• 高校中退

    出だしに結論を書くが、私は中退はお勧めしない。
    ドバカ学校で勉強のべの字もなく、学校中で乱闘騒ぎの
    何のヤンキーマンガの舞台? というような学校なら
    さっさとやめて、塾に通い大検でスキップした方が良いが
    それ以外なら、中退するべきではない。

    何故なら、高校は3年間で終るからである。
    終わりがあるとわかっているのが、どんなに救われるかは
    社会に出た人なら皆、実感していることだろう。

    昨今はイジメという犯罪は、学校の専用用語のように思われているが
    会社勤めでも、近所付き合いでも、家庭内でも、それはある。
    いい大人が・・・と思うのだが、どこに行っても鬼畜はいるもんさ。

    しかもこれらの環境は、“辞める” 事が、高校より遥かに難しいのだ。
    生活がかかっているだけに、自分ひとりの問題ではなくなる。
    そして終わりが見えない。
    転勤、引越し、離婚などの選択肢もあるが
    そこに至るまでには、大抵が3年どころじゃない葛藤を強いられる。

    こういう事を書くと、人生に何の希望もなくなるだろうが
    希望は見つけられるか見つけられないか、だけの違いなのだ。
    不幸というのは、幸せがないと存在できない。

    いつも幸せなら、その人は幸せを普通の人生として捉えるだろう。
    人は不幸になって初めて、あの時は幸せだったと気付くものである。
    不幸の経験を知らないと、幸せの価値はわからない。
    そして、その幸せの価値を覚えている人だけが
    何もない事自体が幸せだと、実感できる術を持ち
    人生の幸せをあちこちに見つける事が出来るのである。

    幸せになれない人は、何もない事に価値を見出せない。
    不幸になった時に、あの頃は・・・と、以前を振り返るだけで
    そういう人にとっては、幸せは思い出の中にしか存在しない。

    これが幸せになれるか、なれないかの違いなのである。
    基本、生きていくことは辛いもの、と腹をくくれば
    些細な事でもすげえ嬉しいもの。
    期待値の高さは、ほとんどの場合、自分の首を絞めるだけである。
    大抵の人は、成長過程でこれを学ぶ。
    だから辛い事もあるのに、「フツーに幸せ」 と言う事ができるのだ。

    何故、高校を中退すべきではないのか?
    それは学歴社会の仕組みが、人生に大きくのしかかってくるから。
    大検で大学進学をしても、高校中退は履歴に残る。
    正味な話、これはデメリットになるだろう。
    社会は、“皆やってる事をしていない” というのには厳しい。

    だけどそれより何より大事なのが
    集団の中で自分を見つめられる事が、ものすごく有益なのである。
    自分が人にどう接するか、接されるか
    自分の集団の中での立ち位置はどこにあたるのか
    これらのデータを収集、分析できたら
    それは自分の人生において、一生のマニュアルになる。

    そんなんどこでも出来る、と思うなかれ。
    社会に出たら、同じ種類の人間に囲まれる事が多い。
    学校は、あらゆる種類の人間が集まる場所で
    こういう所はありそうで、そうはないものである。
    これを生活に責任のない学生時代にやっておくべき。

    とは言っても、逃げ出したい時もあるだろう。
    そういう時には、逃げ場を作ること。
    学生にとって、学校は生活のほとんどを占める。
    それが苦痛の原因でもある。
    他に自分の居場所を確保しておけば、意識が分散できる。
    塾、習い事、遊び場、ネットもそのひとつである。

    1箇所で上手くいかなくても、他の場所で楽しければ
    上手くいかない1箇所が、そう気にならなくなる。
    嫌な場所をオンリーワンにしとくから苦しいのだ。

    そもそも、1つに集中していると
    その1つが自分の中で大きくなりすぎて
    支配されて振り回されるハメになるのは、よくあるドツボ。
    自分の世界をいくつも持っておくのは、人生のコツである。

    生きていくには、いくつかのコツがあって
    それは自分のテリトリー内だけでは学べない事も多い。
    何気なく見聞きしている事でも、自分にどう役立つか、という点に
    もっと貪欲になると、見えなかった事が見えてくることもある。
    視界ってのは、ある日突然開けるものだから。

  • 病名の付かない不調

    世の中年女性たちの多くは、ものすごく我慢強いようだ。
    少々体調が悪くても、ギャアギャア騒がない。
    ただ、じっと我慢している。
    「ここが悪い、あそこが悪い」 なども言わない。

    何故かというと、年を取ると日々絶好調などなくなり
    毎日毎日、どっかこっか調子が悪い。
    こういう境遇のヤツの病気話など
    うっとうしい以外の何物でもないので
    人にも言えず、ひとりで耐えるしかないのである。

    それだけに、女性の体調の変化の情報は表立たない。
    周囲の経験者に尋ねても、「人それぞれ」 みたいに終わる。
    プロ以外からの情報がほとんどないのである。
    医師にはわかっている “ありえる変化” でも
    素人にはわけがわからないだけに、不安も大きくなる。
    気分的に落ち込むと、余計に症状がひどくなる。

    だから、知ってる人が伝えるってのが、とても大事だと思う。
    私はそれをしようとしているわけだが
    自分の狭い範囲で、見聞きした事だけだし
    素人なので間違ってる事も多いだろうから、参考程度にしてほしい。
    生理前後の症状も、百何十種類あるとか言うので
    きっと本当に、“人それぞれ” なのだろうから。

    中年女性の、ほぼすべての不調の原因が
    更年期障害に起因していると思うが
    それはまた今度にでも書くとして、今回は関節系の話。

    関節というと、よく聞くのが “40肩” や “50肩”。
    腕が痛くて、上がらなくなる症状になり、これが半年から1年続く。
    これは何もしなくても、ある日突然ウソのようにケロッと治るらしい。
    が、一般的に知られているのは、ここまで。

    実はこの40肩50肩、一旦治ったら永遠に終わり、じゃなく
    その後の人生、何度も繰り返すんだってさ。
    数ヶ月おきか数年おきか、そのサイクルは “人それぞれ” で
    同じ人の肩でも、サイクルが一定していないらしい。

    要するに、老化は関節にくる、って事だろうが
    何故40肩50肩という、クローズアップをされてるんだか。

    多分、ほとんどの人がなるから、呼び名が付いたんだろうが
    これは一過性のものではなく、“始まり” と
    取っておいた方が、慌てなくて済むと思う。

    私は10年ぐらい前から、ヒザが痛くて
    これにはコンドロイチンがムチャクチャ効いて
    飲まないと、痛くなって歩けないほどなのだ。

    昨今は、コンドロイチンだけじゃ効かないとか研究されてて
    グルコサミンなどが配合され始めたが
    何故か私には、コンドロイチンだけの方が効いていた・・・。

    これは効く人と効かない人が、はっきり分かれてるようで
    私の友人が、最近ヒジが痛いと悩んでいたので
    飲ませたところ、あまり芳しくないようである。
    コンドロイチン、3人ぐらいに勧めたけど、全滅だったよ。

    年を取ると腰痛! だが、私も多少はある。
    しかし、どっちかと言うと、若い頃の方が腰痛は辛かった。

    どういう姿勢が良いかなど、まったくわからないのだが
    これから悪くなるんだろうかも、わからないが
    何よりそれより、意外な部分がダメージをくらう現実にビックリだ。
    私の場合、首とか背筋をヤりまくる。

    そんで一度傷めると、それが後々までひびくひびく。
    後遺症も同然って感じ。
    やっと治ったかと思って、いつもの日々を過ごし
    いつもの動作をして、再びグキッと同じ場所を!

    そういや意外と言えば、寝ている時の運動も減るようである。
    昔は眠ってて、どんだけ動いているんだ? ってぐらい
    移動、回転してて、起きた時の負傷は打撲がメインだったが
    最近は、中途半端に変な姿勢で動きが止まるのか
    寝違えが多くなってきた。

    「寝相が悪い方が、寝違えが少ないんですよ」
    という、お医者さんの言葉は真実だったわけだ。

    年を取ると、関節にヘタリがくるのはしょうがない。
    今は良いサプリもあるんで、昔の人よりはラクだと思うべき。
    とにかく、栄養と適度な運動しかないよな。

    自分の動きの無意識のクセとかが直らない限り
    こういう風に一度傷めた部分って、完治はしない気がする。

    何か負担かけてそう、って部分がきやすいって目安はあるけど
    そう四六時中激痛なわけでもないし、慣れるもんだし
    老化ゆえの関節痛は、他の症状よりは苦にならないと断言しよう。

    実はこの断言も、単なる気休めなんだが
    実際もっと他に、切羽詰ったあれこれが出てくるんだよな。
    年を取るごとに、医療費がものすげえ負担になってくるんだ。
    まさか自分がこうなるとは・・・と、愕然とするぜ。

    “予防” になんか、金を使ってられねえんだよ!
    治療だよ、ダイレクトに治療以外には、財布が追っつかねえよ!!!

  • 早起きのコツ

    私は寝起きが悪い。
    寝つきが悪い上にものすごく寝相も悪いので、熟睡できないせいか
    丁度起きる時間ぐらいに熟睡モードに入っている。

    たまにアラームが鳴ってるのさえ気付かない時もあるが
    目覚めても布団の中で正座で突っ伏し、30分ぐらいは動けない。
    小島よしおの、あの 「ヘタこいた~」 みたいなポーズは
    絶対に寝起きの時にあみ出した芸だと思う。
    私の無理やり起床が、まさにあの振り付け通りだからである。

    この寝起きの悪さが、長年の重荷だったが
    とうとうチャッチャと起きられるワザを発見した。

    それは、眠いのを気にしない事!

    眠いのって、どうしようもないだろう?
    おさまるまで待ってると、どんだけ時間が掛かるやら。
    だから眠い事をどうこうしようとせず、無視すりゃ良い。

    これに気付いてからは、さっさと起きられるようになった。
    ただひとつ難点なのは、寝ぼけてたり
    いきなり立つので、目まいがする事。

    壁やドアにゴンゴンゴンゴーンと、連続4回激突した時には
    目覚めるどころか、永眠するかと思ったぜ。
    その激突の激痛も、目覚める要素になるからいいけど。

    まるで参考にならない方法かも知れないけど
    “起きられない” ってのは、病気の場合以外は甘えだと思う。
    私は低血圧ではないし。

    ただ、ちょっと睡眠障害気味ではあるが
    それと、解決法を探して実行する事は、別の問題だろう。
    寝るのをどうこうする、良い方法が見つからないのなら
    とりあえず、起きる事に目を向けるのが建設的じゃねえ?

    もちろん、辛い、きつい、眠い、寒い、暑いなどでしんどいが
    それが何だってんだよ? と割り切れば、ラクになる。

    こういう話をすると、えらくドライに思われるようだが
    グチグチ悩んでるだけで良い方向に行くのなら、誰も苦労はしねえよ。
    自分の不平不満をどこで線引きするかが、幸せに生きるカギだと思うがな。

    とか言ってて、その内 「寝起きに骨折したー」 とか
    ここで書くハメになりそうで不安な気持ちも、実はある・・・。

  • 謝罪の意味

    これは日本人なら、持っている気持ちだと思っていたが
    自動車保険業の人から聞いた話によると
    「謝ったら、自分の非を認めた事になるので、過失割合で不利になる」
    と、事故を起こしても謝らない人が増えているらしい。

    そういう最初の対応のマズさが災いして
    モメんで良いとこでモメるケースが多いのだそうだ。
    過失割合は法が適用されるので、謝罪とは関係ないのにだ。

    だから、保険屋さんには常々
    「こっちがブチ当てたら、ちゃんと謝ってください。
     相手が 『どうしてくれるんだ?』 とインネンをつけてきたら
     『すべて保険代理人に任せますので。』 と言ってください。」
    と、くれぐれも自分の仕事 (交渉) の邪魔はしてくれるなよ
    みたいな感じ丸出しで、きつくお願い (?) されていた。

    この、“謝ったら、こっちが全面的に悪い” は
    アメリカから来た感覚である。
    アメリカは訴訟社会だというのが、クローズアップされすぎて
    ぶつかって謝ったら慰謝料、みたいな都市伝説がゴロゴロしている。

    日本でできたPL法も、そういう影響のひとつである。
    ネコをレンジでチンは、実際の出来事ではなかったが
    マックのコーヒーが熱くて、ヤケドして数千万の損害賠償は事実。
    こういうのを聞くと、“自己責任” ってマジで大事だと思うよな。

    謝罪というのは、自分の非を認め、反省の意を表す事だが
    これは “全部残らず自分が全面的に悪い” というのとは違う。
    日本では、トラブルをなるべく穏便に解決の方向に向かわせるための
    “最初の一歩” の儀式なのである。
    そして、当事者はその後も何度も何度も謝罪をしつつ
    事を進めていくという、節目にも用いられる作法なのである。

    だからといって、単なる手段と考えてはいけない。
    謝罪である限り当然、厳しい判断をされる。
    どういう個人基準であろうと、そこに誠意が感じられないと
    謝罪とは見なされないどころか、逆に “逃げ” だと非難までされる。

    その判断は何を基準にされているのかと言うと
    罪の重さや状況によって、多少の違いはあるが
    まずは謝罪するタイミングの早さに加え
    言葉、態度、表情、服装、髪型、おじぎの角度と時間、といった
    細部を総合した、全体の印象である。

    (この世間の判断基準が、細かいのか、あいまいなのか
     わかりにくいのが、謝罪側にとって最大の難関なのだ。
     この辺が日本人特有の、なあなあ文化だと思う。)

    もちろん、気持ちが最重要。
    謝罪の場合に求められる誠実さとは、状況のすべてを正直に説明して
    その上で自分の非を認める潔さ、これに尽きる。

    これらをすべてこなした上で
    どう対処していくのかを伝えるのだ。

    最近の謝罪会見の多さと、世間の反応を見ていると
    まさに、自分の立場と世の空気を読めるかどうかが
    許してもらえるかもらえないかの分かれ目だと言えるだろう。

    謝罪する側にも、色々と言い分はあるだろうが
    それを言っていたら、まず受け入れられないと気付くべきである。

  • リップクリーム

    空気が乾燥する季節になると、唇が荒れる。
    唇には自分で潤う機能がないので、お手入れをする必要がある。

    これは男性でも!
    ガサガサの唇は案外目に付き、印象も悪いし
    あの剥けかかって乾いた皮は、意外な凶器だぞ。
    触れられると痛いし、ヘタをすると傷も付けられる。
    相手の女性 (男性の場合もあるが) は、いい迷惑だろう。

    唇が乾くのは、自分自身も違和感があって不愉快だし
    ひどくなると痛いし、血が出るし、飲食時にはしみるし
    放っといてもロクな事がないので、リップクリームを塗ろう。

    唇の皮剥けは、リップクリームをてんこ盛りに塗って
    綿棒を唇の上で転がすように取る、が一番正解だろう。
    これ、すげえ面倒くせえんで、ティッシュでゴシゴシしたいんだが
    そんな事をやってると、マジで唇にシミが出来るから!

    唇に悪い事はいくつかある。
     ・ 唇を舐める、噛む、こする
     ・ 飲食物が付いたまま
     ・ 紫外線
     ・ 何らかの成分

    この最後の “何らかの成分” というのは
    リップクリームに入っている成分の場合も多い。

    リップクリームは、“味も大事” という条件があるので
    他の化粧品とは違う香料や成分が入っている事が多い。

    私の経験を語ると、普段は潤っているのに
    口紅を塗るとカサつき、皮剥けをして困っていた。
    ある日それが、愛用しているリップクリームのせいだと気付いた。
    それにはリップクリームの常連成分のミントが含まれていて
    そのミントが私の唇には合わなかったのである。

    何故気付いたのかと言うと
    こんだけお手入れをしているのに、荒れるなどありえない!
    と、根拠のない自信の元に、原因を探しまくり
    やっと、ミント入りのリップクリームを塗ってる時に
    唇表面に感じるわずかな熱っぽさが
    “刺激” のサインじゃないか? と、疑ったのである。

    ミントなしのリップクリームに切り替え
    数ヶ月かかって、ようやく口紅のノリが良くなった。
    気付くまでに、3年ぐらいそのリップクリームを使っていたので
    どんだけアホだよ? という証明な話である。

    ミントが合わない人って結構いるみたいなので
    リップクリームを塗ってても荒れる時は、成分を疑ってみるべきかも。

    ところで、リップクリームには、あまり潤わないものもある。
    これは私が発見した裏ワザなのだが
    潤わないリップクリームでも、爪の表で米粒大ぐらい削り取って
    指の腹で塗ると、別物? と思うほど、潤うようになる。

    多分、塗る量が増えるのと、指の腹でのマッサージが効くのだろう。
    直接リップクリームを唇にあてても、刺激があるとは思えないのだが
    皮膚科医のデータに、スティックタイプのリップクリームを塗ってる人に
    唇が荒れてる人が多い、というのがあるらしい。

    はあ? あんなクリームの塊が刺激になるんかよ? と思うが
    経験上、これは正しいような気がする。
    プラシでもグロスのチップでも、唇は荒れる。
    指で塗るのが一番トラブルがないんだよな。

    この裏ワザをどうやって見つけたのかは、ちょっと誇れない話。
    残り少なくなったリップクリームをほじくって使っていて、だからだ。
    最初はヘラで削って別容器に詰め替えたり
    使い捨ての耳掻き付き綿棒でほじくって、ブラシに取って塗ってたけど
    何せガサツなもんで面倒になって、しまいにゃ指でガリガリ、だ。

    このザツさが功を奏する事は滅多にないんだが
    やってて、明らかな使用感の違いに気付けてラッキーだった。
    指が汚れるのが難点だが、その指で爪もマッサージしてるぜ。
    合わないリップクリームは、爪やカカトに使える。

    リップクリームというものは、乾くと感じた時に即塗るものである。
    1日1~2回で済む、と思うな。
    茶を飲んでも、リップクリームが唇からカップに移動する。
    タバコを吸うと、フィルターの紙が唇の水分まで奪っていく。
    だから、唇に何かが触れる度に、リップクリームを塗りなおせ。
    唇のお手入れとは、そういうものなのだ。

    口紅を塗ってない人にはそれが出来るけど
    メイクをしている場合は、リップクリームをこまめに塗れない。
    だから、潤いのある透明グロスを持っておく必要がある。

    何故透明かと言うと、色素やパ-ルは乾燥を招くからである。
    乾燥がひどい季節だけは、リップメイクは口紅にまかせ
    グロスは潤い重視のものに切り替えた方が良いと思う。

    最後に、ものすげえ乾燥している時のリップクリームの選び方を。
    ワセリンベースのタイプが密着性と持続性に優れているが
    極度の乾燥や荒れには、潤いが頼りない物が多い気がする。
    そういう時は、水分重視のリップクリームや唇専用美容液を塗り
    フタとして、ワセリンタイプを重ねておこう。

    傾向として、スティックタイプよりジャータイプの方が
    潤いに優れているものが多いと思うが、出先で使うのには不便なので
    スティックを2本用意する方がラクかもな。

  • 外国製化粧品の価格

    日本の消費者は特異性がある。
    どういう部分がかというと
     ・ 安い物を信じない
     ・ パッケージの精密さにこだわる
    この2点において、世界でも特殊な感覚を持っていると思う。

    もちろん私もそうである。
    海外ブランドの化粧品の輸入品は買わない。
    名立たるブランドであっても、海外で売られているのは容器が違う。

    たとえばアイシャドウを例に取れば
    海外の物は、中の金属型と容器の間にザツな隙間がある。
    容器にキッチリと色が並んでなく、歪んでいるのなど許せない。
    ビチッとはめろよ! と、イラ立ってしまう。

    男性だって、車のボディにわずかな波うちがあったら許せないだろう?
    計算された “崩し” じゃないと、受け入れられないだろう?

    これが日本人の特性なのだ。
    遊び心がないっちゃあないが、この緻密さが
    ジャパンブランドを支えてきた、重要な個性なのだ。

    “安い物を信じない” というのは、今は転換期の真っ最中で
    化粧品業界においては、質に見合った値段か、という
    しごく真っ当な方向に消費者が知恵を付け始めている。

    だから今、新たに日本進出を図る化粧品ブランドは
    動向が掴めず、苦労しているはず。

    では、ちょい前までの “高い物ほど良い” という風潮だった頃の
    化粧品の値段は誰が決めたのか?
    それは他ならぬ日本の化粧品会社である。
    と言うか、今でも化粧品の日本における “適正価格” は
    日本の大企業が作り出している、と私は考える。

    現代は海外ブランドが幅を利かせているように見えるが
    「皮膚に直接つける物は、やはり日本製」 という感覚が根強い。
    色物などは海外品も遊びで使うけど、慎重な日本人の性質上
    やはり化粧品においては、国内ブランドは不動の地位にあるのだ。

    そして堅実な日本人は、「皮膚に直接つけるものは良い物を」
    と考えるので、ある程度の値段が必要になってくるのである。

    この “ある程度” という計算が、実に難しく
    良心的な価格で発売された化粧品がさっぱり売れず
    数倍の値段に上げたところバカ売れした、という逸話もある。

    日本人の “良い物” という言葉の意味は
     ・ 値段に見合った品質
     ・ 値段の割には良い品質
     ・ 持つ事で自分の格が上がるブランド
    この3つが、その時々、分野、時代によって目まぐるしく変わる。

    この動きを素早く察知し、また操れるのは
    化粧品業界では、日本の大手メーカーなのである。

    海外でブランド品を漁る日本人のイメージが強いせいか
    外国ブランドが日本進出をする時には、必ず “格” を目指す。
    それは服飾関係ではアリだが、化粧品の場合は甘い目論見である。

    何故なら、日本メーカーが堅強だからである。
    日本と付き合いの長いアメリカは、さすがそのへんをわかっていて
    日本メーカーとの比較で、ちょうど良い位置に鎮座するが
    他の地域のブランドは、日本の化粧品企業と提携していない場合
    すげえヘマをやらかす事が多い。
    単なるブランド好きな国だとナメてかかって
    撤退を余儀なくされたブランドも数多い。

    たとえば、あるヨーロッパのブランドは
    自国ではドラッグストアで売られているのに
    日本では一流ヅラをしようとして、数年で完敗した。

    当たり前だ。
    カネボウで言えば、KATEクラス (1000円代) なのに
    ルナソルの値段 (3~5000円) で売り出したんだから。

    日本人女性は、お手入れもメイクもきっちりし
    各アイテムを全揃えする几帳面さと、経済力を持っているので
    日本で当たればデカい、と皮算用をするだろうが
    それだけ熱心だからこそ、情報収集もハンパじゃねえんだよ!
    おめえんとこの名前も、日本に入る前から知ってたよ。
    日本での値段設定を聞いた時に、誰もが 「アホか!」 と思ったさ。

    他にも、これはボッタクリすぎだろうー、というブランドもあるが
    それは消費者の意識が変化する前に日本上陸を果たし
    定着できたブランドばかりである。
    それでも、以前より支持はされなくなっている傾向にある。

    今後、日本に新規参入するブランドは
    かなり調査をしないと苦戦する事は間違いない。

    何故これを今書いているかというと
    物価高騰で化粧品の値段も上がり始めているからだ。

    日本メーカーは、もちろん癇に障らないやり方をし
    長年定着している海外ブランドも、さすがにソツがないが
    ロコツな値上げをして、ステージLVUP便乗を企んでいる
    としか思えないブランドもチラホラ見受けられるのだ。
    日本の化粧品マニアをあなどったら、痛い目に遭うと思うのだが
    それとも、“一見さん” を一通りこなして儲けて終るつもりだろうか?

    今回の物価高騰は、生活上困りものではあるが
    色んなブランドの色んな下心が垣間見えて、とても興味深くもある。

  • 色白・色黒

    私の顔色は赤黒いと自分で思うのに、色白と言われる。
    単純に褒められてるだけなら、喜んでいれば平和なのだが
    (言っとくが、お世辞だって、“言われる価値のある人間”ってことで
     素直に、ほどほどに喜んどきゃいいんだよ!)
    化粧品カウンターですら言われるのだから、実害がある。

    ファンデの色選びでモメるんだよっっっ!
    美容部員のおねえさんと、言い合いをした事もあるさ。
    何でそんなにスケキヨにしたがるんだよ?
    顔と首の色が違いすぎると、ほんと苦労させられるもんだ・・・。

    この色黒色白、画像認識度が低い私には、さっぱり見分けがつかないので
    (ここで既に、私にはひとことも語る資格がなくなってるとは思うんだが)
    世間で言われている、色白・色黒の有名人を調べてみた。
    名前列挙はとても面倒くせえので、しない。

    イメージじゃない人や、両方に名が挙がっている人もいて
    一瞬、余計に混乱させられたんだが
    そのラインナップを見ていて、仕組みがわかった気がする。

    日本人の感覚は、透明感がある肌だと色白に思われる場合が多い!

    肌色、つまりベージュってのは、透明感がないのである。
    どんなにシミやクスミのない肌でもだ。

    卵の殻は白いけど、評価はされてねえよな。
    (卵もそういう評価をされても、嬉しくもないとは思うが)
    ゆで卵の白身は高評価だよな。
    違いは透明感、そういう事じゃないのか?

    ようするに人々は肌の質感を、その下の血管や肉の色で判断していて
    それがよく見える人 → 肌が薄い → 透明感がある → 色白
    という変換を、無意識にしている傾向がある気がする。

    だから白くても黒くても、肌色が強いと色白には見られないのだろう。
    (注: この考察は日本人の一般的な肌の色での話である)

    何か、肉の選び方みたいな話になってしまったが
    これでメイクのコツがわかったよな。
    透明感のあるメイクにすればいい。
    キー・カラーは赤。

    個人個人が持つ血の色で、再現すべき血肉の色が変わるが
    どんなに厚塗りをしても、それさえ出来ていれば不自然にはならないはず。
    これは世の女性たちへの福音だよな。

    ババアのメイクには透明感が大事、と以前書いたような気がするが
    まさかここまで重要度が高いとは、正直思っていなかった。
    色白志向の日本人女性なら、老いも若きも目指すは透明感だよな。

    意味がよくわからんかった、あのコントロールカラーを見直して
    ちょっと研究してみるわ。

    いや、研究してから書けや! って突っ込みも、ごもっとも。
    でも、この大発見に舞い上がって自慢したかったし
    その “研究” とやらが、すぐ結果が出るかわからんし
    時間が掛かってる内に、脳内から本題がずり落ちて
    全然あさっての方向に行ってる、とかも、よくある事だし。

    ・・・正直、メモ代わりに使いたかったんだよ、すまん・・・。

  • 卵の割り方

    飯の話題をしていると、たまに 「○○を作れる?」 と聞かれる。
    この○○には、味噌汁やら卵焼きやらの
    ほんっっっと基本的な “調理” が入るのが、とてもムカつく。

    私は一応結婚してたんだよ!
    主婦やってたんだよ!
    てか、その過去がなくとも、この天才のわたくしが
    料理を作れないわけがねえだろうがあっ!!

    聞かれるのが “料理” なら、まだいいよ。
    だが、「ご飯炊ける?」 とは何事???
    私は一体何を食って生きていると思ってるんだ?

    20代前半までならまだしも
    まさか更年期障害の心配をし始めてるこの年になって
    そういう質問を受けるとは思わなかった。

    何故そんな事を聞くのか、もんのすげえ突っ込んだら
    「あまり食べないし、生活感がなさそうだし」 と言われた。
    アホか!!!!!!! 
    ババアが外で生活感を出したら、ただの老女になるだろうが。
    家の中と外では150度ぐらい違うんだよ!
    (残り30度は、さすがに化けきれない)

    ああ・・・でも、ご飯は炊けないかも。
    あれは炊飯器が炊いてくれてるんだし
    普通の鍋で、初めチョロチョロ中パッパ とか、よく覚えてねえよ。
    林間学校では、包丁を振り回して、薪拾いに追いやられたし。

    実は本題は、「卵焼き作れる?」 から始まるはずだったんだが
    あれこれと思い出してイライラしたので、つい長々グチってしもうたぜ。

    もちろん卵焼きぐらい、ちょちょいのちょいで作れる。
    目玉焼きも炒り卵もゆで玉子もオムレツも作れるぞ!

    ちょっと特殊扱いされたのは、卵の割り方。
    天才なので、当然ながら片手で卵を割れるのだが
    家でひとりで、誰に披露するわけでもねえのに
    そういう、万が一あっっっ!の可能性がある
    イリュージョンな割り方をしてもしょうがねえだろ?

    だから両手で丁寧に割るのだが
    たまに卵にヒビを入れようとして、流しのフチでコンコン
    のつもりが、何の精力が有り余ってたのか、叩きつけて破壊してしまう。
    これ、誰でもよくする事だろうから、わかると思うが
    後の掃除が大変なんだよなー。

    私は、粉々までは2~3回だが、割り過ぎる事が多いんで
    (これも、はみ出た白身がタレて、掃除が面倒だよな)
    卵をそこらの角でペチペチ叩いて、薄くヒビを入れ
    そのヒビに、両手の親指をメリメリと突っ込んで
    指力で割るようにしている。
    割った後の手洗いは必須だが、掃除をするよりマシだし
    黄身も結構丈夫なんか壊れないし、殻もそんなには入らんぞ。

    こういう生活の知恵を、得意げにとくとくと解説して
    私の生活感が見えたかと聞いたら、何とも言えない微妙な表情をされた。

    民衆は私に何を望んでいるんだよ?

  • 人前に出たらいけない

    最初にアップした内容は、私の本音だけれども
    あまりに鬼畜すぎる意見なので、修正をしました。
    それでも、キツイだろうけど・・・。

    香川の事件のニュースを見た人は
    最初から、誰もが犯人を断定していたと想像する。
    そう、“彼” である。

    彼の出現で、日本国民のほぼ全員が偏向推理に向き
    こんなにわかりやすい事件なのに、何故早く解決しない? と
    香川県警は無能と決め付けられ、とんだとばっちりを受けたであろう。

    人はしたい格好をし、言いたい事を言う権利がある。
    しかし、それを他人がどう思うかも自由である。
    この “他人の判断” には、大まかな法則があり
    それを学習するかしないかが、人生の分かれ目になる。

    自分のテリトリー内のみで、好きな言動をやってるならまだしも
    TVに出るのに、公私の切り替えが出来ないのなら出たらいけない。
    他人がどう思うかを計算せずに出る場合は、非難を覚悟するべきである。

    それが被害者遺族なのに加害者扱いをされてもいいほどか?
    と問われるかも知れないけど、他人の目はそれだけ厳しいものだ。
    訴えたい気持ちがいくらあっても
    万人に指示される自己プロデュースをする余裕がないのなら
    被害者家族は無闇にマスコミに出ない方が良いと思う。

    私などでも妙な言動と趣味で、真っ先に容疑者扱いにされると思うぜ。
    レンタルビデオ店の私の貸し出しリストなんか
    ホラーホラーホラー心霊心霊戦争サスペンスヘビメタパンク と
    今にも大量殺人を犯しそうな勢いだし。

    陪審員制度など実施すべきではないんじゃないか?
    素人に判断を任せると、冤罪が増えそうで恐いぞ。

    だから見た目で悪く判断されるヤツの
    激怒や絶望する気持ちも、身にしみてわかるけど
    自分はこうだからしょうがない、と周囲の反応を受け入れるか
    己を省みて改善しようとするか、どっちかを選ばなくてはならない。

    突然の惨劇に動揺して、わけのわからん対応をする気持ちもよくわかる。
    父の変死の時の、うちの家族もひどかった。
    各々が個性丸出しのパニックを起こしてしまっていて
    あれでよく事件だと疑われなかったもんだと
    今思い返しても不思議である。
    誰も悲しんでいなかった。 それどころじゃなかった。
    家族の死を実感するのに数ヶ月~数年かかる事もあると、よくわかった。

    よって突然死時の家族の応対の変さ加減は、私には理解できるのだが
    それは経験がない他人には、わからないものだと割り切る、
    社会的想像力を持っていないとダメだと思う。

    ようするに自分を知って、わきまえてないと
    人前で自己主張をしたらいけないと言う事だ。
    本人に客観性がないのなら、周囲の人が忠告してあげるべきだった。

    今回の事件では、私は最初から彼が犯人だと断定していた。
    この推理を、とても恥じている。
    しかし、また似たような被害者家族が出てきた場合
    同じ轍を踏まない自信は正直言って、ない。

  • 美容のエスカレート

    これ、多くの女性はものすごく心当たりがあると思う。

    たとえば、マニキュアを1度したら
    塗らないと爪が裸のような気がして、落ち着かないとか
    アイラインやチークなどの効果に気付いたら
    その部分のメイクが、どんどん太くなったり濃くなったりするとか
    口紅の色が日々濃くなるとか
    美顔器の効果に舞い上がり、毎日やっちゃうとか
    お手入れアイテムがどんどん増えるとか
    完璧に汚れを落とそうとするあまりに
    毎日クレンジングを2度繰り返すようになってしまうとか。

    いかに余分な物をそぎ落としていくかが、人生の命題なのに
    真面目なヤツは、貯蓄に走ってしまう。
    しかし何事もやり過ぎなのは逆効果で
    それは美容にこそ、ピッタリ当てはまる鉄則なのである。

    何故こういう事を言い出したかと言うと
    今現在、私自身がこの “やり過ぎたい”
    という気持ちと、闘っている真っ最中なのである。

    何をもっとやりたいのかと言うと、ファンデーション。
    ファンデは肌のアラをカバーするものじゃなく
    肌全体に何となく統一感を与える物だと
    あーれーほーどー、自分で語っておきながら
    使い始めると、もっとカバー力がある方が良いんじゃないか?
    とか、高望みをしたくなってくるのである。

    ファンデを再開したら、以前は塗らなくてもそれほど変わらなかったのに
    取った年の分だけ、ファンデの効果が実感できるようになるのか
    やっぱ塗ると塗らないとでは、微妙に華やぎが違うんだよー。
    周囲の評価も上々だし。

    こうなると、更に完璧を目指してしまうじゃん。
    シミ1個ない肌に見せたくて
    しかもラクにそれをしたくなって、ファンデに依存心が出てくる。

    私の使っているファンデは、普通のより何段階も薄付きなので
    もうちょっとカバーを求めても許容範囲内になるんだが
    その欲求がエスカレートしていくのが恐いのである。

    今までの経験上ひとつ容認すると、もっともっととキリがない。
    自分の肌だけを見ていると、客観性がなくなり
    「自分はもっとキレイな肌だったはず」 とか
    過去の幻想に引きずられ、無意識に肌を作りすぎる。
    ここが厚塗りババアになるかどうかの、踏ん張りどころなのだ。

    カバーはコンシーラーとコントローラーでするんだよ
    しっかりしろ、持ってる理論は間違ってはないはず
    いらん夢を見らんと、地道に行けよ、私!