• 体の抵抗力

    今、むちゃくちゃ体調を崩している。
    まあ名前が悪いから、しょうがないか。
    (冗談とはいえ、こういう事ばっかり言ってると
     とうちゃんかあちゃんが化けて出そうで恐い。 けど楽しみかも。)

    病弱でしょっちゅう体調を崩しているが、高熱は出さない。
    せいぜいダラダラと微熱を出すぐらいで (これが結構しんどいが)
    割に丈夫だよな、と自画自賛をしていた。

    ところが今年の冬は、パンデミック予告シーズンなのか
    TVで感染系の話題を特集しまくっていて
    それを観ては洗脳させられていたのだが
    とんでもない事実に気付かされた。

    インドネシアかどっかで、鳥インフルエンザの人感染の時に
    元気真っ盛りの青年たちを中心に死者が出たのは
    子供や老人は抵抗力がないためだと言うのだ。

    つまり健康な青年の体内では、侵略してきたウィルスに対して
    最大の抵抗をするために、負けた時に命も落としてしまう、という事。

    これを聞いた時には、じゃあ私は大丈夫だ、年寄りだし病弱だしー
    と、ヘラヘラ安心していたのだが
    微熱が続いてゼイゼイ言ってる今になって、思い当たった。

    このわけわからん微熱は、風邪ではないのか?
    そういや首のリンパも何となく腫れている。
    もしかして、元気な人なら今頃高熱を出してゲホゲホやってねえか?

    他の人なら、クラスター爆弾やらロケットランチャーやらで
    近代戦を繰り広げているところを
    私の体は抵抗力が弱いので、たびびとのふくとひのきのぼうで
    しかも、ちょっとバトっては逃げちょっとバトっては逃げ、の
    もんのすげえ底辺のゲリラ戦しか出来ないのであろう。

    普通ならチャッチャと掃討戦して、せいぜい1週間ぐらいで済ませるとこを
    ヘタすりゃ1ヶ月ぐらい微熱続きの時もあって
    兵力が弱いから、戦いが長期化するんだろうけど
    こんな戦力で、今まで勝利してこられたのが不思議である。

    だから風邪を引いても、症状が出にくいのかー。
    咳とか鼻水とか、侵入してきた異物を追い出す行為で
    私の体はそれすらロクに機能していない、っちゅうわけだ。

    と言う事は、体中が色んなものに侵されっぱなしって事か?
    それで大丈夫なんか?
    生きてるって事は、一応勝利はしてるんだよな?

    高熱が出ない人は、抵抗力が衰えていると思ってよさそうだ。
    しかしこれに気付いたからといって、どうにも出来ないのには変わりない。
    ただ自分の体内が、とんでもない瓦礫の山だらけになっていそうで不安。

  • 改名のお知らせ

    ネットでは、ずっとこの “あしゅら” でやってきた。
    何度も書いたけど、ポトリスっちゅう今はなきネトゲのIDを決めるのに
    すんげえ軽い気持ちで、その時かかってた曲名を付けただけが
    まさか、ここまでその名前を引っ張る事になるとはっっっ!

    姓名判断にビビったわけじゃないけど
    神様の兵士 (だよな?) の名を騙ってたら
    えれえな祟りがありそうで恐いし、何より名前負けしまくってる。
    ほんと親が親なら子も子、というドグラの連鎖だぜ。

    とにかく、この名前な、すんげえ恥ずかしいんだよ・・・。
    何かのマニアっぽいし、えれえな気合いが入ってそうだし。

    メールアドレスにも使っちゃってるから
    リアルで 「何? そのアドレス・・・」 とか、ドン引かれて
    ネットをやってるのは内緒だし、何て答えたらいいか焦って
    とっさに 「宗教」 と答えたら、余計に引かれたわ。
    何でこういう答が浮かぶんかな、私・・・・・。

    付けてすぐ、替えたい替えたいと思いつつズルズルきて
    今になって替えようと思い立ったら
    単に宣言だけじゃ済まず、ブログやら潜伏やら何やら
    とてつもない修正をかけなきゃならん事に気付いて、余計に面倒くさくて
    自分でもどうしたら良いのか、混乱のルツボに陥ってる。

    最低限の労力で済ませるにはどうしたもんか・・・
    と、考え続けて出た結論が

    “ら” だけ取る!

    何をそこまで面倒くさがってるんか、という話だろうけど
    人のIDを短縮して、あしゅあしゅ呼んでくれてるヤツらがいたが
    それ、もろうたああああああああああっっっ!

    うん、“あしゅら” じゃなくて、“あしゅ” なら
    まだ意味がわからんよな。
    “あしゅら” は絶対に阿修羅じゃん。
    “あしゅ” なら、亜種とかアッシュとか色々あるじゃん。
    ああ・・・、こう考えたら、益々 “ら” が邪魔臭く思えてきた。

    という事で、今日から私のIDは “あしゅ” にする。

    この際、全然違うIDにするべきか、とも悩むが
    無難で好みのIDなど、まっっったく思い浮かばんので
    とりあえず、「で、それで?」 みたいな改革でお茶を濁しておく。

    過去の記事はコツコツ訂正するつもりだけど
    面倒になって放置する確率が大だと言うのは、お約束な結末かも。

    ・・・と、ここまで書いて、更にヒヨって皆に訊いてみたい。
    この改名について、どう思う?

  • 姓名判断

    占いは大っ嫌いである。
    当たってる事が少ないのに、悪い事を言われたら気になるからである。
    だから雑誌の占いページすら見ないのだが
    ついうっかり姓名判断をするハメになってしまった。

    軽い気持ちでやったのだが、私の姓名は凄かった。
    周囲の人から、「占いなんだし」「気にする事ないよ」
    「これ以上悪くならないって」 ← よく考えるとひでえーーーっ
    と、慰められまくるほどに悲惨な結果が出たのである。

    詳しい内容は、またしてもよく覚えてないのだが
    私の姓名が持つ数字というのは、「凡人に過ぎたる値」 らしく
    ひとつの姓名で、○○運とか××数とかいくつかの項目が出て
    そのすべての数値が良いなら、天下をとれる数字なんだと。

    ところが、その数字を持つと波乱万丈の人生で
    天下統一か破滅かしかなく、特に何とか運と何たら数が悪いとダメ。
    私の場合、何のお約束か、他の数値は良かったが
    見事にその何とか運と何たら値が凶数。
    つまり、破滅決定。

    そんで、このひでえ事しか書いてない占いが、結構当たっていたんだよ。
    とにかく病弱で、孤独なんだとさ。
    そういや思い当たる節があれこれある。
    そうか、私の人生は散々なんか・・・。

    女性は結婚で苗字を変えられるけど、旧姓の運を引きずるんだと。
    どう転んでも、見込みのない転落人生だよな。
    何でここまで最悪な名を付けたんだよ
    無意識でもやって良い事と悪い事があるぞ、ったく、うちの親はよー。

    いきなり後ろから肩をポンポンと叩かれ
    振り向いたら、指で頬をプニュッとされ
    「あんた、不幸」 と言われた気分になったけど
    その時に私が思ったのは
    「これで不幸なんだったら、人生結構チョロくねえ?」。

    確かに薄らぼんやりと、自分の人生がロクでもねえような気はしてたが
    病弱なのはたまらんけど、孤独は別にそれほど悪くはないし
    雨露しのげる屋根の下で、飢えずに生きていける。
    これを不幸な人生だと言ったら、贅沢すぎやしねえか?

    自分の人生を不幸だと仮定して、思い返してみると
    波乱は多けれど、何かどれもこれも自業自得風味だし
    ところどころに、“救い” というお助けシステムが出現してるし
    やっぱり人生プラマイゼロだと思う。

    それに私は最凶運命かも知れんが、最強武器も与えられている。
    それは、“ドバカ” という大剣。
    しかしこの武器、剣なのにどうも束、取っ手がないのだ。
    握ると、自分の手までザックリ切れる。

    諸刃よりタチが悪い剣のような気がするが
    武器は使えるヤツに与えられるもの、という設定を信じて
    ちゅうちょなく振り回しては、大ケガをしているぜ。

    そして今、新たに入手できたのは、“姓名が悪い” 槍。
    都合が悪い事が起きたら、「字画が悪いからー」 と
    何でもかんでも姓名のせいにすれば良いわけだ。
    まさに “投げやり” に出来るから、気分的にはすげえラク。

    何か占いとか聞くと、先祖の因縁とか前世の報いとか
    覚えのない罪を背負わされている気もせんでもないが
    良き事をせんでも、悪い事はせんように心掛けて
    ちょっとした事に感謝しつつ、淡々と生きてれば
    償わなきゃならん罪も、ちょっとは軽くなるんじゃないのか?

    てか、そんな大層な罪をこの人生1個だけでどうこうは出来んだろ。
    ただただ真面目にやってれば、いつかは清くなるだろう、という
    のんびりした気持ちで、今を生きてればそれで良いと思う。

    耐えられるだけの痛みしか、人は感じないものだから
    自分の宿命がどうであれ、それを普通に受け入れられる要素も
    同時に持っていると、私は思っている。

    ちなみに、まだまだこれからどんどん悪くなっていく運命かも知れんが
    太陽はどの位置にある時よりも、沈みかけが美しいから見ものだな。
    自分を太陽と同列扱いするとこから間違っているだろうがな。

    現在 LV4 (すげえ低レベル!)  所持武器 ドバカ大剣 凶数槍

  • たんかん

    今年は柑橘類の神がうちの頭上に舞い降りてるようで
    兄から河内みかんを貰ったそばから
    友人から “たんかん” が送られてきた。

    このたんかんは沖縄産で、見た目は汚い (失礼な) が
    中身は皮が薄くて、ものすごくジューシーで甘いのである。

    このたんかんの一番美味い食い方は、飲む事。
    搾り器で搾って、ジュースとして飲むのである。

    もちろん、普通のみかんの扱いをして
    ちまちま食っても良いのだが、何せ皮が薄くて剥きにくい。
    てか、何故か食うより飲む方が何倍も美味い。
    もう、私の人生、これ以上に美味いフルーツジュースを飲んだ事がない
    というほど、濃くて甘いオレンジジュースになる。

    このたんかんジュースを知ってからは
    巷のオレンジジュースが不味く感じるようになった。
    真のオレンジを搾っても、イマイチだし
    ジューススタンドで飲むオレンジ系生ジュースも
    「でも、甘味料を入れてるよね?」 と、厳しい評価になってしまった。

    たんかんってのは鹿児島にもあるようで、それを買った事もあるんだが
    沖縄のたんかんと別物なんだ。
    皮がブ厚くて、ジューシーじゃない。
    搾って飲んでも、それほど美味しくない。

    オレンジジュースにするなら、沖縄たんかんじゃないと納得出来ないのに
    このたんかんは、冬の終わりに友人が気が向いて
    送ってくれる時限定でしか、飲む事が出来ない。

    入手困難な最高のものを知ると、逆に不幸になってしまうんだな。
    こんな限定品賛美レポを読まされる方も
    どうせえっちゅうんじゃ? って話だよな。

    沖縄に知人がいる人が言ってたけど、たんかん、高価らしい。
    数年前まで、毎年何箱もタダでホイホイ貰ってて
    あげくが 「飽きたからもういらん」 まで言いたれていたんだが
    (そのせいで数年の空きが生じた)
    そ、それはとても無礼な事を・・・と、青たれて
    いつもありがどうお礼は何がいい? と、一転しおらしく出たら
    友人、ひとこと 「いらん!」。

    友人ちでも、たんかんに飽きて腐らせているそうな。
    自分の言動を棚に上げて、もったいない、贅沢な、と非難しまくったら
    「自分ちの庭に柿の木があっても、実は全部食わんだろう。」

    ああ・・・私はこいつのこういうとこが大好きなんだよな・・・
    と、再確認させられる含蓄あるお言葉を頂けた。
    “高価” と聞いて、たんかんに対する態度をコロッと変えるなど
    自分がどうしようもない俗物なのも思い知らされた。

    最近、老化初心者の疲れか、仏心が出て良い人になりかかっていたけど
    鬼ババアになるためには初心に帰れ、というご神託かな、と。
    いや、別に鬼ババアを目指しているわけじゃないが
    人それぞれ、向き不向きっちゅうものがあるしな。

    たんかんジュースを飲みながら、黒い心を取り戻すよ。

  • 乗り越えかた

    人生では何度か、「何もかもがおしまいだ・・・」 と思う事が起きる。
    未来も運も財産も自分の痕跡も、生きる意味すらないように思える
    絶望感に襲われた時って、生まれてきた意味を問うてしまう。

    こういう時はどうするか。
    私の場合は、何ひとつ変えずに普通の生活をする。
    飯を作って食って働いてブログを書いて映画を観て寝る。

    何故ならば、うろたえて落ち込むのは、自分の傷を確認する行為だからだ。
    本当の傷だって、ジッと観察してても治るのが見えないだろ。
    ましてや、大丈夫かな、と何度もガーゼを外してみたり
    ちょっといじくってたりしたら、逆に悪化してしまう。
    傷は、手当てをして放置してたら、いつの間にかふさがってた
    という治り方をするのだ。

    トラブルに対しても、自分の出来る事を終えたら
    後は放置して、気にしない方が良い。
    気になるのは当然だけど、思い出す度に落ち込んだり
    自分が哀れに思えてきたりするだけだ。

    そうやって自分で蒸し返していたら
    自分の抱えているトラブルが、えれえ重大な事に変身していくんだ。
    気にしなければ、それは単なる些細な事で固定されるのに
    動揺すればするほど、自分の中でどんどん育っていく。

    よく人が言う慰めの言葉としての 「忘れなさい」 は
    本当に記憶から消し去れ、って意味ではないと思う。
    問題点ばかりに注視していたら
    それはいつまで経っても新鮮なまま、脳内で再生されてしまうので
    エンドレスリバースはやめれ、って事じゃないのかな。
    “過去” にするには、一旦棚に放置しとく時間が必要だからだ。

    熟成期間を作れて、そこで初めて “乗り越えた” になる気がするから
    それを願って、意地でも普通の生活をするのである。

    物事の幸不幸を決めるのは自分。
    どっから見ても最悪な事でも、どっかに善の要素は必ずある。
    それを探し出せるかどうかが、プラス思考のコツである。
    そんで、人から 「大変ねー」 って言われるような事でも
    自分さえ苦に思っていなければ、それは大変ではない。

    この仕組みがわかっているから
    私は大変な時には、普通以上に普通の生活をする。
    “自分に出来る事”、これは対処だけを指すのではなく
    普段自分がやってる事も入るんだ。
    役に立つばっかりが “出来る事” ではなく
    自分の生活のための、何でもない事。
    掃除だの洗濯だの、雑誌を読むとかゲームをするとか。
    人生、時にはこうやって小さく狭く考える必要もある。

    実際これはとても難しい事で、普通に暮らしていても
    背後にトラブルが居座ってるのがわかって
    神経がものすごく張り詰めてしまう。
    もうほんと、自分の精神力がいつまで持つのかがわからない。

    私の人生に自殺という選択肢はなく
    追い詰められたら暴れる方に回る性格だけど
    今までがそうでも、何かが狂う可能性もゼロじゃないよな。
    もし万が一、どうにかなっちゃったとしても
    人生を終える30分前までは、普通にしていたい。

    最期までの日々を、全部落ち込みで過ごしたくはないんだ。
    一瞬だけトチ狂っちゃった、という終わり方をしないと
    自分の人生すべてがダメだった、という結論になりそうだから。
    それに上手くいけば、忘却が出来るかも知れないしな。

    今、私に何か問題が起きているのかっちゅうと、起きとる。
    何年も同じ分野で、次から次へと進化してやってきやがる。
    短気で猪突な私にしては、不動で耐え忍んでいる方だが
    たまにブチッときて、力押しで突進する事もある。

    そっちの方が私的には、すっきりと解決するんだけど
    人にはそれぞれ考えがあって、それを尊重しなければならないので
    あまり私流ばかりをゴリ押ししたらいけない、と思うからこそ
    自分を滅する、という向いていない方法も取らざるを得ない。

    人間、ひとりで生きているわけではない。
    それがありがたい反面、辛い場合も多いよな。

  • 100均ヘナ 2

    右が100均ヘナのヘナ100%のオレンジ
    左はマックのインディゴ 1575円

    これを半々ずつ混ぜて、髪に塗ってみた。
    左が100均、右がインディゴ、色がかなり違うのがわかるだろ?

    比率は 100%ヘナ : インディゴ が、1 : 1。
    結果は、100均ヘナのナチュラルブラウン1色染めよりは
    鮮やかな赤金色が抑えられたけど
    それでもジャパンヘナのブロンズグレーや
    マックヘナのナチュラルブラウンより、ズバ抜けて赤い。
    インディゴをものともしない100均ヘナ
    強えええええええええええええええ!!!!!

    と言うか、そもそも方法が間違っているんだ。
    ヘナの色素は、6時間経ってが絶好調という説もあるので
    お湯で練ってから、数時間寝かせた方が良い。
    頭髪に塗ったら、ラップで密閉して乾かないようにする。

    かたやインディゴの色素の発色は、1時間半で終わるので
    お湯で練ったらすぐ塗布し、空気に晒して発色を促す。

    つまりヘナとインディゴの性質は、まったく異なるのである。
    そしてインディゴは、ヘナにくっつくらしいので
    理想的な染め方は、まずヘナをやった数日後に
    インディゴを重ねがけする、というやり方。

    これ、もんのすごく面倒なんで、ハナから混ぜくってるんだから
    インディゴが充分に発色しなくても、しょうがないんだよな。
    にしては、ジャパンヘナやマックヘナは支障のないブラウンになるんで
    インディゴをするならヘナに混ぜて・・・と、思ってしまう。

    100均ヘナで見かけたのは、オレンジとナチュラルブラウン。
    本来なら、オレンジ単体で試すべきなんだが
    ナチュラルブラウンですら、普通のヘナ100%の色の出なのに
    このオレンジになると、一体どんな金色になるやら
    恐くて挑戦できなかったのだ。

    次回は、100均ヘナのオレンジ単体でやってみて
    数日後にインディゴ単体を重ね染めしてみる。

    あっ、ひとつ注意を。
    ヘナ染めの正しい方法は、洗髪をしてまっさらの髪に
    40度ぐらいのお湯で溶いたヘナを塗布し
    ラップを巻いて、ドライヤーなどで温めつつ数時間放置
    その後洗い流す、というもの。

    私のやり方は、寒いのでプレシャンプーなし
    熱湯で溶いたヘナを塗ったくって、ラップを巻き
    冷えに冷えつつ3~4時間放置して、洗髪はシャンプーで2度洗い
    という、実に肩の力を抜きまくったやり方。

    混ぜ物は、たまに臭い抑えにイランイランの精油を5滴ぐらい、か
    賞味期限が数年前のバニラエッセンスを垂らすか、ぐらい。

    染料の安全性とかも、もちろん大きいけど
    しっかり染まる毛染めだと、ちゃんとしないとムラも目立つだろ。
    その点ヘナは、どんなにテキトーにやっても
    美容師さんに 「キレイに染まってる」 と言われるんだよな。
    この懐の広さみたいなのも、ヘナを続ける理由のひとつなんだ。

    しかしヘナ100%なら、多少のムチャも受け入れてくれるけど
    インディゴ等の他の染料は、かなり気難しく
    キチッとしないと、発色しないような気がする。

    何故キチッとしないのか?
    それは不器用なあげく、性格がザツだから。

    「とりあえず点在する白髪が目立たなくなりゃ良いや」
    「自分に見えない部分は存在しないも同然」
    この2つの信念で、いい加減な染めを続けているのである。

    キチンとするしないで、結果が変わってくる事はご了承ください。

    関連記事: 09.2.17 100均ヘナ 1
          09.4.27 100均ヘナ 3
          09.5.12 100均ヘナ 4

  • いるはずのないもの

    私的恐いツボは、いるはずのないものがいるシチュエ-ション。
    たとえば、自分以外に動くものがないはずの家の中で
    何かが動いていたら、もんのすごーーーく恐い。

    結婚してた時は、近所にダチョウ牧場があって
    ダチョウをよく見ていたのだが
    ダチョウって、つぶらな瞳に長いまつ毛で一見可愛いんだけど
    キシャッ! キシャッ! と動いて、すげえ狂暴っぽい。

    もしこいつらが逃げ出して、うちの庭にいたら・・・などと
    つい想像してしまい、それ以来、庭を見るのが恐くなったもんだ。
    いた場合のために、最初にどこに電話をするか
    とか、シミュレーションしたりして、ほんと我ながらアホウだ。
    (またそれが楽しいのが、ホラーファンのサガなんだが。)

    いるはずのないものが、本当にいた経験もある。
    ハエとかゴキブリとか蜘蛛も、その範疇だが
    いや、普通いねえだろう、ってもの。

    キッチンで布巾を取ったら、その下にトカゲがいた時には
    そのまま外出して、行方をくらまそうかと思ったぜ。
    ヤモリじゃなく、マジでトカゲなんだ、漢字で書くと蜥蜴。

    友人に電話をして呼びつけて始末してもらう、なんてしたら
    一生それをネチネチ恨まれるハメになる。
    その爬虫類をどうにかせにゃならんのは、私だけ。

    もう、パニくって何をどうしたかも覚えてないんだが
    トカゲは開けた玄関ドアから出て行った。
    ・・・シッポを残して・・・。

    これが真の “トカゲのシッポ切り” か! と、感動したが
    シッポが切れるような暴行どころか、ロクに触れてもいないんで謎。
    多分あいつら、自力でシッポを切るぞ。

    その残ったシッポも触れず、どうしようかと延々悩まされたが
    出て行かずに、部屋の中で行方不明になるのが一番困る。
    住みつかれて時々出没されるのもイヤだし
    死んで腐るんじゃないかと思うと、とても不安。
    その時は、出て行くのを確認できてラッキーだったけど
    トカゲがいる事が既にアンラッキーだと言えよう。

    最近は、カニがいたらどうしよう、と悩んでいる。
    カニカニうるさい関西のグルメ番組のせいである。
    関西人ってカニ好きなんだなあ。

    私もカニは好きだが、足だけである。
    胴体なんぞ出されたら、目を逸らすのに苦労させられる。
    カニミソなんか、深く考えすぎてしまうぜ。

    で、もし部屋にカニがいたら、と想像すると恐くないか?
    それを食い物として見なせるか?
    生きていたら侵入者で、死んでいたら死体、と見なさねえ?

    というか、出自のわからないものは、食い物ではねえよな。
    山道を走っていて出てきた猪、とかなら、産地も認定されて納得だが
    玄関先に置いてあった野菜なんかは
    普通に考えたら、近所の誰かのお裾分けだろうけど
    誰なのか、何故無言で置いていくのか
    食っていいものか、から考えなきゃならなくなる。

    お返しはいらないから、という心配り、という説も聞いたけど
    そういう出現方法の食い物を喜んで食えるものだろうか?

    TV番組で観たカニから、空想をふくらませて
    生き物を喰らう人間の罪とは、みたいな哲学に至るのは
    ヒマだな、の一言で済ませる以前に
    どう転んでもドツボ、という自分の運命の暗示のようで何となく不愉快。
    カニは数年食っていない。

  • 粉玄米茶

    うちの実家では、正月3が日はアレンジ緑茶が出ていた。
    桜の花の塩漬けが湯のみに入っていたり、小梅に金粉が入っていたりで
    目出度いのはわかるけど、どういう成金なんだ? って感じ。

    まあ味のわからんバカガキだった私は、かあちゃんの工夫など
    「緑茶、甘くない」 という理由だけで飲まなかった親不幸をしてたが。

    正月の茶は、これが普通の習慣だと思い込んでいたけど
    今まで訊いた中で、これをやってる家庭はなかったんで
    どうやら、うちのかあちゃんの暴走だったらしい。
    うちの常識、世間の非常識、ってやつか?

    何で初めの初めっから話が逸れているんか、自分でもわからんが
    今回の話は金粉ショーの茶じゃない。 玄米茶の話だ。

    という記事で書いたように
    自作の粉玄米茶を相変わらず飲んでいる。

    その後、水分補給というのは、単なる水じゃないと
    全部尿で排出されるから意味がない、という話を雑誌で読み
    ちょっとガックリきてるが、茶を飲まなくなっても
    水も変わらず飲まないので、茶を飲んでいる。

    書いてて自分でも混乱してきたが、真意を察してくれると信じている。
    私の文章力のなさは、読む側がカバーしろ。

    玄米茶をミルサーで挽いて飲んでる、と言ったら
    何を憐れまれたのか、おみやげを貰った。
    どうも私の生活の3分の1は貰い物で成り立ってるようだ。

    月ヶ瀬っていう、梅の木が有名な観光地の土産物屋で売ってる。
    毎年2月~3月に “梅まつり” っていうのをやってるんだと。
    50gで350円 と、デカデカと貼られていて
    とてもお土産の様相を呈していないが
    観光地で私の事を思い出して、買ってきてくれるだけでありがたい。

    これがな、便利なんだ。
    味は普通に美味い、玄米茶そのもの。

    でも、自作粉玄米茶のように、地層級に粒子が粗くなっていなくて
    均一に粉なんで、水に溶けやすい。
    薄くなったりジャリジャリしたりせずに、平均して美味い茶が飲める。
    (書いてて、「そりゃ不憫に思われるわ」 と、自分でも情けないが。)

    しかし、売っている場所が観光地なんで
    気軽に買いに行けないのが、これまた難点。
    ネットで探してみたけど、粉玄米茶は1個しか見つけられなかった。
    しかもそれが、08.10.22 の記事に出てくるカテキン茶。

    裏に貼ってある生産者シールの電話番号に電話をしてみても
    日を改め時間を改めして、何度掛けても出ず
    やっと出た、と思ったら、若そうな兄ちゃんが
    「自分バイトなんで~」 で、何の収穫も得られず
    しつこく電話をしている自分が、ストーカーのように思えてきて諦めた。

    商売っ気を出せば、もっと繁盛する商品って沢山あると思うぞ・・・。

    と、話が逸れたが、便利で美味い粉玄米茶
    機会があったら試してみてくれ。
     
     
    関連記事: 粉末茶 11.6.22
                   自作の粉茶 08.10.22

  • 大事にする

    実際は不幸じゃないのに、不幸感が漂う人っている。
    長年それは何故なんだろう? と、気に掛かっていたけど
    最近になってやっと、かなり近い答が見つかったかも知れない。

    親や配偶者に大事にされない、と嘆く人々がいて
    話を聞いている側からしたら、そうでもないように思える場合がある。

    ビシッとアイロンの利いたハンカチを持っていたり
    靴がピカピカに磨いてあったり
    栄養のバランスが取れたお弁当を持ってきていたり
    それは自分でやってるのか訊くと、やってもらっていると答える。
    それが親 (妻) の仕事だから、と。

    こういう事を言う人々には、共通点がある。
    性格は悪くはない、と言うか、むしろ良いのに
    ひねくれた部分があり、不満が多く、プライドが高い。

    店員さんなど、仕事で接してくれる人に高飛車な態度を示すのも
    ほぼ、このタイプに見える。

    こういう人々は、大事にされている事に気付かない。
    自分の思う “大事にされ方” じゃないと、納得しないのだ。
    どうも、無条件奉仕の+αがないと、大事にされてるとは思わないようで
    「仕事だから」「家族だから」 と、勝手な条件付けをして
    別人格の人の親切のハードルを上げている。

    人の親切を親切だと受け止めず、「当然」 みたいな態度を取られたら
    誰でもそいつに対して、優しくし甲斐がなくなり
    結局、最後には大事にされていない状態に、本当になってしまうだろう。
    自分で自分を、“大事にされない人” にしてしまっているのだ。

    幸せになれる状況のひとつとして、「人に大事にされる」 がある。
    誰かに大事にされている人を、人は無下に扱えないものである。
    他人の宝物を壊せないのと一緒。

    しかし、上記の因果応報と違って
    周囲がドグラで、実際に大事にされていない人もいる。
    そういう環境にいる人はどうすれば良いのか?

    一番手っ取り早い方法は、お金を利用する事。
    高い装飾品を身にまとい高級店に出入りすれば、誰でも大事にされる。
    その一時的な厚遇を、自信として自分の内に積み重ねれば良いのだ。

    だけどこの方法だけでは、完璧ではない。
    何故ならば、大抵の人は 対人仕様になっているからだ。

    お金の力で大事にされても、何か物を大事にしていても、しょせんは物。
    人に相対する時とは、充実感が違う。

    だから幸せになりたいのなら、人を大事にする事。
    これに尽きると思っている。
    上記の因果応報の逆バージョンをいけば良い。

    “情は人のためならず” と言うけど、これは真理である。
    親でも友人でも店員さんでも、誰かを大事にしていると
    それは必ず、自分に返ってくる。

    相手からの反応が特別になくても
    “誰かを大事にしている自分” という自己満足が
    自分が豊かになった錯覚を起こし、気持ちに余裕が出来、自信に繋がる。
    これも、形を変えて自分に返ってきているのと同じ。

    ようするに、“対・人” で上手くいかないと感じる人は
    相手の反応だけを、“結果” として追う事に敗因があるんだと思う。
    相手の気持ちを無視した押し付けは論外だけど
    迷惑を掛けてなければ、密かに自己満足をしてれば良いのだ。

    ただし、大事にする相手は選ばないと
    その人のためにならなかったり、カモにされたりする可能性もあるんで
    ある種の覚悟も必要になってくる場合もある。
    物事って、とことん巡り巡るし。

    良い相手を選別できて、良い関係を保つのが理想だけど
    そんな環境にいられるのなら、誰も苦労はせんわけで
    それがしにくいから、自己満足力がカギになってくるんだと思う。

    さて、ここまで書いてきて、幸せ関係の問題のひとつに
    “自己満足の基準の高さ” みたいな項目がある事が判明。
    私はプライドが低いので、すげえ難解なジャンルだが
    これもボチボチ考えていこうと思っている。

  • 美容マニアの思い込み

    ビューティーコロシアムを観ていて、ふと疑問が浮かんだ。
    キレイになった女性たちは、どういう今後を過ごすのかな? と。

    と言うのも、今回のビューティーコロシアムは
    途中からしか観ていないのだけど
    観た女性のほとんどが、「恋人を作りたい」 と言っていたからである。

    私も含めて、美容マニアというヤツの多くは
    正直、男性には目がいかないのである。

    本来、美容というものは、全体のバランスを考えて
    トータルで美が底上げされたら、それが真の効果というものだが
    マニアは、マニアってる部分だけにこだわってしまう。

    男性は大まかな全体像で判断する。
    これが当たり前の正当な対人評価なのだが
    「何となく今日はキレイだね」 じゃなく
    「ファンデを変えた?」 に、激しく手応えを感じ
    それを言ってくれるのは、同じ女性だからである。

    最近マッサージしてて、あごのラインにシャープさが出たのを
    見抜いてくれない? 新色の口紅に気付いてくれない? って感じで
    もう、重要なのはとてつもなく先っぽの細かい枝葉!!
    とにかく自分が力を入れた部分限定で認められたがるのである。

    これがババアになると、見た目年齢判断という項目まで加わるので
    女性は女性でも、“同年代” という条件がついてしまう。
    細かい年齢の区別など、同年代じゃないとわからないだろ。

    実際キレイになりたければ、化粧品を買い足すより
    ヘアスタイルの見直しや、服を買う方が効果的だとわかってはいても
    何はさておき、アイシャドウの新色や限定品コスメを
    買い漁りに走るのは、マニアゆえの悲しいSAGAなのだ。

    だから今までお手入れすらロクにしていなかった女性が
    プロの手を借りて急にキレイになった場合に
    どういう方向に行くのかが、とても興味がある。

    化粧品は消耗品なので、追加追加で買い続ける必要がある。
    その際には、流行も考えなければいけないし
    自分の衰えも計算しなければならないので
    最初に揃えた物、習った知識だけでは、美を維持できず
    結構な手間と努力が掛かるものなのだ。

    これを考えると、美しくなってモテたとしても
    その状態を保たなければ、一瞬の事で終わってしまうので
    美容に目を向ける必要が出てくるよな。

    しかも美容はプラシーボの権化のようなものなんで
    イヤイヤやっていたら効果が出ず
    どうしても熱中せざるを得ず、熱中すると同性の目の方が気になる。
    もう、お手入れの大変さをわからない男性はどうでも良い。
    結果、こっち側へようこそーーー。

    と、マニアの私は思ってしまうのだが
    これと違う道があるのだろうか???

    私にマニアの資質があったから、マニアになったのだろうけど
    女性は全員、美容には興味があるものだと思い込んでいるので
    ビューティーコロシアム出演者の行く末が気になってしょうがない。
    まあ、このうっとうしさに付き合ってくれるのは
    いくら女性とは言え、同類のみだと言う事はわかっているんだが。

    しかしマニアでいるには、経済力が必要である。
    いつまでも道楽をしとらんと、限りある資源で美しくなるには
    何を塗っても傍目からはそう変わらないアイシャドウに大枚はたくよりは
    服を優先的に買わねば、とゲランのカウンターの前を素通りし
    服売り場に行った私は、ひと皮剥けたかも知れない。

    度を過ぎた快楽は、貧乏人には無謀なんだよな。
    デパートに行って、コスメを買わなかったなど初めてだぜ。

    ああ、そうか、急に変身した人には
    “バランスの良い美の追求者になる” という道もあるんだな。
    なんだ、単に自分がマニアの中でも極端だっただけの話か。

    ヘンな疑問を持って、妙な理論を展開し、いきなり自己解決して
    わけわからん内容をそのままアップして申し訳ない。
    春が近いんで、脳の働きがちょっとな。