• 人生相談の恐さ

    ここで人生相談をやり始めた理由は、ネタとしてで
    見るからに 「おまえアホか?」 な事を言うヤツを
    思う存分、上から見下ろしてコキおろせる楽しさからだった。

    そういう私の邪心を見抜いてか
    ほんと人気のないジャンルとしての不動の地位を築いてしまったが
    実は相談自体は結構きているのである。

    知らない人からメールが着て、やりとりをするうちに
    悩みを打ち明けられる。

    それに対して、率直な自分の意見を返していく途中で
    あ、これは人生相談じゃねえ? と、気付くが
    真面目なメールのやり取り中に、こんなアホなブログに
    それをネタとして書いて良い? などとも言い出せず
    このブログの人生相談コーナーは、閑古鳥すら冬眠している。

    人生相談コーナーのネタにならないのは、正直どうでもいい。
    たとえ、「書いていいよ」 と言われても、多分書けない。
    それほど深刻な悩みが多いのである。

    見ず知らずの私にそんな大問題を? と、思うかも知れんが
    自分の心の奥底に眠る傷の話など、逆に周囲の人間には言えないだろう。
    今までもこれからも、自分の人生には関わる事のない私に
    通りすがりに何気なく言ってみる、これ、実に正しい選択のひとつだ。
    (よりによって何でこいつ (私) に? という疑問は当然だが
     通常じゃない時は、人選も狂いがちになるものさ。)

    知り合いなら、後々の付き合いに支障が出る可能性もあるが
    見ず知らずの私に何を言われようが
    イヤなら無視して、記憶から削除もしやすい。
    でも偶然にも解決の何らかのヒントにでもなれば、ラッキー。

    そういう方向が理想的だよな、と思っているのだが
    実際に受け答えをしていると、時々ものすごい恐怖に襲われる。

    もし私が、この人のNGのツボを知らずに突いたとしたら
    この人は自殺をしてしまうかも知れない
    そう思える状況が何度もあった。

    何かNGになるのかわからないので
    相手の立場を出来る限り推察しながら
    メールの文章を、書いては消し、書いては消し
    送信をクリックする時に、手が震える事もあった。

    自分のひとことで相手の人生が変わるかも知れない
    という可能性が、恐くて恐くて
    でも訊かれたからには、全力で考えなければならない。
    夜もその事で頭がいっぱいで眠れない。

    しかもな、相手は携帯メールの場合が多いのだ。
    限られた文字数で、どうやって要点を明確にさせるか
    これ、えらいこと難しいんだよ。
    (私が携帯メールの仕様をいまひとつ理解できてないのもある)

    人生相談というものを、軽く考えていたのだが
    相談を受けるという事は、その苦しみの一部を引き受ける事なのだろう。
    もちろんほんの一部ではあるが、それでもかなり辛い。
    相談してきた人は、もっともっと辛いんだろう。

    その苦しみをちょっとでもやわらげるきっかけになったら
    と思って、すんげえ考えて返事を書くけれど
    波風が立たないように、当たり障りのない言葉を選ぶ事はしない。
    相手にとってこれが良い! と、本当に思った事しか言わない。

    “私” に訊いてきたからには、私の考えを答えないと
    私である意味がないだろう?

    メールをくれる人は、このHPを読んでくれた人だろうから
    私の思考パターンをわかってくれているとは思うけど
    それでも、我ながら自分の脳みそにまったく自信が持てないので
    これでいいんだろうか? と、激しく悩むのさ。

    相談してくる人のほとんどは、突然連絡が途絶える。
    結論めいた流れになってからなら、こっちも安心できるが
    途中でプッツリとメールが来なくなると、心配でしょうがない。

    私に失望して接触を断ったのなら、私が残念なだけだけど
    相手に何かあったかも知れない可能性もあって、それが恐い。
    皆、元気にやってくれていると良いんだが・・・。

  • 海外旅行のワナ

    夏休みに海外旅行に行く人も多いと思うが
    その旅の後に、普通に日本で一生暮らしていくのなら
    行ったらいけない場所というのがある、と激しく主張したい。

    それはインドあたり。

    私の脳内統計では、行ったヤツのほぼ5割が
    精神に何らかの影響を受けて戻るからである。
    雄大な自然とともに、本来の人間としての在り方に還るとか
    ガンジスの流れのように、すべてをありのまま受け入れて生きるとか
    途方もない事を大真面目に、周囲に押し付けて回りだして困るのだ。

    一体インドにどんな魔力があるのか
    恐ろしくて、あそこらへんには近寄りたくない。

    兄の友人が、ついうっかり会社をグシャッと潰してしもうたので
    どうしてるのか心配で、兄に様子を訊いたら
    ネパールに旅行をするという計画になっているそうで。

    ネパールと言えば、頭の悪い説明だとインドの上。
    会社を潰したら、もっと他にすべき事が山ほどあるだろうに
    何でまず最初にインドあたりに旅行なんだよ?

    その時に思ったのが、インドあたりが問題なんじゃなくて
    インドあたりに行きたがるヤツの神経が
    もう普段からあっち方面に傾いてるんかな、という事。
    その兄の友人は、割とフワフワしているヤツだからだ。
    だったらインドあたりも、そういうヤツらに押しかけられて大迷惑だよな。

    で、うちの兄もフランスに行ってたせいか、ちょっと奇妙なヤツなので
    HEY! BROTHER! おめえも一緒に行くんかYO!
    と、おそるおそる訊いてみたら
    何故にこの俺様がそんな辛い旅をせねばならんのか
    みたいな拒絶をやんわりと示していたので、安心した。
    ヨーロッパかぶれに悠久思想まで加わったら、家族はたまらんからな。

    聞くところによると、ネパールに行って
    ヒマラヤを “登れるだけ登る” というアバウトな目的で
    自分の息子も一緒に連れて行くらしい。

    思春期の男子をそんな場所に連れて行くなど、宗教の洗脳にも等しく
    もう、あそこの家系終った! と、その時に絶望したが
    後日談を聞いたら、息子は食い物合わずの下痢と高山病で苦しみ
    カルチャーショックもあり、もう2度と行かない! と怒っているそうで
    さすがイマドキの脆弱男児、よくやった!!! と嬉しかった。
    ニッポンの摩天楼に包まれて、ゆっくりマックでも食ってくれ。

    当の兄の友人本人には、何度目かの懲りずのインドあたり旅行の後に
    会ったんだが、案の定、以前にも増して脳畑に花が咲き乱れていた。

    「全人類の平和」「皆で一緒に幸せにならないと意味がない」
    などと目をキラキラ輝かせながら口走る、お約束通りの変調をきたしていて
    延々と熱苦しく語りかけてくれた。

    ずっと黙って大人しく聴いていたのに、いらん藪を突付きたいのか
    「どう思う?」 と、わざわざ意見を訊いてきたので
    真顔で 「うさんくさい」 と、一言だけ振り下ろしてあげた。
    周囲の兄の友人ズが、えらくウケていたので
    彼らも内心は迷惑しているんだな、とわかって安堵した。

    友達なら、注意してあげるのが友情だと思うのだが
    色々と事情もあって、そう強い事も言えないのだろう。
    えれえ年下の何もわかっていない “小娘” (← ここ自画自賛)
    なら、ちょっとぐらい、たわけた説教をしても怒りも湧きまい。
    何しろ、“何もわかっていないアホ” だからこそ、暴言を吐くのだから。

    と言う事で、その兄の友人には
    「いずれ僕の言ってる事がわかるようになるよ」 と、微笑まれた。
    これがオトナの漢 (と書いて “おとこ” と読む) の余裕だな。
    ・・・とことんバカ扱いされている気もせんでもないが・・・。

    しかしインドあたりは、まるで磁石だな。
    砂の中から砂鉄だけを吸い上げるように、それらしい人々を呼んでいる。
    そんでそのパワーを増幅させて、日本に帰す。
    何かがジワジワと侵略されているような気分になるぜ。

  • あの世の時間差

    お盆なので、心霊系話。
    ビビりなので、もちろん恐い話ではない。

    とうちゃんは真の共産主義者だったから
    実子だからと、私を特別扱いする事もしなかったので
    さっさと成仏するだろう、と悲しい予想を立てていたら
    本当に死んだ途端、あっさりと影も形もなくなりーの。

    かあちゃんは私を心配して居残ったりしてヤバそう、と、ビクビクしたが
    (肉親でも霊で来られると恐くねえ?)
    私の霊感がないせいか、日常で側にいるような気配もなく
    当たり前だが、死んだらこの世にいないんだ、と改めて思った。

    しかし、かあちゃんがたまに夢に出てくる。
    悪い夢ではなく、牧歌的な雰囲気な場面が多いのだが
    (たまに怒られたり、文句を言われたりはある)
    私の見る夢は、ホラー系やバトル系がほとんどで
    知人の夢なども滅多に見ないので、妙に気になるのである。

    そこでカレンダーを見ると、お彼岸だったり命日だったりする。
    私は行事にうとく、もうそこらへん全流しな人生を送っているので
    その夢で行事日が大体いつあたりか、ちょっとわかるようになってきた。

    かあちゃんの事は、日々しょっちゅう思い出しているが
    夢に出てきたからと言って、その行事に何かをしようとも思わない。
    しきたりを面倒くさがるヤツの常套言い訳だが、思い出すのが一番の供養!

    しかし不思議なのが、かあちゃんが夢に出てくるのは
    必ずその行事日の2~3日前なのだ。
    あの世とこの世じゃ、微妙に時差があるんだろうか?
    それとも、当日は兄んとこに行ってるとか?

    この前は7月10日ぐらいに、かあちゃんが夢に出てきて
    私の誕生日後だから、特別外出許可でも下りたか、と思ったが
    いつもの時差のパターンからだったら、出てくるのは7月始めなはず。

    違和感があったのでよくよく考えると、熊本では7月盆なのだ!
    私は熊本人ではないので、8月盆が普通感覚なのだが
    熊本では今でも一部では7月盆だそうで
    かあちゃんは生粋の熊本人だから、何かそれに従ってるっぽい。

    真相がわかって、ちょっとガッカリ。
    成仏している死者はその行事時にしか、この世に戻って来られないのか?
    霊界は個人的行事には左右されないんかー。
    てか、仏教で言ってる事って正しかったんか?
    お盆とか、お彼岸とか。

    思い返すと、お盆とお彼岸と命日の2~3日前には
    必ずかあちゃんの夢を見ているので
    (こうやって覚えているぐらい、かあちゃんの夢は他の日は見ない)
    側に霊としていられないけど、会いに来てはくれてるんだな
    と、愛を感じて嬉しい。

    勝手な暗示かも知れんが、こうやって人は真っ当に生きるんだと思う。
    かあちゃんが今でも睨んでる、と思うと
    怖くて、ついうっかり外道な事も出来ない。
    宗教の目指すとこってのは、まさにこういう事なんじゃないだろうか。
    お布施もせんと行事もせんと、自己解決で自動信仰できて
    ほんとラッキーな人生だと、つくづく己の性格に感謝する。(己のかよ!)

    で、ひとつ聞きたいのは、うちの共産主義おやじは
    今どこで何をしとんのか? っちゅう事。
    とうちゃんの夢は、1度も見た事がないのだ!!!
    こっちはとうちゃんの事も、しょっちゅう思い出しているのに。

    共産主義では宗教は麻薬だそうだが、死んでもそれを貫けるとはなあ。
    まあ、妙な未練を持たれて地縛されるよりは、なんぼもマシだが
    やっぱ資本主義ばんざい! と、腹立たしい事この上なし。

  • お盆なので、冠婚葬祭の葬のあたりの話でも。
    常識に欠けるので、用語がヘンかも知れないが
    気付いたら、私の名誉を気遣いつつ優しく注意してくれ。

    葬式と言えば、必ずショックを受けながら参列している。
    見ず知らずの人の葬式に義理出席をしていても
    “人が死ぬ” という事実に、毎回毎回衝撃を受けるのだ。
    遺族の悲しみにもらい泣きもして、結構嫌な行事である。

    特にお坊さんの読経は辛い。
    葬式中は、(たとえ自分と無関係の式でも) 常に動揺しているので
    眠くはならないのだが、ひどく退屈をする。
    動揺と退屈が同時進行するものだとは驚きだ。

    昨今は、読経もどんどん時間が短くなってきている傾向にあって
    それは全員にとって、とてもありがたい事なのだが
    もっと聴きたい! と思わせる読経が1度だけあった。

    きらびやかな袈裟を着たお坊さんが3人入場。
    一番年長のお坊さんが祭壇のまん前に座り
    そのちょっと斜め後のデカい木魚の前にもうひとりが
    最後のひとりは、木魚と反対側の斜め後にあるドラ?の前に立つ。
    ドラ?は、木魚よりも後に位置していて
    その位置配分も、何となく芸術的なバランスがある。

    あー、こっからが長いんだよなー、とダラける参列者たち。
    突然、ガアアアアアアアンと、ドラ?の大音響が響き
    会場全員がビクーーーッッッとなる。

    そして、3人のお坊さんの混声合唱。
    木魚の叩く音も大きいが、何よりそのスピードとリズムが凄かった。
    その合間合間にドラがガアアアアアンと鳴る。
    ポクポクポクガアアアン ポクポクポクガアアアンみたいに。
    こっこれはヘッドバンギングが出来るんじゃないか? というぐらいに!

    日本の音楽はリズム感がなく、間延びした曲しかない、と思っていたのが
    この3人の坊主によって覆された。
    こんなにも熱く激しいビートが、まさか仏教で!!!

    フィナーレ数十秒は、木魚とドラ?の連打。
    ガアンガアンとすごい爆音だが、読経の声も負けじと凄い声量。

    ドラ?の最後の大打撃でコンサートは終ったが
    思わずスタンディングオベーションでアンコールをしたくなったぜ。
    参列者たち全員、呆気に取られた表情だった。

    その後、参列者たちの焼香の場面では
    木魚とドラ?の担当者はいなくなり、中央のお坊さんのソロで
    他の仏教と同じような読経をしていた。

    こんな葬式は初めてだったので、もしかして新興宗教かなんかか?
    と疑い、知人に訊いてみたら、普通の昔からある仏教だった。
    あまりにも普通なので忘れたけど、天台宗か真言宗かどっちかだった。
    ああいう読経なら、また聴きたいなあ。(できれば葬式以外で)

    うちも葬式を主催した事が2度あるが
    葬式って、ほんと坊さんの晴れ舞台だよな。
    間近で見ると、あの袈裟、もんのすげえ細かい細工なんだぜ。
    金糸銀糸が織り込まれてて、さぞ重かろうが。

    今は亡きかあちゃんが、何かの時に誰かと喋っていたが
    「○○の住職さんの声は素晴らしいわ。
     △△のお坊さんは伸びがダメね。」
    と、お坊さんの読経の声の評価をしていた。

    坊さんの萌えポイントは読経の声らしい。

  • ボーボーの変異

    私から勝手に、熟女趣味の奇声上げ男に認定されているボーボーだが
    ボーボーの車に乗る機会があったら断らないだろう、という
    興味まで湧き上がるほどの、運転の微妙さを相変わらず誇っていた。

    そんなボーボーの車が駐車場から消えた。
    最初っから、「こりゃどっかの道下にでも転がって修理だな」
    と決め付けていたが、2週間経っても車が戻ってこないので
    これは絶対に車検ではない、と確信を深めつつ
    静かで排気ガスのない生活を満喫していた。

    ところが、数週間後に聞き覚えのあるフカし方の車の音が。
    え? ボーボー、マフラーを静かにしたの? と思い、覗いてみると
    ボーボー車の駐車場所に、別の車が。

    ボーボー、全損事故かよ!!!

    この新しい車、レトロ車に片足突っ込んだ古さだが
    その車種屈指の人気のなさを誇った型のはず。
    何でわざわざその型を・・・・・? と、疑問を持たずにいられない。

    おまけに、また3ナンバーノーズ長めのマニュアル車・・・・・。
    自分に何が向いているのか、ちょっと我が身を見つめ直してほしい。

    ほんと意外性にとんだヤツだな、と好意的な解釈をしたのは
    マフラーがノーマルだったからである。
    相変わらず頭突っ込みの駐車スタイルで
    暖機運転の次は、冷房利かせ時間を取るようになり
    排気ガス問題は残っているが、うるさくなくなっただけありがたい。

    ある日、帰宅したらマンションのどっかの部屋に
    デカい包みを持つ宅配の人が入っていくのを見掛け
    その包みが、マフラーの形に見えてしょうがなかったのだが
    マフラーが送られてくる状況って、ネット売買とか?
    ボーボーがPCを扱えるとは、とても思えないぞ。
    しかも自分で取り付けられるとか、100円賭けても良いほどなし!

    いや、あれはマフラーではなく、あの伝説の職人作のエアー彼女だ
    とかエロ本愛読者ならではの購入だと、思い込もうとしていたが
    数日後に、重低音 + カラカラ音が響く。
    ほら、大昔の改造車のマフラーの上下振動音、あれだ。

    ボーボー車、パワーアップしてるよーーーーーー・・・。

    以前にも増して、うるさくなった上に
    嬉しいんか何だか知らんが、1日に何度も外出するようになり
    その度の爆音に、さすがにイライラしてくるようになった。

    毎日出掛けて行って1時間後に帰宅、を繰り返し
    この短時間じゃ峠を攻めに行けるわけないよな、と思ったら
    夜中の2時に出掛け朝方の5時に帰宅とか、し始めてくれて
    車の音もボーボーの靴の音も、ほんと安眠妨害である。

    いやいや、もしかしたらボーボーに彼女ができて
    その彼女が実家住まいで、夜中抜け出しの朝帰りをしてるのかも。
    人の春を邪魔したら逆恨みもありえるし、ここは陰ながら祝うが吉
    早く結婚に結びついて落ち着いてくれ、と気持ちを静めて耐えている。

    ところで、駐車場頭突っ込みや、クラッチの繋ぎのあまりのヘタさから
    ボーボーの運転を見てみたいと願っていたが、とうとう念願が叶った。

    駅前の交差点で信号待ちをしていたら、聞き覚えのあるマフラー音が。
    慌ててそっち方向を見ると、ボーボー車参上!!!!!!!
    おおおおおおおおお、この目でボーボーの運転を見られるとは!
    と、ササッと物陰に移動して、凝視していたら
    信号が青になり発車ーーー、ボボボボボーガックンガックン
    と、ありえねえ程のしゃくり発進!!!!!!!!

    ちょ、マジで強化クラッチ? と、念入りに聞き耳を立てたが
    やっぱり強化クラッチの音はしねえ。
    まったく無音の強化クラッチがあるなら、それかも知れんが
    あれは純粋にクラッチ操作のドヘタの運転にしか思えない。

    周囲にひとりもそんなヤツがいなかったんで
    自分のこの推理にも自信がない。
    フェラーリテスタロッサの渋滞道ノッキングなら見た事があるが
    マフラーを替えただけの、ノーマルの国産車で
    あんなドヘタな運転をするヤツが存在するなど
    この目で見た今でも信じられない。

    一体どんな事情が、ボーボーのあの運転にあるのか?
    ひとつだけ思い当たるのが、車も古くなると
    クラッチがボワボワになってしまう場合もあるって事なんだが。
    でも、どうもエンジンも妙な異音を発しているようだし
    根本的にトラブルがあったら危険だぞ、ボーボー車。

    で、ボーボーは今日、何度も車と部屋をうるさく行き来し
    わかりもせん (断定) くせに、ボンネットを開いて何かをしていた。
    その時にチラッと見えたのが、マジックリンっぽい容器。

    エンジンルームをマジックリンで何をしようと・・・?
    ああ、マジックリンでオイル汚れ落とし、ならアリかもな。

    とかもう、毎日ボーボーの事を考えなきゃならない生活が嫌になってきた。
    イラ立つ事が多くて、上から目線でもせんとやっとられんわ。
    何でそう人に考え込ませる行動ばかりしでかすんだよっ!

    ボーボーはひとしきり何かをして、車で出て行った。
    しばらく帰ってこないのなら、多分盆休みの帰省だろうから
    これで数日は静かでキレイな空気で過ごせるんだが
    まさか帰省改造とかやってこないだろうな・・・。

  • 近所の変異

    “地獄の変異” ではない、part2。
     ↑ このタイトルが、やたら気に入ってるように思われそうだが
       確かに、どことなく魅力があるんだな。
       映画の内容は、「ここですら書けないレベル」 と言えば
       それだけで瞬時に察してくれるだろうがな。

    ここんとこ、急に周囲で異変が起きている。
    ロコツに治安が悪くなったっちゅうか。

    いや、確かに以前から、車道の中央で見えない敵と口ゲンカをする勇者や
    叫びながら疾走する、ある意味真の自由人とかは出没していた。

    ところが、そういう “コト” が敷地内で起こるようになったら
    こっちにとっては大問題になってくる。
    いや、敷地外でも充分に問題なんだが。

    先日も書いたが、マンション専用のゴミ捨て場に
    エロ雑誌が捨てられるようになった。
    しかも毎回のゴミ収集日のたびに。

    どんだけ継続購読しとんのか、という突っ込みどころもあるが
    ひと昔前のエロ雑誌の立場は、お助けアイテムとして
    何年も部屋に積み上げられているものだったのに
    今は雑誌本体の記事よりも、おまけのDVDの方が需要が高くなり
    それを破り取った後の雑誌は、即ゴミ扱いかよ
    と、媒体の移り変わりを間近に目撃して
    過去を懐かしむような郷愁のような気持ちがこみ上げてくるのだ。

    こんな私の走馬灯はどうでもいい。
    問題はエロ雑誌を、くくりもせず破りもせず包みもせず
    丸のままボーンと捨ててある、その開放感にある。

    エロは恥じらいじゃなかったんかい!
    隠せば隠すほど濃度が増すのが、和風エロじゃないんかい!

    いや、何でこういちいち脱線するのか、そういう事でもなくって要するに
    朝っぱらから他人に、剥き出しの性欲を見せ付けられるのは
    コートの下は真っ裸的露出性癖と同様に、とても不愉快なのだ。

    住人の半数は女性なので、そういう事には気を遣うべきだろうて
    それをしないというのは、あえてのワザと? とすら勘ぐってしまう。
    もしかして、うちのマンションに変質者が・・・? という恐怖だ。

    考えすぎかも知れないが、とりあえず戸締りを厳重にするようにして
    万が一の時は天命だと思えるように心の準備をした方が
    未練なくさっさと成仏できて得策だ、と前向きな人生設計をしていたら
    今度は夜、歌声が聴こえるようになった。
    それも夜12時ぐらいに!
    何を歌っとんのかまでは認識できんが、J-POP調の歌だと思う。

    コトが起きてる最中に動くと、ターゲットにされそうで恐いので
    ベランダに出て、周囲の確認作業などはできないが
    部屋の中で座って、いつもの妙な映画を観てても聴こえるほどの声量。
    耳を澄ませてチェックしまくったが
    どうやら、うちに隣接した部屋からではないようだ。
    それで聴こえるとは、実際どんだけの大声で歌っとんのか。
    ここはアルプスの山脈じゃねえ!
    てか、そんな大音量、雪山でも雪崩が起きるぞ!!
    音響爆弾かっつの!!!

    歌声は男性で時間帯も時間帯なので、とっさにあのエロ本を思い出し
    もしかして、これ、絶頂時の絶叫じゃないだろうな
    という、非常にイヤな想像までしてしまった自分の黒さにも嫌気が刺す。

    ボーボーが越して来た後、住人の入れ替わりはないはずなので
    何でもかんでもボーボーのせいにするのも何なんだが
    期間的に考えても、ボーボー犯行説が有力だと思う。

    おいおい大丈夫かよ、と心配にはなるが、実際にどうこうは出来ない。
    と言うか正直に言うと、恐くて関わりたくない。

    このホラー好きの私がビビり上がっている。
    壊れていく住人が近くにいるって、こんなに恐怖なんか・・・。

  • 祝・金メダル

    オリンピックとか世界大会とか、観ないようにしている。
    何故かっちゅうと、気のせいかも知れんが
    私が応援していると、必ず負けるからである。

    昨日も鉄板の柔道を観ていたのだが
    日本人選手が不本意な負け方をして、激怒でTVをブチ切ったさ。
    後でニュースで観たら、ママでも金も銅メダルに終っていたので
    私が観ようが観まいが、何の関係もない話になったが。

    何より柔道を観ていて腹が立つのが、他国の選手の服装の乱れである。
    要するに、途中で柔道着をきちんと整えろ! と言いたいのだ。
    柔道がJUDOになってから、レスリング似になり
    本来の柔道の精神が失われているように思える。
    とか柔道をやった事もねえヤツが偉そうな事を書くが、書くのはタダだし。

    柔道は日本のお家芸だったのだが
    もうそういう時代ではないのかも知れない。
    柔の道は、世界に羽ばたいてJUDOと変身したのであろう。

    などとまとめないと、ほんっっっと腹が立ってしょうがねえんだよ!
    だけどその不振の中、必ず金メダルを取るのもさすがである。
    国民が勝手な期待をして、多大な重圧に耐えて
    ほんと大変な苦労があるだろうな、と思う。
    選手の皆様、お疲れ様でした。
    どうもありがとう。

    重圧と言えば、水泳の北島康介選手。
    彼を見るたびに、トイレの男子マークを思い出し
    名前も誰なんだか、 “北島康介山” と間違えていて
    そんだけ余裕のある選手だと思い込み、こっちも余裕に構えていたが
    100m平泳ぎで金メダルを取った時の涙を見て
    どんなに完璧でも安心など微塵もできないんだ、と改めて感じた。

    大丈夫大丈夫と言うので、真に受けていたが
    一体どれだけのプレッシャーがのしかかっていたんやら。
    競泳後のインタビューを見て、もらい泣きをしてしもうたよ。
    昼間っから独居老人がすすり泣くなど
    もし人に見られたら、えれえなドン底人生に思われるじゃねえか。

    北島選手、本当におめでとうございます。

    世界レベルだろうが、一般レベルだろうが
    スポーツだろうが、他の様々な事だろうが
    期待に対するプレッシャーというものは、人生につきものである。

    しかし、たまにプレッシャーを感じないタイプもいて
    そういうヤツは、一体どういう神経なのかと分析すると
    ・ 空気を読めない
    ・ 物事を軽く考えている
    この2つの共通点があるように思える。

    空気を読めないのは、頭が悪いせいなのでしょうがないが
    物事を軽く考えているのは、無責任とはちょっと違って
    まさか自分が期待されているなど、ゆめゆめ思っていないからなのだ。

    こういう感覚の持ち主は、大抵周囲から
    「出来て当たり前」 か、「出来るわけがない」 の
    両極端などっちかの評価をされているので
    ひねくれなければ、自己評価が低く逆に無欲になる。

    それが吉と出るか凶と出るかは、ある程度までは良い線いくが
    高レベルの競い合いになると、余程の天才でもない限り無力となるので
    やはり、一流の選手にプレッシャーを感じる心は必要不可欠なのだろう。

    毎回のオリンピックでは、報道の加熱もあって
    選手たちが苦しそうで気の毒にすら思えるが、いらん世話なのだろう。
    凡人は思い切り応援だけしとけ、って事だな。

  • 武器代わり

    日本では拳銃所持はありえない、あってほしくないので
    もっと現実に即した話題として、家庭内での武器は何が良いか?
    を、考えてみたい。 (痴漢や強盗の防御用でだ)

    高校校の時、念のための防犯用に置いておけと
    元応援団団長だった従兄弟が、木刀を貸してくれた。
    その従兄弟の親父はミリオタだし、すげえ親子だなと思ったが
    ただの木の棒ぐらいにしか思っていなかった木刀が
    あんなに重いものだとは思わず、すんげえ驚いた。
    ドラクエのこんぼうなど、どんだけ重い初期武器なんやら。

    これを有事の際に振り回せるんか? と不安だったが
    私の住みかには泥棒どころか犬猫も寄り付かず、せっかくの木刀は
    何かの時に邪魔だとよけたら、それが足の甲に倒れくさりやがって
    骨が砕けたかと思うぐらいの激痛に見舞われ
    そのあまりの痛さに部屋中をローリングし、数日歩行困難になり
    と、持ち主自身を成敗して終っただけだった。

    家の中でバトルをした事があるヤツなら、わかるだろうが
    長い武器は突くしか出来ない。
    家の中は案外身動きが取れないのである。

    それに壊れてほしい物など、家にあるか?
    暴れまくった後には、虚無が待っているのは鉄板常識。
    激昂は一瞬! 後始末は延々!! こぼれた乳は皿に戻らん!!!

    それに広い場所でも長棒系は、叩くより突いた方が
    ダメージを与えられるので、いずれにしても振り回しはダメだと思う。

    では家に強盗等が押し入った時に、どうすればいいのか?
    襲われ慣れていないヤツは、そういう場合、瞬時に被害者モードに入る。
    ストックホルム症候群 (人質が犯人に共感する心理) で
    命が助かる可能性もあるが、犯罪者の反応などアテには出来ない。
    てか、人ん家にズカズカ入り込んで金品命を奪おうなどという
    ド腐れ外道の機嫌を取るなど、ふざけんな!

    とか思うヤツが真っ先に殺されるので、真に受けない方が良いが
    もし、ちょっと抵抗しよう、と思った場合は、とにかくキッチンに走れ。

    そこで手にするのは、間違っても包丁はアウト。
    刃物を人体に突き刺せるか? まず無理だろう。
    包丁は持つだけで相手を威圧できると確証がある時のみの見せ札だと思え。
    手にしたら、後には引けないドボン要素の強い賭け状態に陥る。

    万が一ついうっかり、包丁を手にしちゃったら
    刃を下向きに、親指側に刃部分がくるように握る。
    要するに、ごく普通の握り方をするわけだ。
    その際、タオルなどで手をガードしてはいけない。
    これは後々の殺意の有無に関わる重要ポイントである。

    そして包丁を握った手を、利き手側のわき腹深くに構え
    一撃必殺のつもりで体当たりをするしかない。
    振り回して切っちゃった、を狙う場合は、首の付け根に斜め振り下ろし。
    正当防衛を目指して頑張れ。

    私が家庭内での一番の武器だと思うものは、フライパン。
    これを眉間、のど仏などの急所に水平殴り。
    股間を狙う時は、下から上への縦スイング。
    フライパンは、案外使える武器なのだ。

    物を投げる場合は、回転を付けてフリスビー投げな。
    雑誌やまな板などが当たると、のたうち回るほど痛いぞ。

    だけど何より一番大事なのは、気迫である。
    武器を手にした時に、目を据わらせる。 酔っ払いのあの目付きだ。
    「くるんなら、こっちもいくよ?」 と無言の脅しを掛けられるなら最高。
    しかし、そこまで落ち着いてもなお、強盗と5分5分にはならない。

    空き巣狙いの居直り強盗なら、ともかくも
    人に危害を加えようなどというヤツは、根本的に感覚が違う。
    こっちも後先考えず、刺し違える覚悟じゃないと
    結局は被害に遭って終わりである。

    書いてる事を読むと、一体どんだけ狂暴なんだ、と思われるかも知れんが
    私だって人間相手には、冷静に対処はできないと思う。
    何より私の言う事は、被害者が絶対にしたらいけない事だらけである。
    だが昨今の強盗は、平気で残虐に無抵抗の人を殺すので
    今までの犯罪防止マニュアルが、果たして効果があるのか疑問である。

    逃げるとか、金品を渡して身の安全のみを確保する事が出来ない場合
    どう対応すればいいのかも必要な時代になってきていると思う。

  • 拳銃所持

    もし日本で銃が解禁されたら、銃を所持するか?

    事故なども恐いので、私としては持ちたくはないのだが
    今まで包丁やらナイフを持ってきてくれてた強盗や暴漢が
    真っ先に銃を活用するだろうから、そんな一撃必殺の世界で
    こっちだけ丸腰というのは、あまりにも危険すぎる。
    クソ重てえので、持ち歩きはしないとしても
    家の中に1丁は置いておくという選択になるだろうな。

    だったらどの銃を選ぶか?
    当然、殺傷目的ではないので、口径の小さいハンドガンになるだろう。

    私は武器マニアではないので、詳しくもなく
    いつものごとく間違った知識も多いので、ビクビクしつつ解説すると
    ハンドガンには大まかに分けて
    リボルバー式とオートマティック式がある。

    リボルバーってのは西部劇でよく見る、弾を6発自分で穴に入れるあれ。
    ロシアンルーレットという、確実に死ぬ罰ゲーム用。

    オートマティックは、グリップ部分に弾倉を装着するタイプ。
    ルパン3世が愛用しているワルサーP38は、こっちのタイプで
    ヒトラーが自殺した時に使った銃だと言われている。
    とても繊細なデザインだけど、結構暴発が起きてたらしい。

    口径とは、銃口の直径のこと。
    確かインチ表示で、日本で言う口径は、イコールインチではなかったはず。
    とにかく口径が大きい = 弾が大きい = 殺傷力・衝撃が大きい
    で、素人には制御が難しくなってくる。

    よく映画で人質の頭をかすめて犯人を射殺、とかあるけど、あれはウソ。
    大きい口径になるほど、弾が頭の10cm側でも通ったら
    その風圧で、頭を殴られたように気絶をするぐらいのものだそうだ。

    それに44マグナムなど、訓練もロクにせずにうかつに撃ったら
    反動で1mぐらい後に飛ばされるらしい。
    当然弾はあさっての方に飛んで、敵にかすりもしないし
    自分は後方にカメハメ波をくらったように飛ばされるし
    ひとり芝居でこっちが大ケガだよ! って話なんだと。
    (マグナムとは、銃じゃなく弾の種類だったと記憶している。
     映画ダーティハリーで有名になったんじゃなかったかな。)

    で、実際に買うとしたら、銃解禁になった場合の値段で10万円台で
    弾の管理とか面倒なので、カートリッジ式が希望だから
    小さい口径のセミオートマティックが理想だが
    日本解禁となると、また新しい型が工夫されたりするだろうから
    “日本人女性用” みたいなのを選ぶ気がする。

    てか、長々と妄想を語ってきたが、「現実にはありえない」 で
    ササッと終了する話題だよな。
    私もどんだけヒマなんやら。

  • 鏡を見ない美容法

    今、あまり鏡をじっくり見ないようにしている。
    自分の顔を見たら吐き気がするとか、そういうのではない。
    ・・・・・失礼な! そこまでモンスターじゃねえぞ。

    いやな、目が悪いせいもあって、毎日毎日鏡3cmの距離で
    じっくり肌を見てたんだが、そうすると全体的な老化がわかりにくいんだ。
    「しばらくぶりに会ったら老けてた」 みたいな
    同窓会の証言でもよくあるように
    日々の微妙な違いって、毎日見てると気付かないだろ?

    これは自己の精神力に対するチャレンジにもなってくる。
    ある日よく見た時に、あまりの老けぶりにショックで
    心臓マヒを起こしたり、記憶障害になるかも知れんのが恐ろしい。

    しかし、髪を整える時やメイクの時には見ざるを得ないので
    そこまで変わり映えしたという認識は起きないだろうが
    年を取るにつれ、美容はミクロからマクロへと世界を移動するのだ。

    つまり、細かいシミシワを気にしている余裕がないほどに
    “大” のつくトラブルが発生し始めるのである。
    大ジワ、大シミ、大毛穴、大タルミ・・・。
    人として正常な成長を遂げている女性なら
    心にも “大” がついて、大らかになっているはずなのだが
    相変わらず細かい部分にも、ギャアギャア騒ぐ私は
    小せえ人間へと成長してしまったらしい。

    この、“肌を凝視しない美容法” を、ここ数ヶ月やっているが
    それをし始めたのは、オーガニックコスメに移行して
    化粧水、アイクリーム、クリーム、のシンプルケアになったからである。
    と言うか、実はオーガニックコスメのあまりの塗り心地の悪さに
    結構、ザツな塗り方で済ませるようになったのが真実。
    友人の悪さに引きずられてグレる、主体性のないガキのようだが。

    鏡もよお見らんと、ババッと塗って終わり、てな事を続けてたら
    ある日鏡を見て 「・・・老けた・・・?」 と、衝撃を受けた。
    そこで思い立ったのが、普段は鏡をあまり見ない方が良いかも、という事。

    だが、ズサンなお手入れでは意味がない。
    目を閉じて、じっくりゆっくり指先で肌をチェックしながら
    視覚以外の五感に頼ってお手入れをしてみよう、と。
    これをし始めたら、ここニキビが出来そうっぽい
    とかに気付くようになってきた。

    ただ、鏡を見る度にショックを受けるようになったのはキツい。
    何かすぐ忘れるようで、「あれ? 私こんな顔だったっけ?」 と
    毎回、わけのわからん落ち込みが襲ってくるのである。
    脳内では、自分の顔をアンジェリーナ・ジョリーぐらいに
    思い込んで再生されていたのかも。
    これもどこまでメルヘンな脳みそなんやら、という話だが。

    鏡を見ない、というのは美容的に悪の枢軸扱いされる所業だが
    一朝一夕では治らない肌トラブルに見舞われて悩んでいる時や
    ババアゾーンに片足を突っ込んで慌てている時期には
    自分の意識の修正をするためにも
    あえて逆の発想で、そういう方法を取るのも効果があると思う。

    鏡を見なくなったら、自分に対して客観的になれるし
    視覚を封じたお手入れも、いつものやり方の再チェックになる。
    美容という自分の認識の原点を見直す事が出来ると思うぞ。