。
    モコモコの靴下に、履き古した靴下を切ったレッグウォーマー
    かあちゃんが送ってくれた、ターバンだかネックウォーマーだか
    わからんパイル生地の輪っかを首に巻き
    真冬は更に、腰巻きだのストールほっかむりだの手袋だのを追加するので
    正に 「家屋内でどういうつもりだ?」 なファッション。

    とても温いが、この格好の欠点は、チャイムが鳴ったら
    その内の何枚を脱いで出らなきゃならないんだろう? という面倒。
    謝られないためには、早変わりの術をマスターせねばなるまい。

    ああ、そう言えば、更に思い当たるのが髪型だ。
    剛毛多毛なんで寝癖が治まらず、立ちまくった髪になっているが
    あまり毛根にテンションを与えたくないから
    家の中での私の頭髪は、とても自然体な方向性を謳歌している。
    これが他人から見たら、尋常じゃないんかも。

    と、せいぜいこのぐらいなんだが、何がそんなに異常なんやら。
    多くの世の女性たちは、外ではキレイにしているけど
    一歩家に帰ると、同じような格好をしていると思うぞ。
    外出着にすげえ金が掛かるのに
    部屋着までとっかえひっかえする余裕はなくねえか?

    と、力説しているけど、正直なところ
    他の女性たちは家でどんな格好をしているのか、よくわからない。
    もしかしたら、本当に私は飛びぬけて 「すいません」 な系統なのかも
    などと、すぐ弱気になるところが、唯我独尊にはまだまだ遠い。

    てか、今は外でもジャージ姿で普通に歩いてるだろ。
    ハリウッド女優たちが、そのファッションの諸悪の根源だけろうけど
    ああいうおしゃれ系じゃなく、毛玉ビッシリのスウェット上下を
    コンビニやドンキでよく見かける。

    一歩外に出ると、得体の知れないバイキンがウジャウジャいて
    それが衣服に付く、と思い込んでいるので
    私的に部屋着と外出着は、きっちり分けないと安心できないんだが
    毛玉スウェット族は、帰ってそのまま布団で寝るんだろうか。

  • 自画自賛のすすめ

    私は自画自賛するヤツが大好きだ。
    日本人は、謙譲の美徳とやらを持っているので
    通常なら自画自賛話は、真に不幸なヤツから以外は
    ほんとに内輪だけの “ここだけの話” でしか聞けないのだが
    たまに、満遍なく何様? な痛快なヤツに出会う事がある。

    “たまに” とか書いてるが、よく考えると
    私の周囲には、この系統の人種が多い。
    やはり類は友を呼びまくっとるのか? とも思うが
    私が遠慮なくロクでもねえ事を言うので
    つられて本性を出す場合が多いのかも知れない。

    ここで、自画自賛のマイルールをとうとうと述べるが
    大切なのは、自画自賛は自慢とは違う、という事。

    自慢は、人に羨ましがられたり賛同されたりしたい、という
    対・人 を強く意識して行なわれる。
    これは私から言わせれば、愚かな行為である。

    他人と自分を比べてしまうのは、しょうがない事で
    自分の確立に、他人の存在はなくてはならないものである。
    しかし、自分の思う自分の価値を、他人に同意させようなど
    とんだハタ迷惑な話でしかない。

    自画自賛とは、自分で勝手に設定して
    ただの情報伝達として、自分を褒める言葉を出すだけの事。
    自分が生きる上での支えみたいなものなので
    そこに他人の許可は必要としない。

    私の自賛に文句があるなら言ってみい! ・・・己を見直すから
    の気合いで、「私はこうだから」 と言っているのだから
    聞いてる側は、はいはい、と流してくれれば、ありがたい。

    単にマイワールド炸裂なだけだが
    自画自賛をさりげなく、またはコミカルにするヤツとは
    話していて、とても楽しい。

    たとえそれが大いなる勘違いであったとしても
    自分の美意識を定めて頑張ってる、という前向きな印象で
    清々しい気分になれる。

    そういう私も、実は自分に自信がない。
    私が本気で自賛しているのは、ナイスバディのみで
    天才だの気品あふれるだのの他の部分は、正直ギャグである。
    そういう項目で笑いを取る必然性はまったくないんだが
    やはり基本が何様なので、単なる個性だと認識してもらいたい。

    自信はないが、自信がないヤツの気持ちはわからん。
    自信がない事で悩んだ事がないからである。

    皆、自信がない事で悩んではいないんだろう?
    本当は、その自信がない部分を解決しようと
    努力するのが面倒くさくて悩むんだろう?

    面倒くさい、ってのは、私固有の感覚で
    他の人の場合は、「やっても出来ない」 とかかも知れないけど
    だったら、「やっても出来ないので自信がない」 の
    「自信がない」 の部分に焦点を当てるのは、違う気がする。
    問題は、「出来ない」 のとこだけじゃないか?

    色んな事が上手くいかなくて、総合で自信がなくなってる場合も
    全部バラけさせて、いっちょいっちょ別項目として考えるべきだと思う。
    こういう、ちょっとした考え方の方向性が
    荷物の持ちすぎを助長させている可能性もあるものだし。

    「どうせ自分なんて」「でも」 とばかり言ってるヤツは
    自分の容量を大きく見誤って、自らにダメ出しをしているように見える。
    私的には、そっちの方が 「何様?」 だと思う。

    スポンジが不味いケーキで、デカさがホール大だったら
    はさんである苺が美味かろうと、屁の突っ張りにもならんだろ。
    それがショート型に切ってあったら、苺の美味さで多少は緩和される。

    自分をデカく見積もって、トータルで不味いと嘆くより
    ショート大しかない、と最初から思っていれば
    点々とはさまってる美味い苺の存在に救われる、ってもんだ。
    自画自賛とは、そういうものなのだ。

    自画自賛、しようぜ。
    冗談で言ってるだけでも、自分の出す言葉が耳から入って
    何となく自己暗示に掛かっていくもので、ひとつ良いとこがあると気付くと
    芋づる式に自信が持てるようになる事もあるんだぜ。

    まあ、あまり人に自画自賛を言ってると、人格を疑われる事もあるが
    人の評価より、自分の気持ちの持ちようを大切にしてみたらどうだ?
    評価なんて、後からついてくるものだし。

    と言いつつ、いまだに評価がついてこない私としては
    今後の人生をどう修正するか、の瀬戸際かも知れんがな。

  • チューブ

    つねづね思っていたが、チューブは面倒くさい。
    それは、中身をひとつ残さず使おう、とするからである。

    某化粧品のCMで、「最後の1滴まで」 とか言って
    ひねりにひねり出して終わらせてるが、あれは甘い!!!
    切れ! チューブを端から切り刻め!!!

    歯磨きペースト、化粧品類のチューブは
    平らになったら必ずハサミで切る。
    それも出し口とは反対側の端の部分を。

    切って覗いてみると、何でこんなに残ってるんだよ? と怒りが湧くほど
    中身が大量にヘバりついている場合が多い。
    それも1日2日分ではない。
    ヘタをすると、1週間分ぐらい残っているので
    切った端っこをフタとして重ねておくのである。

    ラミネートチューブの偉大さが、こういう時にわかる。
    今でも品質保持等の理由で、アルミか何かの金属チューブの製品があるが
    これもハサミで切れるけど、ガタガタになった容器の壁に付いているのを
    残らず取るのが不可能なのだ。
    無理矢理こじ開けてねじり取っていると、切り口で指を切るし。

    こういう、いじましい事をさせないための金属チューブなのだろうが
    それにしても何もケガまでさせんでも、と逆恨みしてしまう。
    中身、血まみれで使えなくなるし・・・。

    だから私はチューブ製品を信用できずに、避けれるもんなら避けるのだが
    1個だけ、ものすげえ良い出しっぷりをしてくれたチューブがあった。
    それは、サンスターOra2ホワイトスポットクリア。

    景品で貰ったものなので、正直どうでも良かったけど
    ムダにすると、どこぞの国からmottainai大使が
    怒ってやってきそうなので、使い切る事にした。

    正式な手順を踏んで、端っこを切ったけど
    チューブの隅にも途中にも何もない。
    動揺して、キッチンのハサミで切り刻んだら
    出口に1回分にも満たないペーストが残るのみ。

    数日前に、某外国メーカー歯磨きの残りカスを10日近く掛けて消費し
    そのだらしない大量へばりつきに、イライラさせられただけに
    サンスターのチューブの見事な仕事に感動させられた。
    押し出すものは残さず押し出せる構造、さすが日本メーカー!!!

    と、国産信奉で力説しとるが、証拠がない。
    冷静になった今なら、アップ用に写真を撮るべきだった、と思えるけど
    当時は感激のあまりに、何の未練もなく
    とても気持ち良くゴミ箱に叩き込んでしもうたんだ。

    これが日本メーカーだからなのか、それともサンスターだからなのか
    断言は出来ないけど、Ora2ホワイトスポットの細いチューブは
    最後の最後まで使い切れたのは事実である。

    チューブは切る! と宣言しているけど、食品系はこれをしない。
    何となく、ハサミの菌が切断面から移りそうで恐いからである。
    これを言ったら、化粧品とてヤバいのだが
    食い物はダイレクトに内臓に来そうな気がして、ちゅうちょするのだ。

    そして食い物系のチューブの中身は、面倒くせえ属性のヤツが多い。
    ケチャップのチューブを切った時に、開こうとした途端
    何がどうなったのか、我が人生の走馬灯を見てたんで
    その瞬間が記憶にないが、とにかくペッコンとかなったらしく
    気付いた時には私の上半身と背後の壁が
    ケチャップの血しぶきまみれになった、という惨劇を経験している。
    ケチャップは壁紙に付くと落ちない。 服のも落ちない。
    シミ抜きの知識は、当時も今もない。

    これがトラウマとなり、食品系の容器解体はうちではタブーである。
    マヨネーズとか、酸化するので止めれ、と言われているけど
    チューブは全部パンパンに空気で膨らませて逆さに置いている。
    それこそ、あるかないかわからんハサミ菌より、確実に体に悪いだろうけど
    ハサミ菌うんぬんは、己を正当化するための後付けなのだ。

    ああ、そういや食品系チューブで思い出したけど
    レトルトパック、これはテキトーにひと絞りで済ませている。
    熱湯で熱々になった物体を、この柔肌でそんな念入りに搾れるかよ。

    レトルトパック絞り、みたいなんも使ったけど
    思いっくそギッチリ搾り出したら、器具にベットリ付いて
    洗い物が増える方がよっぽど面倒くせえし
    食品、油まみれ、という事実を再確認させられてゾッとした。
    いたらん物を食いたいんで、そういう現実からは目を逸らしたい。

    節約してるんかしてないんか、わからん生活状況だが
    見て見ぬフリ、ってのは、精神の安定にとても重要なワザだと
    長く生きてきて、つくづく思う。
    要は、どう自分を説得できるかだな。

  • 春は憂うつ

    1年中で必ず体調が優れないのが春である。
    よくわからん微熱が続いたり、体があちこちメリメリいって痛い。

    季節の変わり目は、自律神経が狂いやすく
    特に春はホルモンバランスの調整が難しくなる季節だから
    多くの人が体調不良に悩まされる時期らしいが
    最近は花粉やら黄砂やらで、余計に大変な事になっとると思う。

    ブログをやってて一番辛いのが、4月5月。
    いつもは脳内でBGM的に流れ続ける思考が
    散文的にブツブツ切れて漂うので、何の記事のネタにもならない。
    脳内にボヤーッと霞が掛かった状態で、まるで働かないのである。
    もしかして “春霞” ってのは、本当はこの事を言うんだろうか?

    毎年、4月5月はブログを書くのに苦労をするので
    さぞかしグレードが低い記事ばかりだろう、と
    ちょろっと見直してみたら、他の時期とまるで変わらない。

    そんなはずがあるかい、こんだけ頭の冴えが違うのに。
    それにしても、これは一体どういう事なのか?
    まさか、“バカの考え、休むに似たり” を実践してるのか?
    と、考察するほどに、とてもイライラさせられ
    自分の書いた記事など読み直すものじゃねえ! と痛感した。

    頭がボヤけているからと言って、眠くはならない。
    この前のリンパ腫らし寝込みでつくづくわかったが
    どうも私は、“寝る” という作業が大嫌いらしい。

    そういえば、学生の頃から布団の中で思っていた。
    授業中はあんなに眠くなるのに、何で夜は眠れないんだろう? と。
    夜中に妙にテンションが上がるのが敗因なのだろうか?
    人間にあるまじき夜行性なのかも知れない。

    ちょい前、ロングスリーパーという記事を書いたが
    身近にものすげえショートスリーパーがいたのを、今更ながら思い出した。
    と言うか、兄の事なんだが、たったひとりの肉親なのに
    何でその時に思い出さないのか、どうした薄情者なのか
    春はすぐこうやって攻撃力が自分に行くので困るんだが。

    兄が寝ているのを、あまり見た事がない。
    いつ行っても、リビングに地縛してるがごとく、そこにいるのだ。
    いや、昼間出ないだけ、地縛霊の方がまだ良心的である。
    夜中にトイレに起きても、真っ暗な中TVだけ点けて
    大量の靴下に毛玉取り機を掛けたりして、映画を観ている姿は
    地味なドッキリハウスか? と思ってしまうほど不気味で迷惑だ。

    いつ寝てるんだ? と問うと
    うーん、布団に入って寝る事は、あまりしないなあ
    ソファーでうつらうつらしたりするから
    それでも1日のトータルでは、3時間は寝てるぞ

    の答に、おめえはピンクレディーか! と、心の内部で突っ込んだ。
    (絶頂期のピンクレディーがそういう状態だったと
     後にTVで語っていたのが印象に残っていたのだ。)

    うちの兄は、まぎれもない変人なので
    ショートスリーパーでも、呆れはするが一向に驚かないのだが
    思い起こすと、とうちゃんは、寝るなら呑む、なヤツだったし
    かあちゃんは眠れない眠れない言ってたし
    うちの家系は、寝る事に縁遠い宿命なのかも知れない。
    きっと先祖が目覚まし時計だったんじゃないかと思う。
    最早、生き物ですらないが、いらん血筋を作った先祖なんぞ知った事かい。

    ああ、春だからまた、何の役にも立たん記事を書いてしもうた
    と、ガッカリだが、自覚が足りないだけで
    多分、年中こういうくだらん事ばかり、たわけているんだろうな。

    春の次の言い逃れは、もう決まっている。
    “老化” である。 ほっほっほ

  • 脱・民放TV

    寝込んでいた間に番組改編で、新番組が始まりまくっていた。
    一応病人なので、妙な時間帯にTVをボーッと観ていたのだが
    特に昼の時間帯の番組はひどいな!

    ザッピングザッピングで細切れに観てたので
    詳しくはわからないんだが、奥様に人気の俳優たち?
    彼らを並べて、スイーツだのランチだの、結構な夢心地。

    この不況の風が吹きすさび、犯罪が多発しているこの時代に
    本当に世間の人々は、こういうノンキな情報を欲しがっているのだろうか?
    それともこんな時代だからこそ、一時的な逃避が必要なんだろうか?
    にしても、あんな番組では救いにはならん気がするんだが。

    大まかに分けて、一般市民にはどうも2種類の人間がいるようだ。
    そりゃ辛い事も色々あるけど、とにかく波風を立てずに
    (何かを) 信じて、笑顔で生きていきましょう。
    一個人には世の中はどうにもできないのよ
    大事なのは自分が今どう生きるかでしょう?
    恐ろしい事は見聞きしたくないわ、というドリームチームと

    何か世の中おかしくねえ? 陰謀にまみれてねえ?
    自分が辛いのって、どっかで誰かが何かやってるせいじゃねえ?
    民衆は洗脳されて犠牲になってねえ?
    確かに自分ひとりじゃ何も変えられないけど
    自分のいる世界の真の姿は、知っておきたいと思う。
    情報弱者にだけはなりたくないから、というリアルチーム。

    私は基本、ドリームチームに分類されるのだが
    なにぶん嗜好がおどろおどろしい系一辺倒なので
    スイーツやトラベルなどの情報など、楽しくもねえ。
    どうもTV業界は、ドリームチームをターゲットにしているようだが
    こんなんするなら、いっその事ドス黒いものを見せてもらいたいと思う。
    「皆、一緒」 で安心する日本人としては
    自分の闇の部分まで、人と共有したい時代だと思う。

    ただ、ロクでもねえ悪らつな一面が、“普通” の事だと常識化されると
    人類の未来的にはかなりヤバいだろうから
    やはりそのへんはタブー視されて正解なのであろう。

    にしても、昼間のTVはつまらん!
    観る人が少ない時間帯なら、もっと冒険しても良いと思うんだが
    TV局も予算が減ってきているんだと。

    何を甘えた事をぬかしてやがるんやら、金がないなら知恵を使え!
    と、不況のあおりをモロにくらっている平民としては
    ものすごく腹立たしく思う。

    TV局なんて、大手企業が節税対策の経費使用のために
    短時間の作品に、タレントを1日貸切りの値段で雇うので
    必要のないテイクを重ねて時間を潰して
    意味もなく海外でロケをして、大勢のスタッフが豪遊するなど
    ムダ銭垂れ流しで作った、つまらんCMを流す事で得た資金を使い
    外注外注でよその制作会社に頼り切った番組作りをしていたので
    自分ちで全部やる意欲も頭もないんだろう。

    どうした偏見かと思われそうだが
    広告代理店で一番大事なのは、頭の固いオヤジどもを説得する技術
    というのが、私の結論なのだ。
    世の中って結構こいつらが動かしていると思う。

    今流行っている、とマスコミで言われる現象が
    自分の周囲ではその気配すらなくても、TVでしきりに言われれば
    (自分とこ以外の) どっか全国で流行ってるんだろうな
    と錯覚させられるからである。
    世の中の流れは、マスコミが作るのだ。

    しかし、そのマスコミの最先端であるTV局にお金が流れにくくなった今
    途端にとてもつまらん番組しか提供できなくなり
    TV以外の娯楽を持っている人々は、TV離れをし始めると思う。
    現に私も、TVなぞゲームかDVD再生機のような状態になっとる。

    こういう話をブーブーしていたら
    毎月数千円も出してDVDをレンタルしまくっているなら
    光TV?にすりゃ良いじゃん、という助言を貰った。
    インターネット接続回線を使って?スカパ-が観られるあれである。

    そういや、昔スカパーを契約していた。
    映画が全部字幕で参ったけど、最近は吹き替えもあるらしい。
    確かにDVDのレンタル料を考えると、それも大いにアリだと惹かれるが
    スカパーでは呪いのビデオは配信されてねえだろうなあ。
    オカルトチャンネルとかないんかな。
    私のレンタル料の85%は、恐怖系なんだよな。

    とりあえず、最近TVを切っている事が多いんだが
    TVが点いていないと、部屋の雰囲気が異様に暗くなる。
    それを打ち消そうと、デスメタをかけてお香を焚いていると
    そのうち何かの儀式かと勘違いした頭の悪い悪魔が出てくるやも知れん。

    とか、日頃の嗜好でつい想像してしまうので、より一層
    消えたTVの真っ暗な画面に映る部屋の風景を見るのが、恐くてたまらん。
    視界の端で一瞬、何か動いてる気もして、ビビりまくっている。
    よってスカパーを点けて、明るい部屋で生きる事にしたぜ。

    民放よ、さらば。

  • 化粧品からアスベスト

    化粧品の素性を確かめるのは、かなり難しい事である。
    販売元と製造元ぐらいは、簡単にわかるのだけど
    配合成分の産地または加工地、これを重視しなければならない。

    そもそも化粧品にだけ、そんな厳しく安全性を求めるのも
    片手落ちと言えばそうだけど
    何事もヤバいと感じるものには手を出さない方が良いに決まっている。
    化粧品の成分は山ほどあるので、これも何をヤバいと感じるかは
    個人個人に備わっている基準次第である。

    何故こういう事を言ってるのかというと
    こういうニュースを読んだからである。

    韓国製化粧品5種類から発がん性物質=商品の回収・返金へ―韓国

    2009年4月8日(水)10時32分配信 Record China

    2009年4月6日、韓国食品医薬品安全庁は
    同国ロセアン社製の化粧品5種類から、
    発がん性物質のアスベスト(石綿)が検出されたことを発表した。
    7日、ロセアン社は中国で問題製品を店頭から撤去したことを発表した。
    8日、北京晨報が伝えた。

    問題の製品はフェイスパウダーなど。
    徳山薬品工業などが中国から輸入した原料・
    滑石に問題があったことが発覚している。
    先日は同じ滑石を使ったベビーパウダー12種類からも
    アスベストが検出された。
    アスベスト混入は最終的に化粧品、製薬、食品など
    300社に波及するもようだ。

    アスベストっちゅうのは、簡単に説明すると “石綿”。
    繊維状なので、吸い込むと肺に引っ掛かって体外に排出されない。
    よって継続して吸い続けると、肺がん塵肺中皮種になるリスクが高まる。
    潜伏期間は数十年にも及ぶので、健康被害との因果関係の立証が困難。

    上の記事で化粧品的に最も重要なのは、“滑石”。
    これは英語と言うところの、“タルク” なのだ。

    タルクは、粉物だけじゃなく色んな化粧品に使われている。
    「塗って表面サラサラ」 という化粧水や乳液、クリームにも
    配合されている場合も多い。
    メイク物なら、粉物全般に加え、下地、リキッドファンデ
    クリームファンデ、コンシーラー、口紅にまで。

    余分な話だけど、タルクは
    「卵巣ガン、卵管繊維症、不妊の原因となる可能性がある」
    と、アメリカ医学会誌でチャンドラー博士が言ってるそうな。

    タルクが問題ありとなったら、ほとんどの化粧品が危ない事になるので
    慌ててタルクとアスベストの関係を調べた。
    品質の悪いタルクは、アスベストを含有する事があるんだってさ。
    そもそも、この2つ、化学組成的には同じなんだと。

    化粧品にアスベストが入っていたとして、何が恐いかと言うと
    使っている本人だけじゃなく、周囲にまで粉塵が飛ぶ事なのだ。

    タルクが多く含まれる化粧品は、粉物はもちろん
    練り物でも、さっぱり感を重視した作りのものに含まれる。
    つまり、揮発性が高いアイテムって事になると思うんだ。

    他人の肌に塗られた化粧品の匂いを感じる時ってあるだろ。
    “化粧臭い” ってやつ。
    匂いを感じるって事は、自分の鼻の粘膜に
    他人の付けている化粧品の粒子が付いた、って事なんだ。
    粒子の大きさなど、どの成分が飛んでいるのかわからないけど
    本当に香料だけしか飛んでないのか、不安がないか?

    もし、この不安が当たっていたら
    危険があるかも知れない化粧品を使っている人だけじゃなく
    その人の家族、友人、その化粧品を売っている店、通り過ぎるお客まで
    知らず知らずに吸い込む事になるかもしれない。
    ここが一番、不安に思う部分なんだ。 素人の杞憂に終われば良いけどな。

    今回の韓国の化粧品の事件の徳山薬品工業ってのは
    韓国の会社なので、日本語サイトでは情報が見つからない。
    また、うがった見方をするけど、ニュースに名前の挙がっている
    ロセアン社は、良心的な方かもしれない。
    普通に考えて、薬品会社が成分を卸す化粧品メーカーが
    ここ1社だけとは考えられないからだ。

    とか思いつつ調べたら、こういう記事も見つけた。
    「タルクの原料を製造・輸入するすべてのメーカーを調べたところ、
     徳山薬品工業のほか 7 社 の原料からアスベストが追加で検出された
     これらメーカーのタルクは化粧品と医薬品の製造に使用された。」
    もう、こりゃ結構な数のメーカーがアウトだな。

    ここ数年、TVでも美容雑誌でも、韓国コスメ称賛が多く
    それが私のマスコミ不審の理由のひとつにもなってたんだけど
    良い良い言ってたヤツらは、これをどうするんかな?
    私なら、ごめん言うぞ。 こんな辺境のブログだとしても。

    化粧品ってのは、国民性がよく出る商品だと思う。
    自分ちの国と違う衛生観念の国のを使うべきじゃない。

    これを調べていく過程で、有害物質関係のサイトにまで行き
    読んでて暗示に掛けられて、今とても具合が悪い。
    知らない方が幸せな事ってあるんだよな。

  • 舌苔

    ここ数ヶ月な、味覚がえれえ変わったんだ。
    大好きだったブラックペッパーが、辛くて受け付けなくなったし
    インスタントのカップスープが不味く感じて飲めなくなってしまった。
    菓子棚の常備品だった亀○製菓の柿の種も、辛くて食えない。
    ミンティアも辛い。

    (何でそう、いたらん物ばかり飲み食いしとるんだ、
     それで、どこが健康に気を遣ってるんだ、と突っ込んでくれるな。
     体に悪いものほど美味いのが、この世の真理なんだよ!)

    あれ? 辛いと辛い、よく見ると同じ字じゃん。
    これじゃ意味が通らんじゃねえか。
    「熱が出てからい」 とか読んでた人もいるかも。
    それだと、私が真のバカ認定される危険性が高まって困るぞ。

    てか、“からい” ってのは “つらい” 事だという
    深い哲学みたいなもんを表わしている、っちゅう話なんか?

    普通、味覚が変わる = 妊娠 病気 とかの可能性があるが
    それは真っ当なヤツの場合である。
    私の事だから、絶対に何か余計な事をしとるはず
    と、(まったくもって不本意な) 客観性を持って、数日考え込んだ。

    やっぱりやらかしてた、と思う。 多分。
    原因は、ここ数ヶ月、歯磨き時に舌も磨いていた事にあると思う。

    舌苔を取る道具ってあるじゃん。
    それは想像するだけで、こみあげるものがあるので
    横目で見つつも買わない方針を固めていたんだが
    何の運命か、何気なしに買って新しく使い始めた歯磨き粉に
    “舌の汚れも浮かせる” って書いてあって
    じゃ、歯磨き時についでに擦れば良いんじゃん、と思い立ち
    歯磨きの度に、ワシワシやってたんだよな。
    時期からいっても、これ以外の要素は思いつかない。

    と言うか、舌苔って何なんだ? 取っても良いものなんか?
    と、ネットで検索してみたが、病気の目安にはなっても
    肝心の除去となると、「取れ、取るな」 の両意見が乱れ飛んでいて
    その立ち位置すら、よくわからない。

    てかな、何か病名とか写真とかいっぱい出てくるんだよー。
    医学系のいらん知識を付けると、逆プラシーボ効果で
    何かあったら自己暗示が発動して、その際の病気候補が増えるから
    健康関係の調べ物はできる限りしたくないので、断念。
    ほんと、言い訳だけはいっちょまえだが。

    よって、私の体験からのみで物を言うが
    舌を磨いていると、辛いものが食えなくなる
    = 舌が無防備になる、という事になるんじゃないか?

    これは塩分調整的には良いかも知れんが
    もし、舌の味覚細胞が素で晒されている状態だったら
    刺激ダイレクト受けで、かなりの諸刃じゃないかと危惧させられる。
    味覚細胞、弱くてすぐ死ぬって聞いた事があるし。

    眼球洗浄液といい、腸内洗浄機器といい
    時々医者が止めるようなものも、普通に売られるようなので
    店頭に並んでいるからといって、簡単に信用しない方が良いと思う。

    私の場合、そんなに激しく磨いてないのに
    こんなに味覚が変わってしまった事が
    何かもう、「するな」 って天からのお告げじゃないかと。

    にしても、しょっちゅう自滅行為をしているが、これは一体誰が悪いのか?
    私的にはどうも、世界は陰謀に満ちているような気がしてならんのだが。

  • 猥談

    ボーッとTVを眺めていたら、こんな話をしていた。
    女性に猥談を話すのは、それを聞いて女性が恥らったりする
    反応が楽しいからだそうだ。
    それを聞いて、痴漢と変わらんじゃん・・・
    と、思ったと同時に、長年の謎が解けた。

    若い頃から気配りな人である私は、いらん知識だけは豊富だったので
    オヤジどもに猥談をされたら、かぶせにかぶせて話を広げてあげるのに
    何故かオヤジどもは、その後説教を始めるのだった。

    「最近の若い子は」「ご両親が悲しむよ」 等。
    え? 猥談がしたかったんじゃないの?
    てか、そのご両親とやらの大事な娘にエロ話を仕掛けたのは誰だよ?
    って感じだろ?

    こういうオヤジ心がさっぱりわからなかったけど、やっとわかった。
    何だ、あいつら女性が恥ずかしがるのを期待してたんか。

    それ、裸コートの露出狂と同じだから!
    そういう心構えを持ってたくせに、よくも説教なんかたれられたよな。
    猥談に偏見のなかった私だが、このもんのすげえ怒りをどうしてくれる。
    今後私に猥談をしてくる男性には、容赦ない迎撃をしたるわ。

    猥談野郎の意図がわかると、それに対する反応で
    女性の性質も何となくわかる気がする。
    この場合の性質とは、痴漢に遭った時の対応。
    痴漢は犯罪だけど、猥談はセクハラだと思われなければ微妙なので
    一概には言えないだろうけど、傾向的には共通点があると思う。

    猥談をされて、お付き合いで無理に笑って流す女性は
    多分、痴漢に遭っても泣き寝入りをするタイプではないだろうか。
    一言釘を刺す女性は、痴漢を睨んでやめさせる。
    イヤな顔を隠さない女性は、捕まえて警察に突き出す。

    これ、結構当たってると思わんか?
    ちなみに私は、少々じゃ気付かないけど、気付いたら
    え? 痴漢? 誰?誰? どんな顔? という反応だな。
    ものすごく機嫌が悪い時は、踏んだり刺したり折ったりするけど
    そういう心境の私には、犬も近寄らないので
    幸いにも、人に危害を加えた経験はまだない。

    もう猥談をされるような属性にはないと思うのだが
    世の中、守備範囲の広いヤツはいるようで
    気を抜いていると、付け込まれて驚かされるので
    女性は何歳になっても用心はしといた方が良い。

    しかし、この歳になるまで、そういう男性心理に気付かなかったとは
    人生、いくらわかったようでも知らない事って多いんだな
    と、ある意味、感動すら覚える。

    と言うか、あまりに幼稚すぎて気付かなかったよ。
    ちょっと男性不審になるぜ。 恥を知ってもらいたいぞ。

    猥談は、しかるべき場所でしかるべき相手にだけしてもらいたい。
    そういうのが人間関係の円滑さを生む、とか言うけれど
    猥談で生まれる和気などいらんわ。
    こっちが忙しくしてる時に限って、そういう話をしてきやがるが
    空気が読めんのは私じゃなくておめえらだよ!

    話を合わせよう、という善意を踏みにじられてた気分になり
    えれえ昔の話だけど、ほんと今更ながらにイライラするぜ。

  • 邪馬台国

    祝・天皇皇后両陛下ご成婚50年

    サイパンのバンザイクリフで祈っている姿が、TVに映っていたけど
    美しすぎて涙が出たのは、体力が弱っているせいだろうか?

    私は昭和天皇は何となく好きなんだが
    天皇家は国家機関と見なしているので、特別な感慨は持ってはいない。
    ただ、今回のTV映像のように、天皇家の方々には
    時々神懸かり的なものを感じるのが不思議である。
    やはり天皇家は神道の長なんだな、と関心してしまう。

    以前に何かで読んだのが、天皇は祈る事で日本を守っている
    という、結構なオカルト話であった。
    シャーマンのように書かれていて、結構面白かったんだが
    内容をすったり忘れてしもうたので
    その儀式ってのはどういうものなのか、調べてみようとしたけど
    大まかな宮中祭祀の日程以外に、情報がまったく見つからない。
    参加する人の素性すら秘密にされているらしい。

    何かもう、病中に何をやっとんのか、と、しんどくなったんで
    この話題を続ける気力がない。
    そこで、ちょっと関係があるような、ないような話を。

    先週だったか先々週だったか、関西ローカルニュースで
    奈良県で何かが発掘されて、邪馬台国かもー、みたいな話をしていた。
    もう、ここで既に記憶があやふやで、価値のない内容だと丸わかりだが
    そのニュースを観て、私的には邪馬台国は奈良ナシ、と感じた。

    魏志倭人伝の、海を何千里行ってうんぬんの記述からしても
    地理的に関西はありえないと思うんだが
    私の奈良ナシの意見は、奈良の歴史にある。

    関西で奈良の話題がニュースになるのは、ほぼ遺跡と行事関係である。
    奈良は遺跡掘り以外に何かやっとんのか? と地元民に問うと
    改築でもして、自宅の敷地内から何かが出土したら
    そっから調査やら保護やらで、何ヶ月何年も拘束されるんで
    ヘタに庭も掘れん、と嘆いていた。

    皆、遺跡出土にビビっているので、地下街も作れん地下鉄も通せん
    道路も作りにくいらしく、地面に手を付けられん有り様なんだと。
    奈良は過去の保護が使命の地なのだ。

    そんな奈良に、果たして詳細不明の都があったであろうか?
    もし奈良に、そんな繁栄した政府があったのなら
    文献なり碑なりで、必ず証拠を残しているはずだと思う。
    そういう知恵があったからこそ、奈良は遺跡の街なのだ。

    そして、もうひとつ。
    何も残せずに根こそぎ消滅したから、邪馬台国は謎の国だとされている。
    この、何も残せず消滅する状況って、どんなんだ?
    ものすごくイヤなものを感じないか?

    邪馬台国は、かつては華々しい文化だったイメージがあるけど
    キリスト教で言えば、もしかするとソドムの地だった可能性がないか?
    人々が繁栄して調子こいて、モラルを失って神の怒りに触れて
    根こそぎ滅亡した地である。

    邪馬台国、と聞くと、何となくこのソドムかバベルの塔を思い出すのだが
    もし私のこの印象が正しいと仮定したら
    日本だから、怒った神は八百万の神だろ。
    八百万の神ってのは神道で崇めている神々で、神道の長は天皇家だよな。

    神話の領域だけど、邪馬台国が存在していた最中も
    天皇家は続いているんだよ。
    父ちゃん天皇で、息子が後を継いで天皇になってるんだ。
    神を怒らせて都市滅亡までなったのに、その長が存続できるか?
    よって、邪馬台国に天皇はいなかった、と、私は思うんだ。
    ソドムの時も、王国は別の場所にあったし
    邪馬台国は、単なる一地方都市だったんじゃないかと。

    そんで怒りで滅亡させられた都市の跡に、都市を作るか?
    そこに天皇家が来て住むか?
    その後その都市が繁栄するのか?

    もしかしたら、あえて天皇家が移住してきて浄化したんかも知れんが
    だったらそれこそ、確固たる痕跡を残すだろう。
    それがタブーだったとしても、後の教訓のため必ず言い伝えられてるはず。
    平民には知る術がないから、“謎” なのかもだが
    それでも有志はその存在を知る事が出来て
    こんなに何もかもが謎じゃないと思うんだ。
    てか、奈良なら残す。 絶対に地に証拠を残している。

    私には邪馬台国は闇にしか思えないので
    言わば “光” の地である奈良の過去には、存在し得ない気がするのだ。
    邪馬台国の跡地は、今も人があまり住まない荒れ地になっていると思う。

    と、オカルト好きのうがった視線で推理してみたけど
    邪馬台国畿内説の奈良人に言ってみたら、何かえれえ納得されたよ。
    奈良が “光” の当たる地だ、と言う部分に感動したらしい。

    奈良は歴史上でも、華々しい表舞台にいた土地である。
    いくら遷都されて、“中央” ではなくなったとは言え
    その地の人々は歴史を愛し守り、他の地の人々が観光に来たがる。
    今もなお、日本の主要な地域のひとつなのだ。

    他県の観光課の人は、奈良が羨ましいと思うぞ。
    そのゴロゴロある国宝級の歴史的遺産のうちの
    いっちょの塔、いっちょの像でもうちにあればーーー
    と、喉から手が出るぐらい欲しい県は多いと思う。
    京都に比べて地味だと自嘲するけど、それは贅沢というものだ。

    天皇皇后両陛下、ご成婚50年おめでとうございます。

  • 病弱

    深窓のご令嬢のたしなみとして、私は病弱である。
    病弱にも色々あるだろうが、私の仕様は
    1年の3分の1は原因不明の微熱が出る事。

    幼い頃から、すぐ病気になるガキではあったが
    より一層、体がダメになった事件が2度あった。
    この話は長くなるので、また鬱憤でも溜まった時に
    被害者ヅラしてギャアギャア言う事にして、今回は略。

    病気持ちって人は大勢いて、その人たちも大変だろうが
    原因不明の病弱ってのも、中々辛いものがある。
    いくつもの病院で、あらゆる検査をしても原因が判明せず
    最終的には精神科を勧められる。

    自分でも、自分の頭がおかしいんじゃないのか、と悩み
    甘えている、自己管理が出来ていない、と責め続ける内に
    本当に精神的におかしくなってくるのだ。

    今でも私の体質は相変わらずだけど、自分を追い詰める事はしない。
    「他人の病気など迷惑なだけ」 と言われた時に
    ああー、そうだよな!!! と、激しく納得したからである。

    他人もウザかろうけど、自分でも自分がウゼえんだよな。
    毎日毎日、どこが悪いここが悪い、と思う人生がうっとうしい。

    それに気付かされてからは、自分に同情を一切しなくなった。
    自分が不遇だろうが、しんどかろうが、そんなのは無視。
    体の訴えを真に受けて病院に行っても、どうせ原因不明なのだ。
    どうにも出来ないなら黙って耐えとれ、と突き放すようにした。

    自分か幸せか、どっちか選ぶなら、幸せを取る。
    自分自身が幸せの素とは限らない。
    裏切り、嘘を付き、足を引っ張る心や体もあるのだ。
    もう私は自分の心と体を信用しない。

    よって、自分からのたわごとは一切聞く気はない。
    専門家にわからん理由は、ないも同然と見なす。
    言いたい事があるなら、対応出来る材料を持ってこい。

    そして体がきついのが通常の私、ラクな時はラッキーデー。
    普通のメンテはするけど、それ以上は構わない。
    そう決めてからは、どっかが痛かろうが熱があろうが
    どんな状況でも、可能な限り “普通” を過ごしている。

    病弱な自分など、正直この世界には必要ないと思う。
    いてもいなくても一緒、むしろいたら迷惑。
    だけど生まれてきた以上、生をまっとうする義務があるんだ。
    これは誰のためでもなく何のためでもなく、そういう決まり。
    たったそれだけの理由で、私はその義務を果たす。

    どんなに辛くても、それを口にせず普通に振舞うように心掛けてきた。
    きつい時にきついと言わない、辛い時に辛いと言わない
    それでいて平気で人生を送れる
    結構な無理難題だけど、そういう自分を目指している事に迷いはない。

    そうこう、ジタバタとあがいていたら
    最近はここのブログで、グチグチ言えるようになったし
    リアルで自分を律している分、ほんと助かっている。
    今回の記事も、リンパの腫れで寝込んだ鬱憤晴らしだし
    思いがけない助言も貰える、これも救いのひとつだ。

    それでもしんどい時に、すれ違う人々を見て
    健康なんだろうな、羨ましい・・・ と思う事も度々ある。
    普段、どう虚勢を張って生きていようが
    どうして自分の体はこうなんだろう、と落ち込む時もある。

    だけど先日の姓名判断で、見事に私の状態を当てられ
    書いてある内容は悲惨だったけど、ものすごく気がラクになった。
    自分のせいじゃないんだ!!! と。

    心のどこかにいつも、自分のせいだというカケラが刺さってたんだ。
    それが運命で、誰のせいでもないって事が、こんなにラクになれるなんて
    私は実は心の底では、自分を親を恨んでいたんだな、と自覚した。
    体も運命に翻弄されて大変なんだな、と多少の同情はするようにするよ。
    戯言は聞かんけどな。

    あっ、一生病弱なのは覚悟してるから、それは変わらんでも良いんだ。
    世の中には、私には想像も付かない苦がたくさんあるだろうけど
    これは、私だからこそ背負えるジャンルのハンデだと自負している。
    そんで占いはもう見ない。 わざわざダメ出しはされたくねえし。

    人付き合いには、やはり支障は出る。
    体に無理のない範囲でしか付き合えないので
    それ以外でフォローをするようにしているけど
    それでダメだったら、しょうがない。

    小さい頃から私を見ている親でさえ、私の事を情けなく思っていた。
    ひんぱんな外出、旅行などに付き合えないからである。
    親でさえこうなら、他人がどう思うか、推理は楽勝だろ。

    人は他人の痛みを理解しないもの、それで良いじゃないか。
    この考えは、自分への免罪符でもあるんだ。
    自分だって、他人の辛さは真にはわからないんだから。

    理解されて同情されてチヤホヤされるのが理想的だが
    そんな都合の良い世界はなく
    使えないヤツは、相手にされなくなるのが世の摂理だ。
    でも、許してくれる人々ってのは絶対にいる。
    満足しているわけではないだろうけど
    自分で自分の尻を拭おうとしていると、助けてくれるのだ。

    自分に厳しくしていると、代わりに優しくしてくれる人が現れる。
    そういう巡りみたいなんが、何となくあるような気がするから
    私も自分の代わりに、他人の事を甘やかすようにしている。
    人はそれぞれ、ひとりで内なる闘いを繰り広げているからである。