“新婚” のふたりは、八島の殿から特別に数日間の休暇を貰った。
「ついて来てほしいところがあるのだ。」
伊吹の希望で、ふたりは短い旅に出た。
「いらっしゃいましー。」
店に入って来た人影に、振り向いたおかみは驚いた。
以前にやってきた青年が立っている。
そしてその後ろから入って来た女性を見て、腰が抜けそうになった。
今までお目にかかれた事のないような美女だからでもあるが
もっと見た事がなかったのが、その赤染めの着物である。
こ、このお侍さん、貧乏そうだったのに・・・
そして、そこのお姫さまは、もしや・・・。
店の様子がおかしいのに気付き、奥から顔を覗かせた主人。
「何をしているんだね、お客さまじゃないかい。
どうも、いらっしゃいま・・・」
言葉が続かない主人に、伊吹が挨拶をした。
「おお、店の主人、あの時は世話になった。
お陰で、こうやって縁組みする事が出来た。
ロクな買い物も出来ない俺に親切にしてくれて、感謝しておるぞ。」
「今はわけあって短髪なので結えませんが、
こちらでいただいたという組み紐は、大事に取ってありますよ。」
青葉がにっこりと微笑んだ。
主人とおかみにはすぐにわかった。
この姫は龍田の “赤染めの次姫さま” だと。
商人には、嫌でも情報が舞い込む。
現在のこのあたり一帯の噂話の中心は、身分違いの恋の成就であった。
武勲を重ねて成り上がった、いくさ孤児の貧しい武将が
山城の悪政に苦しむ民を救おうとやってきて
山城の殿が狙っていた、帝の血を引く姫と恋におちた。
それに怒った山城の殿が姫の姉を殺し
姫までをも亡き者としようとしたところを
武将が単身乗り込んで姫を救い出し
それに乗じて、龍田の殿が山城を打ち破った。
と、えらく尾ひれの付きまくった話になっていたが
上は下に嫌われるので、山城はこれでも優しい扱われ方であろう。
このように、とかく噂は大げさになりがちなので
いつもは話半分に聞く、この町では大店の部類のこの呉服屋の主人も
目の前の短髪の美しい娘を見ると、信じざるを得なかった。
あの劇的な話に、まさか自分が関わっていたとは
と、主人には誇りにすら思えた。
「それはそれは、心よりお祝いを申し上げます。」
主人とおかみは深々と頭を下げた。
「うむ、ありがとう。」
伊吹は、屈託なく笑った。
「それで今日はな、姫に赤染めの着物をこしらえてあげたいのだ。」
その言葉に、主人の顔が曇る。
「それはありがたい申し出ですが
うちでは、そのような高級な反物は取り引きがないので
何日かかるか、いくらになるか・・・。」
「それは問わぬ。
姫への初めての贈り物は、ぜひここでと考えていたのだ。」
伊吹は悪気なく言っているが、店には “格” というものがある。
今までのうちだと、赤染めなどには縁がない。
仕入れ先を開拓するのは、一苦労である。
「お待ちくださいませ。」
青葉が口を挟んだ。
「わたくし、お着物はもう沢山持っております。
女は衣装持ちなのですよ。
ですから今日は、伊吹さまのお着物を作るべきですわ。」
「いや、俺はそなたに贈り物をしたいのだ。」
青葉は少し考え込んだ。
「では、この短髪をまとめられる髪飾りが欲しいですわ。」
青葉も、仕入れの仕組みなどを知っていたわけではない。
青葉が知っていたのは、“贅沢をしてはいけない” という現実である。
龍田城を出立する前夜、早くに死んだ母親の代わりとも言える乳母から
懇々と言い聞かされたのである。
今までの暮らしは、通常から見てとても贅沢であり
敷島家の月々の収入は、青葉の着物一枚にも及ばぬ事。
そのため、いざとなったら売れるように
通常より多くの衣装を、嫁入り道具として持たされる事を。
青葉には貧乏というものがわからなかったが
“我慢をする” という心構えだけは胸に刻み込んだのである。
続く
関連記事 : 殿のご自慢 28 13.6.4
殿のご自慢 30 13.6.10