高雄の眉間にシワは寄らない。
心を探られないように、無表情を心掛けているからだ。
乾行が、ふたりは大丈夫なのか、と言ってきた。
ふん、あの無神経な青馬鹿姫のせいで、
大丈夫なわけがないだろう。
「男女の恋路に関してだったら、俺にも多少は役に立てるが
ふたりの苦労は政治に関わる事で、それは俺には無理だ。
おまえが助けになってやれよ。」
わかっておる。
あの青馬鹿姫を助けるなど不本意だが
伊吹の命運が懸かっているならば仕方がない。
しかしあの、地に足が付かぬ乾行にさえ心配されるなど
これはやはり、間違えた婚姻だな・・・。
私があの時に姫を捕らえなければ・・・
本来、そうした意味のない “もしも” は考えない高雄の脳裏に
一瞬でもそれがよぎったのは、後悔の大きさを表していた。
高雄は伊吹を探した。
主だった場所にはいなかったので、竹林に足を向ける。
伊吹は、岩に持たれて座っていた。
よお、と左手を上げる伊吹に、高雄はピンときた。
「ちょっと見せてみろ。」
伊吹の着物の衿をめくると、右肩が腫れ上がっている。
「・・・あの青馬鹿姫、自分の夫に容赦のない・・・。」
思わず口に出てしまった言葉を、伊吹は聞き逃さなかった。
「青馬鹿姫?」
「あ、いや、つい。」
珍しく、しどろもどろになる高雄に
伊吹は腹を抱えて、転げ回って笑った。
「あ・・・、あおばひめじゃなく、あおばかひめ?
あーっはははははは」
その大笑いを、高雄は不思議に思った。
何をおいても愛する女の悪口仇名を、ここまで笑えるか?
しばらく笑い転げていた伊吹だったが、急に笑うのを止めた。
だが、そのまま寝転がっている。
高雄は声を掛けようか迷った。
このように、伊吹らしくない伊吹は初めてだからである。
「・・・すまぬ。
俺にもどうして良いのかわからないのだ・・・。」
ようやく座り直した伊吹は、着物に付いた笹を掃う。
「おまえは青葉が嫌いなのだな?」
伊吹の質問に、高雄は嘘を付いた。
妻と親友が仲が悪いのは辛いことだ。
「いや、そのような事はないぞ。」
「そうか、それは良かった。」
ホッとする高雄に、伊吹が言う。
「おまえがそう言うという事は、本当に嫌いなのだな。
人の妻を好きだったら、嫌いな振りをする。」
「・・・・・・・・・・・」
高雄は観念した。
「ああ。 あの姫の事は大嫌いだ。
だが、おまえには幸せになってほしい。
だから “ふたりの幸せ” のための助力は惜しまぬぞ。」
「そうか・・・。
ありがとう。」
伊吹は背中を向けたまま振り向かない。
が、次の瞬間、信じられない言葉が高雄の耳に入ってきた。
「俺の妻を嫌いでいてくれて、ありがとう。」
伊吹は両手で顔を覆った。
「おまえが青葉を嫌いだという事が、俺はものすごく嬉しい。
青葉が大切なのに、愛しているのに
世界中から嫌われてほしいと願う気持ちがある。
俺は・・・、俺は・・・、
何故このように醜くなったのか・・・。」
高雄は後ろから伊吹を抱きしめた。
「伊吹、大丈夫だ、案じる必要はない。
初めての恋には狂うものだと乾行が言っていた。
だからおまえのその、わからない感情は一時的なものだ。
落ち着けば治まる。
おまえは何も変わってはいない、大丈夫だ!」
家だ身分だなど、失っても命さえあれば何とかなる。
その命も、失ったら終わり。
だが、“大事なもの” ほど恐いものはない。
手にしてしまったら、失う恐怖に囚われる。
それを知らない高雄には、伊吹の苦悩がわからなかった。
ただ “恋に狂う” 事に対する嫌悪感が出ただけであった。
“伊吹は弱くなってしまった”
高雄はそう思った。
続く