• 続・野菜のプレゼント

    先日ブログに書いた通りに
    兄から送られてきた野菜は、きっちり食った。

    小松菜と水菜は、ベーコンと一緒に炒めようと
    バジルソースを買ってきて、イタリア風味にした。

    ドドド田舎で生まれ育った、真の田舎者のくせに
    何故か途中で、虫が大嫌いになってな
    それも年を取るごとに、更にその嫌いが増大するんだよ。

    だから、土とか草木なんか恐いんだ。
    色んな虫が隠れていそうで・・・。

    あああ、自然なんか大嫌いだああああああっっっ

    こういう私が、葉っぱものを料理せにゃならなくなった。
    しかも、虫の思うツボの無農薬!
    洗ってる最中、すげえ恐怖だったぜ。

    昔、わざわざ阿蘇まで走って、とうもろこしを買ってきたのに
    その中に、白いちっこいイモ虫みたいなんがいて
    悲鳴と同時に、キッチンから飛び出し
    震えながら泣きべそかきつつ、慌てて母親に電話し
    「片道2時間の距離で助けを求めらても!
     虫ぐらい、さっさと殺しなさい!」
    と、殺戮命令含みの激しい説教をくらった。

    その後、居間でTVを見たりして、己をごまかそうとしたが
    どうにもこうにもキッチンの様子が気になって気になって
    2時間後ぐらいに、ようやく意を決して覗いてみたら
    2匹ウニウニ這い出してきていたあああああああああっっっ!

    もう、「ひいいいいいいいいいいいいいい」 って勢いで
    新聞紙やらでグルグル巻きにして (途中、記憶欠落)
    ゴミ袋に全放り込み、即行ゴミ捨て場に時間外投棄したぜ。

    その後、捕りもらした虫がどっかで生息している気がして
    ビクビク過ごす日々が数日続いたさ。

    と、こういう恐怖の体験を思い出しつつ
    気合いのみで料理した。

    ま、味は美味かった。
    白米にはまったく合わない味だったが・・・。
    こりゃスパゲティにでもかけるべきだったかな。

    でな、何が悪かったんか、腹を壊しただよーーー。

    洗いきれずに虫が入ってたりするんじゃないか? とビビり
    あまりにも緊張して食ったせいなんだろうか?

    野菜は根系で頼む。
    葉系は心の健康に悪い!

  • 携帯への間違い電話

    非通知番号は、着信拒否にしているので
    妙な電話は掛かってこないだろう、と、思っていたが
    間違い電話がよくあるのが迷惑である。

    契約したての頃は、よく以前の持ち主に掛かってきていた。
    しかも、電話会社から掛かってきた時には
    「そちらは ○○○子さんじゃないんですか?」 と
    フルネームで訊ねられたので、私は以前の持ち主の名を知っている。
    個人情報もへったくれもねえなあ、K○DIさんよ。

    携帯番号は、解約したら2年は寝かせる、と聞いたが
    それはウソだと、確信したぜ。

    携帯から携帯へ掛ける場合、何故間違うのかがわからない。
    普通は番号登録をして掛けないか?

    家電から私の携帯への間違い電話の留守録で
    熟年のご婦人らしき声で
    「脚立を出しといてって、見つからないのよ、どうするのよ?」
    「倉庫にあったけど、どれなの?」
    「重くて持てないわあ」
    と、何度も入っていた時には、何となく納得はできた。

    家電の番号登録は、年寄りには理解しがたいものらしい。
    うちの母親も電話番号は紙に書いて、電話機の側に貼っていた。

    父親が、何故かそれを見ても電話を掛けられなかったのは
    不思議な話だが、これはまた別の問題をはらんでいるようだ。
    (父は生涯で一度も、自分で電話を掛けた事はなかった。
     人に掛けさせて、代わるというシャチョー方式のみ。)

    多いのが、仕事関係の間違い電話。
    留守録に入ってる内容は、急ぎとか、とても重要な事ばかりで
    最初の頃は、他人事ながら心配して
    「間違ってたようなので」 と、わざわざ
    折り返し電話をして、忠告してあげてたが
    あまりに頻繁で、しかもあらゆる人からなので、こっちも
    「重要なら間違うなよ」 という鬼のような心に変貌してしまい
    放置するようになった。

    何故、携帯の留守録によく入っているのかと言うと
    私ってば、出掛ける時に、よく携帯を家に忘れるんだな。
    “携帯” してねえと、携帯電話の意味がないっちゅうに!

    ちょい前の週末の夜、携帯が鳴り、出ると
    「○子さーん?」 と、中年男性のすげえ嬉しそうな声。
    私は○子さんじゃないので、「間違いだよ、このクソボケがあ!」
    と、答えても、何の罪もないところだったが
    その中年男性の声が、あまりにワクワクドキドキしてたので
    ついこっちも、声をワントーン上げて可愛い子ぶって
    「いいえ、違いますう (はあと)」 と、答えてしまった。

    その男性は、ひどく落胆しつつ詫びて電話を切ったが
    ははーん、知り合った女性に嘘番号を教えられたな、と推測。

    こういう可愛げのある間違い電話なら、腹も立たんが
    間違って掛けてきたくせに、 「あんた誰?」 とか聞かれると
    見ず知らずのおめえに、何でこっちの素性を言わにゃならん?
    と、激しくムカつく。

    「人に訊ねる時は、まず自分が名乗れ!」 と
    礼儀作法の最低基準を説教したいが、こっちはか弱い乙女で
    そういうドグラと揉めて、もしもの逆切れの嫌がらせが恐いので
    こういう場合の対処がわからず、とても困る。
    (ドグラ = ロクでもないヤツという意味の九州のどっかの方言。
     何か語感がピッタリだろ?)

    ここらへん、穏便に済ませられる都合の良い方法がないかなあ。
    ほんと、こういうヤツ多いんだよー。

    以前に、「はい」 と、電話に出ていたら
    礼節に厳しいが、世間知らずの父に
    「電話に出る時は、『はい、○○です』 と、出なさい」
    と、怒られた事がある。

    電話は、掛ける側が相手の領域に踏み込む事になるので
    「○○と申しますが、××さんのお宅でしょうか?」
    と、名乗るのが礼儀である事。

    妙な会社からの、番号順プッシュの勧誘電話も多く
    やたら名乗ると、逆に情報を与えてしまう事を
    延々と説明して、納得させた。

    携帯の場合、ほぼ必ずアドレス登録をするので
    そういう口上もいらなくなったが
    初めて掛ける相手には、ちゃんと気を遣うべきである。

    間違った場合も、謝罪をして切るのは当然。
    何度も連続で間違って、しまいにゃ私が出た途端
    ブチ切りなど、失礼にも程がある!

    「すみません」 のひとことが、そんなに言い辛いか?
    言ったら何か爆撃的な大損でもするんかよ?
    そのひとことで、すべてが丸く治まるのに・・・。

    電話1本まともに掛けられなくて、人間としてどうなんだよ!

  • 野菜のプレゼント

    兄から米とともに、野菜が送られてきた。

    理由はわかっている。
    この前の電話で、兄がどこぞの島に旅行に行ったという
    豪勢な話を聞いて 「私は食うにも困ってるのにーーー」 と
    つい嘆いてしまったせいだ。

    兄、すまん、単に私の甲斐性がないだけなのに・・・。

    で、宅配が届いて、ちょっと笑った。
    「野菜かい!」

    うん、確かに野菜は食えて、ありがてえ。
    でも何となく、意表を付かれた気分なのは何故だろう?

    しかも、千葉産。 何で関東???

    とにかく、せっかくの栄養のプレゼントだ。
    きっちり食い倒して、体力を付けねば。

    しかし、箱の中には何束もの葉っぱが入っていて
    ひとつだけ 「小松菜」 という表示がされている以外は
    他のは何の野菜なのかすらわからない。

    同封されていたリストには
    「水菜」 「モロヘイヤ」 「ルッコラ」 「小松菜」 とある。
    実は私は “葉もの” は、よく知らないのである。
    てか、恐いのだ。
    ワザワザした葉っぱって、虫がいそうじゃん。

    どうやって食うんだ?
    いや、それよりもまず、この小松菜表示以外のどれがどれなんだ?

    ネットでひとつひとつ検索していく。
    これが多分、モロヘイヤだよな?

    食い方も調べ、小松菜と水菜はベーコン炒めにして
    モロヘイヤはシメジと一緒にスープ、ルッコラはサラダでいこう
    と、決定し、とりあえずベーコンとシメジがないので
    ルッコラだけ食う事にした。

    が、ここで問題がもう1個発生。
    ネットの写真で、ルッコラと水菜の区別が付きにくいのである。

    表示されている小松菜と、特徴的なモロヘイヤはわかった。
    残りのこの2つ、どっちがルッコラなんだろう?
    水菜もルッコラも、生で食えるみたいだし
    どっちに転んでもオッケーか?

    てか、もう正直に告白すると
    大量の葉っぱの側に、これ以上いたくないのだ。
    特に無農薬とか書いてあるやつなんか
    今にも虫が飛び出してきそうで、すんげえ恐怖。

    思い切って片方をワシャワシャ洗いまくって、サラダで食ったが
    これが水菜なのかルッコラなのかは、判別しないまま。
    何かほうれんそうっぽい苦味があった。

    と、ここまで書いて、不安になってもう1回検索してみた。

    ・・・・・・・・あれ・・・・・・?・・・・・・・・

    あああああ、何かモロヘイヤも全然特徴的じゃねえーーーーー!
    今日の画像じゃ、全部どれも区別が付かねえのは何で???

    昨日はどこのサイトを見たんだっけ?
    何と勘違いしてたんだ?
    私はどれを生で食ったんだ?
    残りのは炒めて良いのか? 汁にするのはどれだ?

    でも、腹も壊してないし、サラダは成功でいいよな?
    このまま突っ走っていいものか・・・。

    何かもう、どこまで物知らずなんだ、と、情けなくなってくる。

    だって飯屋とかで料理を出されても
    「何だ? これ」 と、思いつつも、ただ食うだけじゃん。
    ルッコラとか、皆どうやって知るんだよ???

    沖縄に嫁にいった友人ちに行ってた時に
    友人が姑に 「味噌汁に入れろ」 と、葉っぱを貰ってきて
    言う通りにして食ったら、実に珍妙な味で
    ふたりして残してしまった。

    数日後、マーケットでそれがサラダ菜だと気付き
    ふたりで唖然と顔を見合わせたものだ。

    無知な私はともかくも、料理上手で常識的な友人も
    味噌汁という単語が出た時点で
    その葉自身を見極める思考が停止していたと思われる。

    飯って、こういう事ねえかあ?
    「え? この地方ってこれをこう食うの?」 みたいな。
    野菜なんて、産地で色形も微妙に違うし。

    すげえ自己批判の渦に飲み込まれそうだが
    わけわからん正当化をしつつ、意地でも全部こなしちゃるぜ!

    追伸:モロヘイヤ、吸い物にしたんだがマズかった・・・。
       葉っぱが糸を引いていたが、それがモロヘイヤなんだよな?

  • 九州女

    九州の話が続いたので、ついでに。

    東京にいる熊本出身の友人 (女) から、久々に連絡が来た。
    その友人は、近所付き合いがうっとうしいらしい。

    「人の生活にズカズカ入り込んで来るのよねー。」
    「ああ、距離感がわからないヤツね。
     そういうヤツって、注意すると逆恨みするから気を付けろよ。」
    「もう、されてるよ」
    「ええ? 何か言ったんか?」

    「言ったよ、 『いらん世話』 って。
     そしたら、凄え陰口叩かれるようになったよ。
     でも気にしとらん。
     バカと付き合うと、こっちまでバカになる!」

    強えーーーーーっっっ、と思った。

    その子は、そんなにキツい子じゃなかったのだが
    九州では、周囲がそれ以上にキツかったせいで
    東京で暮らすと、キツさが際立つのだろう。

    私も九州女なんだが、何か知らんが出来損ないで
    他の九州女からは、 「もっとしっかりしろ」
    「ボーッとしてるな」 と、よく言われていた。

    しかし関西人にとっては、こんな半端者でも充分にキツいらしく
    「やっぱ九州女は・・・」 と、度々言われる。
    真の九州女の足を引っ張ってるようで、ほんと申し訳ない。

    私のは単に、頭と性格が悪いだけだからーーー!

    キツい女ってのは、嫌われがちである。
    代表的なのは、言葉がキツい大阪のおばちゃん
    プライドが高い京都女、カカア天下の群馬女。

    でも、一番恐いのは、九州女だと思う。

    九州女は、男性に対しては普段は控えめである。
    (上下関係にある女性同士では、すんげえ口うるさい)
    そして常に男をたて、人前では絶対に逆らわない。

    夫の悪口は、よほど親しい者にしか言わない。
    「私が至りませんもので」 という姿勢を貫く。

    働き者で、家庭をきっちり守るが
    外では 「何もしていませんのよ」 という顔をする。

    夫は主であり、自分も子供も下僕。
    しかし夫が情けない場合、ふたりだけの時に雷が落ちる。
    凄え尻を叩かれ、発破を掛けられる。

    それは滅多にないのだが、逆鱗、といった感じで激しいので
    夫はうかうかしていられない。

    うちのかあちゃんも、熊本人でこうだった。
    父親は広島人だったのだが、家庭は見事な独裁体制だった。

    タメ口などは、もってのほかで
    他人に夫の悪口も、絶対に言わなかった。

    ただ父親が人前で、ついうっかり醜態を晒したら
    翌朝、父の枕元で正座をした母が懇々と説教をしていた。

    とうちゃんは、その時ばかりは逆らえず
    無言でかあちゃんの説教を受けていた。

    そういう時には、私を追い出してからするのだが
    子供ってのは何となく察知するもんである。
    子供心に、「かあちゃん恐えーーー」 と、思っていた。

    かあちゃんの親族も似た感じなので
    私にとっては、それが九州女の基本形になっている。

    これ、私にも何となく遺伝している。
    私も相手には服従したいタイプなのだ。

    レディファーストなんかされると
    「何やっとんのんじゃ、おめえが先に歩け」 と思う。

    ただ、遺伝子が劣化コピーされてるのか
    「私を飼うんだから、ちゃんとやってよね」 という
    勘違いな部分がある。

    犬で言えばコリーだな。
    (主人が気に入らなければ家出をするので
     主人を選ぶ犬と言われている。)

    前日の “肥後もっこす”で、宮崎や鹿児島の男性の悪口を書いたが
    逆に女性は、熊本より宮崎や鹿児島の方が良い。
    より男性に従順で、しかし縁の下の強大な力持ち、って感じで
    彼女らに比べたら、熊本女性はちょっとひ弱い。

    この絶妙な男女のバランスは何なんだろうな?

    人前では控えめで、普段は何も言わないけど
    芯に強く正論を持つヤツって
    こっちが何かやらかした時には、一番恐いと思う。

    「九州女、恐いから嫌い」 って言ってるヤツ、それ大正解。
    私もできるなら、そういうヤツに近づきたくない。

    私のようなんが九州女だと思っているヤツ、甘い!
    真の九州女はもっと恐えんだぞ。

  • 肥後もっこす

    私は九州男児が、大っ嫌いだが
    熊本男児 (肥後もっこすと呼ぶ) の気性には好感が持てる。
    見ててわかりやすく、実に痛快なのだ。

    私の家は、父親は広島だが、母親が生粋の熊本人。
    母方の親族も熊本市に集中している。

    熊本人の特徴は、まず区別好きである事。
    出身土地、出身高校で、その人の家柄を判断する。

    熊本人同士が、最初に聞くのは出身校である。
    これで大体の人物像を見分け、それがまたよく当たるのである。
    これで言えるのは、熊本は見事に住み分けがされているという事。

    出身校の縦横の繋がりも強く
    熊本の中枢を担うのは、ある高校出身者である。
    熊本は地場産業がとても強い。

    私の叔父が、息子を自分の出身校でもあるその高校に入れたがり
    中学浪人までさせた。

    私は言葉で熊本人じゃないとわかるので
    幸いにも、この出身校占いはされた事がない。

    熊本人は排他的ではないので、よそからの移住者も多く
    今はこの辺があいまいになってはきているので
    表立った差別はされていないと思うが、よくわからない。

    次の特徴が、区別好きであるゆえか、見栄っ張りなのだ。
    大阪の食い倒れ、京の着倒れと言うが
    熊本は “付き合い倒れ” であろう。

    うちの母親も、「食うに困っても、お中元お歳暮はやめない」
    と、言っていた。

    プライドも高く、ブランド物が好き。
    しかし、他人と自分を、他県と熊本を比べる事はしない。
    それすらプライドが許さないのである。

    そしてプライドが高いゆえに、決め付けが激しく、凄え頑固。
    女性は男性には従うが、女性同士ではきっついバトルになる。
    男性は言わずもがな、男尊女卑。

    熊本男性、肥後もっこすの最大の特徴は、気性が荒い! に尽きる。

    そういう地方は数あれど、県民こぞって満遍なく気が荒いのは
    熊本をおいて他になく、日本一だと思う。

    私も関西では、気が荒いとよく言われるが
    普段からギャアギャア言ってるのは、逆に中身が弱い証拠。
    そういう “気が荒い” のは、よくある事。

    熊本の女性は、日頃から口うるさい。
    宮崎や鹿児島は、女性はうるさくはないが、男性がうるさい。
    それも、自分大変、自分偉い、みたいな事を
    チミチミチミチミ言う。

    たとえば、自分のやってる仕事の質問をされるとする。
    「大変でしょうね」 の問いに
    宮崎や鹿児島の男性は、自分がいかに苦労してるか
    自分の功績がどれだけ凄いかをアピールしまくる。

    肥後もっこすは 「大したこたなかですよ」 だ。
    「しょんなか (しょうがない) ですばい。」
    「皆やっとることですけん。」 と、謙虚。
    プライドが高いから、自画自賛などの見苦しい真似はしない。

    肥後もっこすは、普段はとても紳士的で穏やかである。
    熊本弁の喋り方が、柔らかくゆったりとした言語なので
    余計にのんびりしたヤツに思える。

    が、実はものすごく気が荒いのである。
    その気性が垣間見られるのは、車の運転である。

    よそから来た人は 「普段は皆優しいのに何故?」 と思う。
    新聞の投書にもよく載る。
    熊本の道路は戦場なのだ。

    これは、06年2月23日の “熊本のタクシー” にも
    ちょっと書いているので、割愛しよう。

    肥後もっこすは、眠れる獅子みたいなもんだ。
    一大事になると、先陣を切って突っ込む。
    自分に大義名分ができるまでは、大人しい。

    だから、軍事主要地になったのかはわからんが
    愛国心や愛県心が強く、地元の正義に反する事を許さないので
    警察もとても強く、尊敬されている。
    もちろん暴走族など、とっくの昔に壊滅させられている。

    時々他県から、知らずに暴走に来るヤツもいるが
    住民が、暴走バイクに角材 (!) を投げつけて殺しちゃって
    誰が殺ったのかは、わからず終い。
    (多分、皆、誰がやったかわかっていると思う)

    TVの近隣住民へのインタビューで
    「来るなら来ればよかですよ。 次に来たなら、俺がやりますけん。」
    と、会社員っぽい善良そうなオヤジが平然と言っていて
    「凄え!!!!!」 と、驚いた。

    肥後もっこす、好きなんだが、万が一、敵に回すととても恐いので
    遠くから眺めているだけにしたいもんだ。

  • 携帯の扱い方

    が、よくわからない。

    着信音は、ゲーム音楽や、人に由来を言えない特殊音楽なので
    もし人前で鳴ったら、万が一わかる人が聴いたら
    色んな所業がバレて、とても恥ずかしい。
    かと言って、出掛ける時だけ着信音を変えるのもめんどい。

    お出掛け時などは、マナーモードにしてバッグに入れているので
    メールも着信も、まったく気付かない。
    これじゃ携帯の意味があまりないように思えるんだが???

    ポケットに入れるのも、女性のファッションじゃ無理。
    上着にポケットがあっても、物を入れてふくらむと
    シルエットが崩れて見苦しいので、何も入れたくない。

    そこで、首からさげられる皮のアクセっぽい
    ストラップを買ったんだが、先に携帯がぶら下がっていると
    どうしてもバカみたいになってしまうのだ。

    せっかく格好良いのを、わざわざ買ったのに
    長いストラップは、本来の使い方以外では存在がうっとうしい。
    今は縛って短くしているが、余計に邪魔くさくなったぞ・・・。

    “常に連絡が付く状態” がイヤなので
    携帯を毛嫌いしていた私だが、いざ持ってみても
    上記の理由で、携帯の意味を成していないので
    そう悪いものでもないとわかった。

    メールも、くだらんやり取りで電話代ーーー? と、思っていたが
    どうやら “パケット定額” というシステムがあって
    自分がそれに加入していると気付いたのが
    携帯を購入して、かなりの年月が経った頃。

    どんだけメールのやり取りをしても
    毎月、同じ使用料金で、「あれえ?」 と思って
    友人に聞いて判明したんだよな。

      携帯メール嫌い宣言、撤回!

    それ以来、途端に手の平返しをして
    とことんくだらんメールを自ら送信するようになる。
    皆、必要ない気を遣わせてすまんだった。 ほほほ

    いや、確かにあらゆる人から説明を受けたのは覚えてるんだ。
    でも何故か脳みそに到達してなかったんだな。
    いまだに、この “パケット” の意味、わかってないし。

    ただ、好きな音源を着うたに出来る知人がいて
    (私の好みの曲は、絶対にサイト配信されていないのだ)
    「これ、着うたにしてー」
    「何でここの部分をするんだよ、構成が悪い!」
    (私の携帯は、フル再生が出来ない)
    と、ダメ出ししまくりの、データの受け取りをしまくったら
    パケット代が1万を超えて、ものすげえ青ざめた。

    「どういうこったい!」 と、知人に文句を言ったら
    デカいデータを受信すると、それだけ金が掛かるらしい。
    なるほど・・・・・。

    とりあえず、「私のふところ事情も考慮して作れ!」
    と、無理難題を押し付けて困らせて、ウサを晴らしておいたが。

    それでも、“パケット” の意味を、今でも理解していない。

  • ぼした祭

    注意: この記事の内容の、私が見聞きした事は大昔の話です。
        時代とともに、色んな事がかなり変わっているらしく
        今の祭は全然違うものになっているそうなので
        単なる私個人の昔語りとして読んでください。
        

    ぼした祭とは、熊本市の祭の事で
    今は “藤崎宮 秋の大祭” と、名前が変わっている。
    本祭は9月15日だけど、その前にあれこれ行事があるらしい。

    由来は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で
    熊本城主の加藤清正が、朝鮮で大暴れをして
    (虎を退治までしてきたそうな)
    その凱旋帰国を祝ったという事らしい。

    熊本人は、一見穏やかで丁寧だが、実はとても気が荒い。
    多分、九州一の乱暴者じゃないかと。
    だからか、熊本は言わば “軍事都市” みたいなものだ。

    道いっちょにも、真っ直ぐなようで城から微妙に外れていく
    並木道の木の間隔で、敵の隊列の人数を読める、など
    “安易に攻め込まれない工夫” がされている。

    その気質のごとく、祭も激しい。
    よそから見物に来たら、絶対にひきまくる。
    事実、私も二度と見に行かなかった。

    この祭の見所は、“隋兵 (ずいびょう) 行列”。
    参加できるのは、申請した団体だけで
    それは地域、出身校などで構成される。

    友人の団体は、朝4時に熊本近郊から出発し
    30kmぐらい歩いて、熊本市の中心部にたどり着き
    それから夕刻まで踊り狂って、また歩いて帰って行く。
    中には往復100kmぐらい歩く団体もあるそうな。

    9月と言えば、熊本は残暑最高調。
    もう、こいつらフツーの人間か? と思うほど
    過酷な状況下での、体力勝負な祭なのである。

    この祭の練習は、5月頃からあちこちで始まる。
    実際、ラッパと太鼓滅多打ちで、練習なんかいらんはず。
    ただ騒ぎたいだけなんだろう。

    その練習の音が、うるさくてうるさくて
    ほぼ毎晩、8時9時から真夜中まで行われ
    近隣住民から苦情が殺到し、「夜10時まで」 と
    お達しが出たが、5月から9月までしょっちゅう
    ドンチャンやられるのは、10時まででもすんげえ迷惑。

    で、祭の何が “ひく” かっちゅうと
    隋兵行列には、馬を連れて練り歩くんだが
    その馬に、酒を一升瓶で無理矢理ガブ飲みさせ
    ムチでしばきまくりながら踊るのだ。

    馬は、ウィリー、ジャックナイフの繰り返しで大暴れ。
    蹴られて死ぬヤツも続出。

    (これを見た時には、馬が可哀想で、不覚にも涙が出てしまったぜ。
     以来、祭時には引きこもり、見物には一切行かず。)

    そんな事をされた馬は、使い物にはならなくなり
    (つまり、その祭一日で潰される)
    祭が終わったら、さばいて馬刺しにして、また宴会だそうな。

    これを動物愛護団体が見逃すわけもなく
    すんげえ抗議がきて、「馬は大事に扱うように」 となる。

    熊本人、さすがの気荒らで、「ふざけんな!」 と怒ったが
    今では、馬は比較的優しく扱われている。

    もういっちょ、凄いのが掛け声。
    「ぼしたー、ぼしたー、ぼした!」
    実は、この掛け声の後に、「朝鮮族を滅ぼした」 と、くる。
    “滅ぼした” の “ぼした” なんだな。

    これには異説があって、本当は五穀豊穣の祈願だと言う話もあるが
    熊本人は確実に、加藤清正凱旋の意味で言っている。
    聞いたヤツ全員が、“滅ぼした” 論だったからだ。

    当然これも、その筋から苦情が来る。
    これに対して、行政は速やかに是正令を出し
    掛け声は 「ぼした」 から 「どーかい」 と決まったが
    (この 「どーかい」 の意味がわからないんだが)
    民衆はこれまた 「ふざけるな!」 となり
    数年は 「ぼした」 と叫ぶ団体が多かった。

    しかし、「違反団体は次回からの出場停止」 の御触れに
    やむなく従うようになった。

    青森のねぶた祭では、“カラス” と呼ばれる
    祭便乗荒らし集団が出現する。

    私が熊本在住の時に、ローカルニュースでやってたが
    当然、熊本でも似たような若造たちが出現したらしい。

    ところが熊本では、その暴走した若者たちを
    正規の祭参加者たちが、ボコったそうだ。

    「祭を穢すな!」 とか言って、踊り狂う合間に
    カラスたちをあちこちでタコ殴りにして、一件落着。
    ねぶた祭みたいな問題には発展せず。

    このニュースを見た時には、もう大爆笑したぜ。
    さすが熊本人! 荒さにかけちゃ右に出る者なし!

    関連記事: ぼした祭の記事について 10.8.9
     
     
     < 2011.9.20加筆 >
     
    この記事を読んでコメントを書く前に、上の関連記事も読んでくれ。
     
    そして、この記事の他のコメントも読んでくれ。
    ぼした祭の関係者や仲間たちが、意見をたくさん書いてくれているから。
     
    最低でも、そういうのを読んだ上で、意見を言ってほしい。
    そうしたら、ここはもっと実りのある議論場になると思うんだ。
     
     
    余談だけど、私が何故、今も “ぼした祭” と呼んでいるのか。
    それは、ぼした祭は熊本の伝統ある祭だからだ!
     
    今の日本がどうなっているのか、というと
    まず “韓流ブーム” なるものを捏造して
    韓国のイメージを良いものとして、洗脳し
    韓国かぶれの集まりの民主党に政権を取らせた。
     
    今後は、“重国籍” か “外国人参政権” のどちらかを法化し
    特定在日外国人に日本の政治に介入する権利を与え
    “人権救済法案” によって、日本人の文句を封じ込めよう
    という画策が進んでいる。
     
    詳しくは、カテゴリー 政治 等を読んでほしい。
     
    もし、この企みが成されれば
    日本は特定外国人のための国になってしまう。
    そうしたら “ぼした祭” は、廃止させられてしまう可能性が大きいぞ。
    現に、いちゃもんを付けられて名称を変えさせられただろ。
     
    ぼした祭が大事なら、政治と社会の動きをよく見て
    日本が、日本人による日本人のための国でいられるように
    しっかりと意志を保ってほしい。
     
    ぼしたは一度、無体な要求に屈したけど二度目はない!
    “人権” という言葉に、惑わされてはいけない。
    権利は義務を果たしている人が持つべきものだから。
     
     
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  • 九州あたりの方言

    私が使う方言で面白いものを書いてみよう。

    “九州あたり” と、やたら広範囲な設定にしてるのは
    自分が使っているのがどこの方言なのか
    まったく区別が付かないためである。

    あっちゃこっちゃで 「それ何て意味?」 と、聞かれ
    自分が異邦人になった気分がして悲しい。

    うちは私以外は、標準語を使える家庭で
    広島の父と熊本の母の、普段の会話はNO方言だったというに
    何で自分ひとりだけ、はぐれるかなあ・・・・・。

    東京にいた頃に一番驚いたのが “直す”。
    これ、九州じゃ “片付ける” なんだが
    標準語じゃないんだ! と、驚愕した。

    関西は同じ西日本だから、と、内心ナメているんか
    東京では絶対に口にしない言葉も、ついうっかり言ってしまう。

    その中でも 「え?」 と、動揺されたのが “からう”。
    九州では “背負う” の意味で
    その言葉が語源の “かるい” という農作業などに使う
    竹で編んだ背中に担ぐかごもあるんだよー。

    “まご” “まごち” “まこち” は
    語源が “舞うように” と “まことに” の説があって
    意味は “本当に・すげえ” かな?
    「まーご、美味い!」 といった使い方をする。

    “まっぽし” ってのは、確か熊本弁で
    “見事に” “ど真ん中” みたいな意味かなあ?
    いまいち、当てはまる言葉がわからないけど
    すげえ当たる占い師さんを、 “まっぽしさん” と呼んでた。

    “ほげほっぽ” と “やるばなし” は
    使う地方が違ってるけど、似たような意味で “やりたい放題”。

    “頑張る” は “がま出す”。
    “やる気・力” を “がま” と言う。

    “のさん” は “嫌気が差す” みたいな感じ。
    「あーもう、残業、のっさーーーん!」 といった使い方。

    “むぞらしい” ってのは、どっかじゃ “可愛い” だが
    同じ “むぞ” 仲間でも、違う地方じゃ
    “可哀想” を “むぞぎい” と言う。

    他、ぱっと思い出せる私が使用してた方言は

    “うぜろしい” = “うっとうしい”
    “よだきい” = “面倒くさい”。
    “てにゃわん” = “手に負えない”
    “いぬ” = “帰る” (これは、まんま古語だな)
    “くそわろ” “たごさく” = “大バカ者”
    “どぐら” = “ろくでなし”
    “ちゃんがら” = “ガラクタ”
    “はちくる” = “殴る”
    “いっちょん” = “ちっとも”
    “てれんくれん” = “ダラダラ”
    “とごえる” = “はしゃぐ” “調子にのる”

    こうやって書き出してみると
    突拍子もない言葉もあるけど、方言って一種の略語だよな。

    熊本弁の “ばってん” は “うん、だけど” という意味で
    英語の “Bat and” から来てるという説がある。
    これが本当なら、長崎から伝わった言葉かも知れない。

    これと似た?言葉で、熊本人は語尾に “ばいた” を使う。
    「それ今、しよっとばいた。」 = (それ今、やってるよ)
    この語尾は多分、「~だよ。」 と同じような使い方だと思う。
    初めて聞く人は、「売女?」 と、驚くらしい。
    これも外国語由来のような気がする。

    普段は、イントネーションはともかく
    方言的な単語は使わないようにしているのだが
    「えっ、これ方言だったんか?」 って言葉も多く
    ほんと、義務教育から日本語をやり直したいぜ。

  • 宗教

    以前のマルチ商法の話題のついでに、宗教も。

    私は本当は、無神論者である。
    (宗教とマルチ商法を並べて語るので、丸バレか?)

    でも、「万が一、神様がいたらヤバい!」 と思うので
    全否定はしない。 その時に慌てても遅いもんな。
    とりあえず、いるものだと思っとった方が安全だろ。

    まずわからんのが、神様ってどんな存在だ?

    世界を作ったってだけなら、単なる職人みたいなもんで
    作品 (地球) を壊す恐れがない限り
    人の生には、関心はねえんじゃね?

    番人的存在なら、人類はもっと罰が与えられて当然で
    それをしてないって事は、かなり基準がユルユルだろ。
    すんげえ大らかな判定だと思うぞ。
    そう、必死こいて拝まんでもいいんじゃねえのか?

    愛の源なら、もう何でもオッケーだよな。
    善悪と好き嫌いは別だし。

    人間は輪廻転生があるか?
    これも、「死んで終わりなら、それでいいよ」 と、思うんだが
    万が一にも、修業的生まれ変わりがあるとしたらヤバいんで
    とにかく、いたらん事はせんように気をつけている。

    あらゆる状況を想定して、リスクの軽減をしとかんとな。

    宗教と、この転生観はセットである。
    今生限りで終わりなら、何も努力する必要はない。
    次があると思うからこそ、保険が必要なんだろう。

    神様に寄進するのって、ようするにワイロだろ?
    より良いものに生まれ変わろうと、今の人生で修行して
    飛び級みたいに、一発逆転を狙おうという欲深い考えだと思う。

    夏休みの最初の1週間で、宿題を全部やっちゃって
    後はずっと遊びまくろう、みたいな。

    万が一いたら、あったらヤバい、と言いつつも
    とことん身も蓋もねえ言い方をしているが、恐くないのか?
    と、聞かれれば、まったく恐くない。

    神様ってのは、人間と同じ感覚じゃないと思う。
    計り知れない高次元的存在なんだろ?
    それを人間ごときの浅知恵で、どうのこうのできんよ。
    神様の価値基準なんて、想定できんって。

    もし、神様が人間レベルなら
    それこそ、一発逆転が可能なんじゃないか?
    妙な事をしてても、審判の時に泣いて詫びれば、情状酌量もあるかも。

    てか、修行転生があるなら
    私の前世って、きっと良くて昆虫あたりで
    石 (生きてるのか?) とか
    窒素ガス (もはや固体ですらねえ・・・)
    とかだったと思うんだよ。

    だって、今の私、ロクでもねえもん。
    今以下の前世って、絶対に人間じゃねえよ。

    それが人間に生まれて、喋ってるだけで大進歩じゃねえ?
    これで人様に、生きるか死ぬかレベルの迷惑さえ掛けなければ
    今生は大成功という事で、来世はもちっと利口に生まれるさ。

    一足飛びにあれこれしようとせんなら
    何とかやっていけて、それで良いと思う。
    ほんと、見事にナマケ者な言い分だがな。

    それに、神様が自分の存在をわかってほしいんなら
    わざわざ宗教なんかで代理人を立てんと
    自分が直接出てきた方が早くねえかあ。

    たまに空に出現して、叫ぶとかすればいいんだし。
    世界を作ったんなら、そんぐらいできるだろう。

    これをしないって事は、人間にとっては
    自分の存在が必要じゃないと思ってるって事で
    世界をどうこうしようという意図はないんじゃないのかなあ。

    では、何故、宗教が流行るのか?
    まで書こうと思ったが、深層の令嬢は体が弱いので
    疲れてしまいましたわ、おほほほ。

    これはまた次の機会に。

  • 詳細な報道に犯罪抑止力はあるか?

    過失致死とかじゃなく、猟奇的な殺人などで
    実名をも含む、事件の詳細な内容を報道するのは
    犯罪の抑止力になるか?

    結論から言えば 「なる」 と考える。
    ただし、これは “一般人” 限定である。

    こう書くと、犯罪者が普通の人間じゃないと
    言っているかのように聞こえるかも知れんが
    まぎれもなく、そう言っている。

    犯罪者は普通の感覚の人間ではない。
    少なくとも、性犯罪者は変態である。

    「何をもって “普通” と言うのか?」
    という疑問は常々聞くが、くだらん事を聞くな。

    この問いは状況によって、答の形が変わるもので
    犯罪関係の場合は
    「自分の欲望で他人に迷惑を掛けない」 という
    最底辺のモラルにおいて、普通と異常を分ければいいだろ。

    新潟少女10年拉致監禁事件が発覚した時に
    ある本で、ロリ趣味のヤツらが
    「あの事件は残酷だった。」 と、語っていた。

    「10年も監禁など、そんな事が実際にできるんだという
     希望を垣間見せられて、辛い。」 と。
    「もちろん、そんな犯罪はしないけど」 の注釈付きで。

    これを読んだ時に、納得した。
    なるほど! 特殊な嗜好を持たない者は
    事件の詳細を聞くと、同情や怒りを感じるけど
    同じ嗜好のヤツらは興奮するんだな!!

    これでは詳細報道は、妄想をあおるだけで
    まったく抑止力にはならない。

    では何故、詳細報道に抑止力を認めるのか?
    “一般人” なら、被害者の名前や顔、被害の状況などが
    詳細にわかればわかるほど、他人事に思えなくなり
    怒りや悲しみが増す。

    こんな事件が起きちゃいけない、と、犯罪を憎む。
    注意をする。 周囲に目を光らせる。
    皆が防御姿勢を固めていったら、犯罪の起きにくい地域になる。

    これには弊害がある。
    犯罪者の更正を許さない社会になるのである。

    一度罪を犯した者は、自分が “何者” かを知られたら、
    周囲の白い目に耐えられず、更正のチャンスを逃すだろう。

    だが私は、残虐な殺人や性犯罪を起こした者は
    許されなくていいと断言する。

    いくら白い目で見られようと、それは自業自得だ。
    罪の大きさに比例して、他人の目の白さも激しくなるんだぞ。

    それでも、自分の犯した罪を一生ひきずりつつ
    大人しく真面目に生きるのが “更正” だろう。
    普通に生きるのが更正じゃねえんだぞ。
    何、全部水に流そうとしてんだよ。

    そんなん再犯の言い訳にならんよ。
    被害者は無理やり命を奪われたのに
    しでかした自分が生きているだけ、ありがたいと思え。

    よって、私は犯罪の詳細な報道を望む。
    ほんとイライラさせられるが、昨今の凶悪犯罪のせいで
    そこらを歩くガキどもを、注意して見守るようになったからだ。

    不審者っぽいのも、怪訝な顔で見るし
    不審車のナンバーをメモる事もするようになった。

    でも、下着同然な格好で、夜遅くにウロついてる小娘ども
    おめえらの事までは、いくら何でも面倒見きれんぞ。