• ワイルド・スピード

    せせくりまくった愛車レビンを手放してから
    憑き物が落ちたかのように、車に興味が失せた私。
    今では、車種の見分けすら付かん有り様。

    映画 “ワイルド・スピード” を観たのは3回目。
    はっきり言って、面白くも何ともねえ。
    何で観るかっちゅうと、単に裏番組が面白くないからである。

    アメリカには、“コンパクト・カー改造マニア” な
    若者たちがいて、彼らに人気なのは、日本車。
    この映画は、そういうヤツらの話らしい。

    出ている車も、ほとんどが日本車らしいが
    どれがどれだか、さっぱりである。

    ボディの強度も考えず、無理矢理パワーアップさせて
    最高時速のみを競うバカモノどもを観つつ、ぼんやりと考えた。

    日本車メーカー、バカじゃねえ?

    世界の車と、何の競合をしたいのか、よくわからんが
    日本人と外国人では、車に求めるものが違うような気がする。

    日本人は車がステータスなので、大事に手入れし
    燃費やフォルムや居住性、利便性など、きめ細かく要求する。
    が、あいつらは、そんな事は1mmも考えちゃいねえぞ。

    車内にはコーラの空き缶やポテチの袋が散乱
    ダッシュボードにはカートリッジガン
    シートにはコーヒーのシミ
    ハンドルはドーナツの砂糖でベトベト

    窓は手で拭い、洗車は近所の高校生のバイトお願い時のみ
    塗装の色あせも、傷も、ヘコミも、錆びも、模様と認識

    荷物をボスボス投げ込み、ドアをガーンと閉め
    バンパーはぶつけるためにあるので
    ビッチリ縦列駐車をした前後の車を
    自分の車でガッツンガッツン押しのけて走り去る

    ギアボワボワの、サイドブレーキゆるゆる
    ブレーキのフットパネルはパッコンパッコン
    走行中は、ドアバネル内部のどっかでボルトがカラカラ鳴り
    グレート肥満が乗るので、左のスプリングだけヘタっている

    米大使館経由で苦情がきそうだが
    それが私のアメ車のイメージ。

    日本メーカーにゃ、この味は出せんだろうーーー。

    そこで、海外で日本車を生産する時は
    同じ土俵で戦わず、日本独自の個性を出す方が良いと思う。

    単に車名を日本風にしとけばいいのだ。
    バイクではあるだろ、カタナとかニンジャ。
    それプラス、タトゥーで人気の漢字にして
    筆文字のエンブレムを付けるのだ。

    “富士山” “芸者” “寿司” “天麩羅” と
    生半可日本ツウにおなじみの車種名にする。

    マニアには “願堕夢” “婦離宮亜” “聖羅亜無雲”
    “宮崎兄目” “似次元萌絵” “大田区” “冥土” など。

    車自体を真面目に作っていれば
    こういう単純な戦略で通用すると思うが、物足りないヤツには
    白黒の塗装で、“霞ヶ関警視庁” と、両サイドに入れ
    車種名は “百十番” ってのは?
    海外なら規制には引っ掛からんだろ?

    想像すればするほど、すげえ良い案に思えてくる。
    絶対に話題になるって! (どういう意味でかは保証できんが)

    言い出したのは私だから、もし実現化する時は
    粗品のひとつも持ってくるのが筋だぞ、メーカー。

    肝心の映画の内容は、何故か何度観ても覚えない。
    えーと、カーアクション?
    日本車好きにはお勧め。 (あからさまに無責任)

    こんだけ興味が薄いのに
    何故か2も観たので (こっちも覚えてない)
    多分、3も観るんだろうなあ。

  • 香水探し

    犬猿の仲だった、飼い犬アフガンハウンドと
    (という事は、私が猿か!)
    唯一、気が合ったのは、香りの趣味であった。

    私の場合、外見のみだとスズランや百合などの
    単品フローラル系が好みだろう、と、誤解される。
    まったく、どんだけ清楚に見られてるんやら、困ったものである。

    私の性格を知ってるヤツには
    「シトラスやグリーンの、あっさり爽やか系が好みかと思った」
    と、よく言われるので、過去にプレゼントされた香水は
    ほとんどがルームコロン、もしくはトイレの芳香剤になっている。
    (今、サラッと恩知らずな事を告白した気がする)

    私の好みの香りは、ムスクなどの動物系や、白檀などの宗教系。
    今では珍しい、重い香りなのである。
    簡単に言えば、大抵の香水のラストノートで香る類の匂い。

    シトラスやフルーツの香りが嫌いなのだが
    今のほぼ全部の香水のトップノートに、これらが使われている。
    最初から重苦しい匂いの香水は、今の新製品ではほとんどない。

    最初の頃は、ゲランの夜間飛行を使っていたが
    これもトップは爽やかなのが不満で、あれこれ物色していて
    ここで役立ったのが、アフガンハウンドだった。

    嗅覚というのは、体調によってまったく変わってくる。
    香水を試す場合に、この微妙な体調が問題になるのだが
    鈍なので、自分の体調がどうなのかがわからない。

    そこで、香水のサンプルを貰い、アフガンに嗅がせるのである。
    嫌いな匂いだった場合、ブシュブシュくしゃみをしながら逃げる。
    好きな匂いの時は、シンナー吸引者のように
    いつまでも鼻をくっつけて、スーハーやっている。

    ただし、どんだけ我がままなんか
    嫌いな香りを嗅がせた途端、逃げ出し
    「ちょ、待て、もう1個あるんじゃあ!」 と
    タックルして嗅がせるも、既に機嫌が悪くなってて
    ヘタすると、そっからバトル勃発したりして
    一度に1種類しか鑑定してもらえない事も多々あり
    効率はひどく悪かった。
    仲もより一層、険悪になるし・・・。

    しかし、アフガンが好む匂いは、必ず私の好みなので
    こいつを利用して、定番の香りを3つ見つけられたのである。

    この利き香水? は、アフガン固有の技だったようで
    ゴールデンレトリーバーの方は、私が何をしても
    初手から被害者ヅラでフリーズしてくれていたので
    まったく役には立たなかった。

    ちなみに、私の定番の香り3つとは。

    まず、Y.S.Lの “Y (イグレッグ)”
    GUCCIの “No.3”

    上の2つは好きだが、私の清純なイメージには合わないと思うので
    外出用に、柔らかいフローラルブーケ系の
    ポーラの “コンペフレグランス 1994”。

    ポーラは、世界の調合士を集めて
    香水のコンテストをやってた時期があって
    1994年の題は、“ファム・ファタル (運命の女)” だった。

    この香りは、知る人ぞ知る (早く言えばまったくの無名) 香りで
    デパートのポーラカウンターでも、取り寄せないと買えない。

    ものすごく良い香りで、誰も付けてないので
    本当は、自分だけの秘密にしておきたかったのだが
    あまりにも誰ひとり知らないので (でも褒められるぞ)
    売れずに廃番になるのが恐いから、ここに書いたのである。
    でも、もう既に売ってないかも・・・。
    どこを探しても、画像すらないし。

    かろうじて、イグレッグとNo.3は、まだ細々と売られているが
    正直、時代遅れの香りだし、私のお上品なキャラとは合わないので
    家の中のみでしか使えない。

    他に探そうとは思っているが、今売られている香水には
    まず私の好みはない、と断言できるので
    いまいち探索の旅に出る気がしないのである。

    今回は、いたるところにさりげなく自賛を散りばめられて
    とても気分良く書けた。
    楽しい週末が迎えられそうだ。

  • 飲酒運転

    飲酒運転による事故の多発が問題になっているが
    私も過去に一度だけ、飲酒運転をした事がある。

    当時の彼氏が、「先輩に呼ばれたから」 と言うから
    一緒に付いて行ったのが、居酒屋だった。

    「車で行ったから飲まない」 と言っていたのに
    彼氏はちょっと飲んだだけで、いきなりベロンベロン。
    (私はお酒が嫌いなので、一緒に飲んだ事がなく
     彼氏がお酒に弱いと、その時初めて知った)
    どう見ても、運転は危なすぎて無理。

    その頃は、代行の存在を知らなかったので
    「運転する」 と、言い張る彼氏を制止し
    やむなく、私が運転して連れて帰ったのだが
    私も乾杯の時に、ビールに口をつけていたんだ・・・。

    車で行ったくせに飲酒するなんて、信じられねえ
    ついて来なきゃ良かった、と、頭にきたのを覚えている。

    もちろん飲むのを止めたのだが
    先輩たちも全員、車で来ていてガンガン飲んでいる。
    そんな中で私が口を出すのは、彼氏の顔を潰す状況だったのだ。

    でも、どんな状況であれ、飲酒運転をしたのは事実で
    これは私の人生の汚点になっている。

    もひとつ、飲酒運転に関する体験。

    友人の結婚式が田舎であった。
    会場は公共交通がなく、車で行かないと無理な場所。
    タクシーは地元には1台しかない。
    呼ぶなら離れた町からで、そこも台数は少ないのだ。
    私も出席する友人を数人乗せて、運転して行った。

    私はジュースを飲んでいたのだが
    対面に座っていた同級生 (女性) が、私にお酒を勧めた。

    「運転しなきゃいけないから」 と、断ったら
    「でも、皆、車で来てるんだし
     お祝いだから、飲まなきゃ失礼よ。」 と、言った。

    あああああああああああああーーーーー?

    絶対に飲まなきゃいけないのなら
    何でこんなヘンピな場所で披露宴をするんだよ?
    飲酒運転で何かあったら、代わりに責任を取ってくれるんか?
    モラルのないヤツに、「失礼」 なんて言われる筋合いはない!

    と、ものすげえ腹が立ったので、無言でジロリと睨んだら
    そいつも黙り込んだので、そのまま流したのだが
    あれ以上言われていたら、噛み付いただろうな。

    一応ついでもらい、口をつけるマネをすれば良かったのだろうが
    とてつもない怒りで、それすらしたくなかったのである。

    両隣に座っていた、私の車に同乗した友人たちは
    私の頭上に燃え盛る、激しい怒りの炎でも見えたんか
    自分たちも飲むのを止め、「抑えて・・・」 と、小声で言った。

    お祝いの席で、ついうっかり激怒オーラをボウボウ出したのは
    どんな言い分があれ、まことに失礼だったと反省している。

    “飲ませた人も刑罰の対象になる” と、改正されたのは
    こういう風潮からではないのだろうか。

    九州では、「飲まなきゃ男じゃない」 というような感覚があり
    男性同士の付き合いには必ず飲酒が付きもので、泥酔は日常行為。
    それを妻や彼女が注意しようものなら
    “男の付き合いに口を出す女“ と、悪評が立ってしまうのだ。

    夜、自宅に遊びに来た客にお酒を出すのは当然。
    交通が不便な場所では、車で移動するしかなく
    飲酒運転も普通に行われる。

    というか、車社会の地方は、繁華街以外の場所にある店は
    たとえ居酒屋でも、駐車場完備じゃないと客が来ないのである。
    代行があっても、昔からそういう習慣なので
    「車があるのに何でタクシーなんだよ」 と、思うようである。

    奥さん側も、そういう環境に育っているので
    「男だから飲酒は当然」 と、思う女性も多く
    そういう人は、同じ穴のムジナで夫を放任しているし
    飲酒を苦々しく思っている奥さんなら、なおさら
    わざわざ夫の飲み屋通いに、送り迎えなんてしたくもない。
    ましてや、タクシーを使ってまで、と思うのも仕方がない。

    私の場合は、父親が酒乱だったので
    飲酒をする人自体が嫌いだから、仕事関係の飲み会以外は
    家であろうが、外であろうが、日常の飲酒は一切禁止、と
    鬼な態度を取らせてもらっていた。

    ま、これは、うちの家とその周囲が異常な飲み方をするだけで
    普通の人の飲み方は違う、と、最近知ったので
    今後付き合う人には、飲酒は禁止しないけど
    「あなたが飲むなら、私も飲みます。
     ただし私の酒量は凄いから。」
    と、肝臓を張ってでも、けん制したるわ。

    飲酒が習慣の人には、どうしても嫌悪感がある。

    それに、するなと法律で禁止されている事をする、という
    モラルのなさにも、とても腹が立つ。
    しかもそれが、私の嫌いなお酒絡みなので、余計に。

    何で飯の時に酒を飲まにゃならん!
    飯だけ食えよ、何が不満なんだよ!
    と、ワインですら腹が立つほど、お酒が嫌いなので
    飲酒目的で、しかもそれで車で行くなど言語道断。

    おう! 私怨だよ!
    だが珍しく法と適合してるんで、胸を張って正当化したるぜ。

    飲酒運転をしたら、無事故であっても、無条件で免許剥奪でいい。

    昔、夜勤専門の人が、寝る前の飲酒のせいで通勤途中に捕まって
    裁判を起こして、無罪を勝ち取った事例があったが
    そういう事情なら、休日前にのみ飲めよ。

    血液中に少しでもアルコールが検出されたら免許剥奪。
    養命酒であろうと、運転前に飲むな!

  • ジーンズを買った

    関西に来て、何を思いっくそ気を抜いてるんだか
    ジーンズばっかり履くようになってしまったわけだが
    洗濯を繰り返していたら、色がかなり薄くなってきたんで
    そろそろ新しいジーンズが欲しくなってきた。

    ジーンズにこだわりはないので、と言うか、詳しくないので
    そういう時は、デパートに直行。

    デパートのジーンズ専門ショップに来て、ひと回りしたが
    何が何だかさっぱりである。

    そこで、近くにいた店員さんをとっ捕まえ
    「今履いているようなストレートのシルエットので
     色を落としてない、何て言うんですか
     ケミカルウォッシュなし? で、クラッシュなし?
     よくわからないけど、とにかく濃い色の普通のが欲しいんです。」
    と、的を射ない要望だけ伝えて、初手から全任せをする。

    どこまでポヤンか、サイズもわからないので
    店員さんが、私の履いているジーンズの腰のとこを
    わざわざめくって確認してくれた。

    で、持ってきてくれたジーンズを履いたのだが、これがきっつい。
    店員さんに、苦しいよー、と訴えると
    「このサイズでいいんです。
     今までのが大きすぎるんですよ。」 と、ピシャリ。

    「じゃ、せめてストレッチ素材ので頼みますー」 と
    泣きついたら、えれえ細いヤツを持ってきた。
    スパッツのように、パッツンパッツンなのだ。
    これじゃ、尻も足もラインくっきりじゃん。
    ボディコンだろ、こりゃあ。

    この店員さん、自分もほっそりしているからか
    すんげえスリム信仰みたいなんがあるようで
    「ジーンズのシルエットは、流行があるけど
     今は比較的、色んな形がアリなんですよ。
     細いのを履ける人は履くべきだと思いますよ。」 と、力説する。

    メイクもネイルもばっちりの若い姉ちゃんに
    そう言われると、何かそういう気もしてくるが
    あまりに細いのも、貧弱でみっともないと思うんだよな。

    「ほら、ここなんか余ってシワが寄ってるでしょう?
     せっかくだからジャストサイズを履きましょうよ。」
    と、自信満々の店員さんを振り切って
    「でも、私の場合、年齢的にまずいでしょうーーー」
    と、実に不本意なセリフを言ってまで
    ワンサイズ大きめのジーンズにした。

    ここで自慢をイッパツ。
    「足が長いから、あまり裾直しはいらないですねえ」

    ほーっほっほっほほほほほ

    でも、今回の買い物では、そんなに褒められなかったので
    虚栄心を満足させてはもらえなかった。 チッ・・・。

    もっと、ふんぞり返って高笑いできるほど
    褒めて、褒めて、褒めてまくってくれよ。
    こっちはそれで、1か月は天狗になってられるんだよー。
    幸せも売ってくれよーーー!

    大体さ、今回の店員のお姉ちゃんは要求が厳しいんだよなあ。
    全身タイツ並みのフィットジーンズなんか、年齢制限があると思うぞ!

    買ったばかりのジーンズを履いて、デパートをウロついていて
    ジーンズを履いている女性をチェックしまくったのだが
    比率的に、ダボダボのを履いている女性の方が圧倒的に多い。

    売っているって事は、時代遅れではないという事だろうが
    定番のファッションでも、微妙に流行ってあるじゃん。

    これで良かったんだろうか・・・と、不安だぜ・・・。

  • “書く” という事

    毎日毎日、ブログに、よくこんなに書けるもんだというほど
    はた迷惑な自信満々で、くだらん事を書きまくっているが
    「書きたくない」、「書けない」 って時もある。

    書けない時はどういう時か?

    私の脳みそは、起きている時はノンストップフル稼働なのだ。
    外見は、ボーッとしているように見えるが
    実は脳内では、延々と思考が流れている。

    これは自分の意思ではない
    というか、すげえ迷惑。

    何せ、本を読んでいる時も、映画を見ている時も
    関係ない思考が割り込んで、途中で筋がわからなくなるので
    その思考をストップさせたいがために
    雑誌を読みながらとか、片付けをしながらとか
    他の事を同時にしなければならない。

    こう書くと、一種のキ○チガイに思えるが (伏字になってねえ!)
    「そうではない!」 とは、否定できない自分が不思議。

    この “思考” というのは、どういうものかと言うと
    タメになる考えなら、ちっとはありがたいのに
    これがまた、見事にくだらん事ばっかりで
    しかも、ひとつの種類が続くのではなく
    次から次へと別の話に飛んでいくので、手に負えない。

    なるべく余分な事を考えられないように
    日常では、合間合間にパズルやゲームで、脳を休めている。

    しかし、この思考を何とか繋ぎ合わせて、ブログに書くと
    その書いた種類の話が、しばらくナリをひそめるので
    脳内に流れる思考の数が減って、まだラクになるのである。

    現在の私にとって、ブログを書くのは一番の脳休めになっている。

    ところが最近、年を取ってボケたせいか
    とめどない思考の河が、ゆるやかになる時が出てきた。

    そういう時は、脳みその動きが全体的に鈍くなって
    生活的に支障が出るのが難点だが
    頭が疲れないだけでも、とてもありがたい。

    だが、こういう時は、ブログが書けない。

    それでも何とか書こうとする事で
    せっかく穏やかに休息している脳を疲れさせてしまい
    どっちに転んでも、結局は疲れて、ちょっと不幸。

    こういう状態の時の文章は、多分読んでてわかると思う。
    いや、元々マトモな文を書けてはいないのだが
    それプラス、散漫にとっ散らかした話題、
    やる気を何ひとつ感じさせない文章、強引な終わり方、
    結局ひとつも出ていない結論、と、いたれりつくせりで
    ようするに何が言いたいんだよ? というような内容である。

    では、書きたくない時は?

    (読んでいるヤツが一番わかると思うが)
    真面目に真摯に、持論を述べているつもりだが
    読み返すと、「私、バカじゃねえ?」 と
    自分でも思う事が、多々ある。
    10のうち、8ぐらいそう。
    (2つはマトモなつもりなんかい! という突っ込みはすな)

    自分肯定で言えば、“ちまい事にこだわらない”、
    的確に言えば、“ザツ!” な性格なので
    いつもは、「ま、いっか。 しょせん “私” だし。」 で
    心のどっかの箱に、その疑念をほたりこんでいる。

    しかし、それが溜まりに溜まると
    さすがの私も、自己嫌悪に陥る時がある。

    いきなり、何か人間らしい気持ちになってしまい
    「私って何でこんなにバカなんだろう・・・」 から始まり
    「こんなのを公共の場に出して良いんだろうか?」
    「すげえ恥さらしじゃないのか?」 と、きて
    とどめが 「私、生きてる価値があるんだろうか?」 と
    心が風邪をひいたんじゃねえ? ってぐらいに、落ち込むのだ。

    こうなったら、書くのがとても恐い。
    無難な話題に終始しようと、逃げ腰になる。

    が、この “無難な話題” が見つからず、とても苦労する。
    美容話は、自画自賛をしなきゃ損をした気分だし
    時事系や犯罪系は、基本が鬼畜な意見なので、とても書けない。

    やむなく日記調になるのだが、微妙に自己批判が入って
    読み返して益々落ち込み、うっとうしい事この上なし。

    こういう状態の時も、読んでてすぐわかると思う。
    弱気だし、善人ぶっているし、えれえ卑屈である。

    この、書けない、書きたくない、の周期は決まっておらず
    いつ起こるのか、何日続くのかもわからない。

    元々気分のムラが激しいので、一日だけって時も多く
    ヘタすりゃ数時間単位で変わる時もある。
    行き当たりバッタリの綱渡り脳みそを持つと、とても辛い。

    落ち込み状態は少ないが、ボケは最近ひんぱんで
    私の文豪生命も、そろそろ終わりに近付いたかな? って感じ?
    (今日は、行け行けオラオラか? ほほほ)

  • 顔のけいれん

    右目の下が、ピクピクとけいれんするようになり
    ひどい時には、一日中ピクピクして、しまいにゃ痛くなってくる。

    この症状で思い浮かぶ病名といったら

    ・顔面けいれん = 神経性
    ・顔面マヒ = 神経性
    ・ヘルペス = ウィルス感染 o r 神経性
      (注: 全部思い込み)

    うーん、私なんか悩みでもあるんだろうか?

    こうやって書くと、アホウみたいに聞こえるが、真面目な疑問である。
    どうも私は、ストレスに気付かず
    体に変調を来たす習性があるようで、これは結構、切実な問題なのだ。

    ま、毎度の事だが、考えてストレスの所在がわかるぐらいなら
    最初から気付いてるというもんだ。

    でも、一応調べてみるか。
    と、ネットで検索をしたら
    何たら (忘れた) という病気があって
    それは脳の血管が詰まって、顔の神経を圧迫して
    顔のけいれんを起こすらしい。

    これだったら やべえ!

    私の血液は、すげえ薄い赤で、サラサラで
    とても詰まりそうにないんだが、実は薄赤色の汚れかも知れん。
    というか、血管が蜘蛛の糸のように細い恐れもある。

    やべえ、超やべえ!

    と、若者ぶって気を紛らわせつつ、いつもの病院に走った。

    これって、よくあると思うんだが
    たとえば、電化製品の調子が悪いので
    修理屋さんを呼んだ時に限って、真っ当に動きやがる罠。

    これと同じで、ほぼ連日けいれんしていたのに
    その日もけいれんしてたのに、病院に行った途端止まってしまった。
    ああああーーーーー、証拠消滅ーーーーー!

    帰ろうかとも思ったが、一応受診。

    私 「ここがけいれんして、痛いんですが・・・。」
    医 「ああ、それは目の疲れですねえ。」
    私 「脳の血管が詰まってたりとか・・・。」
    医 「それはないです!」
    私 「絶対ないですか?」
    医 「ないです。 安心していいです。」
    私 「じゃあ、精神的なものの可能性とかは?」
    医 「それもないです!」

    何か、やたら力強くキッパリと否定されたので
    どうしてそこまで断言できるのかと、不思議だったが
    とりあえず、目薬を貰って帰った。

    凄え! 凄えよ!
    言われた通りに目薬をさしていたら、3日で治った!
    主治医、2度目のグッジョブ!!!

    何科かもわからん、どうもいい加減っぽい医者だと思っていたんだが
    やっぱり1年も通院していたから、理解してくれてるんだなあ。

    よく、自己判断で貰った薬を加減したり
    ちょっと症状が改善したから、と通院を止めたりする患者がいるが
    私は真面目なので、担当医の言われた通りにキチンと治療する。
    その優良な患者ぶりが幸いしているのかも知れん。

    (肝臓という意外な部分に、わけのわからん支障が出たんで
     ビビって、より一層、生真面目に通院しているのもある。)

    とにかく、“目の疲れ” という事に搾って原因を究明したら
    どうやら私の目は、紫外線に弱くなっているらしい。

    帰省の飛行機の中で、ウキウキと窓から雲の海を眺めていたら
    急に目が痛くなって、どうしたんだ? と、慌てたし
    部屋の模様替えをして、窓に向かって座るようにしたら
    目がすごく疲れるようになって、一日カーテンを閉める
    陰気くさい生活状況になってしまったし
    外出で一歩外に出た途端、目が痛くなるので
    最近は、UVカットサングラスが手放せなくなったし。

    ・・・てか、ここまで状況証拠が揃っているのに
    何故、さっさと気付かないのか、一体どこまで鈍感なのか
    ほんと自分の感覚が信用できんわ。

    皆、目回りがけいれんしたら、目の疲れを疑うんだぞ。
    でも病気の場合もあるから、一応病院には行った方がいいかも。

    ところで、06年8月9日に書いた “下痢!” で
    「暑くなると、どうしても胃が疲れて下痢をする」
    と、結論付けたけど、その後様子を見て
    「エアコンで快適な温度にした部屋に
     一日いる場合は下痢をしない」 という事が判明した。

    熱気ムンムンの場所と、冷房の利いた部屋を行き来などの
    短時間での気温の激しい上下が、体の負担になるのか
    それとも、暑い事自体が胃の負担で
    エアコンは体に悪いと言われてるけど、胃にとってはラクなのか
    の、どっちかだと思うんだ。

    それ以来、暑いとこはとことん避けられる状態で
    スタバのフラペチーノを飲んでいるが、下痢にはなってない。

    「あっついから冷たい物がほしいー」 が、一番悪いみたいだぞ。

  • 子供の安全

    兵庫だっけ?
    女性看護士が子供に危害を加えたよな。
    この事件を見て
    「ああああああ、女性だからって、ウカツに
     よそんちの子供に近づけなくなったあああああ」
    と、ガックリきた。

    いや、私の場合は、まず子供に近付く事はないんだが
    もしも子供が道端で泣いてたら、どうすりゃいいんだ?
    幼児がひとりでいる場合も
    危なくてしょうがないから、見過ごせんだろ。

    それで心配して声を掛けたら、こっちが変質者扱いをされかねん。
    これじゃ地域で子供を守るのも難しくねえかあ?

    てか、こんな時代に、子供を放置するなんて
    ありえん! と、思うんだが、これが結構いるんだよな
    ひとりでフラフラしているガキ。

    おいおい、大丈夫か? と、気になるが
    どうしても声は掛けられない。

    すまん、すげえ暴言だとわかってはいるが本音を書く。

    こんだけ子供が被害者になる事件が続発しているのに
    それでも子供から目を離すような親は、絶対にドグラだと思う。

     子供がひとりでいる
       ↓
     「どうしたの? お母さんはどこ?」 と、声を掛ける
       ↓
     そこにお母さん登場
       ↓
     「うちの子に何をするの!!!」 と、いきなり不審者扱い
       ↓
     警備員とか呼ばれて、子供から目を離した事実は棚に上げ
     ヒステリックに被害者ヅラされて大騒ぎをされる
       ↓
     とても面倒くさい状況に陥る

    こういう流れを想像して、それだけで恐怖。
    (人に言われる前に自分で言っておく。 「妄想おつ!」)

    だって、電車の中で子供の迷惑行為を放置して
    人に白い目で見られる母親って
    「ほら、おじさんが睨んでいるからやめなさい」 だもん。

    この話ってよく聞くので、都市伝説のたぐいかと思ってたら
    本当に目撃して、すんげえ驚いた記憶がある。
    という事は、それだけこういう親が多いって事じゃん。

    ・・・とはいえ、活発な子供から
    一瞬たりとも目を離さないのは、至難の業だと思う。

    チョロチョロする幼児って、まるで小うるせえ座敷犬のようで
    見ているだけで、グッタリ疲れる。

    公園でのお母さんなんか、遊ばせに来ているのだから
    捕まえておくわけにもいかず、後ろを小走りで追いかけていて
    子供は、ノッキング起こしている車のように、カックンカックンで
    3歩進んで2歩下がるような変則的な動きで
    しかも2mごとにコケかけて、お母さんが慌てて支えて・・・
    の繰り返しで、うわ、何かおおごと・・・、という感じ。

    こんな調子の子供なら、すぐどっかに紛れ込むって。
    ほんと、母親ひとりでの無事故な子育ては難しいと思う。

    ようするに、一部のドグラな親と変質者のせいで
    地域ぐるみの子育てが困難になっているんだよな。
    この悪循環、どうにかならんかなあ。

    うーん・・・・・
    読み返してみると、私がやたら子供好きの良い人に思えるが
    実際はその逆で、子供は苦手な悪党さ。

    でも、子供は大人の前身で、社会の宝なので
    好き嫌い関係なしに、健全に守り育てていかなきゃと思うんだ。

  • 祝・紀子様ご出産

    しかも、待望の男子誕生である。

    これを日本の神のご意思と見るか
    偶然と見るか、計画的と見るか。

    もちろん計画的だったんだろうけど
    それじゃ神話として面白くないので
    すげえ深読みしまくった推理でも考えてみよう。

    言っとくが、これは毎度の 「こうだったら面白いのに」
    という私の願望的推理なので、本気にしないように。

    皇室典範改正の動きが出て、事は始まった。

    男系を維持するためにも、改正を避けたい。
    当然、男子出産を計画する方法を取る。

    男女の産み分けは98%ぐらいで成功するという説もあるが
    それだったら、典範改正などする必要はない。

     : というか、典範改正の理由は
     : 「男児が産まれにくい」
     : 「皇太子妃の負担を軽くする」
     : をうたっているが、本当にそれだけなのだろうか?
     : 何か他にも目的がある気がするが
     : それが何なのかがわからないんだよな。

    妃殿下に妊娠してもらってもいいのだが
    必ず男子が産まれるとは限らない。
    そこで一番確実な、代理母とか養子の形を取る。

    ご病気中の雅子様にこの役目は無理。
    性格的にも 「妊娠出産は自然じゃないと」 とか言って
    受け付けなさそうである。

    白羽の矢は、秋篠宮に立つ。
    皇族としての自覚の強い方だし
    古い家柄というのは、養子などに抵抗がないものである。

    摘出した精子と卵子を使ったのかはわからないが
    人工授精だと、卵子の核を刺激するので
    ひとりで産まれる例がほとんどないとも聞いた。
    それに、人工授精で代理母にする必要もない。

    そこで、この時期に出産予定で、男子だとわかっている
    秋篠宮に似た相手を持つ妊婦を用意 or 探す。

    平民の私たちよりも、宮内庁の方が情報入手は早いはず。
    早産、遅産を加味して、準備期間は半年ぐらいはあったはず。
    現に予定より早い出産だったし。

    もしかして、精子は秋篠宮ご本人のものかも、だが
    それで女児を妊娠したら、庶子が増えてしょうがない。

    だから、完全養子という方法になった。

    こういうバカな噂が流れないように
    出産に民間病院を選んだのかもな。

    何かすげえ余裕で、サラッと男子出産をしたもんで
    マジで皇室には神の力があるのかも、と、思わせるよな。

       ご出産おめでとうございます。

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     祝・紀子様ご懐妊」

  • だらしなさは凶器

    ほんのちょっとの手間を惜しんで
    いらん被害が拡大した経験って、誰にでもあると思う。

    ゴミ箱にゴミを投げ入れようとして、入らなかった
    なら、まだしも、投げたゴミがゴミ箱を倒して、ゴミが散乱。
    掃除までせにゃならなくなった、とかは定番。

    照明のヒモを、背中を向けつつ引っ張ったらヒモが切れた。
    (修理できず、新しいのを買いに行くハメに)

    足で物を取ろう、引き寄せよう、として、ツる。

    天袋に収納しようとして届かず
    脚立を持ってくるのを面倒がって、投げ入れたら
    入ってた物がすべて頭上になだれ堕ちる。

    洗い物をしていて、お湯が沸いたので
    慌てて足で火を止めようとして、ガス台を超キック。

    冷蔵庫のドアを、勢い良く蹴って閉めたら
    中の物が衝撃で倒れ、ドアが押し戻されて開き
    度重なった振動で、冷蔵物が飛び出す。

    これらは、ほとんどの人がやっていると思う。
    が、年を取っていく毎に、どんどん問題が出てくる。

    人は何かをする時に、最小限の動きで済ませようとする。
    これが腰痛持ちなんてのになったら
    手を伸ばして、取ろうとか置こうとかして
    グキッッッッッとやってしまうのだ。

    ああ・・・何であと1歩を踏み出さなかったのか・・・
    と、湿布を貼りつつ、激しく激しく後悔する。

    多分、年寄りになればなるほど
    こういう問題は、より切実になりながら増えていって
    しまいにゃ、命に関わるようになるんだろうなあ。

    足を踏み出したら、アキレス腱が切れたとか
    振り向いたら、首の骨を折ったとか。

    だから、まだ健康的に支障がない今の内に
    面倒くさがらずに、ひとつひとつの行動を
    慎重に丁寧に行うように、クセをつけた方がいい。

    ・・・・・丁寧に生きよう、と提案している端から
    否定するような事を言い出すが
    私は、1個だけザツに対処している事がある。

    落ちようとした物は、絶対に放置するのである。
    落ちるんなら落ちやがれ、ってもんだ。

    食器を洗っていたりして、つい落としてしまった時に
    受け止めようとしたら、叩き飛ばしてしまい
    それが、遥か彼方の冷蔵庫に当たって割れた。

    何をアタックしてるんだよ
    フツーに落ちた方が、食器も無事だったんじゃねえか? と。

    これだと、食器の損失と掃除だけで済んだので
    落ちかけている物を救う行為は、まだ止められない。
    落ちそうになると、反射的につい受けてしまうんだよな。

    だがある日、「あっ、落ちる!」 と、茶碗を掴んだ手が
    流しに激突し、激しく突き指するは
    爪は逆さに折れ曲がって割れるは、痛いどころの騒ぎじゃなかった。

    もし、これで骨折でもしていたら
    たかが数百円の茶碗をかばったための
    治療費やら不便さやら、ほんと割に合わねえ!!!!!
    と、気付いて、それ以来、去る物は追わずになった。

    たまに、反射してしまう事もあるし
    余裕で止められたんじゃないか? と、思う場合もあるが
    オノレの “状況による的確な判断” が
    まったくこれっぽっちも信用できないので
    とにかく 「落ちゆく物は全落とし!」 を心掛けている。

  • 開運の鍵

    気分的にすぐれない、とか、調子が悪い、とか
    最近イヤな事ばかり、という時ってあって
    貧乏神が自分ちの上空に停滞してる、って感じで
    こういうのって、原因とかないのに続いたりするよな。

    そういう場合は大抵、思考も空回りしてるので
    無理に外部に向かって動いても、ロクな結果にならない。
    まずは自分のテリトリー内をどうにかするべきだ。

    この時のポイントになるのが 光、風、匂い である。

    書いたら、妙な宗教っぽくって自分でもビックリだが
    妙な自己啓発にもこれは適用されているんかもな。

    ようするに、臭くて空気がよどんでいる暗い家にいたら
    当然のごとく、気分的にも落ち込む一方で
    そういう気分のまま生きていても、良い事は何ひとつない
    って言い分なのだ。 (特殊な嗜好のヤツは除く)

    何もやる気がしない時に、イヤイヤ腰を上げ
    家中の窓を開け、ダラダラと掃除をし始めても
    仕上げにルームコロンをふりまく頃には
    (お香はやめとけ。 マジで宗教と勘違いされるぞ!)
    ああーーー、気分爽快! となる。
    人間って単純なもんだな、と、そういう時に実感できる。

    これは体の清潔も同じ。
    入浴は穢れを祓う儀式と一緒である。

    出掛ける前にはみそぎのつもりでシャワーをあび、いざ出陣。
    帰宅後には、くっついて来た汚れを落とすつもりで
    洗っている内に、いつしかストレスも一緒に洗い流している。

    女性の場合、心の健康の一番の目安は美容である。
    調子が悪いと、まずメイクをするのが、とても面倒になる。
    お肌のお手入れすら億劫になったら、かなりヤバい。

    逆に言うと、マニキュアを塗ろうと思える時は
    元気ハツラツだと思って間違いない。

    元から美容面には一切興味のない人には当てはまらないだろうが
    それでも全体の雰囲気で、心の落ち込みはわかると思うぞ。
    ボサボサ髪に毛穴真っ黒、服ヨレヨレなど、まともじゃないだろ。

    毎日する行為も、流れ作業的に無感情でするのではなく
    自分を持ち上げる行為だと意識すれば
    何をしても幸運を導く儀式になるものだ。

    もういっちょ、これは根拠とかないんだが
    黒ってあまり良い色ではないと思うんだ。
    黒い服とか好きなんだが、運気的には良くない気がする。

    インテリアも明度の高い色を選んだ方が良い。
    黒い物が多いと、部屋が暗くなるし
    拭いても拭いても、すぐホコリが目立って不潔っぽいし
    第一、黒い部屋なんて、まるで忍者屋敷だろ。

    それに最近、何となく思うんだが
    濁った色って、マイナスオーラが出ている気がする。

    シックな色は好きなんだが
    自分のエネルギーが弱まっている時に
    そういう色を身に付けると、その色に生気を吸い取られるような?
    色って、エネルギーを与える色と、吸い取る色があると思う。

    これと同じ原理は、人にも当てはまる。
    一緒にいて、イヤではないんだが
    妙に疲れさせられる人っていないか?

    私の場合、そう感じる人って、プラス思考かマイナス思考か
    どっちかに極端に偏ってる人に多いんだよな。

    悲観的な単語を連発するヤツは、言うまでもなくうっとうしいし
    逆に、あまりにもポジティブシンキングなヤツは
    かえって、人の気持ちを逆なでしてくれる。

    「頑張ろうよ!」 とか、叫ばれると
    「そこまで元気が有り余っているんなら
     おめえが私の分まで頑張って、私をラクにしてくれよ」 となる。

    自分が揺らいでる場合に、こういうタイプの人に接触すると
    疲労が激しくなる事に気付いた。

    いずれにしても、自分で自分を認める事が出来ていたら
    周囲のあれこれに振り回されないものだ。
    しかし、人間はそういう地に足の付いた状態を
    ずっと維持する事は難しい。

    だから保険と一緒で、万が一の事態に備えて
    自分が浮上できる法則を見つけておくのが得策。

    で、割と万人に通用する方法が、“清潔” なのだ。

    忙しい、体調が悪い、何か知らんがやる気なし、とかいう時は
    そんなに身の回りにかまけていられないものだが
    それでも無理にでも清潔に暮らそうと心掛けると
    不思議なもんで、色んな事が上手く回っていったりするんだよな。

    だから行き詰ったら、とりあえず掃除をしてみるのも手。
    気分が変わって前向きな考えも浮かぶようになったりする。

    マイナスな流れから抜け出すには、光の力を借りよう。