嘘には種類があるが、ほとんどの場合が
自分が悪く思われないための手段として使われる。
私は恥知らずなので、その手の嘘は必要がない。
もちろん謙遜もしない。
人から褒められなくても、自画自賛してれば
オッケーな感覚が真の恥知らずなのだ。
(こんなんだから人から褒められないんだがな)
HPで 「ナイスバディ」 だと公言してるのも
逆に自分を貶めているのかも知れないが
造形美というのは、いずれ必ず崩れ去るものなので
自慢できるのも今のうちだからである。
数少ない長所を、しかもタイムリミットがあるのに
せっせとアピールせんでどうする。
(自慢してどうなるっ?て話もあるが)
こんな私を、自分では正直者だと自負していたが
最近、何となく違うような気がしてきた。
人は言いたくない、いらん事をするものだ。
「悪い事をした時は、ちゃんと謝りなさい」と
義務教育で洗脳されたが
ワシントンが桜の木を折った事を告白した時
本当はえらく怒られたという説もある。
怒られるのが苦ではない私は
そういう嘘もつく必要がなかった。
だが、告白される側はたまったもんじゃない。
私から 「やっちゃった、でへへー」 とか言われ
怒ってもヘラヘラされて、この憤りをどこへ
持って行けばいいのやら・・・みたいな心境であろう。
罪を告白するのは、許されたいからで
告白される側に心の負担を譲る行為である。
もし罪を犯したのなら、それを一生背負って
ひとり苦しむぐらいの覚悟を持つべきではないだろうか。
私がそういう考えを持ったのは、母親の死である。
親の死というのは、ほんと色々な事を考えさせられてタメになる。
私はヘビースモーカーなのだが
両親は 「女性がタバコを吸うなんて」 という
考えの持ち主なので、隠れまくって吸っていた。
親が怒るというより悲しむと思い、言えなかったのである。
だが、離婚する時に、“ついで” にカミングアウトをした。
父親はもう死んでいたので、母にだけである。
その時には、離婚という重大な事件の前に
喫煙など、かすんでしまって流してもらったのだが
やはり気に病んでいたようである。
本音を言うと、コソコソ喫煙するのに疲れて
些細な事だろ、と、カミングアウトをしたのだが
すぐ関西に逃げたので、黙っていればバレなかった。
自分がラクに自分をやっていきたいがために
母に心配をかけるという暴挙をしてしまったのだ。
これが正直か?
言うんじゃなかった、と、思う。
が、今や霊とかになって、後ろあたりにいるなら
結局はバレてるので、一緒かな、とも思う。
(こういうとこが無神経なんだよなあ)
だが、次に私が “人が聞いて悲しむ事” を
しでかしたとしたら、(絶対にしでかす自信がある!)
自己嫌悪に苦しみつつ、墓まで持って行こうと思う。
その重荷を人に背負わせてはいけない。
悟られてもいけない。
私はこれから、責任を持って嘘つきになろう。