• 私のHPの方針

    多分、今年最後のブログだ。

    一年間、わけわからん事を書きまくっていたが
    一体、何人がここを読んでいるのかもわからん。
    てか、何でこんなとこに来るのかもわからん。
    ヘンなヤツがヘンな事をキイキイわめいているというに・・・。

    だけど、時々レスが付いているのが凄く嬉しかった。
    頑張ろう、という気になって、余計にわけわからん事を叫ぶ。
    私が調子ブッこくのは、そいつらのせいだ。 ほほほ

    でもな、言いたい放題やってるようだが
    実はこれでも各方面に配慮はしてるんだよな。
    ヒヨって、多少、毒抜きした意見を書いているわけだ。

    色んな意見があっていいと思うが
    最低限のマナーっちゅうのは、私なりに考えているわけで
    その配慮が足りないのはすまん。

    ただ、“自分らしさ” を大事にしようと思うんだが
    この “自分らしさ” が何なのかも、よくわからんので
    とりあえず思った事を思うままに 書き殴っていきたい。

    いらん事をグダグダ書いていると
    自分を発見したりするし、己のアホさに落胆もするが
    何にせよ、結構痛い目にも遭っているので
    ちゃんと因果応報になってるぞ。
    悪は栄えんのだ、安心せえ。

    ネットを始めて数年、私のネットに対する考え方も随分変わった。
    私はリアルもネットも変わらないんだが、そうじゃない人もいて
    以前はそういうのを理解できなかったが
    最近はそれもアリかな、と、思う。

    要は、ネット上のそいつを認めるという事だ。
    実際がどうであれ、私にとっては目の前のそいつがそいつのすべて。
    そいつが自分から言わない限り、他に何の真実も必要ないだろう。

    つまり、よりアバウトになったって事だな。

    何でこういう事を思ったかというと
    某大型掲示板と、他の掲示板を比較して見てである。
    ネットにはネットの世界があって
    匿名性の良さも悪さも、まずはそれを受け入れんと
    世界が狭くなると、わかったのさ。

    ここに苦情があまりこないのは、匿名性が少ないからで
    それは私にとってもタメにならんから
    書きにくい場合は匿名で書き込んでくれよ、という事だ。

    「意見を言いたいなら、まず記名しろ」 とは言わない。
    どこの誰だとか、詮索はしない。
    私は、来た意見にだけに必死になる。

    「こんなん、人前ではちょっと言えん」 みたいな
    誰の心にもある黒い考えなんかも、匿名なら書けるだろ。
    大丈夫、私は性格の良し悪しで好き嫌いを決めないので
    付き合いにまったく支障はない。

    誤解のないように書くが、匿名を受け入れるというのは
    私もネット人格を使い分けるという事ではない。
    そもそも私はアホウなので、そんな高度な技術は無理。
    現実の私はネットよりも、ちょっと上品で可愛いぐらいだし
    ナイスバディも相変わらずなので心配すな! ほーほほほほ

    そんで、これは私に対してだけ。
    ここの管理のぷらちの同意はないので
    ぷらちと私を同様に扱ってもらっては困る。

    何かややこしいが、簡単に言うと
    ぷらちは元帥で、私は歩兵二等卒。
    私にだけは覆面で殴りかかっていいよん、って事。
    もちろん、賛美!は随時!受付中!だからなっ!

    では皆様、今年も一年、ありがとうございました。
    来年もどうぞよろしくお願いいたします。

    よいお年を

  • 今年の総まとめ

    今年のニュースベストテンでもしようと思って
    1時間ほど考えたが・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・すっかり忘れとる・・・・・・・・・・。
    何があったか、さっぱり思い出せん!
    何でこう、片っ端からスッコンスッコン忘れるかなあ。

    こりゃ参った。
    私自身の総まとめは昨日のでグチグチ言ったし
    いや、今日も自分語りをグチグチ言っても一向に構わんのだが
    やっぱ年末は 「今年の重大事件」 だろうー。

    ちなみに最初、総まとめを “総まくり” と、書いていた。
    よーーーく読んでみると、“まくり” って何なんだよ
    競輪じゃねえっての!

    そんな事はどうでもよろしい。
    今年のニュースね。

    ・・・・・・・・・・・・・うーーー、無理せんでいい?
    シクシクシク・・・・・思い出せないよおー。

    そういや、年末といえば、晩年になった両親が
    大晦日に 「今年も生きて年末を迎えられた」
    みたいな事を言って、祝っていたが
    とうちゃんが年明けの1月15日にいきなり死んで
    うーん、無事に年末を迎えられても
    無事に翌年を過ごせないって事もあるんだなあ
    人生あなどれん、と、感慨深かった。

    私の友人に、年末年始が誕生日のヤツが数人いて
    「迷惑な時に産まれたよなあ」 と、素直な感想を言ったら
    ムッとしていたが、あれは間違い。
    迷惑なのは、そいつじゃなく仕込んだ親だよな。
    あの時は子供だったので、そこらへんの事情がわからんかった。
    失礼なことを言ってすまんだった。
    無邪気ってのも諸刃の剣だよな、あはは。

    今現在も事故や事件で多くの人が犠牲になっているが
    何も年末年始に・・・と思ってしまう。
    いつ死んでも悲惨な事には変わりがないのだが
    祝うべき時期が悲しい記憶になるのはいたたまれない。
    遺族が早く、「(亡くなった人も)一緒にお祝いしよう」 と
    いう気持ちになれたらいいな、と
    私らしくない、しおらしい意見を持ってしまう。

    やっぱり年末年始は、行事嫌いの私にも特別な時期である。
    ゆったりと新年を迎えるには、そろそろ腰を上げにゃ、と思うが
    これを書いているのは、ダラダラとあがいてる証拠。

    さて、そろそろ頑張るかー。
    全然、今年の総まとめじゃなかったが
    そういうのはどうせTVでガンガンやるので
    私がわけわからん的外れな解説をする必要もない、という事で。

    ああ! そうだよ! 投げ出してるよ! ふん

  • 死にたい人へ

    今年一年の総まとめなんだが、えれえ不吉なタイトルだ。

    能天気に生きる私でも、よく 「生きるって辛い」 と思う。
    “人生プラスマイナス0” と、よく言うのはそういう経験から。

    今年は私にとって、辛い事がいくつも重なった年で
    「ああ、クソ死にてえ! 通り魔カモーン!」 と
    何度も思ったものだ。

    昔から、「早く人生が終わらんかな」 と、懇願していたが
    自殺をしようなどとは、一度も考えた事はない。
    それは何故だろう? と、自分でも不思議だったが
    最近、やっと答がわかった。

    私は、文房具や化粧品など、キレイな消耗品が大好きである。
    美しいものを大事に大事に使っていき
    使い切った時の、あの達成感が何とも言えない。

    たとえば消しゴムとか、途中で切っちゃったりしたら
    使い切った時の感動も半減だから
    大切に必要な時に必要なだけ使うのがコツなのだ。

    アイシャドウや口紅、色鉛筆やボールペン
    大好きだが、キレイな消耗品をコレクションはしない。
    きっちり、ひとつひとつ使い切るためだ。

    かあちゃんが死んだ時、とても羨ましかった。
    かあちゃんは、命を使い切ったのだ。
    だから、「死なないで」 とは思わなかった。

    長く辛い人生をきちんと生きて死ぬ
    この達成感はどれほどのものだろう。

    かあちゃんは感動に包まれて死んだと思っている。
    (不肖の娘を案じて、ちょっと浮遊したかも)

    波間に光が反射する初夏の海や
    冬枯れに凍える裸の木々を見る時、何故か命を感じる。
    多分、命とはとても美しいものなんだろう。

    だから私は自殺しないのだ。

    この世で一番貴重な唯一無二の美しい命
    これを使い切った時に、一体どんな気持ちになるだろう。
    一生懸命に生きるほど、その時の感動が増す気がする。
    寿命が尽きる時が楽しみでならない。

    が、よおく考えると、果たして私は一生懸命に生きてるか?
    私の命も美しいのか?
    何か、すんげえ汚れてる気もせんでもないが・・・
    など、一抹の不安もあるが
    とりあえず、私はこういう趣味なので
    「あいた、しもうたあー! こんな筈じゃ!」 になっても
    それはそれで、大どんでん返しで面白かろう。

    使い切りの醍醐味がわからないヤツ、
    まず、今使っている消耗品 (歯磨き粉とか) で
    使った事がない珍しい物を、次に使うために買ってみい。

    そんで、ルールを作る。
    「今使用中のをきちんと使い切らないと、新しいのを出さない」

    まだなくならないんだろうか、あとどれぐらいだろう
    と、イライラ思いつつ、それでも真面目に使っていると
    使い終わった時に
    「うおおおおお、やったーーーーーーーー!」 と、思えるぞ。

    こうやって、使い切りの味を覚えていく。
    そうしたらきっとその内、命も使い切らにゃ
    気が済まなくなるかも、ふっふっふ。

    自分の命を大事にするには、周りの者を、物を、大事にする。
    一見、関連性がないように見えるが
    これが案外、繋がっているもんなんだよな。

    来年も頑張って命をすり減らそう。
    焦らなくとも、必ずその時はやってくるのだから。

    読み返してみて、私がやたら死にたがっているように
    読めるかも知れんが、そういうわけではない。
    辛い時に 「ああ、神様! (どこの?)」 と
    思うようなもんだ。

    使い切りには根性と忍耐がいるもので
    そういう習性の私が途中下車なんかするもんかい。

    人生ってのは、大抵
    「楽しいー」 と 「辛いー」 が交互にくるもので
    誰でも死にたいと思った事の一度や二度はあるだろう。
    その辛い時を乗り越えるための
    私なりの考え方のひとつを提案しただけなのさ。

    いやあ、今年はきつかったー。

  • TSUTAYAに文句!

    ゾンビ映画は普通レベルだった。
    こういう同じ題材だと、監督の才能がはっきり出る。
    ゾンビ映画の最高傑作は、昔のやつ数本
    (相変わらずタイトルを忘れとる)
    比較的新しい (それでも古いが) のだと、バタリアンが最高!

    ゾンビ映画はどれも、観終わった後に
    空しさが残るのがやりきれん。
    未来があるんかないんか、わからん終わり方が多いからだ。
    私だったらどうするんだろう、とか思ってしまう。
    (バタリアンは、ここをクリアしていた。
     悲しい終わり方だったが、人類の未来は守られた)

    こういう気分になった時は、超人的殺人鬼でも観て
    すっきりしようと、「悪霊のいけにえ」 を観る。

    ・・・・・・・・・おおい・・・・・・・・・

    ホラー映画に駄作は多い。
    だが、それはホラーファンには覚悟の上。
    ホラーを観るのはジェットコースターに乗るようなもの。
    キャーキャー言って、それでよし、なのだ。

    なのに、こんなゆるいファン心を踏みにじるほどの作品が
    最近、多くなってきているのはどういう事だ?
    学芸会のノリで作ってんじゃねえの? と、思えるほどだぞ?

    こんなんで金を取っていいんかよ!!!!!
    これが制作費かけまくりの大作と同価格でいいんかよ!

    この 「悪霊のいけにえ」 の解説は
    「殺しても殺しても死なない片靴のパイレーツが
     同級生を次々に惨殺していく」 だった。

    裏書を書いたヤツ、この映画を観てねえだろ・・・。
    ジャロに言うぞ、このやろう!!
    もっと真面目に仕事をせんかい!

    タイトルと内容はまったく関係なし。
    殺しても殺しても、とあるが、1回しか反撃されとらん。
    そして、ほとんどは片靴だが一瞬、両方靴を履いてたぞ!
    ちゃんとチェックせんかい!

    血はホースでピューだし、「キャア」 ドスッですぐ昇天。
    役者も本気で逃げていない。
    殺人鬼が迫っているのに、いきなり西洋版こっくりさんの
    盤を出して、何と霊頼みをしようとしてやがる。
    おまえはもう死ね! (もちろん死んだが)

    バリバリうるさいチェーンソーを片手に
    忍び足でソーッと歩く殺人鬼にも 「?」 だったが
    その殺人鬼が踏んだ小枝の折れる音で、やっと
    真後ろに危険が迫っている事に気付くヤツも、ほんっと不思議だぜ。
    小枝のパキッが聞こえるんかよ、あのチェーンソーの轟音の中
    ギャグか? 狙ってやってんのか?

    吹き替えもふざけまくりで、声優陣もやる気なしとみえる。
    「こんな汚い湖で撮影~♪」 って
    ほんとーーーーーに原作でもそう歌ってんのか?

    呆れ果てて、メイキングがついてたので、それをチェックする。
    デブがヒッチハイクで車に乗せてもらうが
    行き先を告げると、いきなりブレーキを踏まれ
    車から追い出されるシーンがあるのだが
    このデブ、とことん腹筋が脂肪になってたらしく
    ブレーキを踏まれた際に、フロントガラスに激突し
    なんと、フロントガラスにヒビが入ってしまうのだ。

    メイキングでは、誰もデブの脳天の心配をせず
    「おい、どうすんだよ、この車、まだローンが残ってるんだぜ」
    と、本気で怒って大騒ぎ。
    デブも 「ノーギャラでこれはあんまりだろ、ギャラをくれよ!」
    と、反論し、汚い金換算な展開になっていく。
    おまえら・・・それメイキングじゃなく、内輪もめだろ。

    ご丁寧にNGシーンもあったが
    この映画自体がNGなので、成り立ちません!!

    こういう何の特典にもなっていない特典映像を見ていくと
    ショートストーリー、とかいうのがあって
    後日談とかかな、と観ると、まったく関係のない忍者映画だった。

    そういや、本編にも日本車が出ていて
    「こんなステキな人がトヨタ車で迎えにきてくれるなんて」
    というセリフもあり、この映画の監督は
    微妙に日本好きなんだな、と、思われる。

    何故 “微妙に” か?
    カンフーの達人が柔道着を着ているのも 「?」 だが
    その襟が右前になってたり左前になってたり
    シーンの度に変わっているのが、すんげえ気になったのさ。

    しかも、正義の味方のカンフー達人が、苦労して苦労して
    悪の忍者軍団に立ち向かっているのに
    最後はアメリカの警官たちが現場に踏み込み
    忍者軍団を警棒でタコ殴りにして、一件落着・・・・・。
    最強は米警官かい。

    この “ショートストーリー”
    本編より長くて “ショート” ・・・。

    唯一の救いは、主人公?の男の子がすげえ可愛い東洋人だった事。
    クレジットを見たら、何と日本人だった。

    この “ショートストーリー” にもNGシーンが入ってて
    はいはい、撮ってる方は楽しかろうよ、と、空しい気分にさせられた。

    こんなんに金を取るな!
    観てもらえるだけでもありがたく思え!
    タダでも観らんがな、ふん。

    TSUTAYA、頼む
    せめて “映画” と言えるものを置いてください。
    良い映画なのに、置いてないのも沢山あるというに
    何でこういうのを入れるんだよーーーーーーーーーーーー!

  • メリークリスマス

    クリスマスに私は何をしているか・・・。
    もれなく風邪を引いとるわい。

    リハビリに行ったら、そこのおやじが
    「風邪引いたーーー」 とか、ヘックションやってたんで
    やばいなあ、と思っていたが、案の定うつった・・・。

    で、よせばいいのに、何を考えてるのか美容院にも行く。
    半年以上、髪を切れなくて、イライラしてたが
    とうとうブチッときて、突進したんだな。

    久々に会った美容師のねえちゃんが
    「寝込んでたのに、何でこんなに髪がキレイになってんの?
     ツヤツヤ柔らかくなって、健康になってるから乾かない」
    と、言ってドライヤー片手にイライラしとった。
    これは多分、シャンプーリンスのお陰だ。
    他に何ひとつ健康的な事はしてねえもん。
    硫酸系洗浄成分のシャンプーとノンシリコンのリンスに
    変えただけでこうなるとは・・・。
    あなどれん!!!!!!!
    自然派系のシャンプーリンスは使用感がイマイチで
    うんざりしてたんだが、プロが髪の変化を褒めるんだから
    これは凄いかも。
    案外、エコマニアの 「○○って成分は危険」 とかいう
    ヒステリックな忠告も本当なんかもなあ、と思った出来事だった。

    美容院の帰りに、レンタルビデオ屋さんに行って
    ホラーや心霊ビデオを大量に借りる。
    やっぱクリスマスはオカルトだろうーーー。

    もう、心霊物は、ほんと嘘くせえんだが
    “全力で騙される!” を身上に観るのが鉄則。
    たとえば、霊スポットで霊能者が霊視するやつ、
    「ある事件が原因で霊が出る」 とか言ってても
    その “事件” を決してネットで調べてはいけない。

    ないから!
    ほんと、ないから!

    そういう作りの娯楽ものだという姿勢で観ようね。
    ・・・と、ついググってしもうたアホウが申しております。

    さて、今からゾンビ物を観ようっと。
    やっぱ洋物行事の夜は洋物ホラーだぜ。

  • 群馬、女児パチンコ屋で放置連れ去り事件

    「TVのチカラ」を毎週観ている。
    今週は、パチンコ屋で幼女を連れ去られた両親が出ていた。
    その事件はよくTVで取り上げられるので知ってはいたが
    ご両親を見るのは初めてだった。

    事件の概要は次の通り。
     :9年前、夫婦で朝9時の開店時に来店。
     :連れて行ったのは、当時4歳の長女と
     :奥さんがおぶる乳児 (これも女の子らしい)。
     :店内をウロウロしていた長女に男性がしきりに話しかける。
     :その近くを母親が通るが、一瞥して放置。
     :長女が 「○○なおじちゃんがいる」 と母親に報告。
     :○○の部分は母親が聞き取れず。
     :昼1時40分に長女がいない事に気付き
     :20分後の2時に警察に通報。
     :店内のカメラに、男と話す長女や
     :男について行く長女が映っていた。
     
    当時、ニュースを聞いた時もそうだったが
    あらためて事件の一連の流れを見ると
    ・・・・・・・・・・実に同情できない。
    TVで両親の言動を見て、更に同情できなくなった。

    いなくなった子供は可哀想だが、あんな親の元で
    育てられるのも可哀想なんじゃないのか?
    “久しぶりのお父さんの休日” に、朝9時から
    パチンコ屋に缶詰で、昼飯はパチンコ屋で売ってる弁当。
    飯ぐらい 「食事中」 の札を置いて
    どっかに食いに連れてってやれよ!

    というか、あんなうるさくタバコの煙モウモウのとこに
    4歳女児ばかりか、乳児まで連れて行くなど言語道断。

    最近では、託児所を備えたパチンコ屋も多く
    依存症に拍車が掛かるんじゃないのかという批判もあるが
    パチンコ業界の答は
    「パチンコをする人は、託児所がなくても来ますから
     あった方が、子供にとっては安全でしょう」
    ・・・・・・・・なるほど・・・・・・・・・

    駐車場の車に放置して、蒸し焼きにされる子供も
    後を絶たないし、託児所もしょうがない事なんか。

    育児疲れのストレス解消をしたいという気持ちはわかる。
    だが、ストレス解消に何故パチンコを選ぶのか。
    子供から目を離せない時期だけでも
    もっと健全な娯楽をするべきじゃないのか?

    といった気持ちは、誰でも持つだろうから
    私の視点で気になった事を書こう。

     1時40分にいなくなった事に気付き、2時に通報

    これ、不思議じゃないか?
    「あれっ?」 と、思ってから、店内や店の周囲を探し
    店員にも尋ね、そうこうしてたら20分じゃ済まないと思う。
    ましてや、パチンコに夢中で、娘の話もよく聞いていない親が
    この迅速な行動は、一体どういうことだ?

    これが引っ掛かったので、ネットで調べてみた。
    ま、予想はついていたが、非難ごうごう。
    しかし、気になる噂がいくつかある。

    1.この夫婦には長男がいて、その子は駐車場で蒸し焼き
    2.長女には多額の保険金が掛けられ、受領済み
       (保険料を払い続けるなら、行方不明でも
         受け取りは可能らしい)
    3.長女失踪後、団地から新築一戸建てに引越し
    4.長女失踪後も夫婦はパチンコ屋に通い続けていた
    5.事件当時から現在まで、父親は無職

    ローカルBBSで見るに、3・4はどうやら事実らしい。
    5は、今現在無職という事と、元の職業はわかったが
    事件当時がどうだったかは、まだ判明していない。
    2は調べようがなし。

    そして問題は1。
    車内放置事故の過去の記事をチェックしているが
    まだ判明していない。

    私が何を言いたいのかというと
    容疑者扱いをされている防犯カメラの男性
    そいつに凄く違和感があるのだ。

    パチンコ屋に入って、台にまったく興味を示さず
    ウロウロと何かを探している。
    これが身代金目当ての誘拐を目論んでいるのなら納得できる。
    あいつには、わいせつ目的じゃなく
    金銭目的の匂いがプンプンするのだ。

    だが、身代金目的でパチンコ屋に物色に行くか?
    そんな行き当たりばったりの誘拐があるだろうか。
    取れるとこから取りたいから、多少なりとも下調べはする。

    だから、最初からこの長女を狙ったとしか思えない。
    だが、父親は元警察関係者なのだ・・・・・。
    つまり、保険金目当ての計画的犯行に思えてならない。

    もし、長男の噂が本当なら、それで父親は
    警察を退職せざるを得ないだろう。
    無職になって・・・以下略。

    この推理は私の勝手な妄想だが
    いざ調べようと、各所を覗くと、同じような疑問が随所にあり
    この疑惑が原因で、必要以上に非難されているようだった。

    子供に死なれた親は幸せになってはいけないのか
    一生、泣き暮らさにゃならんのか、と、思う部分もあるが
    この両親は、人心にもうちょっと配慮した方がいいと思う。
    現にTVで、「本当に探したいのか?」 と、思わされる
    言動が多く、普段からああいう事をしてたのなら
    「子供を放置したくせに」 と、言われてもしょうがない。

    この事件は、もうちょっと調べようと思うが
    過去の事件などの検索が上手く進まず、難航している。

  • 何が一番大事?

    討論番組のテーマに最後のいちゃもん付け。
    「お金が一番か?」

    ・・・・・・ケンカ売っとんのか、こらあ!!
    視聴者をナメた質問ばっかりするんじゃねえ!!!

    会場の答が 「お金が一番」 には驚いた。
    いやあ、びっくり。
    目的を達成するための道具にこんだけ支持が集まるとは
    欲深いというのか、幸せというか。

    では、私の答
    「いいえ」
    ノー! ノン! ネイン! ニェート! 

    何で “お金” と “愛” が対にくるんか
    「お金じゃない」 と言うヤツは皆、「愛が一番」 って、笑止。
    他にもっと大事なものがあるんだよ!

    それは 健 康 

    健康な体を持っていれば、働いてお金を稼げる。
    健康な精神を持っていれば、人を慈しみ愛せて
    よって、人からも愛される。

    他に何が足りないんだよ、充分じゃねえか。
    健康なだけじゃ稼げないレベルの金額が欲しいんか?
    それ自体、精神が不健康。 欲深すぎるぜ。

    もし、大富豪だったとしても
    入院手術を繰り返す生活でも幸せか?
    リストカットがやめられないとか
    他人が恐くてひきこもる生活で幸せか?

    愛する人と一緒でも、飯が食えん寝る場所もない生活で幸せか?
    周囲の愛情に支えられても寝たきりの人生で幸せか?

    極論に思えるだろうが
    一番以外のものは持ってる前提で答えてるだろ。
    すべてを生み出すのが健康なんだよ。
    普通に暮らしたいのに、何も欲張ってもいないのに
    病気で苦しんでいる人がどんだけいることやら。
    これを一番に考えんのは、それだけで幸せな人生だと気付け。

    と、キシャーキシャー叫んでみたが
    多分、皆、生活に対する不安が大きいんだろうな。
    それは、よおーーーーーくわかる!
    私だってビンボーでビンボーで、老後はどうなるやら。
    けど、それよりも不安なのが健康に対してで
    これらの重要度の違いは、今までの人生によるんだろうな。

    私がそんなに大病をしたかというと、そこまではない。
    幼い頃から、どちらかといえば病弱で
    要所要所でチマチマした病気をしているだけ。

    だけど、そんなせせこましい体調不良でも
    人生観を変えるほどの威力を持ってたので
    私程度でこれだから、大病を患ってる人は
    どれだけ苦しいんだろう
    健康、あなどれん! と、ビビっているのである。

    注: 「病気の人は全員不幸か?」 と、突っ込まれそうだが
        その人が健康な時よりは、そりゃ不幸だろう。
        その人が持つべき幸せが、病気によって目減りしている
        という意味で、病人を哀れんでいるわけではない。

    この問いに関しては、「愛」 と答えようが
    「お金」 と答えようが、どれも間違いではないと思う。
    ただ、あの番組で 「お金」 と答えたヤツの多くは
    欲深いだけとか、人を信用できないとかいう印象を受けたので
    賛同はし難い。

    「愛」 と答えたヤツは、単なる夢の国の住人に見えたぞ。
    愛はもちろん大事だが、それも自分のありよう次第だろ。
    愛とは欲しがるものじゃなく、他人を大事にしていれば
    自然に発生するものだと思うんだが
    私が能天気なだけなんだろうか?

    でも、どうも愛に関しても欲深いヤツが多い気がするなあ。
    何に関しても、望みすぎるとロクな事にならんのは経験済みだ。

    「お金が一番大事?」 なんて質問はありえん。
    その他の事を全部なし前提だったら、ほぼ全員がNOだろ。
    命、いらねえのか? ってなw

    見て損をさせられた気分になる番組を作るな!!

  • 学歴

    くだんの番組のテーマで
    「学歴は必要か?」 という問いもあった。
    東大卒作家とかが暴言を吐きまくっていて、嫌われまくっていた。

    私に問われたら答える。
    「学歴は必要」 と。

    多くの人が、一流大学に入った事が勝利だと勘違いしている。
    確かに勝利である。
    が、それは何試合もある中の一勝利に過ぎず
    人生の勝利ではない。

    学生の義務は勉強で、それを頑張った成果が学歴である。
    企業はその真面目さを買って、自社に入れるんであって
    仕事でも同じように頑張ってくれるだろう、という目安なのだ。

    「教科書に載ってる事って社会に出たら意味がない」
    とは、よく聞く言葉だが、これも違う。
    若い時に、脳みそを鍛え、一般教養を身に付け
    与えられた事をこなすという性質を養うのだ。
    それが義務教育の意味。

    学歴は、「一生懸命頑張りますよ」 という
    付加価値が自分に付くんであって
    頑張ればちゃんと認められる証拠。
    受験のためだけに勉強させられてるんではない。

    問題は、一流大学に入ったら目的達成をしたという勘違い。
    次は大学で自分が何をしなければならないのか
    会社で何を求められているか
    自分の環境によって、次々に目的を変えて
    頑張り続けるという持続性がないと、意味がない。
    学歴だけでは世の中は渡っていけないという現実は
    こういう仕組みになっているからだ。
    つまり、一生、頑張り続けろってこと。

    では、学歴が直接関係ない仕事につきたい場合
    それでも学歴は必要か?
    その都度その都度、頑張ったら、それは自分の力になるから
    結果として学歴をつけられる状況はついてくる。
    進学するかどうかは、家庭環境にあるだろうが
    寄り道できるなら、進学した方がいい。
    どうせ人生、一生勉強なんだ。
    それがメインにできる学生時代に、それをせんともったいねえ。

    学歴がない人は?
    学歴という付加価値に代わる武器を身につければいい。
    逆に言えば、高学歴しかないヤツより、遥かにいい。
    ヘタに高学歴になったアホウは、それを葵の御紋のように
    使いまくって、己の品格を軽蔑されるもんだ。

    家庭の事情とか、自分の学力以外の要因で
    学歴をつけられない場合も同じ。
    マシンガンにするか、アサルトライフルにするかの違いだ。
    一見、マシンガンの方が万能に思えるが
    マシンガンの本来の用途は支援的役目で
    なのに敵からは、一番に標的にされる。
    状況によって武器も選ばんと使えんってことだ。

    そもそもが、「学歴なんていらない」 とか
    「学歴だけじゃない」 とか
    そういう言葉を言う気持ちがわからん。

    学歴社会や高学歴天狗に対して言う事が多いだろうが
    学歴社会は日本の一部で、全部ではないし
    学歴を鼻にかけてるヤツにそれを言って何の効果があるんだ?
    そいつは、それを言いたくなるほどヤなヤツなんだろ?
    わざわざ自分が改心させてあげる必要はないし
    聞く耳を持ってるのなら、ヤなヤツになんかなってない。
    そんなアホをまともに相手にする
    自分の信念の揺らぎを恥じれ。

    そんなヤツのお世話より、その言葉が
    頑張ろうとしてるヤツのやる気を失くすかも知れんから
    売り言葉に買い言葉でも言うべきじゃないな。

    うーん、書いてて思ったが、私の正確な答は
    「学歴は必要」 じゃなく、「学歴は大事」 だな。
    あの番組の問いには沿ってない答になる。
    ヘンな質問をするから極論しか出ねえんだよ!

    しかし、こういう説明は、親や教師がするべきであって
    こんなバカな議論が出る世の中なのが悲しい。

  • いじめ

    TVで討論番組をやっていた。
    お題は 「いじめる側といじめられる側、どっちが悪い?」
    結果は 「いじめる側が悪い」 が、6:4ぐらいで多かった。

    「いじめられる側が悪い」 というヤツの言い分は
    「いじめられる側にも原因がある」
    「いじめられる側は反抗できずに弱いから」

    途中、元教師で、今はいじめ相談所に勤めている女性が出て
    いじめられた体験を話す子に
    「みんな辛かったね。 何もできなかった自分が悔しい。
     いじめた子に代わって謝るしかできない。
     ごめんなさいね。」
    と、芝居がかったヒューマニズムをふりまき
    さすがに会場は冷えまくっていた。

    番組の最後は、いじめに遭って自殺した子の親の
    インタビューを流し、会場号泣で終わり。

    最初から最後までイライラさせられた番組だった。

    「どっちが悪い?」 はああああああああああああ?
    いじめる側が悪いに決まってるだろうよ。
    いじめられる側に原因があっても
    それを解決するには、何通りも方法があるのに
    いじめという方法を取る自体で、既に悪い。

    この番組はいじめをどうにかしたくはないのか?
    こんなお題で何か進展するのか?
    番組の意図するとこがよくわからん。
    単に不幸話を羅列して、傷の舐めあいをしようってか?

    いじめは何も学校内だけではない。
    会社でも近所付き合いでも社会全体でも
    人が複数いるところには必ずある。
    学校でいじめられてたヤツが、卒業すれば終わりじゃねえんだよ。
    いじめられる度に、泣き寝入りしてやり過ごすのか?

    いじめをどうにかしたいのなら
    被害者には被害者の戦い方があるというのを教えてあげるべきだ。
    被害者ヅラってのも、戦うには武器にはなるが
    それだけで乗り切れるものではない。

    いじめられた子は、涙するほど可哀想で
    厳しい事など言えなくなってしまうが
    その子の人生で、いじめが起きる可能性は永遠に続く。
    本当にその子の心安らかな人生を望むのなら
    慰めるだけでなく、知恵をつけさせてあげるべきだ。

    番組に出てきたいじめ相談所の女性を見てると
    その時の心の傷は癒せるかもしれんが
    また起きるかもしれんいじめの対策には
    役立っていなさそうに思える。
    一緒に泣くだけでは何の解決にもならんわ。

    では、その解決法とは?
    それは状況によって違う。
    ケースによって、公的機関に訴えるのがいいのか
    本人だけで戦うのがいいのか変わってくるからで
    まさにケースバイケースである。

    ただ、ひとつだけ言えるのは
    「そこが世界のすべてではない」
    いじめる側もいじめられる側も、狭いコミュニティに
    どっぷり浸かっているので、そういう衝突が起きる。

    いじめなんて、ほんとーーーーーーにくだらん。
    くだらんのに、やり口がどんどん陰湿化しているのは
    いじめる側に妙な知恵がついてきてるからだ。
    いじめられる側も進化しないと、太刀打ちできない。
    「告げ口すると、もっとひどくやられる」 ってのは
    後手後手に回ってるから。
    すべてを巻き込んで自爆したるぐらい、腹をくくれ。
    嵐と違って、通り過ぎてはくれんものには
    ぶつかるしかないだろう。

    いじめに対しての私のスタンスはこれだ。
    これができないからこそ、いじめられるんだ、という
    話もあるが、私もいじめられた経験はある。
    ・・・が、自覚はなかった・・・。
    今思えば、あれっていじめだよな、って感じなのだ。

    小学校低学年の時、上級生の男の子数人に
    コブを作り、ケガをし、服を破かれ
    ズタボロになって毎日帰宅していたのに
    何で気づかないのやら。
    毎日泣いて帰るのに、それを苦にもしてなかった。
    どころか、いじめる子の判別もできてなかった。

    どこまでアホだったんだか、今となっては笑い話だが
    私がまともな知能のガキだったら、悲劇が起きてたのかも。
    でも、あの時の私には、学校が世界のすべてではなかったので
    校内で起きる事ばかりを考えてはいなかったせいだと思う。

    その後もいくつかいじめに巻き込まれたようだが
    全部、自覚がなかった。 (後々、人に言われて気付く)
    こういうヤツが周囲にいたら、さぞイライラすると思う。
    私なら、余計にいじめるがなw

    経験から、このふたつを推奨する。
     ・世界をあっちゃこっちゃに持てば、余裕がでる
     ・自分の脳みそ、神経の状態によって剣と鎧を選べ
    私のようなアホは少々突付いても気付かんもんさ。

    最後に、いじめるヤツと傍観者に進言。
    人は集団に頼ると自分の制御が難しくなる。
    永久的に安住できる集団なんて存在しないので
    常に背後に気をつけれ。

  • 冬の楽しみ

    冬というのは、一年中で一番幸せを感じる季節である。
    暖かいというのは、ダイレクトに幸福と結びつく。
    外は寒いのに、家の中はぬくぬく
    これに勝る幸福感があるだろうか。
    あらかじめホットカーペットで暖めておいた布団に
    入った時なんか、もう幸せで幸せで
    興奮して布団の中でグルグル回って眠れない。
    こんな事にここまで幸せを感じるなんて
    私の前世は野ざらしの電柱だったんじゃないだろうか。

    冬の私は、よく窓辺に仁王立ちして外を眺める。
    寒そうに歩く人々を見ながら
    「ぐはは、凍えろ凍えろ、愚民ども」 と
    ひとり恐怖政治ごっこをするのが楽しくてしょうがない。

    これが、自分が外を歩くとなると、それはもう地獄!
    私はドライアイの逆の涙目で
    何故か寒い中を歩くと涙が出てくる。
    これは、まるでシクシク泣きながら歩く女で
    周囲はさぞ恐いものがあるだろう、と思う。
    普通は鼻水とか出らんかあ?
    寒くて辛い上に、恥までかくので割に合わん。

    ところで、窓辺で下界を見ていて気付いた。
    近所の高校生が、よくマラソンをさせられているのだが
    オヤジの女子高生好きもロリの範ちゅうに入らんかあ?

    中には大人っぽい子もいるのだが
    平均的にまだまだガキっぽく見えるんだよな。
    メイクをしたら、また別か
    ああ、だからマンバメイクとか流行ったんかな
    と、何となく納得した。